2016/03/04

我が家のお雛様を紹介します。

今日は桃の節句!お雛様ですね~!またUP遅れ。

桃の節句1
(備前の花入れがいいですね。いつものことながらUPが一日遅れでもう昨日ですが!)

娘が二人(まん中に長男の三人兄弟です)いるのですが、ひな祭りを祝った事は余り無いですね(娘達!ゴメンね)。

長女の最初の雛祭りに妻の両親から大きなお雛様を頂きました。
但馬の実家に置いていて、毎年父(母が亡くなる前は二人で)が飾ってくれてます。
大きいので、残念ながら、神戸の家には飾るところが無いのです。

長女雛
(でかい!高い!八畳を占拠してしまいます。)

次女が産まれて、実家の物は二人の物だよと納得させようとしましたが、やはり子供の事、「私のやで~」と長女をが権利を主張するので、亡くなった母が次女を気遣って、可愛らしい、神戸でも飾る事が出来る、コンパクトなお雛様をプレゼントしてくれました。

中々セットする機会が無かったのですが、ブログも始めたので、紹介したいと思います。

ところで、お内裏様とお雛様の位置関係が、京都(京都でも一部だけかも?)と関東地方(京都以外の全て?)で違うのをご存じでしょうか。

普段見慣れているお雛様は、お内裏様は向かって左側に並べられている場合が多いと思います。
これは、関東(京都以外)でのお雛様の並べ方なんです。
一般的なお雛様は向かって左側がお内裏様(男雛)で、右側がお雛様(女雛)ですね。

京都は公家の装いで飾るといわれています。
京都ではお内裏様(男雛)が向かって右側に並べられます。理由については諸説がありまが、ちょっとややこしく成るので、よく考えて下さいね。
解りやすく説明出来ないかもしれません。
御所における天子の玉座の位置は左だから(天皇陛下に成ったつもりで考えて下さい)。
つまり、天子(自分と考えてください)の左側には誰もいません。

日本古来の左は右よりも格が高い「左上座」という考えに倣っています。
「左上座」とはお雛様側に立ってみて左であり、お雛様に向かってみると右になります。

「天子は南面し、臣下は北面す」とあるように天皇は南を向いているので、東は左、右は西に成ります。
京都御所から見て東が左京区、西が右京区なのも(地図を北を上に見ると左右が逆転しています)内裏目線です。
御所の左近の桜右近の橘も同じですね。見に行くと(勝手には入れませんよ~笑)右側が左近の桜です。

ここで重要なのは、日が昇る東が上座にあたるということで、天照信仰とも関連しているかもしれません。
左大臣・右大臣が、天子の前に座っている場合、左大臣が東側で上位に当たります(左大臣から見ると下位の右大臣が左側に居ることに成り、左上座のルールが崩れた様に思えますが、この場合も天子を中心に考えて、西側に座って居るから右大臣が下位と考えれば良いでしょう)。

日本古来の「左上座」の考え方があるのなら、関東(京都以外)のお内裏様はなぜ向かって左に並べられているのでしょうか?

江戸は武家の装いで飾る。
武家社会中心の関東では「右上位」という考え方があり、身分や等級によって座る順番が決められていました。そのため関東地方のお雛様の配置もそちらに習って決められました。

大正天皇が、御即位式で皇后陛下の右に立たれた事は、文明開化以降に西洋文化が日本に入ってきて、西洋スタイルの即位に倣ったと思われます。
大正天皇以降の天皇御即位式の配置が、お雛様の並び方に影響を与えた事は確かなようですが、それを決定付けたのは、昭和天皇の御即位式時、陛下が御立ちになる、高御座の位置が右側だった事が基準とされたようです。
この時始めて新聞紙上に天皇と皇后の写真が載りました。
その際にお二人がお写りになった位置をもって、関東の雛人形では右(お雛様側からの右です)がお内裏様(男雛)、左がお雛様(女雛)と決めた様です(写真で見ると昭和天皇が左側に香淳皇后が右側ですね)。

さて、 雛祭りは、もともと古代中国から
わが国に七世紀頃に伝わり、平安時代にはお祝いとして宮廷行事となり、定着しました。
お雛様の歴史も紐解きたいのですが、それは来年に取っておいて、久々に御披露目した、次女のお雛様を御覧ください。

かわいいですね~【次女】のお雛様です。

桃の節句3
(かわいいですね~笑)

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