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2018/11/28

「三年のご愛顧感謝します」新規ブログがテスト段階ですが始まりました。

「三年のご愛顧感謝します」ほぼ新規ブログがテスト段階ですが始まりました。

癒しとストレス解消の遺跡・史跡・城跡・寺社仏閣巡り、きっとあなたは日本が好きになる

     99%歴史が好きになるブログ「高天原の縁側日記」

~縄文・弥生時代から近現代まで、日本の歴史と文化の旅に神様目線で旅立とう~


詳細は改めてお話ししますと申しておりましたので。お知らせさせていただきます。

なお、ブログサークルでお友達に成って頂いております皆様方には、改めてこちらからお願いに上がりますのでよろしくお願いいたします。

こちらでのブログの更新は今日が最期となります。



それでは、『市郎右衛門』のブログをお楽しみください。

絶賛ランキング参加中!二つのバナータグを「 ポチっと」クリックして応援お願いします。
|o´艸)。oO(Thank you)。

バナーをクリックしますと、ランキングページに移動します。市郎右衛門のブログは、皆さんのお陰でランキングTOP10にランクインしておりますので、「高天原の縁側日記」をもう一度クリックして頂きますと、元のブログに戻ります(^人^)。又PCの片方は、Ctrlを押しながら「ポチっと」上のバナーを押していただけますと、ブログから離脱せずに応援していただけます。



『三年間のご愛顧に感謝』


CIMG15955_20181128121505925.jpg(国宝!三徳山投げ入れ堂)


歴史好きの皆さま方、知識の点であった遠い記憶が、
ある時“ふっと”つながって一本の線に変化して、
改めて、歴史物語の本質に気が付く楽しみを体験された事は有りませんか?

私には、そんな経験が何度かありました。
その時の素晴しい感動を皆さんに伝えたくて、
書き伝えるという方法を選びました。

9年程前(2010年)仕事でストレスを抱え込み過ぎた身体が、ついに悲鳴を上げました。

一生涯付き合わなければならない「心と体の病気」にかかり、
「このままでは、命の保証は出来ない」と宣告されました。


三ヶ月の入院を余儀なくされた私は、
入院生活の間、自分の残りの人生や将来(老後)について、
深く考えるようになりました。


退院の後、リハビリや家族の支えもあって少しずつ体力回復した歴史好きの私は、
寺社仏閣巡りを始めることにしました。


神仏に頼ろうとしたわけでは無いのですが、これまで歩んできた人生をもう一度見つめ直して、
棚卸してみようと思い立ったのです。


さらに、子どもの頃からの夢だった歴史を本格的に勉強したいとも思ったのです。
天滝4
(日本100名瀑、兵庫「天滝」)


出会った自然に魅了されて、登山やトレッキングも始めました。

先日兵庫県最高峰の氷ノ山標高1510mへ登頂してきました。

7月には富士山へ登頂しました。

来年は六甲山縦走半分、再来年は全縦走を目指します。

CIMG3119_20181128121722e3e.jpg(祭りの文化にも挑戦します。)


寺社仏閣巡りや史跡・城巡りの途中で、新たに知った神話や歴史・文化・風俗、
そして地方地方の美味しく珍しい食べ物、素晴しい陶器や民芸品にも心を奪われました。

さらに、旅先で出会った人々や祭などなど、それらすべてが私には新鮮で、
“日本という国に生まれて本当に良かった”と思うことができました。

IMG_6504_20181128121717eb9.jpg
(国宝!犬山城)
P7192312_20181128125031049.jpg(国宝、松本城の美しさ)


「私は生きている!いいや生かさせて頂いている。」と思え、
日本の自然に対する感謝と祈りが、
かけがえのないものだと考えるようになりました。



是非、素晴しい日本の文化や歴史を皆さんにご紹介したい、
“その様な方法は無いのだろうか?”と、
考えるように成っていきました。

中学・高校と同級生だった俳優 今井雅之君が、
2015年5月28日に突然病気で亡くなりました。

彼の死は、勿論同級生の一人またファンの一人としても、非常に残念んでなりませんでしたし、
彼自身にはもっとやりたい仕事が数多く有ったに違いありません。



IFがあったならもっと偉大な俳優や作家となって、
多くの作品を世に生み出していた事でしょう。

しかし私は、「彼自身は自分の生きてきた人生にけっして後悔はしていないのではないか」と考えたのです。

彼は一度たりとも振り返らず、自身が選んだ道を駆け抜けたのですから。



そして、彼の様な素晴らしい人生はとても送られないかもしれないが、
私も「今日一日」を精一杯かんばって生き、

「今日はBETTERで、明日はよりBESTな一日」を目指す、
そんな人生を送りたいたいと考えるようになりました。

P5200485_20181128121719d3b.jpg(石舞台の謎にも迫る!)
P5190138_20181128125028420.jpg(箸墓古墳!美しい)


人間は、一呼吸する間にも新たな自分に生まれ変わります。
ひと呼吸前の自分にはもう戻ることは出来ないのです。

だからこそ、その一瞬一瞬を大切に生きていきたいと、考えるようになったのです。

そして何かの方法で、私の考えや自然への感謝や祈りを、
共感出来る方々へ“発信出来ないかと?”考えて、「ブログを始めてみよう」と決心しました。



当初は「何を書いたら良いのか?」「本当にこれが自分の伝えたいことなのか?」悩み、考えて苦労しました。

もちろん、私の稚拙な文章のブログなど見向きもされませんでしたし、
最初の三ヶ月はコメントも全く有りませんでした。
ユーザー数が一桁の日がずっと続きました。


ジャンルを自分の好きな「歴史」にしたことで、
歴史に興味の無い皆さんには敬遠されたのかもしれませんし、
SEO対策など知る由もありませんでした。

ランキング登録した当時は、自分のブログ名を探すのに四苦八苦しました。(笑)

CIMG0364_2018112812150884e.jpg
(当然有名人の謎にも密着しゅざいを敢行します)


ある日、「同じ但馬の出身なのですが…」と始めてコメントが来ました。

うれしかったですね~。
“こんなブログでも見てくれている人が居たんだな”と感動すら覚えました。



今では親友と言ってよいと感じるほどになった彼は、
皆さんご存知のスーパーブロガー、

本日の一杯-Cupmen review blog-の、
◝( ꒪౪꒪)◜ケケケ…のtaka:aさんです。


taka:aさんは私に、多くのブログ友達を紹介してくれました。
そのブロガー皆さんの熱意と、真摯なブログへの思いにKOされた私は、
もっともっと頑張らなければと心に誓ったのです。


私のポリシーは『フィールドワーク』です!
体験した場所・物以外は書かないことを信条にしているのです。

CIMG2608_20181128121720d30.jpg(妻木晩田遺跡の四隅突出墳丘墓!古墳じゃないのです)


当然「歴史」が基本テーマですから、実際の時代を体験することはできません。
ですからデータは、どうしてもWikipediaやパンフレット・ご由緒書きなどに頼らざるをえません、
その代わりに、私が現地で実際に感じた事や写真を皆さんにご紹介したいのです。

写真一枚撮り忘れたために、現地に二度三度と通ったこともありました。


彼らブログ友達の皆さんが居なければ、
三年間にわたってブログを書き続けることは出来なかったと思います。
taka:aさんには感謝してもしきれないほどです。

近頃は、馬肉会も二人でまったりと開催することが多く成っていますが、
いつもアドバイスを頂いてブログ制作に役立てています(本日馬肉会です)。



そんな出会いも有って、私のブログも「部門ランキング」上位に名を連ねるようになりました。
多くはありませんが、訪れてくださる皆さんも徐々に増えていきました。

稚拙なブログを訪れてくださるコアなファンの皆さんが、
『高天原の縁側日記』を支えててくださったことに、
本当に感謝しています。

「ありがとうございました。」

『高天原の縁側日記』をWordPress に移行しました


CIMG2386_2018112812150919c.jpg
(私的に一番美しいと感じる真名井神社の出雲か型狛犬)


改めて、私自身のことと共に「WordPress 」に移行する理由を、お話させて頂きます。

兵庫県北部、山陰但馬国生まれの私「市郎右衛門」が、
大好きな日本の歴史とこだわりのブログ『高天原の縁側日記』を始めたのは、
三年程前です。


「市郎右衛門」のハンドルネームを使っていますが、
市郎右衛門は室町時代から続く我が家の世襲の名前です。


当然、明治以降は普通に名字と名前があるのですが、
江戸時代以前我が家の当主は、市郎右衛門を代々名乗っていたようです。

ですから、もし江戸時代が続いていたならば、
現当主の父が18代、私が19代、私の長男が20代市郎右衛門になります。

そこでハンドルネームに「市郎右衛門」を使うことにしました。



「古い家です」などと書きますと、やんごとなき家柄?と思われたり、
有名武将の末裔?などと思われるかもしれませんが、
そんなことでも無いのです。

ただ古いだけです。
ご先祖さまかが、長く同じ場所に住み続けてくださっただけです。


ルーツについて、幾らかの推測もできるのですが、
江戸時代は小さな?庄屋を営んでいました。


このブログ『高天原の縁側日記』を書くという決心の中には、
私の古い実家(19代を名乗る我が家の家名は、室町時代以前に遡る)を守りたいとの考えも同居しています。

そのための政策として、過疎の田舎でも発信可能なインターネットを通じて、
何か出来ないか(起業したい!)と考えたのです。



最初の試みは、自分の発信力がどの程度なのか、
まず試してみようと思い立って始めたのがブログ製作です。

三年間を経過しまして、それなりの成果は出ていますが、
けして満足出来るところには行きついていません。


稚拙な文章で、皆んを退屈させいるのかも知れませんし、
そもそもテーマが万人受けしないですよね(笑)。

そこで私が選択したのが、本格的にブログ運営を学んでみる事でした。



先生に選んだのは、後でご紹介する「次世代起業セミナー」で、
断トツ トップの実績をお持ちの100%本気の起業相談室の、
ずーみーさんです。


今後の予定


CIMG9939_20181128121716f11.jpg
(平家物語の最期のシーンも再現します)
P5200586_20181128125030af9.jpg(奈良、春日大社)


とりあえずテスト投稿を始めました。
アバターなど改善はまだまだです。

先ずは新しいブログのコンセプト辺りから書き始めました。

歴史ブログを楽しく読んで頂くための工夫をしている最中です。

新しいブログに移行しましてもしばらくは、新しい記事を書かずにリブログに専念したいと思っていますが、
皆様の反応が気になりますのでコメントをいただけましたら幸いです。

どれくらい頑張れるかわかりませんが、「情報発信で起業する」という考えは変わっておりませんので、
出来る限り頑張りたいと思います。


新アカウントとブログ名は?





現在の「高天原の縁側日記」は、

もともと“神様目線で歴史を紐解く”という意図で名づけたのですが、
高天原と縁側がSEO対策では結びつかないですし、
URLの「ichirouemon19th.jp」って何?って感じですよね(-"-;A ...アセアセ

【新アカウント】https://nihon-rekishi.net

【新ブログ名】癒しとストレス解消の遺跡・史跡・城跡・寺社仏閣巡り、きっとあなたは日本が好きになる

     99%歴史が好きになるブログ「高天原の縁側日記」

~縄文・弥生時代から近現代まで、日本の歴史と文化の旅に神様目線で旅立とう~


べたですが、単純で分かりやすと思います。

99%歴史が好きになるブログ『高天原の縁側日記』今後の展開



①当然、歴史を中心に日本の文化や自然を紹介します。
②フィールドワークの柱は堅持します。
③プロの情報発信者を目指す。


amaterasu_2018112812150799e.jpg
(天照=卑弥呼?知りたいですよね)


ここで、私の尊敬する但馬の歌人「前田純孝」の歌をご紹介させていただきます。

「いくとせの前の落葉の上にまた
  落葉かさなり落葉かさなる」
 



前田純孝は明治13年(1880)4月3日、浜坂町諸寄(現新温泉町)の旧家に父純正、母うたの長男として生まれました。

余りご存知ないかもしれませんが、与謝野鉄幹に東の啄木(たくぼく)、西の純孝(じゅんこう)と並び称された明治末期の我が国の若き詩人です。

父はかつて池田草庵(いけだそうあん)の青谿書院(せいけいしょいん)の門下生で、村一番の教養人でしたが、生活力がなく前田家はどんどん落ちぶれていきました。

また、うたを正妻に迎えても愛人との関係を断つことができず、妻の親族から離婚を突きつけられ、母は村岡町の実家へ帰って行きました(純孝3歳)。

離婚すると、すぐに愛人が正妻として入り、継母と異母兄弟との生活が始まりました。

継母とうまくいかず、悲しみ多い幼児期を過ごしています。



純孝は7歳にして家族と別れ、鳥取師範付属小学校に入学します。

卒業する15歳まで一度も帰省せず勉学一途に励みました。

彼の孤独な感覚は次第に文学へと転化されていきました。



文学的才能は御影師範学校在学中から発揮され、雑誌「明星」(みょうじょう)の投稿によって、個人的感情的表現は彼の生い立ちと相まって一段と磨かれていきました。

東京高等師範学校に入学後、与謝野鉄幹・晶子らと雑誌「明星」に多くの作品を発表しています。

大阪島之内高等女学校教頭として赴任、妻信子を得てしばしの幸福感に浸りましたが、長くは続きませんでした。

純孝は過労から倒れたのです。肺結核でした。時を同じくして妻も産後の肥立ちが悪化、夫婦枕を並べての療養生活が始まりました。

妻子に迷惑をかけないように純孝は療養場所を故郷に移しました。

死の直前まで数々の学校唱歌や歌集を創作し、前田純孝は明石に残した妻子を思いながら31歳の生涯を閉じました。

(出典は但馬百科辞典を参考にさせていただきました。)

さて私がこの歌を暗記しているのは49歳で亡くなった友人んに、ひつこいくらいに教わったからでもあります。

歌碑が兵庫県美方郡新温泉町諸寄に立っています。

高校を卒業した頃に憧れの女の子と諸寄の海で初めてボートデートした記憶もあります(笑)




さて歌のように、私が死ぬまで毎年落ち葉が重なるように歴史の研鑽につとめてまいりたいと思っています。

CIMG8269_20181128125034db0.jpg(日本といえば桜)

「関ヶ原」の勝負の分かれ目は、他人のために死ぬ事の出来た三成と、自分のためだけを考えて生き抜いた家康の生への執着心の違いかもしれませんね。

起業の話と「次世代起業セミナー」を勧める訳



ご無沙汰していました、市郎右衛門です。

歴史ブログが急に起業?と不思議に思われたかもしれません。

皆さんは「人生をやり直して自由になって、
やりたい事を仕事にするぞ!」
と思われたことはありませんか?


先日、私は脱サラして起業するぞ、と大きなことを申しました。
実は以前から起業して自分のやりたい事だけをやれればな~と考えていたんです。

そこで情報発信の初歩として書き始めたのがこの「高天原の縁側日記」というブログです。

そんな情報発信と起業で成功したい」という夢を「ドン」と後押ししてくれたのが、
「次世代起業家育成セミナー」です。


「次世代起業家育成セミナー」って何だ?と思われるかもしれません。
次世代の起業家を育成するセミナーです(そのままですね(-"-;A ...アセアセ)。


私のように、会社でストレスをため込んで休職に追い込まれないように副業で+αを手に入れたり、
将来自立して起業したいと考える皆さんに是非とも体験していただきたいセミナーが、
「次世代起業家育成セミナー」なんです。


初年度年商1億売り上げたIQ148のMENSA会員でもある京大MBA卒講師「加藤将太さん」が、
最速、リスク0で1億円稼ぐ起業方法を、
14時間にも及ぶ(定価11万円を超えるセミナー映像)を無料で視聴できるセミナーです。


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アドレスとニックネームを登録するだけでだけで、一か月間にわたって無料でセミナーを視聴できます。
12の無料プレゼントがもらえる次世代起業家育成セミナーはコチラ


誰しも失敗は怖いものです。
私もストレスがMAXに成らなければ、会社を休むことはなかったかもしれません。


セミナー講師の「加藤将太さん」を知ったのは、
ブログサークルのお友達ブログのアフリエイト広告でした。
その広告が「次世代起業家セミナー」だったのでした。


最初は、登録すると1万円プレゼントのお小遣い欲しさでした(現在は終了しています)。
しかしながら、一ヵ月の無料登録をしてみると、これが本当に良く出来ていてとても面白いのです。



私と同じように、会社でストレスをためて心を病んで自分自身で起業しようと考える方、
副業で家計がもう少し楽にならないか?
そんな皆さんに「必ず視聴してください」とお勧めしたいのが、この動画なのです。


加藤将太さんが公開中のセミナー映像で、
もともとは有料でしたが、現在無料公開されています。
累計視聴者数4000名突破の本格的な起業入門セミナーです。
これはちょっとヤバい話かもしれませんよね?(笑)


その一ヶ月無料で視聴できるセミナー中で、
3つの言葉が私の心を動かしました。

「会社の肩書が無ければあなたは生きていけますか?」。
「自分自身に投資せよ!」
「行動すれば成功は決まっている!」




以前から起業しようと考えていましたが、
年齢的にもこれが最後のチャンスかもしれないと、
自己投資して一歩を踏み出してみようと決心しました。


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セミナー講師は、 ココデ・グローバル株式会社 代表取締役加藤将太



【経歴及び実績】

●京都大学工学部電気電子工学科卒業。
●京都大学経営管理大学院経営管理専攻事業創再生マネジメントコース終了 MBA取得。
●(株)NTTデータ 第一公共事業本部 第二公共システム事業部を勤務半年で退社。
●日本最高の中学受験塾で歴代最速で講師にに昇格(希学園・創立14年で初・算数科講師・合格率4%・平均1年のところ、5週間で時給5,000円の講師になる)。
●教育改革を目指して、26歳の時に起業(元手20万円)その後、多角化。
●1年目で年商1.1億を達成し、延べ1,000名以上を面接し社員数十人を使う社長になる。
●2年目で年商2億6千万円を達成。
●書籍流通支援システム、法人向けデータマーケティング支援システム等の開発・販売を行う一方で、MBAで学んだ知識や、実際 にゼロから短期間で事業を軌道に乗せた経験を伝える活動を行う。
●2013年より開始した「次世代起業家育成セミナー」はこれまでに5回開催され、累計4,000名以上の法人代表・法人代表候補・起業家 の卵が参加。

この経歴は、凄いとしかいえません。
一般公立中学から高専、そして京都大学、新聞配達のバイトを経ての起業も凄いです。
義弟の大学・学部の後輩ということも、加藤さんに親近感を持った原因のひとつです。

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加藤将太さんは、当時月商100万円いけばトップレベルと言われたせどり業界で、
初年度で年商1億円超え、最盛期には月商4,583万円、
情報発信開始後1ヶ月で5億4000万円というモンスター級の起業家です。



あまりの規模拡大スピードにAmazonが「これ以上在庫を増やさないで」と悲鳴をあげ、
事業が拡大できなくなってやる気をなくした加藤さんは、
儲かっているせどり事業を部下任せにしたという逸話の持ち主です。

ちなみに加藤さんは、京都大学大学院MBA(経営学修士)を取得している経営のプロであり、
人口上位2パーセントのIQ148以上が所属する団体MENSAのメンバーでもあります(凄)


2013年、年間数億円の売上を自動化させて一時的に暇になった加藤さんが、
起業家や経営者に向けて「1億円事業」の作り方を解説したのが、
「次世代起業家育成セミナー」シリーズです。


特に初心者向けに開催された次世代起業家育成セミナー「特別編」は、
映像視聴も含めて累計4000名以上が参加しています。

有料の起業セミナーとしてはもっともヒットしたものの一つとなりました。


MBAの理論的な裏付けを活かしながら、
ネットと物販の両方で大きな実績を持ち、
多業種に渡るコンサル生を指導し、
さらには大手塾で講師もやっていた加藤さんのセミナーは、
間違いなく業界でも唯一無二のものです。

ネット業界にうようよ存在する
“名前だけのセミナーや講師コンサルタント”
とは根本的にレベルが全く違います。



特に最終的に起業して成功したい人にとっては、
加藤さんの提唱する「システム化」という概念は非常に重要だと感じます。


システム化をすると既存ビジネスの売上が10倍になります。

個人の労働時間には限界がありますが、
システムというものは複製・拡大が容易なのです。

システム化という概念を取り入れることによって、
月収10万稼げている人は月収100万に、
月収100万稼げている人は月収1000万になります。



例えば“せどり”というのはずいぶん前からあるありふれたビジネスで、
月商100万稼げればトップクラスと言われていた業界ですが、
加藤さんはシステム化する事によってあっさり月商4500万に到達しました。

いまだに加藤さんの実績を超える人は
せどり業界には現れてないです。

物販やネットビジネスに限らず、大手が参入していない業界であれば、
システム化を実行するだけであっさりライバルに勝てるのだそうです。



加藤さんの教育改革は凄すぎて、目標とはいえないかもしれませんが、
少しでも近づいて私も「日本の(私は歴史と文化ですが!)教育」に一役買いたいですね。

私の夢は、日本文化の伝統を継承するために、
第二の(山陰の)「柳宗悦(思想家)」になる事なんです。


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【感想メールを送ることで受け取れる加藤将太さんからのプレゼント】


■プレゼントの内容■
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感想を送り続けることで、全部で、特別編映像8つ+無償プレゼント1~12で、「19個」の無償プレゼントが手に入ります。
(他にもプレゼントはあります)




内容は、「経営時間は1日3時間・元手20万円でも、1年以内に1億円事業を創る」と冠して、
加藤さんの経営手法を全て映像とPDFで週録した秘密のセミナーです。


期限は1週間で、1週間以内に動画を見た感想を簡単に送った場合のみ、
次の動画を視聴することが可能です。
まずは、21分間という時間を投資して、加藤さんのセミナー映像をご覧ください。

PDFを見ても楽しいと思いますし、動画+PDFも有りですね。
お好きな方法でご覧いただければと思います(もちろん無料!損はさせませんよ)。



ちなみに、1万円無料プレゼントは終了しましたが、
私には1万円+Webテストで65点取ったので+5000円さらに次世代セミナーにも申し込んだので+1万円で、
2万5000円分の仮想通貨リップル500.000000XRP(1XRPの値段50円計算)が振り込まれました。

今盛り上がっている、仮想通貨のセミナーも視聴できるのです。

知識のない私は?5億~~~!×40円(現在1XRPの値段)=24億円振り込まれた~~~!と、
勘違いしてしまい怖くなってしまいました。(-"-;A ...アセアセ

6桁は少数点以下だったようです(相変わらずの慌て者です・笑)。
タダで頂いたものですから、今日から楽しみにリップルの動向を見守りたいと思います。


アドレスとニックネームだけ登録すれば、一か月間にわたって無料でセミナーを視聴できます。
12の無料プレゼントがもらえる次世代起業家育成セミナーはコチラ


1日で本物のビジネススキルが磨けるので、
ぜひセミナー映像を見て、レベルの違いを実感してみてください。

私と同様、ビジネスに対する価値観が変わると思います。

2期生募集もあとわずか?もしあなたが副業での成功や起業を目指しておられるなら、登録しないのは、チャンスをどぶに捨てるようなものです。

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     99%歴史が好きになるブログ「高天原の縁側日記」

~縄文・弥生時代から近現代まで、日本の歴史と文化の旅に神様目線で旅立とう~


いつも応援ありがとうございます。歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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2018/03/11

記憶を呼び戻せ!3月11日を忘れない『東日本大震災』は終わっていない。

今日は7年前に『東日本大震災』が発生した日です。私こと、市良右衛門は、神戸市に住んでおりますが、阪神淡路大震災の時には、但馬の実家でまだ就職もせずに住んでおりましたので、我が家の小さな墓石が倒れた程度の被害ですみました。東日本大震災の時にも、鳥取県米子市に単身赴任しており、何一つとして被害を受けることは有りませんでした。

神戸には震災後22年住んでおりますし、東北青森には学生時代も含めて、10年程住んで居りました。幸いな事に両震災とも、何も被害を受けませんでしたが、神戸・東北共に第二の故郷とも呼べる、とても愛着の有る場所です。


朝日新聞デジタル
(奇跡の一本松、枯れてしまいましたが復興のシンボルとして樹脂で保存されました。朝日新聞電子版よりお借りしました。)

それだけに、4年前の夏にお友達に「東日本大震災」の体験談を聞いて、衝撃と共に感銘を受けたので、是非皆さんにも知って、考えて頂きたいと思い、お友達の体験談を公開することにいたしました(本人は了解してくれました)。今日の新聞には関連死も含めて2万2千人の文字や、帰宅困難いまだ7万人の記事が記載されていました

今日、ご紹介する【2014年夏のレクイエム】はお友達の「東日本大震災」実体験の手記を記録したものです。できる限りそのままの形で公開しますが、差しさわりのある名前などは少し訂正させて頂きましました。

それでは、『市郎右衛門』のブログです。これもつらいですが、また歴史です。語り継がなければいけません。
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CROOZ



【2014年夏のレクイエム】

南三陸町防災対策庁舎
(南三陸町防災対策庁舎、町職員の遠藤未希さんが最期まで、防災無線のマイクを握った場所です。Wkiよりお借りしました。)


(文章の一人称はお友達です。【2014年夏のレクイエム】2014年に成っているのはやっと話すことが出来るようになったからだと思います。)

東日本大震災かぁ…。
思い出したく無くても、頭から離れない。
忘れたいけど、忘れちゃいけない。
いろいろ、酷いものも見ました。
しかしあの時、多くの被災者はじっと耐え、規律を守り、乗り越えました。

これは、私の体験談です。
私の場合、被災者の中でも恵まれた方だったと思います。
面白い話しでは有りませんし、文章力も有りません。

大震災があったあの時、私は宮城の港町(海から100m 足らずのところ)で仕事をしていました。
一度目の揺れが止まり、従業員の安否確認をしようとしたとき、二度目のさらに大きな揺れに襲われました。
どちらもそれまの人生で体験した事が無い、巨大な揺れでした。

程なくして津波警報が発令され、私は近くの高台に避難しました。
回りには同じ様に避難してきた人・人・人。
皆、着の身着のままの格好です。
3月でも冷え込む中、降り始めたみぞれは私達の体力を少しずつ奪って行きました。

きっと大丈夫。
前の三陸沖地震でも大丈夫だった。
私の周りで年配の方々は、口をそろえて話しあっていました。
防災無線からは津波注意の声。
私も周りの人々も、家族への安否連絡のため携帯電話をかけようとしていましたが、回線がパンクしていて、なかなか繋がりません。

やっと実家の母に電話が繋がり、大丈夫と伝えた時、防災無線から津波の高さ予想が発表されました。
『津波の予想高さ10m』私は耳を疑いました。
私達が居る高台はせいぜい8m 程です。
10m の津波なんて到底助かりようが有りません。
私はあの時、初めて死を意識し、そして覚悟を決めました。

多分、母にかけていた電話の声は震えていたでしょう。
私は最悪の事態も有りうる事、私に万が一の事が起こり、私の飼い猫が助かった場合猫の事を頼み、これ迄の感謝を母に告げ、最後まで生きる為に足掻く事を約束して、電話を切りました。

高台では少しでも高い場所へと人が殺到しています。
一人の男性がその様子を制し、赤子連れ、子供、老人を優先に高い場所を確保出来るように呼び掛けています。
さすが日本人です。
その男性に従い、皆場所を譲ります。
第一波到達。
第二波到達... 津波の到達が度々報告されるなか、私は自分達の避難場所に津波が来ない事を不思議に感じました。
その時津波は湾の入り口にいた私達の場所ではなく、湾の奥にある市街地に、濁流となってなだれ込んでいたのです。

夕闇が降り始め、津波が高台まで来ないと判断した私は、帰宅するためのルートを考え始めました。
幸い、会社に置いてきた車は無事。
丘と山を抜けて行けば... 猫の安否が気がかりで、私の頭には避難所へ向かうという選択は有りませんでした。
真っ暗になった道を車のライトだけで走りました。
電気も止まっていて、左右は全く見えません。
道は、でこぼこの起伏があり、さらには道路を一本違えたら津波に遭遇するという、恐怖の中を運転しました。

実際、水没した道路を確認する度に、迂回しながら、ようやく自宅(高台にあるマンション6階)にたどり着き、怯えていた愛猫をみたとき、緊張の糸が切れて涙が溢れ出て止まりませんでした。

翌日、変わり果てた町を歩き会社に行きました。
市街地では2m 以上の浸水。
港には打ち上げられた大型漁船。
えぐられた堤防。
傾いた道路。
津波で流され重なった車。
倒壊した建物。
これ迄当たり前だったものが、自然の猛威の前ではこうも脆いのか...

それから3週間、水・電気の使えない生活(ガスは使えました)を送りました。
猫と居るため避難所に行かなかった私は、露店のような仮設の戦後闇市みたいな店舗(お値段は2~3倍です)で食料を買い、ガスや塩で保存食を作り、細々と生活していきました。

オチも何も有りません。
失ったもの、得たもの、変わったもの、私の中でいろいろあります。
たかがこの程度ですが、最後まで読んで下さった方々に感謝を致します。

震災の話は、被災地に居る限り話す事は無いと思うし、話すべきで無いとも思います。
でも誰かに聞いて欲しいと思う矛盾も抱えてます。
ですから少しだけ?お話ししました。

今では、少しずつですが、海岸沿いにも家が建って来ました。
日本人は強いです。
三陸の基幹産業は漁業です。
行政の復興は少しも進まない中でも、漁師さん中心に被災者の皆は必死に頑張っています。

緊急セットは必ず準備しておいて下さい。
私は震災以降、3日分位の私の食料と2週間位の猫の食料を常備してます。
いざというときの為に是非皆さんも考えて下さい。

私個人は、被災者としては、望むべくも無いぐらい恵まれてました。
家族を失わず、家を失わず、仕事も失いませんでした。
あの震災おかげで、精神的に強くもなり、また弱くもなりました。

まだまだ宮城県でも立ち直れていない人はたくさんおられます。
岩手県や福島県でも同じでしょう。
しかしながら、私は、そんな人達が前を向いて進める様に、あるいは前を向けた時のために、活気ある街に戻して行きたいと考えます。
私に出来ることはとても小さくとても少ないと思いますが、今考える事は行動することです。

『友人の体験談はこれで終わりです』

【私に何ができるのか?】

私(市良右衛門)は阪神淡路大震災の時、神戸に住んでは居ませんでした。但馬で観る神戸のテレビ映像に「神戸は壊滅した!」と感じとったのを記憶しています。阪神高速が潰れ、長田が炎に包まれている映像は、私の脳裏に焼き付き今でもはっきりと思い出す事ができます。其から22年!月日が神戸を元の美しい街に戻しています。

私は、阪神淡路大震災を契機に就職をし、結婚して子どもに恵まれました。東日本大震災の時は、山陰鳥取県米子市に単身赴任しておりました。東日本大震災が発生し、最初に見た映像は、宮城空港が津波に呑み込まれる映像でした。未曾有の自然大災害!更には人災としか言い様のない原発事故、しかしながら、私は神戸と同じように、東北地方の復興を信じて疑いません。

日本人(ここで私が言う日本人とは、法律や書類上ではなく、この美しい山々や河、森や海に対して畏敬の念を感じる精神性を持つ人々の事です)は必ずそれを成し遂げるでしよう。ある外国人宣教師が、自衛隊の給水を並んで列を乱さず整然と待つ被災者を「まるでキリストのパンを待つ聖者の行列がそこに有った!」と世界に配信しました。日本人の礼儀正しい精神性は美徳です。美しい山々や川、正に自然がその美徳を育んで来ました。今正に、自分がどうなるか解らない状況に置かれた時!何を成すべきか?その答えが友人の手記の中に有ると思います。

私には何も出来そうに有りませんが、大丈夫!お友達や私の大好きな東北は、石割り桜 の様に、必ずや石を割って咲き誇ることを信じて疑いません。

私の大好きな浅田次郎の小説「壬生義士伝」の中にこんな台詞が有ります。「ええか、みな良ぐ聞け。南部盛岡は江戸より百二十里、奥州街道の涯ゆえ、西国のごとき実りはあり申さぬ。おぬしらが豊かな西国の子らに伍して身をばたて、国ば保つのは並大抵のことではねえぞ。盛岡の桜は石ば割って咲ぐ。盛岡の辛夷は、ほれ見よ、北さ向いて咲ぐではねえか。 んだば、おぬしらもぬくぬくと春ば来るのを待つではねえぞ。南部の武士はらば、みごと石はば割って咲げ。盛岡の子だれば、北さ向いて咲げ。春に先駆け、世にも人にも先駆けで、あっぱれな花こば咲かせてみよ」

私が知る東北人は、私が子どもの頃に持っていたイメージとは全く違う、ポジティブな方ばかりです。時間は掛かるかもしれませんが、必ず復興は成し遂げられると信じております。10年程青森に住んでおりました。私の知る東北の桜はソメイヨシノと違って緑の葉と共に花開きます。確かに美しさはパッと花だけが咲く、ソメイヨシノにはかないませんが、力強さは東北の種類の方が格段に上だと思います。

【Ca va?】

都内にある岩手県のアンテナショップ(「Ca va?」はフランス語で「元気?」の意味!ネーミングもいいですね。)

先日こんな記事を発見しました。下の商品凄い売れ行きだそうです。ツナ缶を越えたという人気急上昇の商品、サバの苦手な人も臭みが無くて本当に美味しいそうです(それにオシャレ!)。東日本大震災から立ち上がる意味でサヴァ缶に取り組んだのが始まり 、「Ca va?」はフランス語で「元気?」の意味、震災時に全国からもらった元気を返したいという気持ちで名づけ、2013年の発売開始以来、累計300万缶を売るヒット商品に成りました。 サバは水揚げ量が安定し、値上がりしにくいことが人気です。



【最後に一言】

P3100783.jpg
(皇后陛下美智子様の歌が刻まれた碑文、後ろは神戸市役所の展望台です。復興を遂げた神戸の街が一望できます)

『笑み交わし やがて 涙のわきいづる 復興なりし 街を行きつつ』

皇后陛下美智子様が天皇陛下と震災直後がら数回にわたり、被災地を訪問されましたが、この歌は、平成17年震災後の復興が進みつつある、被災地神戸を訪問され、現場を歩かれたとき、無数の笑みに会釈をされ、体育館の冷たい床に被災者と同じく膝をつかれて、お言葉をかけられました、その時のお気持ちを歌に詠まれ、平成18年歌会始に提出された歌です。

P3100792.jpg
(復興モニュメントの火、「1.17希望の灯り」)

「モニュメント」ご遺族やボランティアグループの方々から、「やさしさ」と「思いやり」、そして「生きている証」としての灯りを灯したいとのご提案がありました。これを受けて新たに灯りの保存施設が追加設置されることになり、「1.17希望の灯り」が誕生しました。ここには、被災10市10町を巡って運んだ種火と47都道府県から寄せられた種火を一つにした灯りが灯されています。

この灯りは被災した市民のみなさんの精神的なよりどころとなり、毎月17日には、ボランティアのみなさんが自主的に清掃などを行っています。そして、毎年1月17日には、ここから被災10市10町のみならず遠方の都市まで、震災や灯りが結ぶ絆に関連した行事に分灯され続けています。また、震災から7年を迎えた2001年1月17日、「希望の灯り」が分灯され、市民ランナーによってこの灯りが全国69都市のみなさんへ届けられました。「1.17希望の灯り」には碑文が刻まれ、「あの震災で亡くなった方々の命と生き残った私たちへのメッセージ」を発信し続けています。

東北で実際に被災された方々、まだまだおられる帰宅困難者の皆さんや二重のローンで頑張っておられる方々、復興の手助けをして新しい産業を企画される皆様に、遠く神戸より心からのエールを送らせていただきます。「必ず東北は復興します!」

何故日本人はこんなにも強いのでしょう。
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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リュミエールブラン ネージュ

  
2016/03/27

不老不死が実現する?

不老不死不老長寿のお話をUPさせて頂いたので、現実の科学のお話も少ししましょう。

さまざまな細胞や組織に成る能力がある胚性幹細胞(ES細胞)が老化しない仕組みを、あの(笑)理科学研究所多細胞システム形成研究センターの研究チームが確認しました。

通常の細胞は分裂のたびに染色体末端の「テロメア」が少しずつ短く成ることで老化します。
更には、テロメアが一定の長さに短く成ると分裂も止まってしまいます。

一方、幹細胞や生殖細胞、癌細胞では、特定の酵素や蛋白質が働き、長さを保つようにテロメアを修復。細胞は半永久的に老化せず、分裂も続く事が知られていました。

今回、研究チームはマウスのES細胞でテロメアを修復する働きがある「Zscan4」と呼ばれる蛋白質を観察して、テロメアが短い細胞ほど、 Zscan4が増えている事を確かめ、この現象が老化を防いでいることを裏付けました。

半永久的に再生を繰り返すES細胞
(半永久的に再生を切り返すES細胞、理化学研究所)

この老化を防ぐ原理を利用することで、将来的に人工多能性幹細胞(iPS細胞)の安定供給に応用出来る可能性が有るそうです。

胚性幹細胞(ES細胞)、人工多能性幹細胞(iPS細胞)難しいですよね、少し説明する写真を用意しました。

ESとiPS1

ESとiPS2

ESとiPS3

ESとiPS4

ESとiPS5
(わかりやすく説明されていると思いますが、汗)

私達が知りたいのは、この先のお話ですよね、もし老化しない、人工多能性幹細胞(iPS細胞)が作られて、体の細胞と交換出来るように成れば、寿命が100歳程延びるかも知れません。

いえいえ、不老不死・不老長寿はもう古い!もっと先の科学、若返りも可能になるかも知れません(笑)。

まあ、その前に私は死んでると思いますが!

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