2018/03/18

『eskoyama』の「小山パテシィエ」との勝負の行方!

さて、お待たせしておりました。ホワイトデーが過ぎたにもかかわらず、バレンタインのチョコレート対決(私が勝手に対決しているだけですが、笑)をまだUPしていなかったので、この機会(どんな機会なん?)にご報告したいと思います。

さて、チョコレートを日本人で最初に食べたのは誰だと思われますか?勘の良い歴史好きな方なら、想像で何となく解ると思うのです。ヒントというわけでは有りませんが、コロンブスの航海が1502年ですから、コロンブスがカカオをヨーロッパに持ち帰ったとして、シルクロードから日本にチョコレートとして入って来るのは、戦国時代だろう!ならばやはり信長じゃないの、秀吉・水戸のご老公?なんて考えてれるのではありませんか、当たらずとも遠からずですね。

P2140012256987.jpg(SUSUMU KOYAMA’S CHOCOLOGY 2017)


一説に(一説ですよ)、初めてチョコレートを口にした日本人は「支倉常長」と言われています、1617年にメキシコ(当時はヌエバ・エスパーニャ)に渡った際に、ビスケット・パン・コーヒー・金平糖・キャラメルなどの菓子とともに、薬用としてのチョコレートを味わったのだとされています。

「支倉常長」ってと言われる方に、彼は安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将です。 桓武天皇を祖先とする血筋でありながらも伊達氏の家臣として活躍しました。慶長遣欧使節団(少年たちですね)を率いてヨーロッパまで渡航し、アジア人として唯一のローマ貴族となり、フランシスコ派カトリック教徒となりました。それではチョコレートの歴史も交えながら、「小山パテシィエ」との勝負の行方をご紹介いたしましょう。

それでは、『市郎右衛門』のショコラブログをお楽しみください。勿論、これも歴史なのですよ~(笑)
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【チョコレートの歴史】

チョコレートの歴史のお話は、カカオの利用およびチョコレート誕生に至るまでの歴史について述べます。チョコレートは発酵、焙煎、粉砕を経たカカオの実から作られます。アメリカ先住民族はカカオの粉末を磨り潰したものを入れた液体にバニラや唐辛子(唐辛子?それは無いでしょな組み合わせ)を混ぜて飲んでいました。ヨーロッパの人々はここから唐辛子を外し、砂糖や牛乳を入れて甘味を加えます。その後現在の棒状のチョコレートを作る方法を編み出しました。チョコレートを使用した菓子は多数あり、世界で最も人気で万人に知られた味の1つとなっているのは皆さんも勿論ご存知ですね。一方で原料のカカオの生産については、奴隷労働や児童労働が歴史的に繰り返されている事も有って、今なお深刻な問題となっています。

【飲むチョコレート、ココアじゃないの?】

紀元前2000年(4000年前ですね)ごろから、メソアメリカ(メキシコおよび中央アメリカ北西部とほぼ重複する地域、共通的な特徴をもった農耕民文化ないし様々な高度文明「マヤ・テオティワカン・アステカなど」が繁栄した文化領域の事です。)ではカカオが栽培されていました。15世紀までには、カカオは貨幣として流通するほど珍重されていたようです。アステカでは税あるいは貢ぎ物としても納められていましたし、当時のメソアメリカでは、カカオを粉にしてコーンミールや唐辛子、バニラなどの香辛料を入れ、ベニノキの種子で色を付け、水や湯に溶かしたものにイアフラワー(Cymbopetalum penduliflorum)などの花から作った調味料を加えたカカオ・ペーストを、主に嗜好品として、また薬用や強壮用としてチョコレートをミシュテカの王たちは飲用していました。16世紀まではカカオの実から作られた飲み物はヨーロッパに知られることはなかったのです。

【コロンブスによるカカオの紹介】

クリストファー・コロンブスが中央アメリカ島部に到達した後、スペインにカカオがもたらされた。コロンブスの息子によれば、最初にチョコレート(カカオの実)を見たヨーロッパ人はコロンブスで、1502年のコロンブス最後の航海時だったと記録しています。ただし、コロンブスがチョコレートを飲んだという記述はありません。

16世紀のスペイン人のイエズス会神父で、伝道のためペルー、後にはメキシコにて暮らしていたホセ・デ・アコスタは次のように書いています。「非常に不快な味のするかすや泡があり、体験したことがないほど気分が悪くなる。だが現地の者たちには大変尊ばれており、高貴な来訪者をもてなすのに用いられる。この国に慣れ親しんだスペイン人ならば男女を問わずこの飲み物に貪欲となる。彼らはそれを飲むことで暑さや寒さその他さまざまなものが和らぐと言い、唐辛子を大量に入れる。さらに胃腸に良くカタル予防になると肌にも貼り付ける。」お菓子というよりも薬だったようですね。

【日本での歴史】

一説に、初めてチョコレートを口にした日本人は「支倉常長」と書きました。しかし、日本におけるチョコレートに関する明確な記録は、18世紀の長崎の遊女がオランダ人から貰ったものを記したリスト『長崎寄合町議事書上控帳』に「しよこらあと」として登場するのが最初で、同時期に記された『長崎見聞禄』にも「しょくらあと」に関する記述があります。

1873年には岩倉使節団がフランス訪問中にチョコレート工場を見学し記録を残し、次のように書き残しています。「銀紙に包み、表に石版の彩画などを張りて其(それ)美を為す。極上品の菓子なり。此の菓子は人の血液に滋養を与え、精神を補う効あり」

日本初の国産チョコレートは、「風月堂」総本店の主、5代目大住喜右衛門が、当時の番頭である米津松蔵に横浜で技術を学ばせ、1878年に両国若松風月堂で発売したものです。新聞に掲載した日本初のチョコレートの広告には「貯古齢糖」の字が当てられています。 カカオ豆からの一貫生産は、1918年、森永製菓によって開始されました。こうしてチョコレートは高級品から庶民の菓子となり、1920年代から30年代にかけて日本人の間に急速に普及しています。当時のチョコレート菓子は、玉チョコ(いわゆるチョコボール)や棒チョコという形状が一般的でした。

第二次世界大戦の影響により、日本では1940年12月を最後にカカオ豆の輸入は止まり、あとは軍用の医薬品(常温では固体で人の体温で溶けるココアバターの性質から座薬や軟膏の基剤となる)や食料製造のために、指定業者にだけ軍ルートでカカオ豆が配給されるのみとなっています。

「日本チョコレート工業史」によると、1941年に日本チョコレート菓子工業組合と日本ココア豆加工組合からなる「ココア豆代用品研究会」により、ココアバターの代用品に醤油油(醤油の製造過程の副産物。丸大豆に含まれる油。よく誤解される様ですが醤油そのものではない)、大豆エチルエステル、椰子油、ヤブニッケイ油などの植物性油脂の硬化油、カカオマスの代用品に百合球根(ユリの鱗茎)、チューリップ球根、決明子(エビスグサの種子)、オクラ豆、脱脂大豆粉、脱脂落花生粉などを原料にした代用チョコレートが考案されています(やはり甘い物には目が無かったのですね)。ちなみに準日本的な甘味は柿(干し柿)だと思います。古代からあの甘みを越える物は存在していないと思いますね。

さて、話を近代に戻して、オランダ領東インドを占領した日本軍は、カカオ豆プランテーションや、ジャワ島の製菓工場を接収し、森永製菓や明治製菓にチョコレート製造を委嘱し、陸海軍に納入させました。また軍用に熱帯で溶けないチョコレートも開発された様です。

1945年に日本が第二次世界大戦で敗れると、アメリカの進駐軍を通じて大量のチョコレートが日本にもたらされます。当時の子供たち(焼け跡世代)が呪文のように米兵に投げかけた『ギブ・ミー・チョコレート』という語は、米軍占領時代の世相を表す語となっていますね~。『ギブ・ミー・チョコレート』の言葉が私たちの世代では敗戦の象徴ともいえる程です。

1946年には芥川製菓によってグルコースを原料にした代用チョコレート(グルチョコレート、グルチョコ)が製造されました。カカオマスの代用品となるグルコースに、少量のココアパウダーとチョコレート色素を加えた粗悪品でした。

戦後の日本では、安価なものから高価なものまでさまざまなチョコレート菓子が販売されるようになります。特に1960年にカカオ豆の輸入が自由化され、続いて1971年にはチョコレート製品の輸入が自由化されたことで、様々な種類のチョコレートが流通するようになりました。

現在では、日本のチョコレートは世界一美味しいと言っても過言ではないでしょう。さてそれではその世界一美味しい日本のチョコレートの中でも一番おいしい4粒のボンボンショコラ食べてみましょうか。(笑)

【今年のバレンタインチョコを食べてみよう!】

SUSUMU KOYAMA’S CHOCOLOGY 2017 ススム コヤマズ チョコロジー DISCOVERY~終わりなきカカオ探求の旅~です。(2018、じゃないの?と思われるかも知れませんが、今年のコンクールはまだ開催されておりませんのでm(__)m)。

フランスで最も権威のあるショコラ愛好会「クラブ・デ・クロクール・ドゥ・ショコラ(以下C.C.C)」による2017年品評会で、パティシエの小山進氏がアワードを獲得した際のショコラ4種が詰め合わされています。

P2140018.jpg(中身です)

つまり、世界一美味しいショコラ4粒と言っても過言ではありません。世界のカカオと個性ある素材の出会いに魅せられて。 小山進のクリエイションの結晶です。

SUSUMU KOYAMA’S CHOCOLOGY 2017 ススム コヤマズ チョコロジー 2017 1箱(4個入) ¥1,728

賞味期限 
30日(20℃以下)
箱サイズ:縦10× 横10× 高さ3.5cm
アレルギー特定原材料7品目:乳
特定原材料に準ずる20品目:大豆

DISCOVERY~終わりなきカカオ探求の旅~

【四種類のボンボンショコラ】

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(NO1とのNO2)

💛No.1 HARU~赤と緑が交差するとき(苺&ふきのとう)~

P3181040.jpg(No.1 HARU~赤と緑が交差するとき(苺&ふきのとう)~)

赤と緑のマリアージュ
一粒に春の息吹を感じて


2012年に「ふきのとう」をショコラにした時、表現したのは“苦味”でした。そして数年が経ち様々な素材と触れ合う中で2017年に表現したのは、土の中から今にも花が開きそうな姿をしている状態の時に宿している野生的で青々しい香りでした。その香りをかいだ時、ふと映像として浮かんだのは苺畑の側で芽吹いたふきのとうが広がる情景。 「きっと苺の華やかな香りや甘酸っぱさと合う」と、感じました。フレッシュなふきのとうは、その香りを活かすためミルクのやさしい味わいと華やかな香りを持つペルー産チャンチャマイヨ48%と合わせて下層に。上層の苺のガナッシュは、苺の可愛らしさや甘酸っぱさと非常に相性の良いニカラグア産カカオのショコラ・オレ(カカオ分50%)を合わせ、苺の甘酸っぱさと、ふきのとうの野性味を帯びた春のパワーが交差する瞬間が表現できました。 デコールもふきのとうの緑の味が漂う中に、トンっと苺がある、そんなイメージです。

★苺の甘酸っぱさは、すぐに感じられました。可愛らしいい華やかな香りが口の中に広がります。下層に配置されたふきのとうの春は少し時間をおいてから、ざらつく食感の中から正に春の土の中から顔を出したふきのとうのかすかな苦みが、春の息吹を楽しませてくれる一粒です。

💛No.2 神の木~クロモジ~

P3181044.jpg(No.2 神の木~クロモジ~)

自然の贈り物×日本の最先端技術
ペルー産カカオのポテンシャルが全てを引き出して


クロモジは、日本では高級な爪楊枝として和菓子を食べるときに使われてきた樹木。その高貴な香りには、ヒーリング作用や、抗菌作用もあり、一部の地域では儀式に必ず使用されるなど“神の木”とも呼ばれています。そんなクロモジの香りはシェフ小山も大好きで「いつかこの香りをショコラにしたい」と思っていました。それを実現したのがこのショコラ。今回使ったクロモジは「新月切り」と言って、引力が一番弱くなる新月の日の樹木の香りが最も濃くなるタイミングに伐採していただいたもの。そうして刈り取られた枝や葉を「真空常温乾燥」と「プラズマ乾燥」という二つの技法で乾燥させ、全てを生クリームにアンフュゼ。樹木のオイルまでも入れ込んで、ペルー産のチャンチャマイヨのショコラ・オレ(カカオ分48%)と合わせました。鼻へ近づけていただくと、口の中に入るまでの間に、クロモジのパワーを感じていただけます。神の木と呼ばれる樹木が持つ高貴な香りをご堪能ください。

★わが家では(但馬独特?柳を使うところが多いかもしれません。)クロモジは、お正月に餅花飾りとして、神棚に飾ります。人日の節句が終わると、しめ縄飾りと共に「どんど焼き(他の地方では「とんど」ですね)」で燃やされるのですが、神棚の餅は貴重なもので、枝から外して母が油で「揚げあられ」にしてくれました。強烈な香りがするので苦手だったのですが、ショコラは上品な香りに仕上がっていました。カカオとの相性が良いのかな?久しぶりにクロモジの味を楽しめました。

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(NO3とNO4)


💛No.3 YUZU~エスペレットピーマンの刺激と共に~

P3181052.jpg(No.3 YUZU~エスペレットピーマンの刺激と共に~)

素材を掘り下げた先に見えるもの
日本と世界の素材が生み出す絶妙なマリアージュ


柚子は、皮、果汁と様々な活かし方があり、加工品も数多ありますが、今回の発見は次元の違うアプローチ。柚子の皮の表面0.1ミリほどの薄い表皮のみを削ったという、金に輝く柚子のパウダーに出会ったことが誕生のキッカケでした。それは、これまでショコラに限らず柚子を様々なシーンで使用してきたシェフ小山にとって、「本物のフレッシュな柚子には到底及ばない」という悔しさを消し去るほどの衝撃。最高の柚子ゼストパウダーで柚子を最大限に表現し、そこへ強い刺激を合わせたくなって思いついたのが、数年前訪れたフレンチバスクで出会ったエスペレットピーマンとの組み合わせ。柚子の素晴らしい香りの中から、スパイシーなエスペレットピーマンの味が後からじわりとやってきてアーモンドプラリネのふくよかな味わいに優しく包まれます。クリアに柚子の特長が際立った素材のポテンシャルが生み出した新たな表現です。

★口に入れた瞬間に、強烈なゆずの味が口腔いっぱいに広がります。我が家でも柚子は作っているので、もいだばかりの柚子の香や味の強烈さは周知ですが、確かに負けていない強さがありました。更にフレンチバスク(フランスと接するスペイン地方のバスクの東北部で現在はフランス領)のバイヨンヌでとれる?エスペレットピーマンの辛みの相性がとても良いです。個性が個性を消してしまうかと思いましたが、お互いに主張しあって負けていません。柚子は味覚と香で、エスペレットピーマンは辛さで個性を主張しています。そして最後に、アーモンドプラリネの砂糖の焦げ味と香ばしいナッツの味が楽しい三重奏の美味しさです。柚子の味が跡を引くので最後に一粒の前に時間を置きました。

💛No.4 サンマルティン~終わりなきカカオ探求の旅~

P3181060.jpg(No.4 サンマルティン~終わりなきカカオ探求の旅~)

「テオブロマ」の名にふさわしく
カカオの可能性を強く感じる一粒


2016年に訪れたペルー・サンマルティン。ここで出会ったカカオを「使ってみたい」とシェフ小山が現地で申し出たところ、様々な人との繋がりによって、以前から「この地のカカオを手に入れたい」と思っていた小山の友人でもあるクーベルチュリエの手に渡り、クーベルチュールに仕立てられました。味わいは、クランベリーのような香りにやさしく広がるマンゴーやアプリコットのようなフルーティーな味わい。そして、ややナッティな分厚いカカオの余韻が、刺激の強いエスペレットピーマンの後でも、一口でガラリと口の中を違う物語にリセットします。「カカオが学名で『テオブロマ=神の食べ物』と名づけられた意味をつくづく感じた」というシェフ小山の、「今後もカカオ探求の旅はこれからもずっと続いていく」という思いが込められた、4種類の中でどんなショコラよりも力強いパワーを秘めたこのショコラ・ノワールが最後です。そして再びNo.1を味わったとき、新しい発見が待っていることでしょう。

★さて最後の一粒、「テオブロマ=神の食べ物」を楽しみます(笑)これはまさしく原点回帰です。これが本当のカカオなのかと思わせる。確かに刺激の強いエスペレットピーマンや柚子の香をものともしない力強さ、舌の上の味蕾全てに感じさせられるフルーティな酸味にカカオ余韻が本当にカカオの可能性のすばらしさを感じさせてくれる一粒。素晴しいの言葉以外は必要ないショコラです。

以上が今年の「SUSUMU KOYAMA’S CHOCOLOGY 2017」です。一応、グルメを自称している私は、この小山さんのショコラを食べる時は、ある意味「戦」だと思って食べているのです。説明通りの味覚を、私の舌が感じることが出来るのかどうか?いつもドキドキしながらいただいています。食べる側の人間の味覚も試されているような、そんな気持ちがいつもするショコラなのです。

【最後に一言】

フルコースを食べた後のような満足感!『そして再びNo.1を味わったとき、新しい発見が待っていることでしょう。』の小山パティシエの一言は何を物語るものなのか?また新しい春を見つける旅路への出発なのか?それとも原点に回帰する過去への旅路なのか?小山パティシエとの勝負はあえて引き分けにしたいと思います。もちろん再戦するためにね。

もう一言だけ、言わせていただきますよ~食べなきゃ後悔しますからね~~!

歴史って本当に面白いですね。今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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リュミエールブラン ネージュ

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