2016年03月26日 - 「高天原の縁側日記」
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2016/03/26

八百比丘尼 と人魚伝説「伯耆国昔話」

前回UPの粟嶋神社の社叢小さな祠があるのですが!

粟島神社1
(使い回して申し訳ありませんm(__)m)


粟島神社社叢


先ずは、 粟嶋神社社叢を紹介!干拓地である周辺地域や中海のなかでは例外的に、山全体にスダジイなど高木から中低木が生い繁り、この地域としては珍しい照葉樹林を形成しています。

島全体が原始林とされ、特に西斜面に群落を形成してるシャシャンボ(ツツジ科)が大型化しているのも特徴的で、全体が「 粟嶋神社神社社叢」として鳥取県の天然記念物の指定を受けています(残念ながら六年前の元日、山陰豪雪で大きな被害を受けました。)。

その社叢を右側に進んで行くと、洞穴の小さな祠が有ります。

粟島神社8


静の岩屋


六年前の元旦山陰豪雪で鳥居も折れてしまっていました。

あの時雪で国道9号線に閉じ込められた車1000台の中に私も居たんです。

「静の岩屋」と呼ばれていて、こんな昔話が伝わっています。


【伯耆国昔話】

粟嶋神社神社がある所は、昔は文字通りの島で、舟の渡し賃は3文じゃった。

昔、この粟嶋神社に数人で信仰していたリンゴン(龍神)講があって、当番になると神さん拝みの後、講仲間にごちそうを出すのがきまりでの。

ある年の当番が、ごちそうぶりに見たことのない肉を出したんじゃ。

聞くと「これは人魚の肉で食べるとうまいし、不老長寿の肉だよ」と言ったそうな。

みんなは珍しげに見たもんの、気味が悪うて、食べたふりをして肉を着物のたもとに入れ、帰りの舟の中で海に捨ててしまったんじゃ。

ところが、一人だけ酒に酔っぱらっておって捨て忘れたもんがおっての。

こな衆は、家に戻るとじきにいびきをかいて寝てしまったんじゃ。

家には18になる娘がいて、父親の着物を脱がせていて、たもとにあった肉を見つけ、土産だ、と思って食べてしまった。

はじめ体がとろけるように思われて、ちょっと気を失い、気が付くと肌はつるつる、耳はアリの歩く音、眼はノミが蜂ほどに見えるようになったそうな。

それからじゃ。

この人はなんぼ年をとっても、18の娘のまんまで老けんようになりましたでの。

同い年の者は、みんなしわくちゃ婆さんになって死んで行くのに、われ一人何年経っても一向に年をとらん。

寂しいでしょうで、知った者がみんな死んでしまって、自分だけ生き残っとるのは。

『定ジョウに入いる』って言いますが、食を絶ってわざと死ぬことを。

この人も仏壇の鐘を持ち出いて、そげして村人に「わしは粟嶋に渡って定に入る。」

「生きとる間は鐘をチーン、チーンと打つ。」

「音がせんようになった時が、わしの命日だと思うてごせ」って言って洞穴に入って行った。

定に入って何日か後に鐘が鳴らんようになりましたと。

その時この人は800歳だったので、村人は、八百べくさん、と言いましたと。

べくさんとは比丘尼(びくに)、女の坊さんのことです。



今でも、この洞穴(静の岩屋)は残っていて、戦争中は出征兵士の武運長久を祈って参る人が多かったといいます。

ここにも、不老不死のお話が出てきましたね。

八百比丘尼のお話は山陰地方だけでなく、北陸・越後・佐渡まで日本海側の多くの地域に残っているようです。

これが、海人族の伝承なのかもしれませんね?

古代の日本は、海の道が交通手段の中心だったでしょうからね。


釈尊(仏陀・ブッタ)は少年期に城の四方の門で『四苦』を見ます。

その内の一つは『生』、仏教において生きる事は苦しみなんですね、不老不死とは幸せなことなのか?

考えさせられますね。

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