『歴史つれづれ』 - 「高天原の縁側日記」
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2018/09/11

地震・豪雨・猛暑・台風また地震、今年の漢字は二度目の「災」に決定か?歴史ブログ『高天原の縁側日記』の先行き!

私的には「大阪府北部地震」に始まり、広島や岡山に大きな被害をもたらした「平成30年7月豪雨」、記録的な「猛暑」、関西を直撃した「台風21号」。

とどめ(もう勘弁して!)北海道の地震「北海道胆振東部地震」と本当に自然災害の多い年に成っています。
被害を受けられた皆様にお見舞いを申し上げます。

毎年、年の瀬に発表される今年の漢字は、二度目の「災」に決りかもしれません。

さて、こちらでブログを更新するのも後一度か?
歴史ブログ『高天原の縁側日記』の移動が、少しずつ進んで来ましたのでご報告できる事だけ連絡したいと思います。




暴風雨直後の大地震へのお見舞い申し上げます



私的には「大阪府北部地震」に始まりました。
職場の『国立・医薬・基盤・研究所』に到着して朝のコーヒーを飲もうとした瞬間、
「ドン」と突き上げるような縦揺れとその後の横揺れにビックリさせられました。

広島や岡山に大きな被害をもたらした「平成30年7月豪雨」では、
雨によって多くの人命が失われました。

気象庁のまとめによると、
今年7月は全国の雨量観測点の1割強にあたる138地点で、
72時間降水量が観測史上の1位を更新しました。


西日本に豪雨をもたらした7月6~8日の更新が多いですね。

岡山県や広島県の多くの地点で300~400ミリ台の降水量をを記録しました。

警察庁によると西日本豪雨の死者数は225人。

総務省消防庁によると住宅被害は4万5824棟に及びます。
岡山、広島、愛媛の3県で土砂災害や浸水被害が特に多く
、生活再建はまだまだです。


梅雨が明けると今度は記録的な「猛暑」となり、
私の取材旅行中も猛烈な暑さが続きました。


実家でも夏野菜が被害を受け、
長女が毎年楽しみにしている苺の苗株にも被害を出したようです。

西日本は豪雨が明けた9日以降に梅雨明け、
それから全国的な猛暑が始まりました。


23日に埼玉県熊谷市で最高気温41.1度を記録し、
国内記録を5年ぶりに更新しました。

この7月に観測史上最高気温を塗り替えた地点は全体の1割強の113地点に上ります。

関西を直撃した「台風21号」
我が家でも、家が揺れるほどの風と雨が襲いました。


台風21号通過時の様子部屋の窓から撮影

強風による車の横転被害や関空の被害は深刻でしたが、
歴史ブログを書いている私には、


京都府での寺や神社の建物が壊れるなど文化財の被害が相次いでいて、
確認された被害は200件を越えていることが残念でなりません。


近年では類を見ない被害となり、府が全容の把握を急いでいます。


とどめ(もう勘弁して!)北海道の「北海道胆振東部地震」では、

震度7を記録し、北海道全道が停電!

震源の近くでは、すべての山々の姿が変わってしまうほどで、
死者数は41人にもおよびました。



全ての自然災害で、
お亡くなりになられ方々に哀悼の意を示すとともに、
被害を受けられた皆様に心よりの、
お見舞いを申し上げます。


「再生の古代米」を新しく生まれるに結びつく「コウノトリ育む但馬米」と食す



自然災害に打ち勝ち再生を志す気持ちをこめて、

本日の朝食に、「伯耆の国」鳥取県南部町にある、
再生・蘇りの神社「赤猪岩神社」で頂いた古代米を入れて、

こちらも生まれの象徴ともいえるコウノトリ育む「但馬米」を焚きました。

12659865456.jpeg
(器も自作!)

「赤猪岩神社」は、兄神たちが赤いイノシシと偽って転がした、
真っ赤に焼けた大岩に潰され、
命を落とした大国主が再生した伝説の残る神社です。


大国主が死を悲しんだ母神(サシクニワカヒメ)と、
二人の女神(キサガイヒメ・ウムギヒメ)の力によって蘇ったとされる日本神話。


それが「大国主再生神話」です。


その神話の舞台とされるのが、「伯伎國之手間山本(ほうきのくにてまのやまもと)」
現在の鳥取県南部町寺内地内にあり大国主を祀る「赤猪岩神社」で、

日本で唯一「再生・復活・昇運」のご利益があると言われています。


また大国主蘇生のために使用されたとする水が湧く「清水井」は、
現在でも南部町清水川市内に残っています。

このご飯の古代米は、そんな赤猪岩神社の麓にある田んぼで栽培され、
環境条件に恵まれて育ったお米です。


【あわせて読んでいただきたい】

「大国主」蘇りの神社『赤猪岩神社』

私の「心の病」再生の願いとともに、
被災地再生の願いを込めて、
新しい命とともに飛び立つこうのとり育む「コウノトリ米」とともに食しました。


一日も早い再生・復興を心より望みます。


『高天原の縁側日記』リブログ進捗状況



さて、私のブログの再生ですが、Ⅹサーバーと契約ワードプレスをダウンロードして、
テーマはダイバーを購入しました。

URLはhttps://nihon-rekishi.net    高天原日記

アッと、まだ行っても何もありません。
ワードプレス難しいので全然作業が進んでいません。


題名は前回とほぼ同じイメージです。

癒しとストレス解消の遺跡・史跡・城跡・寺社仏閣巡り
       「高天原日記」
~縄文・弥生時代から現代まで、日本の歴史と文化の旅に神様目線で旅立とう~

題名もまだ変わるかもしれません...

9月中に最初のUP7ができましたら、
勢いに乗るのではないかと考えているのですが、
先は長そうです。

ちょっぴりスランプなので珍しい写真でもご覧いただきますか?



自然災害のせいにするわけでは無いのですが、
仕事を休んでいる関係もあり、

生活のリズムを保つために、
朝にウォーキングを1時間ほど行っているのですが、

雨風で、滞りがちに成っています。


中々思い通りに行きませんね~。

珍しい写真でもお目にかけますか?
まだブログで発表していないものばかりです。

PB041441.jpg(場所は秘密!海の中に建つ鳥居)
CIMG8193.jpg(来年使われる?京都御所の高御座)
P7181610.jpg(諏訪市のマンホールには土偶のデザインが有る!)
P7171165.jpg(嫌われ者だけど美しい!富士山頂のカメムシ・笑)
DSC_0483.jpg
(知る人ぞ知る四隅突出墳丘墓、古墳じゃないところがすごい!)


ちょっとうんちく!古墳時代の墓を古墳と呼びます。
箸墓古墳(纒向古墳群を含む)以降が古墳と呼ばれているようです。

弥生時代の墓は墳丘墓です。

取材ソースはいっぱいです~。

いつも応援ありがとうございます。
歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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2018/08/26

「のご愛顧に感謝」歴史ブログ『高天原の縁側日記』をWordPress に移行、リブログ予定!

歴史ブログ『高天原の縁側日記』を始めて2年10ヶ月が経過しました。この度『高天原の縁側日記』をWordPress に移行してリブログするとともに、新たな形でブログを継続することにしました。

三週間にもわたりブログを更新しなかったのも、悩みながら色々と研究を重ね考えた結果です。三週間にわたりブログを更新しなかったにも関わらず、ブログランキングの順位がそれほど変化することはありませんでした。

コアなファンの皆さんが『高天原の縁側日記』を支えててくださったことに、驚くとともに本当に感謝しています。

詳細は改めてお話ししますが、変更する事実を先ずはお知らせしたいと思います。『本当にありがとうございました。』




それでは、『市郎右衛門』のブログをお楽しみください。

絶賛ランキング参加中!二つのバナータグを「 ポチっと」クリックして応援お願いします。
|o´艸)。oO(Thank you)。

バナーをクリックしますと、ランキングページに移動します。市郎右衛門のブログは、皆さんのお陰でランキングTOP10にランクインしておりますので、「高天原の縁側日記」をもう一度クリックして頂きますと、元のブログに戻ります(^人^)。又PCの片方は、Ctrlを押しながら「ポチっと」上のバナーを押していただけますと、ブログから離脱せずに応援していただけます。



『2年10ヶ月のご愛顧に感謝』



2年10ヶ月のご愛顧に感謝するとともに、
私が「自分の考えを皆さんに伝えたい」と考え始めた理由について、
少し書いておこうとおもいます。


歴史は、『今も執筆され続ける壮大な時の流れの物語』です。

その大河を遡り、禁断のIFを推察する、スリルに満ちたエンターテイメント、
急な流れのむこうや落差ある滝の裏、深い河淵の底や切り立った岩肌の上は、



未だ解明されない多くの謎に満ちています。
この、「大長編スペクタクルストーリー」に魅了されない人はいないですよね?(そこまで~大げさなものか~?笑)。


P7140230.jpg(本物に会いたい方々も楽しめるブログを目指します。「浜松城の歴史家 磯田道史さん監修の徳川家康(リアルすぎて怖い!)」)


歴史好きの皆さま方、知識の点であった遠い記憶が、
ある時“ふっと”つながって一本の線に変化して、
改めて、歴史物語の本質に気が付く楽しみを体験された事は有りませんか?



私には、そんな経験が何度かありました。
その時の素晴しい感動を皆さんに伝えたくて、
書き伝えるという方法を選びました。


CIMG0784.jpg(世界遺産の城も~!「白鷺城」)
CIMG7411.jpg(京都の大名所も~!「東福寺の紅葉」)
CIMG8118.jpg(国宝も~!「俵屋宗達の風神雷神図」)
CIMG7524.jpg(竹下夢二が通った祇園のグルメも~!「八坂神社隣の有名甘味店」)


【生きているぞ~!】


9年程前(2010年)仕事でストレスを抱え込み過ぎた身体が、ついに悲鳴を上げました。

一生涯付き合わなければならない「心と体の病気」にかかり、
「このままでは、命の保証は出来ない」と宣告されました。


三ヶ月の入院を余儀なくされた私は、
入院生活の間、自分の残りの人生や将来(老後)について、
深く考えるようになりました。



退院の後、リハビリや家族の支えもあって少しずつ体力回復した歴史好きの私は、
寺社仏閣巡りを始めることにしました。


神仏に頼ろうとしたわけでは無いのですが、これまで歩んできた人生をもう一度見つめ直して、
棚卸してみようと思い立ったのです。


さらに、子どもの頃からの夢だった歴史を本格的に勉強したいとも思ったのです。

出会った自然に魅了されて、登山やトレッキングも始めました。


CIMG8628_2018071222464198f.jpg(子どもたちと登山した、大山山頂)
大山の高山植物4(大山の美しい高山植物)



寺社仏閣巡りや史跡・城巡りの途中で、新たに知った神話や歴史・文化・風俗、
そして地方地方の美味しく珍しい食べ物、素晴しい陶器や民芸品にも心を奪われました。

さらに、旅先で出会った人々や祭などなど、それらすべてが私には新鮮で、
“日本という国に生まれて本当に良かった”と思うことができました。



「私は生きている!いいや生かさせて頂いている。」と思え、
日本の自然に対する感謝と祈りが、
かけがえのないものだと考えるようになりました。



是非、素晴しい日本の文化や歴史を皆さんにご紹介したい、
“その様な方法は無いのだろうか?”と、
考えるように成っていきました。

【今井雅之君の死】


_29MD005_[1]
(こちらで十分頑張ったのに、天国での舞台でも頑張ってるのかい!)


そんな時、中学・高校と同級生だった俳優 今井雅之君が、
2015年5月28日に突然病気で亡くなりました。

皆さんもご存知だと思います。

彼の死は、勿論同級生の一人またファンの一人としても、非常に残念んでなりませんでしたし、
彼自身にはもっとやりたい仕事が数多く有ったに違いありません。



IFがあったならもっと偉大な俳優や作家となって、
多くの作品を世に生み出していた事でしょう。

しかし私は、「彼自身は自分の生きてきた人生にけっして後悔はしていないのではないか」と考えたのです。

彼は一度たりとも振り返らず、自身が選んだ道を駆け抜けたのですから。



そして、彼の様な素晴らしい人生はとても送られないかもしれないが、
私も「今日一日」を精一杯かんばって生き、

「今日はBETTERで、明日はよりBESTな一日」を目指す、
そんな人生を送りたいたいと考えるようになりました。



人間は、一呼吸する間にも新たな自分に生まれ変わります。
ひと呼吸前の自分にはもう戻ることは出来ないのです。

だからこそ、その一瞬一瞬を大切に生きていきたいと、考えるようになったのです。

そして何かの方法で、私の考えや自然への感謝や祈りを、
共感出来る方々へ“発信出来ないかと?”考えて、「ブログを始めてみよう」と決心しました。



当初は「何を書いたら良いのか?」「本当にこれが自分の伝えたいことなのか?」悩み、考えて苦労しました。

もちろん、私の稚拙な文章のブログなど見向きもされませんでしたし、
最初の三ヶ月はコメントも全く有りませんでした。
ユーザー数が一桁の日がずっと続きました。


ジャンルを自分の好きな「歴史」にしたことで、
歴史に興味の無い皆さんには敬遠されたのかもしれませんし、
SEO対策など知る由もありませんでした。

ランキング登録した当時は、自分のブログ名を探すのに四苦八苦しました。(笑)


【友達ができた~!】


DSC_0226.jpg(神様にも会いに出かけます!「出雲大社の大国主」)
P5190133.jpg(偉大な古墳も!「箸墓古墳」卑弥呼にも会えるブログを目指します。)
P5210798.jpg(大偉人も!「法隆寺」)



ある日、「同じ但馬の出身なのですが…」と始めてコメントが来ました。

うれしかったですね~。
“こんなブログでも見てくれている人が居たんだな”と感動すら覚えました。



今では親友と言ってよいと感じるほどになった彼は、
皆さんご存知のスーパーブロガー、

本日の一杯-Cupmen review blog-の、
◝( ꒪౪꒪)◜ケケケ…のtaka:aさんです。


taka:aさんは私に、多くのブログ友達を紹介してくれました。
そのブロガー皆さんの熱意と、真摯なブログへの思いにKOされた私は、
もっともっと頑張らなければと心に誓ったのです。


私のポリシーは『フィールドワーク』です!
体験した場所・物以外は書かないことを信条にしているのです。



当然「歴史」が基本テーマですから、実際の時代を体験することはできません。
ですからデータは、どうしてもWikipediaやパンフレット・ご由緒書きなどに頼らざるをえません、
その代わりに、私が現地で実際に感じた事や写真を皆さんにご紹介したいのです。

写真一枚撮り忘れたために、現地に二度三度と通ったこともありました。


彼らブログ友達の皆さんが居なければ、
2年10ヶ月にわたってブログを書き続けることは出来なかったと思います。
taka:aさんには感謝してもしきれないほどです。

近頃は、馬肉会も二人でまったりと開催することが多く成っていますが、
いつもアドバイスを頂いてブログ制作に役立てています。



そんな出会いも有って、私のブログも「部門ランキング」上位に名を連ねるようになりました。
多くはありませんが、訪れてくださる皆さんも徐々に増えていきました。

稚拙なブログを訪れてくださるコアなファンの皆さんが、
『高天原の縁側日記』を支えててくださったことに、
本当に感謝しています。

「ありがとうございました。」

『高天原の縁側日記』をWordPress に移行は何故?



改めて、私自身のことと共に「WordPress 」に移行する理由を、お話させて頂きます。

兵庫県北部、山陰但馬国生まれの私「市郎右衛門」が、
大好きな日本の歴史とこだわりのブログ『高天原の縁側日記』を始めたのは、
2年10ヶ月程前です。


「市郎右衛門」のハンドルネームを使っていますが、
市郎右衛門は室町時代から続く我が家の世襲の名前です。


当然、明治以降は普通に名字と名前があるのですが、
曽祖父は順三郎、祖父は洋一、父は重通、私は●●、おっと…笑、
江戸時代以前我が家の当主は、市郎右衛門を代々名乗っていたようです。

ですから、もし江戸時代が続いていたならば、
現当主の父が18代、私が19代、私の長男が20代市郎右衛門になります。

そこでハンドルネームに「市郎右衛門」を使うことにしました。



「古い家です」などと書きますと、やんごとなき家柄?と思われたり、
有名武将の末裔?などと思われるかもしれませんが、
そんなことでも無いのです。

ただ古いだけです。
ご先祖さまかが、長く同じ場所に住み続けてくださっただけです。


ルーツについて、幾らかの推測もできるのですが、
江戸時代は小さな?庄屋を営んでいました。


CIMG7483.jpg(WordPress に移行は清水の舞台から飛び降りたつもりで~!「清水寺」)


このブログ『高天原の縁側日記』を書くという決心の中には、
私の古い実家(19代を名乗る我が家の家名は、室町時代以前に遡る)を守りたいとの考えも同居しています。

そのための政策として、過疎の田舎でも発信可能なインターネットを通じて、
何か出来ないか(起業したい!)と考えたのです。



最初の試みは、自分の発信力がどの程度なのか、
まず試してみようと思い立ったて始めたのがブログ製作です。

2年と10ケ月を経過しまして、それなりの成果は出ていますが、
けして満足出来るところには行きついていません。


稚拙な文章で、皆んを退屈させいるのかも知れませんし、
そもそもテーマが万人受けしないですよね(笑)。

そこで私が選択したのが、本格的にブログ運営を学んでみる事でした。



先生に選んだのは、後でご紹介する「次世代起業セミナー」で、
断トツ トップの実績をお持ちの100%本気の起業相談室の、
ずーみーさんです。


ずーみーさんにコンサルして頂いたことで、
前回のブログがかなり改善されたことが、お解り頂けましたでしょうか?

【比べてみてください】

①神々をね訪ねて「出雲大社」を歩く!スピンオフ『天照大御神は卑弥呼なのか?』
②源氏と平氏はどう違う?征夷大将軍は源氏しか成れない?清和源氏発祥の地「多田神社」を訪ねて。


明らかに、シンプルで読みやすくなったと思いませんか?(笑)



そして私の弱点でもある、SEO対策を完璧なものにする為に、
『高天原の縁側日記』をWordPress に移行、りブログすることにGOサインを出していただきました。

AMP対応や集客・SSL対応にも有利ですね。


今後の予定




今後の予定についてですが、
今日このブログをアップして、エックスサーバーを契約しアカウントを決めた後、
ご報告を兼ねてこちらのブログで、詳細をご報告させていただきます。

次に、新しいブログのプロフィールを書き込むために少し時間をいただきます。
さらにライバル研究の観点から自分の上位のランキングのブロガーさん方を、
研究したいと考えています。



新しいブログに移行しましてもしばらくは、新しい記事を書かずにりブログに専念したいと思っていますが、
皆様の反応が気になりますのでコメントをいただけましたら幸いです。

それではもう少しお時間を頂きますが、
ブログ移行に向けて頑張りたいと思いますので、よろしくお願いいたします。



どれくらい頑張れるかわかりませんが、「情報発信で起業する」という考えは変わっておりませんので、
出来る限り頑張りたいと思います。


CIMG7742.jpg
(季節を問わず!「雪の銀閣」)
P7171141.jpg(地の果てまでも行きます。「富士山山頂」)


次のブログのサーバー契約は今月中に終わるとおもますので、
次ブログのご紹介も、今月中にさせて頂けると思います。


新アカウントとブログ名は?



エックスサーバーを使用予定です。
新アカウントは未決定ですが、
現在の「高天原の縁側日記」は、

もともと“神様目線で歴史を紐解く”という意図で名づけたのですが、
高天原と縁側がSEO対策では結びつかないですし、
URLの「ichirouemon19th.jp」って何?って感じですよね(-"-;A ...アセアセ


癒しとストレス解消の遺跡・史跡・寺社仏閣巡り
       「高天原日記」
~縄文・弥生時代から現代まで、日本の歴史と文化の旅に神様目線で旅立とう~


こんな感じになると思います。
べたですが、単純で分かりやすと思います。


IMG_6110_20180826133502cd0.jpg
(神跡「黄泉平坂」、黄泉の国の入り口までもまいります)



『高天原の縁側日記』今後の展開



PA140624_20180712224644978.jpg(戦場だとて参ります、関ケ原・石田三成の陣地)



①当然、歴史を中心に日本の文化や自然を紹介します。
②フィールドワークの柱は堅持します。
③プロの情報発信者を目指す。



ここで、私の尊敬する人物を一人ご紹介させていただきます。

上杉鷹山[1]
(尊敬する日本人の一人上杉鷹山公)



私が最も尊敬する歴史上の人物『上杉鷹山』をご紹介します。
もちろんお会いしたことは無いので、藤沢修平の歴史小説「漆の実のみのる国」からお話をさせていただきます。


まずその前に、“うんちく自慢?”から失礼します(笑)。
J・F・ケネディご存知ですよね、「アメリカ35代大統領」です。

JFKと短縮記憶していませんか?
「ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ」が本名なんですよ、知ってましたか?


1961年、アメリカ35代大統領に就任したJ・F・ケネデ ィは、
日本人記者団からこんな質問を受けました。



「あなたが、日本で最も尊敬する政治家はだれですか?」ケネディはこう答えました。
「上杉鷹山(ようざん)です。」

記者の誰もが「上杉鷹山」を知らなかったといわれています。
“そんなわけ無いだろう”と思うのは私だけかもしれません。


この話は大統領が本当に「上杉鷹山の名前を明言した!」の言った?言わない?で、
都市伝説の様になっていましたが、
2013年11月に娘のキャロライン・ケネディ元駐日大使が、


「父が、米沢藩の名君上杉鷹山を尊敬していて、あの有名な就任演説、
『国が人民になにができるかではなく、貴方が国家に対してなにができるか考えてほしい!』の
スピーチ作成に影響を与えました。」

と発言して、都市伝説に終止符が打たれました。



『上杉鷹山』と言えば、
「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」
(やればできる。やらなければできない。何事も、できないのは人がやらないからだ)の名言で有名ですよね。

上杉治憲(鷹山)と重臣たちの苦闘を描いた藤沢修平絶筆の歴史小説
「漆の実のみのる国」を是非読んでください。



財政に窮乏し、風紀は乱れ、亡国の危機にある名門上杉家(上杉謙信以来の名門)
米沢藩を再興するべく並々ならぬ努力を重ねる治憲。

長い辛苦の中に見える未来への光が感じられたにもかかわらず、
彼らの苦闘が報われ、藩の窮乏から脱する様子が描かれていないことは残念でした。


作者、藤沢修平の病魔が直ぐそこまで来ていたのでしょう。
藩の困窮を救うはずだった漆の実とは、優秀な人材だったのではないでしょうか?



藩政改革から殖産振興に至るまでを示した、
十六ヶ年組立と呼ばれる改革案(寛三の改革)を治憲に提出するまでを描き、
鷹山と改名した治憲が、漆の実が藩の窮乏を救うという心躍った過去を思い返すところで幕が閉じられています。

解説によると、この三十七章が原稿用紙六枚分で終わっているのは、
これが著者藤沢周平最後の原稿だからだそうです。



本来なら、あと四十から六十枚の予定だったといいますから、
著者は光を浴びた米沢藩を描きたかったに違いない、と考えられています。




さて、新しく?より分かりやすいブログの作成に取り掛かります。

もちろん今後はこれまで恐れ多くて避けていた歴史や史跡にも挑戦します。
ブログ仲間に負けないように、

今井君にも上杉鷹山にも負けないように頑張りますので、
もうしばらくお待ち願います。


「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」

P1080087.jpg(妖怪のように歴史・文化・風土を食べつくす所存!笑、よろしくお願い仕りまする。)


いつも応援ありがとうございます。歴史って本当に面白いですよね~!
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2018/07/26

取材旅行の第一目的地、木花咲耶姫に会う為に、「海の日、富士登山に挑む!」

取材3日目7月16日は、とうとうやって来ました~~。「富士登山初日」。「脱サラ起業宣言」したままPC持たずに、取材旅行に出かけたうえに8日にわたってブログを全く構わず。「こりゃ、ブログ挫折したな!」の声が聞こえそうな中、16日(海の日)は富士登山初日、八合目の太子館を目指して五合目2300m(富士吉田ルート)~3100m(八合目の最初の山小屋「太子館」800m迄登りました。年齢を考慮して余裕もっての登山です。

毎回申しておりますとおり、歴史ブログは、私の人生のテーマですから、勿論中断するつもりはございません。日本文化の伝承と発信を、生涯の仕事と考えて第二の「柳宗悦(思想家)」を目指す目標も忘れてはおりません。


目次
【プロローグ】7月16日「海の日」目指したのは標高3100mの当日のお宿「太子館」です。
・富士山の一番は敵は空気の薄さで薄さです
・思い込みほど怖いものはない

【プロローグ】7月16日「海の日」目指したのは標高3100mの当日のお宿「太子館」です。



弾丸登山といわれる、一気に山頂の危険な登山も話題になっているようですが、私のような年齢の登山者には身体を慣らしながらの登山が最適と考えて、富士吉田ルート(初心者向き)を選びました。

富士吉田ルートは、ネットでは頂上まで6時間の時間配分でしたが、無理をせず8合目で一泊し(御来光も見たいので)、8合目までの登山時間を4時間+2時間(予備)の6時間、8合目から頂上までを、日の出の朝4時27分に余裕を持って上がれるように11時出発で5時間半(こちらはも予備時間と混雑を考慮しました、)に計画しました。

IMG_20180722_135123_397 (002)
(気落ち悪いかもしれませんが・・・ごめんね、岩場では手袋してたのですけれどね。)


実際に登り始めてみると、火山灰・火山弾・火山の石を含んだ砂利道で、なかなかに足が進みませんし、高度が高いので周りに木陰も無く、お日さまに照らされまくる結構きつい登山に成りました。

それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
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富士山の一番の敵は空気の薄さです。


P7160971.jpg
(五合目7はまだ木々も有ります)

空気が薄いというのは、少し語弊があります。本来は酸素が少ないわけですが、酸素が少ないことがこれほど体力を奪うとは考えていませんでした。

少し登るたび、にゼーゼーと息があがってしまいますし、登山道はジグザグのなだらかなコースになっているのですが、そのジグザグコースを1往復するだけで休憩しないと筋肉に抜き乳酸が貯まって、次に足が進まないような厳しさです。

P7160975.jpg(パークレンジャ―さんに一番きついといわれた6~7合目!うそつき~~~!)

もちろん一番大切なのは水分補給です。さらにはカロリーメイト・羊羹やビスケット等、歩きながら食べられるお菓子を(山ほど)持って行ったのですが、頂上に登る間に全て、なくなってしまいました(笑)。

思い込みほど怖いものはない


P7160998.jpg(霧の中に浮かぶのは、「太子館」では無くて、7合目最期の「東洋館」でした。)

途中7合目の一番最後あたりで150mほど上に山小屋が見えたので、てっきり八合目「太子館」だと思って頑張って登ったのですが、実際は7合目最後の山小屋「東洋館」でした(東洋館と大子館迄の高低差100m)。その時の落胆ぶりといったら大変なものです。 それでも時間に余裕を持たせていたので午後3時半に8合目最初の山小屋「太子館」へ無事到着出来ました。

P7161009.jpg(到着~~3100m!ですが、まだ頂上迄は、600m以上登ります。)

今回は、富士登山の初日8合目までの記事ですので、あまり紹介する写真もないです。

実際登山はかなりきつくて、写真をあまり撮影できませんでした。

いつも応援ありがとうございます。歴史って本当に面白いですよね~!
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2018/07/23

八日間の取材旅行報告!7月15日「駿府城」「久能山東照宮」「浅間神社」

取材2日目7月15日は、「駿府城」「久能山東照宮」「浅間神社」と取材して来ました~。「脱サラして企業設立」表明したまま取材旅行に出かけ、八日にわたってPCを全く構わず。「こりゃ、ブログ挫折したな!」と、思われた方々も多かったと思います(ランキング順位が如実に物語る?笑)。しかし前回・前々回とも申しましたとおり、歴史ブログは、私の人生のテーマですから、勿論続けますし(猛暑の中、八日間しっかり取材して来ました。)、日本文化の伝承と発信を、生涯の仕事と考えて第二の「柳宗悦(思想家)」を目指す目標も忘れてはおりません。



【プロローグ】富士登山前日の久能山 東照宮の1159段「いちいちご苦労さん」は無理!



7月13日の夜は車中泊!今の車は、軽自動車でもフラットに成るので、それほどは苦しく無いのですが、コンビニの隅はちょっと恥ずかしいです。

そんな時は、道の駅がオススメ、トイレもあるし、元々が何時でも利用して下さいの場所なので、とても便利です。

猛暑の為に、朝涼しくなるまでエンジンかけっぱなし、ガソリンへるへる(笑)。

一応は、ハイブリッドもどき?のスズキのワゴンRなんですけれどね。

P7150438.jpg
(当然お解りと思いますが、当たり障りの無い写真を少なめに使用しています。)

15日(日曜日)の取材は、たぬき親父(家康)が余生を過ごした「駿府城」に墓所の「久能山 東照宮」と巡りましたが、最初に記載したように、東照宮は階段が1159段なんです。

私、明日富士山登るよね~~?やっぱりやめとこ、と思っていたら、日本平からロープウェイがあるじゃないですか!

これや~~!と車の中で叫びなからガッツポーズしたとか、しなかったとか(笑)。

ロープウェイの駅前で、桜海老と白魚の団子を食べて、駿河湾の海幸も満喫?したつもりになって、富士宮市の「浅間神社」へ向かいました。

毎度申しますが、本来は皆様に一社・一寺・一所ずつ、ご紹介するのが筋なのですが、とりあえず”真面目に取材をしてきました”のご報告を先にさせて頂きます。

取材場所だけを、順次日にちごとに上げていき、後に書くで有ろう本編で、細かいところを補足したいと思っています。

今回の第一目的の富士登山は、正に日本一の山で素晴らしかったですが、疲れも半端がなかったです(空気の薄いのが一番つらいです)。

それでも、皆さんも一度富士山に登ると人生観変わりますよ~~!是非登山してみてください(何といっても、日本のてっぺんですからね)。

それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
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たぬき親父「駿府城」で余生を過ごす。


駿府城(すんぷじょう)は、現在の静岡県静岡市葵区にあった城です。別名は府中城や静岡城などと呼ばれました。

14世紀に室町幕府の駿河守護に任じられた今川氏によって、この地には今川館が築かれ今川領国支配の中心地となりました。

今川氏は隣接する甲斐国の武田氏、相模国の後北条氏と同盟を結び領国支配を行いましたが、16世紀には甲斐を中心に領国拡大を行っていた武田氏との同盟関係が解消され、武田氏の駿河侵攻により今川氏は駆逐され、城館は失われてしまいます。

武田氏は1582年(天正10年)に織田・徳川勢力により滅亡し、駿河の武田遺領は徳川家康が領有となります。徳川氏時代に駿府城は近世城郭として築城し直され、この時に初めて天守が築造されました。

江戸時代初期、家康は徳川秀忠に将軍職を譲り、大御所となって江戸から駿府に隠居します。このとき駿府城は天下普請によって大修築され、ほぼ現在の形である3重の堀を持つ輪郭式平城が成立します。

天守閣は、石垣天端で約55m×48mという城郭史上最大のものでした。しかし1607年(慶長12年)に、完成直後の天守や本丸御殿などが城内からの失火により焼失してしまいます。その後直ちに再建されましたが、1610年(慶長15年)再建時の天守曲輪は、7階の天守が中央に建つ大型天守台の外周を隅櫓・多聞櫓などが囲む特異な構造だったようです。

P7150421.jpg(現在も発掘中です。)

現在も、発掘調査が行われており、調査の様子も見ることが出来ました。

家康の墓所「久能山 東照宮」


P7150591.jpg(扁額「東照大権現」)

久能山 東照宮(くのうざんとうしょうぐう)は、日本の静岡市駿河区根古屋に所在する神社で、晩年を駿府で過ごした徳川家康が元和2年(1616年)に死去した後、遺命によってこの地に埋葬されました。

徳川家康は生前、家臣に対し、自分の死後について「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、関八州の鎮守になろう」(『本光国師日記』より)との遺言を残します。

この遺命により御遺骸を久能山に埋葬し、その地に2代将軍秀忠の命により久能山東照宮が創建されました。

気になるのは、家康の御霊を久能山から日光に移した際、遺体も移したのか?ですよね、改葬は「大化の改新」で知られる藤原鎌足の死後1年後、摂津から大和に遺体を移した故事にならったものとされ、「遺体も移ったと考えるのが自然」とみる識者もいるようです。

現宮司は「家康公は今もここに眠っていると思っている。四角い棺(ひつぎ)の中に正装して座し、西を向いているはず。遺体を日光に運んだのなら、久能山に大きな墓を建てる必要はなかった」と話されてるようです。

明日は富士登山!無事を祈願「富士山本宮浅間神社」


P7150811 (2)(登山の無事を「此の花咲くや姫」にお願いしとかなきゃね。)

富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)は、静岡県富士宮市にある神社です。式内社(名神大社)、駿河国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社と成っています。

全国に約1,300社ある浅間神社の総本社でも有り。「富士山信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されています。

P7150952.jpg(富士の湧水が滾々と湧き出ています。チドメグサが可愛くてパチリ。)

富士山の8合目以上の約385万m2も社地として所有しています。

つまり、富士山の頂上は富士山本宮浅間神社の境内で奥の院なのです。

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ですから歴史ブログは絶対にやめませんし、「柳宗悦」さんは大きな目標ですが、少しずつでも近づきたいと考えています。


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セミナー講師は、 ココデ・グローバル株式会社 代表取締役
加藤将太さんです。

【経歴】
京都大学工学部電気電子工学科卒業
京都大学経営管理大学院経営管理専攻事業創再生マネジメントコース終了 MBA取得
(株)NTTデータ 第一公共事業本部 第二公共システム事業部 勤務後、独立

京都大学大学院にてMBAを取得後、
(株)NTTデータ等での勤務を経て、26歳の時に起業。(元手20万円)

1年目で年商1.1億を達成し、延べ1,000名以上を面接し社員数十人を使う社長になる。
2年目で年商2億6千万円を達成。

書籍流通支援システム、法人向けデータマーケティング支援システム等の開発・販売を行う一方で、
MBAで学んだ知識や、実際にゼロから短期間で事業を軌道に乗せた経験を伝える活動を行う。

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これまでに5回開催され、累計3,000名の法人代表・法人代表候補・起業家の卵が参加。




この経歴!凄いとしかいえません。

一般公立中学から高専、そして京都大学。

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義弟の大学・学部の後輩ということも、加藤さんに親近感を持った原因のひとつです。

いつも応援ありがとうございます。歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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CROOZ


  
2018/07/22

八日間の取材旅行報告!7月14日「岡崎城」「浜松城」「龍潭寺」

脱サラして企業設立の夢に向かって!「次世代起業セミナー」を始める事にしたと表明したまま、取材旅行に出かけ八日にわたってPCを構わず。「やはりブログみかぎったな」と、思われた方々も多かったようです(ランキング順位が如実に物語る・笑)。しかし前回も申しましたとおり、歴史ブログは勿論続けますし(八日間しっかり取材してきました。)、日本文化の伝承と発信を、生涯の仕事にと、第二(山陰の)の「柳宗悦(思想家)」目指す目論見目的も忘れていません。7月14日は「岡崎城」「浜松城」「龍潭寺」。



【プロローグ】とにかく熱かったぜよ!



7月の13日の仕事終わりに、大阪を出発してそのまま名古屋に向かいました。

大雨による大きな被害があった後なのですが、梅雨明け宣言を聞いた途端とてつもない猛暑に襲われました。

取材初日14日(土曜日)は、家康生誕の地「岡崎城」をかわきりに「浜松城」井伊家発祥の地、「井伊谷」と回る予定だったのですが、とにかく暑さがとんでもなかったです。

P7140046.jpg
(三方ヶ原でうんち洩らした?後に描かせた画が石像にしつらえてあまりました。)

これから、皆様に一つ一つご紹介するのは、もちろんなのですが、とりあえず、真面目に取材をしてきたことのご報告をしたいと思います。

ただカメラがカメラを構える手が震える、水分が足りなくなって体から塩をふく、などなどこの暑さは本当に酷いものでした。

車を停めてクーラーを切ってしばらく取材すると、車中の水やコーヒーが熱くて飲めなくなるほどの猛暑に一週間以上晒されました。

涼しかったのは、富士山頂日の出前の0°だけでした。

昨夜7月21日10時頃に、家に帰宅しましたが、倒れこむように眠ったまま、今日の10時朝の10時まで起きることはありませんでした。

こんなに暑い取材旅行は初めてで、どちらかと言うと確かに晴れ男なのですが、晴れ過ぎにも程があるという感じでした。

とりあえず取材は一生懸命頑張って行ってきましたので、皆様にそれぞれひと場所ずつと歴史を、ご報告取材報告ができればと考えています。

とりあえず行った場所だけを、順次日にちごとに上げていき、できるだけ後の本編で細かいところを補充したいと思っています。

富士山は、本当に日本一の山で素晴らしかったですが疲れも半端がなかったです。

それでも、皆さんも一度富士山に登ると人生観変わりますよ~~是非登山してみてください.。

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徳川時代の出発点「岡崎城」


P7140071.jpg(復元された門・暑さ半端ない!)

岡崎城(おかざきじょう)は、愛知県岡崎市にある城跡です。徳川家康の生地で有名。別名は、「龍城」。岡崎公園の中に有ります。

戦国時代から安土桃山時代には松平氏の持ち城、江戸時代には岡崎藩の藩庁でした。 菅生川と矢作川の合流地点にある龍頭山という丘陵を利用して造られています。

元は、龍頭山の砦として三河国仁木氏の守護代であった西郷稠頼(つぎより、つぐより、又は、ちかより)、そして、その子頼嗣(よりつぐ)が北方に対する防御として築城しました。それを、松平清康(徳川家康の祖父)が西郷信貞(松平昌安)から奪い取り改修拡張整備したものが岡崎城です。

家康壮年期?「浜松城」


P7140196.jpg
(浜松城の家康像・精悍です。羊歯の前立てに注目。)

ごくごく簡単に説明します。浜松城は、静岡県浜松市にある城跡です。野面積みの石垣で有名。歴代城主の多くが後に江戸幕府の重役に出世したことから「出世城」といわれています。

浜松城の前身は15世紀頃に築城された曳馬城で、築城時の城主は不明です。16世紀前半には今川氏支配下の飯尾氏が城主を務めていました。この頃の引馬城は、江戸時代の絵図にみられる「古城」と表記された部分であり、現在の元城町東照宮付近にあたります。

徳川家康が元亀元年(1570年)に曳馬城に入城し、浜松城へと改称します。城域の拡張や改修を行い、城下町の形成を進めました。

P7140281.jpg(暑さの中にもちょっぴりなごみますね。)

徳川家康在城時における浜松城の具体像は不明確ですが、古文書や出土遺物から現在の本丸に向けて城域が拡張されたことが窺えます。また、徳川家康が築造した浜松城は、土造りの城であり、石垣や瓦葺建物は有りませんでした。

10分間に合わなかった。井伊の谷「龍譚寺」


P7140344.jpg(「龍潭寺」も行ったのですよ)

最後に井伊家の「龍潭寺」も取材に行きましたが、16:30拝観終了到着16:40でした(残念)。

周りの取材はしっかり行いましたので、ご紹介したいと思っております。


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【最後に一言】「次世代起業セミナー」って?





セミナー講師は、 ココデ・グローバル株式会社 代表取締役
加藤将太さんです。

【経歴】
京都大学工学部電気電子工学科卒業
京都大学経営管理大学院経営管理専攻事業創再生マネジメントコース終了 MBA取得
(株)NTTデータ 第一公共事業本部 第二公共システム事業部 勤務後、独立

京都大学大学院にてMBAを取得後、
(株)NTTデータ等での勤務を経て、26歳の時に起業。(元手20万円)

1年目で年商1.1億を達成し、延べ1,000名以上を面接し社員数十人を使う社長になる。
2年目で年商2億6千万円を達成。

書籍流通支援システム、法人向けデータマーケティング支援システム等の開発・販売を行う一方で、
MBAで学んだ知識や、実際にゼロから短期間で事業を軌道に乗せた経験を伝える活動を行う。

2013年より開始した「次世代起業家育成セミナー」は
これまでに5回開催され、累計3,000名の法人代表・法人代表候補・起業家の卵が参加。




この経歴!凄いとしかいえません。

一般公立中学から高専、そして京都大学。

新聞配達のバイトを経て起業も凄いですね。

義弟の大学・学部の後輩ということも、加藤さんに親近感を持った原因のひとつです。

いつも応援ありがとうございます。歴史って本当に面白いですよね~!
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