2018/03/03

「上巳の節句」=『桃の節句』=わが家のお雛祭りをご紹介!

七草粥の時に節句についてはお話いたしました。今日は3月3日「上巳の節句」「桃の節句」!お雛様ですね、実は今日から高校の同級生と香川に遊びに行く予定なのでジャスト24時を過ぎてUPしました。今日・明日は書けそうにないので苦肉の策です。

娘が二人(まん中に長男の三人兄弟です.。)いるのですが、ひな祭りを祝った事は余りありませんでした(娘達!ゴメンね)。長女の最初の雛祭りに妻の両親から大きなお雛様を頂きました。但馬の実家に置いていまして、毎年父(母が亡くなる前は二人で)が飾ってくれてます。凄く大きいので、残念ながら、神戸の家には飾るところが無いのです。でかくて高いので、八畳を占拠してしまいます。

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(かわいいですね~次女のお雛様です。)

次女が産まれて、実家の物は娘二人の物だよと納得させようとしましたが、やはり子供の事、「私のやで~」と長女をが権利を主張するので、亡くなった母が次女を気遣って、可愛らしい、神戸でも飾る事が出来る、コンパクトなお雛様をプレゼントしてくれました。中々セットする機会が無かったのですが、ブログも始めたので、紹介したいと思います。

それでは、『市郎右衛門』の日本史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
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【お内裏様は右?左?】

ところで、お内裏様とお雛様の位置関係が、京都(京都でも一部だけかも?)と関東地方(京都以外の全て?)で違うのをご存じでしょうか。普段見慣れているお雛様は、お内裏様は向かって左側に並べられている場合が多いと思います。これは、関東(京都以外)でのお雛様の並べ方なんです。一般的なお雛様は向かって左側がお内裏様(男雛)で、右側がお雛様(女雛)ですね。

京都は公家の装いで飾るといわれています。京都ではお内裏様(男雛)が向かって右側に並べられます。理由については諸説がありまが、ちょっとややこしく成るので、よく考えて下さいね。解りやすく説明出来ないかもしれません。
御所における天子の玉座の位置は左ですから(天皇陛下に成ったつもりで考えて下さい)。つまり、天子様の左側には誰もい無い事に成ります。

日本古来の左は右よりも格が高い「左上座」という考えに倣っています。「左上座」とはお雛様側に立ってみて左であり、お雛様に向かってみると右になります。ですから「右大臣」より「左大臣」の方が地位は上に成ります。ちなみに相撲では東が上位ですよね~、あれは明治に成って東京に明治天皇が移られたので立場が変化しています。

「天子は南面し、臣下は北面す」とあるように天皇は南を向いているので、東は左、右は西に成ります。京都御所から見て東が左京区、西が右京区なのも(地図を北を上に見ると左右が逆転しています)内裏目線なんですね。御所の左近の桜・右近の橘も同じですね。見に行くと(一昨年から毎日見学できるように成っています。)右側が左近の桜です。

ここで重要なのは、日が昇る東が上座にあたるということで、天照信仰とも関連しているかもしれません。左大臣・右大臣が、天子の前に座っている場合、左大臣が東側で上位に当たります(左大臣から見ると下位の右大臣が左側に居ることに成り、左上座のルールが崩れた様に思えますが、この場合も天子を中心に考えて、西側に座って居るから右大臣が下位と考えれば良いでしょう)。

日本古来の「左上座」の考え方があるのなら、関東(京都以外)のお内裏様はなぜ向かって左に並べられているのでしょうか?江戸は武家の装いで飾る。武家社会中心の関東では「右上位」という考え方があり、身分や等級によって座る順番が決められていました。そのため関東地方のお雛様の配置もそちらに習って決められました。

大正天皇が、御即位式で皇后陛下の右に立たれた事は、文明開化以降に西洋文化が日本に入ってきて、西洋スタイルの即位に倣ったと思われます。大正天皇以降の天皇御即位式の配置が、お雛様の並び方に影響を与えた事は確かなようですが、それを決定付けたのは、昭和天皇の御即位式時、陛下が御立ちになる、高御座の位置が右側だった事が基準とされたようです。この時始めて新聞紙上に天皇と皇后の写真が載りました。その際にお二人がお写りになった位置をもって、関東の雛人形では右(お雛様側からの右です)がお内裏様(男雛)、左がお雛様(女雛)と決めた様です(写真で見ると昭和天皇が左側に香淳皇后が右側ですね)。

【 雛祭りの歴史】

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(桃は398円でしたが、一輪挿しは~備前焼「伊勢崎 晃一朗」さん「伊勢崎 淳」人間国宝の息子さんの作です。初めて使った~(;^_^A)

さて雛祭りは、もともと古代中国からわが国に七世紀頃に伝わり、平安時代にはお祝いとして宮廷行事となり、定着しました。 今年は昨年に引き続き雛祭りの原型ともいえる『流し雛』について少しお話させて頂きたいと思います。『流し雛(ながしびな)』は雛祭りのもとになったといわれる行事とも言われています(「雛流し」ともいわれます)。祓い人形と同様に身の穢れを水に流して清める意味の民俗行事として、現在も各地で行われています。今回写真で御紹介するのは鳥取県倉吉市の「流し雛」です。

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(鳥取県倉吉市の流し雛!鳥取市の物とはまた違った風情がありますね~。)
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(綺麗で穏やかですが、建物は地震で被害が有ったとも聞きました。残念な出来事です。)

この流し雛の起源は、『源氏物語』の須磨の巻に出てくるほどに古い歴史を持っています。光源氏がお祓いをした人形(形代)を船に乗せ、須磨の海に流したという記述があります。

三月節句に川や海へ流し送る雛人形、鳥取市周辺では竹骨に貼った小型の一対の紙人形を、三月節句(雛祭)に飾り祭ったうえ、3日の夕方供物の苞(つと)ともども、桟俵にのせて川へ流すのだそうです。現在は郷土玩具として流布もしますが、罪穢を移して流す「祓」の形代(かたしろ)の古意をとどめるもので岐阜県などでは粗製の土人形を流し送る風習が残っているようです。

また関東・中部の各地には、三月節句に子供たちが野外に雛人形を据えて祭り、名残を惜しみつつ「雛送り」をする風習がかなりみられる様です。さらには、古びた雛人形を神社や辻に送り納める習俗も広くみられ、「流し雛」とのつながりを示していると思われます。出雲「佐太神社」の「祓」形代(かたしろ)を紹介しましょう。此がお雛様の最も原形かも知れませんね。

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(佐太神社の水無月大祓の形代です。これがひな人形の原型「原点」だと考えます。)

江戸時代以来、雛人形が美術工芸品と化して保存愛玩されるようになると、「祓の人形」としての古意は失われますが、なお一部には古い「流し雛」の風習が残りました。「上巳(陰暦三月三日の桃の節句。)の祓」と習合した三月節句の原義は、むしろこうした「流し雛」の風習によくその跡をとどめているように思います。

その後、流し雛からさまざまな雛人形の形が生まれます。 そして、江戸時代のはじめに、雛祭りと呼ばれるようになり現在の雛人形の形ができあがります。その形に至る過程は、女性自身と子供の幸せを祈る気持ちの積み重ねによるものであることが、十五人の人形や付随する道具の多くのいわれの中からうかがわれます。

『うんちく①』雛人形の道具の中には、一対の貝桶が付いています(家の大きいお雛様にはついてると思ったけど、ついてませんでした(;^_^A)。
貝桶とは、現在のカルタと同じような遊び方をする、平安時代の遊具を入れる器で、中には蛤の貝が百八十づつ入っています。
そして、その貝の裏側には、絵が描かれ、同じ絵を合わせて遊んだり、また、歌貝とも言われ、和歌の上歌と下歌を会わせて遊ばれました。蛤は、他の蛤のフタとは絶対に合わないので、女の子が大きくなって婚姻したら蛤のように、一生夫と心を合わせて仲良く暮らしたいという気持ちを蛤に託したのでしょう。今日、貝合わせの遊びはなくなりましたが、雛祭りの料理としてちらし寿司に蛤のお吸い物は、付き物になっています。

因みに、今日私もブログ用にセットだけします~!(料理は大好きなのですが!)。蛤のお吸い物は昨年、蛤の身を柔らかなままに作るコツを長女に伝授したので、長女がチャレンジしました。ちらし寿司は、時間が無かったので購入しました。昨年はインスタントですが、お寿司も作り雛あられもありました。今年は手抜きですね。(;^_^A

P3020177.jpg(蛤のおすましに菜の花を添えて、ちらし寿司にと小鉢、器の説明したいけど見えないからな~笑、残念!)
P3030021 (2)(分かりました~ものグラム師匠のおかげで、写真の技術が上がっていますね、うんうん。)


『うんちく②』雛人形のお飾りとして、また食べ物として欠かせないものに、菱餅があります(今日は菱餅は買わなかった、笑)。菱餅の形は、水草のひしの実からきています(ひしの実が菱形なんです。)。昔は、ひしの実は、万病に効く薬草として重宝されました。

また、菱餅の色は、下から白、緑、赤の順番になっていますね、これは雪が降り、芽が出て花が咲く、といった春の草木の成長を表しているようです。子供が、健やかに成長し、立派に育ってほしいといった親の願いが込められているのですね(#^.^#)。

『うんちく③』
同じく、雛人形の飾りとして欠かせないものとして桃の花があります(桃の節句(*`・ω・)ゞだからね)。古くから中国では桃は単なる果物ではなく、桃源郷の不老不死の「仙果」として考えられていました。『西遊記』の中で、仕事もなくぶらぶらしていた孫悟空は天界の桃園・蟠桃園の管理をまかされます。

その桃園には、3,600本の桃の木があり、それを食べると不老不死が約束されるとされていました。この桃を、西王母(中国で古くから信仰されている仙女)の誕生日を祝う会・蟠桃会で食べる慣わしとなっていましたが、孫悟空が盗み食いをしてしまい、蟠桃会を台無しにしてしまったばかりか、不老不死の力も手に入れてしまうのは有名なお話です。西王母の誕生日が3月3日、つまり桃の節句です。

また、桃の花は、悪魔を祓うと言われてきました。古事記の神話で「黄泉の国」から逃げ帰る伊邪那岐は、その場にあった桃の木から実をもぎ取ってを投げつけることで黄泉の醜女を追い払っており、ここらにも中国文化の影響が出ているのかもしれません。ちなみに出雲安来の「黄泉比良坂」には今でも山桃の木が植えてあります。

そうしたことから、お雛さまの横には、桃の花を花瓶に生けたり、前飾りとして三宝を置き、その上の徳利に、桃の花をさして飾っているのです。そして、旧暦三月三日頃には、桃の花が咲くことから三月三日は、桃の節句とも言われています。

『うんちく④』
そして、現代になって雛人形の飾りとして、最も象徴的な存在が、雪洞(ぼんぼり)!これは、雛祭りの歌によるものが大きいと考えられます。「あかりをつけましょぼんぼりに…」から始まるこの歌はあまりにも有名です。雪洞に照らされたお雛さまのはんなりした雰囲気は、家庭の中にやすらぎと家族の絆を強く感じさせてくれます。この雪洞に照らされた雛人形の姿は、日本人が世界に誇る人形文化の傑作といえます。 

【歴史ブログなのでこんなお話】

兵庫県たつの市御津町室津地区では、ひな祭りを旧暦8月1日に行っていました。『室津追考記』によると、永禄9年1月11日(1566年2月1日)、室山城主・浦上政宗の次男・清宗と小寺職隆の娘との間で挙げた祝言(結婚式)の夜に、かねてより対立関係にあった龍野城主・赤松政秀の急襲を受けて政宗は清宗もろとも戦死し、花嫁も亡くなり、室山城は落城します。室津の人々はこの出来事を悼み、非業の死を遂げた花嫁の鎮魂のために、3月3日ではなく、半年遅れの八朔に雛祭りを延期したとされています。戦後、この風習は長く途絶えていたが、近年、町おこしの一環の「八朔のひな祭り」として復活したそうです。

たぶん?大河ドラマ「軍師 官兵衛」の影響?小寺職隆(「小寺」黒田官兵衛の父で配役は柴田恭兵さんでした)が養女にした娘の結婚式が襲われるシーンでしたね。岡田准一さん演じる黒田官兵衛の初恋の相手でしたか?

【デカいですね~トリを飾るのは長女が自分用と主張するモネ雛】

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(最後に登場、長女のお雛様!デカいですね~貝桶はやはり無いですね。このブログは時間かかりました~半日有給、爆笑)


元は中国の影響かも知れませんが、現在は完全に日本のひな祭りに成っています。こんな素敵な文化を子供たちに受け継いで行ければ、日本の国は1000年は大丈夫だと考える市郎右衛門です。

歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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