2018/06/13

『出雲大社』「荒垣内摂社」で神々と御縁を結ぶ旅!vol①

縁を結ぶといえば結婚、出雲大社の結婚式場も兼ねる『神楽殿』と荒垣内摂社の『十九社(東西二社)』 『釡社・氏社(二社)』の五社をご紹介します。



【プロローグ】何故寺社仏閣巡りを始めたのか?


さて、お約束通り『出雲大社』荒垣内摂社をご紹介して行きたいと思います。本来の参拝では拝殿でお詣りし、拝殿裏に回って八足門から本殿にお詣りし、その後に時計と反対回りで荒垣内を本殿を回る様に進み駐車場に戻るのですが、今回のご紹介では先に荒垣内摂社をご紹介して行きながら、最後のクライマックスに拝殿から本殿のご紹介したいと思います。本日は出雲大社の結婚式場も兼ねる『神楽殿』と荒垣内摂社の『十九社(東西二社)』と『釡社・氏社(二社)』をご紹介します。

そもそも、私が寺社仏閣巡りを始めたきっかけは、以前にも書きましたが約8年半ほど前に心を患ったことに始まります。 3ヶ月の入院と4ヶ月の自宅療養を余儀なくされました。会社に復帰はしましたが、やはり其処は居心地の良い場所では無くなっていました。失意の底にあった私に命じられたのは、鳥取県米子市への単身赴任でした。私はそこで一冊の運命的な本に出会うことになります。それは私が「古事記赤本」と呼んでいる『山陰の古事記謎解き旅ガイド(出雲古代出雲王国研究会)』出版定価本体476円+税です。その本によって私は「多くの神社」で神様の存在を知る事に成りました。そして、歴史という長い川の上流へ船を漕ぎ出す事を決意したのでした。

DSC_0265.jpg(二十一年程前に不肖私も行いました。)

当時は、”古事記編纂1300年”に加えて、”出雲大社が60年に一度の遷宮”さらには”20年に一度の伊勢神宮の遷宮”が重なった上に御朱印ブームがそれを後押しする様に寺社仏閣パワースポットブームが巻き起こっていました。

女性の間で盛り上がり始めていた御朱印ブームは私の中にあった歴史好きの「焼けぼっくいに火を付けた」と言っても過言ではありません。そして最初に御朱印帳に御朱印を頂きましたのが、blogシリーズで紹介し続けている出雲大社でした。

ご参考までに、出雲大社での御朱印のもらい方について少し注意をさせて頂きますが、出雲大社では出雲大社公式の御朱印帳はありません。ですから御朱印をもらわれる方は、事前に御朱印帳を用意する必要があります。

当然私もそんなことは知りませんでしたので、近くのお土産さんでで御朱印帳を用意いたしました。その御朱印帳というのが、現在はFacebookでもお友達に成って頂いている、島根県安来市広瀬町の紺屋さん「天野 尚」さんが古事記編纂1300年企画で作成した。本藍型染の御朱印帳でした。

いつもは、御朱印帳及び御朱印をご紹介していないのですが、今回を最初の機会として、できれば随時「寺社仏閣」の御朱印をご紹介していきたいと思います。ただ、お寺については、一寺で数多くの御朱印があるために、全てをご紹介することはできないと考えています。これは神社の御朱印が御神札(神様・神社の御札)の性格を持つのに対して、お寺ではお経を納めた者に対する証として御朱印が押されるからです。出雲大社の出雲大社も23の摂社を持ちますが御朱印は一つです。対して私が度々「弘法市」に通う京都の「東寺」では御朱印だけで九つの種類があります。これは納経した場所(お堂)証となるからでしょう。

それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
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P6130009.jpg(「天野 尚」さんの本藍型染の御朱印帳と出雲大社・但馬一宮出石神社御朱印。)
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(地図を参考にしながら足を進めてください。)
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(祓社の後も御手水でお清めしてください。)

神楽殿で結婚式を上げよう~!


DSC_0044_20180613210250cd0.jpg(神楽殿の文字読めますか?(;^_^A)

神楽殿は本来、千家國造家(出雲大社宮司家)の大広間として使用されており、「風調館(ふうちょうかん)」と呼ばれていました。明治に入り、出雲大社教が設立されてからは出雲大社教の神殿としても使用され、現在では國造家大広間、並びに出雲大社・出雲大社教の神楽殿として御祈祷や結婚式をはじめ様々な祭事行事が執り行われています。昭和56年に出雲大社教が特立100年を迎えた折、現在の神楽殿として規模を拡張して建て替えられました。その大広間は270畳の広さを誇り、神社建築にはめずらしく正面破風の装飾にステンドグラスが使われています。正面の大注連縄は長さ約13メートル、重さ約4.5トンに及びます。この大注連縄は数年に一度、新しい注連縄へと懸け替えられます。そして、神楽殿前庭には高さ47メートルの国旗掲揚塔が聳え立ち、揚げられる国旗は75畳の大きさです。

DSC_0038_20180613210249a37.jpg(正面の大注連縄がとにかく凄いです。正面ではなく西の方向にあります。)

以前説明いたしましたが、出雲国造家は天照大御神の第二御子の天穂日命(あめのほひのみこと)の神裔にあたります。出雲大社の祭祀者である出雲国造家は、南北朝時代に「千家」と「北島」の2家に分裂し、その祭事は幕末までは両家が二分して行っていたが、明治以降から現在までは千家家が執り行っています(島根県の友人は、北島家で結婚式を挙げた方が離婚率が低いと申しています。彼の私見ですのでお許しください)。北島家は出雲大社東に位置して健在です。少し静かで大社の喧騒につかれた方にはお勧めです。

それぞれ大国主大神を主祭神とする宗教団体として、千家家が出雲大社教、北島家が出雲教を主宰しています。出雲大社教との一体化は1951年(昭和26年)4月に出雲大社と教派神道の宗教法人出雲大社教が一体化され、出雲大社の職員は出雲大社教の職員を兼務し、出雲大社宮司は出雲国造として出雲大社教を総攬し、出雲大社教の教務本庁は出雲大社の教務部として活動しています。

荒垣と銅鳥居


DSC_0201.jpg(銅鳥居をくぐると、そこからが境内です。)

荒垣内だ荒垣外だと散々言ってきましたので、どこからどこまでが内側でどこからどこまでが外側だと疑問に思われた方も多いと思います。「荒垣」とは本殿鎮座地の四囲にめぐらした石垣と塀で、大社ではこの内側をいわゆる「境内」としています。簡単に説明しますと囲い(荒垣)が有り囲まれている場所が、当然荒垣内なわけですが通りぬけられる場所があります。それが次で説明する銅鳥居です。

出雲大社の荒垣正門に立つ銅鳥居の建立は寛文6年(1666年)毛利輝元の孫綱広により寄進されたものです。毛利藩の鋳物師「郡司喜兵衛」が長州阿武郡(現在の山口県萩市)で鋳造したものと伝えられています。銅鳥居両柱の銘文には、出雲大社の御祭神や毛利家ゆかりの鳥居のいわれなどが刻まれています。修理に伴う基礎の調査によって銅鳥居の足元は地表に見える大きな石以外に大小をたくさんの石で支えられていることが明らかになりました。銅製の鳥居は全国でも例が少なく非常に貴重な建造物で、国の重要文化財に指定されています。この銅鳥居の中が荒垣内ということになります。

十九社(東西二社)


P5041740.jpg(東十九社この時は神様の到着待ちでした。)
P5041841.jpg(神様の到着を待つ西十九社。出雲大社ならではの建築物です。)
P5041845.jpg(西十九社ですね。)

十九社二棟は建立年代・文化6年(1809年)です。二棟は、瑞垣(本殿を囲む外側の垣根)の東西に向かい合うように建っています。南北約34.5メートルに及ぶ細長い建物です。全国から八百万の神々が集まるとされる神在祭では諸神の宿所となります。他の神社には例のない出雲大社ならではのお社です。修理中に発見された棟札から、文化6年(1809年)に建てられたことがわかりました。十九社では多くの部材にモミの木が使われています。建材にもみの木が使用されることは珍しく、出雲大社でも十九山本の二棟しかありません。当然ですが、国の重要文化財に指定されています。

釡社と氏社(二社)



本日最後の御紹介になりましたのは、釜社と氏社です。釜社(かまのやしろ)と氏社(二棟)はどちらも本殿を正面とし、釜社は東十九社北側に氏社(二棟)は西十九社北側に建てられています。三棟共寛文期に建てられました。どちらも境内で最も古いお社です。三棟は同じ形、同じ大きさの建物ですが、釜社の垂木の数が一本少ないことが異なる点です。修理中氏社の屋根から「東側御向」等と墨書きされた材料が、また釜社からも端垣内の建物にしかない階隠の転用材が発見され、いずれも延享の修理の際に瑞垣内のお社の材料を再利用していることがわかりました。

P5041751.jpg(少し歪んでます?急いでましたのでお許しください。)
P5041753.jpg(宇迦之御魂神を祀る釜社、東十九社のすく北側です。)

釜社の御祭神は、「スサノオノミコト」の子神で「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」です。この御祭神は、食物を司る神様で、全国にある稲荷社の御祭神としても祀られています。「宇迦之御魂神」は女神とされています。この神様は神宮(伊勢)の外宮の主祭神「豊受大御神」や伏見稲荷大社の主祭神「稲荷大神」と同じ御神体です。

11月23日の「古伝新嘗祭(こでんしんじょうさい)」の夜には、この社より御釜を拝殿に移して「御釜神事」が行われます。古伝新嘗祭は、国造の霊力を蘇らせる祭事であるのと同時に、神職が御釜の周りを巡る「御釜神事」によって「五穀豊穣(ごこくほうじょう)」への感謝と来年の豊作の祈りが捧げられるものです。つまり、これらが「釜社(かまのやしろ)」の名前の由来となります。

氏社(うじのやしろ)は境内西側、西十九社の奥に二つの殿舎が北と南に至近距離に建てられています。いずれの社の御祭神も大国主大神と非常に深いかかわり合いのある神様です。

P5041816.jpg(天穂日命を祀る氏社です。)
P5041811.jpg(北の氏社。)

二社のうち北側には、天照大御神の第二子である、「天穂日命(あめのほひのみこと)」が祀られています。この「天穂日命」は、天照大御神の国譲りの使者として出雲の国に来られましたが、逆に大国主大神に言いくるめられて家臣になってしまいます。その後3年間、高天原へ復命しなかったそうです。また「天穂日命」は出雲国造家の始祖であり祖神でもあります。

P5041832.jpg(南の氏社ですね。)
P5041826.jpg(南の氏社、宮向宿彌を祀ります。人が並んでおられるのは本殿神坐正面がこちらに成るからです。)

南側の社には、「天穂日命」の子孫で17代にあたる「宮向宿彌(みやむきのすくね)」が祀られています。「宮向宿彌」は19代天皇から「出雲臣」の姓を頂き、その子孫は出雲大社の宮司家として今日に至っています。

近年になって「氏社」を修理した際、屋根から「東側御向」や「東門神」と墨書きされた部材が見つかりました。これは、延享造営時(1744年)に新築した他のお社の材料を一部利用して補修(解体移築時)したということを意味しています。

このことから、「氏社」の創建は御本殿の造営をした1667年と考えられています。尚、この氏社は2004年(平成16年)7月6日に国の重要文化財の指定を受けています。

【最後に一言】神の伊吹を感じる。



ゴールデンウィーク企画の後に、近頃ずっと出雲大社の摂社巡りの企画で神社ばかりブログにUPしていたので、次は、お寺をご紹介しようか?とかいやいや古墳も有るしお城も有ると悩んで過ごしておりました。

当然の事ですが、旅行は楽しいですし、色々な歴史遺物を見るのは大好きなので、どうしても取材が先行してしまうのです。歴史というのは、川の流れの様な物です。河口の小石を拾い上げても、何処から流れてきたのか調べてみたくなります。

つまりは、きりがないのです。そんな私ですから、一度脱線し始めると彼方此方の方角へ飛んで行きそうに成るに違いありません。ですから、ここはしっかり出雲大社を終わらせようとの結論に至りました。

出雲に出向くと、本当に神々が近くに居られる気がします。出雲大社の瑞垣の回りでは、神々の伊吹が聞こえて来るようです。古代の人々が現在よりもより神々との距離感を身近に感じて事は想定の内ですが、出雲大社ではその距離感を実際に感じることが出来るような気持ちになるのです。

いつも応援ありがとうございます。歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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