出雲と伯耆の間に埋葬された、伊邪那美の墓を推定①!
天地開闢において神世七代の最後に伊邪那岐 とともに生まれた『伊邪那美』。
国産み・神産みにおいて 伊邪那岐との間に日本国土を形づくる多数の子を儲けます。
その中には淡路島・本州・四国・九州等の島々の他、石・木・海(オオワタツミ・大綿津見神)・水・風・山(オオヤマツミ・大山津見神)・野・火など森羅万象の神が含まれます。
伊邪那美が、火の神であるカグツチ(軻遇突智、迦具土神)を産んだために陰部に火傷を負って亡くなると、 伊邪那岐は、カグツチを殺してしまいます(その血や死体からも神が生まれます)。
それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。




古事記では、伊邪那美 の遺体は、『 神避(かみさり)し伊邪那美命(イザナミノミコト)は、出雲国の伯伎(伯耆)の国との堺の比婆山に葬りき。 「出雲と伯伎(伯耆)の国境に有る、比婆の山に埋葬した」』と書かれています( 『日本書紀』の一書によれば紀伊の熊野の有馬村「三重県熊野市有馬の花窟神社」に葬られたと記載されています)。
女神イザナミの墓地は古事記の「比婆山説」と、日本書紀の「熊野説」に分かれることになります。
しかしながら、この古事記の比婆の山も、一般的には島根県と広島県の境の『比婆山連峰の比婆山(標高1264メートル)』と解釈されています。
ご丁寧に隣の山を、 伊邪那岐が悲しんで「おおつまよ~(ToT)」と叫んだとして我妻山と名したとしています。
しかし古事記の記述を正確に信じれば、出雲と伯耆の間にあるはずですから、その地域で比婆山若しくは、伊邪那美の御陵候補地とされている場所の内、私が訪れた場所を幾つか紹介しましょう。
先ずは、比婆山(島根県安来市伯太町横屋標高280メートル)の候補地があります。
山頂に伊邪那美を御祭神とする比婆山久米神社奥の宮があり、本殿裏に一辺10メートル程の囲いがあります。
中には小籔が密生していますが、石積みも見え、古墳の様にも見えます。
訪ねたのは、もう三年ほど前になりますが、本当に神話の世界に迷い込んだ気分になった記憶が、ブログを書いているうちに甦りました。
今、書斎のドアがノックされ妻が顔を見せました。
「結婚記念日だね!」の言葉に現実に引き戻されました。
忘れとったがな~(爆m(__)m)
いつも応援、ありがとうございます(^人^)。
歴史って本当に面白いですよね~!
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国産み・神産みにおいて 伊邪那岐との間に日本国土を形づくる多数の子を儲けます。
その中には淡路島・本州・四国・九州等の島々の他、石・木・海(オオワタツミ・大綿津見神)・水・風・山(オオヤマツミ・大山津見神)・野・火など森羅万象の神が含まれます。
伊邪那美が、火の神であるカグツチ(軻遇突智、迦具土神)を産んだために陰部に火傷を負って亡くなると、 伊邪那岐は、カグツチを殺してしまいます(その血や死体からも神が生まれます)。
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女神イザナミの墓地は古事記の「比婆山説」と、日本書紀の「熊野説」に分かれることになります。
しかしながら、この古事記の比婆の山も、一般的には島根県と広島県の境の『比婆山連峰の比婆山(標高1264メートル)』と解釈されています。
ご丁寧に隣の山を、 伊邪那岐が悲しんで「おおつまよ~(ToT)」と叫んだとして我妻山と名したとしています。
しかし古事記の記述を正確に信じれば、出雲と伯耆の間にあるはずですから、その地域で比婆山若しくは、伊邪那美の御陵候補地とされている場所の内、私が訪れた場所を幾つか紹介しましょう。
先ずは、比婆山(島根県安来市伯太町横屋標高280メートル)の候補地があります。
山頂に伊邪那美を御祭神とする比婆山久米神社奥の宮があり、本殿裏に一辺10メートル程の囲いがあります。
中には小籔が密生していますが、石積みも見え、古墳の様にも見えます。
(カメラ持っていなかったので携帯写真でごめんなさい)
(山から下りてきた現在の久米神社です)
これから、奥の宮まで登ります。(結構距離あります。道標の上に何かいますね?)
(伊邪那岐だけに、ミヤマクワガタのメスが出迎えてくれました)
(奥の宮到着しました!)
(まずはお詣りを、出雲構えの狛犬さんです)
(右に何か見えますね。伊邪那美大神御神陵とありますね)
訪ねたのは、もう三年ほど前になりますが、本当に神話の世界に迷い込んだ気分になった記憶が、ブログを書いているうちに甦りました。
今、書斎のドアがノックされ妻が顔を見せました。
「結婚記念日だね!」の言葉に現実に引き戻されました。
忘れとったがな~(爆m(__)m)
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