2018/04/25

『出雲大社創建』「古事記神話」の記載は侵略か?恫喝か?それとも交渉?②

プロローグ、2020年放送の大河ドラマは明智光秀!「麒麟がくる」


全く関係ないお話なのですが、2020年1月から放送予定のNHK大河ドラマ第59作目が「麒麟がくる」の名前で明智光秀を取り上げる事が決まりました。主役は「新ゴジラ」を日本アカデミー賞作品賞に導いた長谷川博己さんです。

私は常々、「歴史は勝者がつくる」と考えて、悪役に追いやられている人物に光を当てたいと考えておりますので、正に明智光秀主役の大河ドラマは大歓迎です。因みに私、ブログラムの明智光秀ランキングは断トツの一位をキープしているので(ちょっと自慢です。)、こちらも嬉しいですね。


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(インドの神様と交じって大黒様とも呼ばれています。)

さて、本題の出雲大社ですが、今日は国譲りクライマックスのお話です。天照の使い建御雷と大国主の息子達、事代主・建御名方の二人が登場します。

それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
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明智光秀程に悪役に仕立てられてはいないところが、大国主が天皇系統にとっても重要で怖れられるべき人物(神様)だった事がわかりますね。さてお話は前回の続き、第三の使い「天若日子」の葬儀から始まります。

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(神社では神様が、お通りになる真ん中は歩きませんが、出雲大社では松の根保護の為、中心は通れない事に成っています。やさしいですね。)
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(大黒様の歌)

【下照比賣と阿遅志貴高日子根】


DSC_0130.jpg(本当にここ数年の間に兎がいっぱいに成りました。)

天若日子の死を嘆く妻下照比賣の泣き声を、天にいる天若日子の父天津國玉神や母が聞き、悲しんで下界に降りて喪屋をつくって弔いを行いました。阿遅志貴高日子根神(あじしきたかひこね・下照比賣の同腹兄で、天若日子の義兄に成ります。)が弔いに訪れた時、その姿が天若日子にとても良く似ていたため、天若日子の父と母が「我が子は死なないで、生きていてくれた」と勘違いして阿遅志貴高日子根神に抱きついてしまいます。すると阿遅志貴高日子根神は「穢らわしい!死人と見間違えるな~」と激怒して、大剣で喪屋を切り倒し、蹴り飛ばして壊してしまいました。

仲が良かった義弟に、間違えられた位でこんなにも怒らなくて良さそうなものですが、当時死は穢れたものと思われていたのかも知れませんね。この喪屋が美濃国(岐阜県)の喪山であるといわれています。岐阜県美濃市にある「古事伝承地」、「大矢田の喪山」のほか、「市内豊神雉射田碑」などが候補地とされていますが、出雲と美濃はちょっと距離が遠すぎる様な気がしますね。

さて阿遅志貴高日子根神の妹の高比賣命は、兄の為に歌を詠んで、その名前を皆に知らせたと古事記に書かれています。

【最後の使者・建御雷登場】


天照大御神が八百万の神々に今度はどの神を派遣すべきかと問うと、思金神と八百万の神々は、「稜威雄走神(いつのおはばり)か、その子の建御雷神(たけみかづち)を遣わすべき」と答えます。天之尾羽張(あめのおはばり)は「建御雷神を遣わすべき」と答えたので、建御雷神に天鳥船神(あめのとりふね)を副えて葦原中国に派遣しました。

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(稲佐の浜の屏風岩は弁天島だと思っていましたが、ここが屛風岩です。)

建御雷神と天鳥船神は、出雲国伊那佐の小濱に降り至って、十掬剣(とつかのつるぎ・諏佐乃男が八又の大蛇を退職したのも十掬剣でしたが同じ物ではないと思います。手の握りが、十握りの長さの剣の意味です。)を抜いて逆さまに立て、その切先にあぐらをかいて座り(さすがに神様です。)、大国主に「この国は我が御子が治めるべきだと天照大御神は仰せである。そなたの意向はどうか」と訊ねます。大国主神は、私一人では決めかねるので、自分の前に息子の事代主神(ことしろぬし)に訊ねるように答えます。

そのとき、事代主神は美保ヶ崎(島根半島の東端)で漁をしていました。建御雷神が尋ねて問うと「承知した」と答え、船を踏み傾け、逆手を打って青柴垣に化え、その中に隠れてしまいます。この逆手を打つ行為は承知したの意味では無いかも知れません。むしろ呪の様なものだったかも知れません。「天の逆手」といわれ、呪術の一とされます。普通とは違う方法で打つ柏手(かしわで)。実際にどのような打ち方をしたのか不明です。納得出来なかった事代主神の悔しさを表しているような気がしますね。

IMG_5765.jpg(事代主神が祀られる美保神社)
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(青柴垣神事の一場面ですが、うなだれる事代主に見えませんか?)


【弟建御名方の服従】


建御雷神が「事代主神は承知したが、他に意見を言う者はいるか」と大国主に訊ねると、大国主はもう一人の息子の建御名方神(たけみなかた)にも訊くよう答えます。その時、建御名方神がやって来て、「ここでひそひそ話すのは誰だ。それならば力競べで決めようではないか」と建御雷神の手を掴みます。すると、建御雷神は手をつららに変化させ、さらに剣に変化させます。逆に建御雷神が建御名方神の手を掴むと、葦の若葉を摘むように握りつぶして投げつけたので、建御名方神は逃げ出しました。

建御雷神は建御名方神を追いかけ、科野国の州羽の海(諏訪湖)まで追いつめます(建御名方神は越の沼河比売のこどもとされるので、諏訪湖は納得できますね)。建御名方神は逃げきれないと思い、「この地から出ないし、大国主神や事代主神が言った通りだ。葦原の国は神子に奉るから殺さないでくれ」と哀願します。因みに諏訪湖の周りに有る諏訪神社はことしの7月に取材予定です(早く目を治さねば!)。

この神話は諏訪にも伝わっていますが、逃走中に現在の生島足島神社(長野県上田市下之郷、諏訪神社より古い土着の神様の様です。)に立ち寄ったり、諏訪に入ろうとして土着の洩矢神(もりやのかみ、もりやしん、もれやしんは、長野県諏訪地方を中心に信仰を集めた土着神)と戦いこれを従えています。建御雷神に破れて逃げる途中にも関わらず、土着の神を従える力の有る力強い建御名方神を、軽く一捻りする建御雷神の凄さは恐ろしいばかりですね、このお話は古事記には見られない話で、諏訪地方に残るものです。

因みに、建御雷神は茨城県鹿嶋市に有る、鹿島神宮に祀られています。古事記にでは、天鳥船神は同行しますが、基本一人です。日本書紀では、千葉県香取市の香取神宮に祀られる、経津主神(フツヌシ)と二人で国譲りの交渉に当たった事になっています。

【諦めの大国主・国譲りそして大社建築!】


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(出雲には出雲型と呼ばれる素敵な狛犬が有るのですが、出雲大社に狛犬はいません。何故でしょうね?こちらは私が一番素敵と太鼓判の真名井神社の狛犬です。)

建御雷神は出雲に戻り、大国主神に再度訊ねます。大国主神は「二人の息子が天津神に従うのなら、私もこの国を天津神に差し上げましょう。その代わり、私の住む所として、天の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしい。私の百八十柱(多いの意味です。)の子神たちは、事代主神に従って天津神に背かないだろう(事代主神に従ってとの言葉が気に成りますね、何故自負では無いのでしょう。死を覚悟したか、捕虜として連れて行かれたのかもしれません。)」と話しました。大国主神は出雲国の多藝志(たぎし)の小濱に宮殿を建てて、たくさんの料理を奉ったとされます。建御雷神は葦原中国平定をなし終え、高天原に復命しました。

DSC_0248.jpg(出雲大社の建設が始まります。)


【最後に一言】


さて皆さんどのように感じられましたか?大国主はそれなりに、外交を駆使して引き延ばし作戦を使い、頑張ったとおもいませんか?時間稼ぎの間に同盟国にも使いを送りどうにか出雲を守ろうとしたのではないでしょうか?当時としては、日本史上最大の建造物を造らせ、天皇の歴史の神話部分に多くの出雲のページを割かせる事にも成功しています。死して尚天皇家に恐怖心を植え付ける程に、素晴らしい王様だったと考えるのは私だけではないはずです。
DSC_0040.jpg(これですよね~笑、神楽殿の大しめ縄)

歴史って本当に素敵ですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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