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2018/02/11

吉備に突然巨大古墳が造られた謎!全国10位『作山古墳』

前回楯築墳丘墓をご紹介しました。私的には楯築墳丘墓は古墳と呼んでも差し支え無いと考えますが、教科書通り(本当に教科書の区分分けははっきりしています、笑)墳丘墓を使用させて頂きました。吉備は古代の国の中でも、後に中央と呼ばれることに成る大和(奈良)、出雲と共に中央集権国家の成立に、欠かせない存在だったと考えます。

勿論!「いやいや、九州を忘れるな!四国はどうした?近江や丹波・丹後も」と仰られる方々の意見を否定などするつもりは有りませんが、私がフィールドワークで現地に立った印象では、今のところ大和・出雲・吉備は飛び抜けていると思います。特に九州の皆さまには、私が神戸在住と言うことで、苦々しい思いをされていることも先にお詫びさせて頂きます。

P7290430.jpg(後円部左寄りの作山古墳の姿です。)

さて今日は、5世紀に大和以外でこれ程の巨大な古墳を造る勢力が、吉備に存在したという証明も込めて、作山古墳をご紹介致します。

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【全国10位は伊達じゃない「作山古墳」概要】



P7290435.jpg(それでは前方部左側の尾根を登ります。駐車場もありますよ。)
P7290432.jpg
(駐車場に在ったハイキングコースかな?)

作山古墳(つくりやまこふん、三須作山古墳)は、岡山県総社市三須(みす)にある古墳です。形状は勿論、前方後円墳ですね、その規模や時代その他要因により、当然国の史跡に指定されています。

別名:三須作山古墳
所在地:岡山県総社市三須
形状:前方後円墳
規模墳丘長:282m(全国10位)
高さ:24m(後円部)
築造年代:5世紀中頃(古墳時代中期)
埋葬施設:不明
出土品:円筒埴輪・朝顔形埴輪
指定文化財:国の史跡「作山古墳 第一古墳」特記事項全国第10位・岡山県第2位(まだ一位が在るってのが凄いねぇ)の規模

岡山県南部の独立低丘陵を加工して築造された巨大前方後円墳です。東方の造山古墳(岡山市北区新庄下)も「つくりやまこふん」であるため、作山は「さくざん」、造山は「ぞうざん」と呼び分けられています(当初取材時は造山古墳のWki航空写真が作山古墳だったと思います)。これまでに本格的な発掘調査は実施されていません。

岡山一位の造山古墳も未盗掘で調査されていません。歴史(考古学)ファンとしては当然調査してほしい訳ですが、高松塚古墳やキトラ古墳が石室内の調査後にどうなったかを考えると、開けてしまえば良いとは行かないのですよね。より良い保存方法が見つかる迄、待つしか無さそうです。因みに岡山の古墳は宮内庁の管理では無いので、期待しても良いかも知れませんが、私が生きている間には無理かも知れませんね~f(^_^;

さて作山古墳の墳形は前方後円形で、前方部を南西方に向けています。墳丘は3段築成です。墳丘長は282メートルを測りますが、これは岡山県では造山古墳(350メートル、全国第4位/岡山県第1位)に次ぐ第2位になります。墳丘表面では角礫の葺石、埴輪列が認められます。また墳丘北側には造出を有するほか、前方部前面には未削平の残丘があります(途中で中断されたのでしょうかね?)。墳丘周囲に周濠は認められていません。主体部の埋葬施設は明らかでは有りませんが、盗掘坑が認められないことから、墳丘内部での現存が推測されています。

【古墳の見どころの基本】

P7290439.jpg(周濠に見えますがテラスが在るということで、テラス部分の耕作地かもしれません。)
P7290441.jpg(前方部縦側一段目段築)
P7290443.jpg(前方部正面側一段目段築)
P7290446.jpg(前方部縦側二段目段築)
P7290448.jpg(前方部正面側二段目段築)

以前古墳の見どころについてお話しました。勿論時代によっても違うのですが、『段築』 『周濠』 『葺石』 『埴輪』の四点に注目してください。作山古墳に無いのは『周濠』ですが、これは独立低丘陵を加工して築造された事によるものかもしれません。『周濠』は平坦地域で古墳を作るのに土を運ぶ必要があるときに掘られたものです。造山古墳も山の先端を利用したために、『周濠』は見られません。

P2220001.jpg(神戸五色塚古墳、復元すると全て明らか『段築』 『周濠(水は無いですが)』 『葺石』 『埴輪』)
P7290478.jpg(どう見ても周濠に見えるのですがね~笑)

古墳時代の日本の大型墳墓は、墳丘の斜面などにびっしりと『葺石』が施され、遠目には石塚のように見えました。平坦なテラス部分『段築』には『円筒埴輪』をならべ、さらに墳丘周囲には『周濠』をめぐらせて、その外側には数基より成る陪塚をともなうなど、色彩豊かで華麗な装いをみせています。規模や形状のみならず、当時は側面からしか古墳を見られない人びとに対して、葺石によって白く輝く構築物としての陵墓の色彩的イメージは、他の構築物とのあいだに大きな格差を感じさせるに充分であったと考えられます。このような意味からも、古墳は単なる墓ではなくて政治の柱として機能したのでした。

P7290454.jpg(前方部最高地点から後円部を望み下っていきます。)
P7290458.jpg(後円部に向かって進んでいきます。畿内の物は前方部が平坦の物が多いです。)

【作山古墳の立ち位置】

P7290460.jpg(美しい物に出会うとつい撮影してしまいます。見事な松茸(-"-;A ...アセアセ)
P7290462.jpg
(後円部の頂きです。)
 
つまり、この作山古墳は、古墳時代中期の5世紀中頃の築造と推定されます。作山古墳の南側には近世の旧山陽道が通りますが、作山古墳・造山古墳や両宮山古墳(赤磐市穂崎「備前国分寺側」)がいずれも旧山陽道沿いに位置することから、5世紀にはすでに旧山陽道に先行する道があり、その道を通る人々に対して権力を誇示する意図があったと推測されます。

一帯の首長墓系譜としては、推定首長墓系譜(古墳名・墳丘長・時期)造山古墳・350m・5c前半、作山古墳・282m・5c中頃、小造山古墳・142m・5c後半(岡山市北区新庄上・総社市下林)、の順に作られたと考えられます。順に墳丘規模が縮小する様相を示し、作山古墳自体も未削平の残丘などの点で端正さを欠いています。なお、吉備地方では前期古墳の営造地に中期古墳はほぼ築造されず、前期古墳の存在しない地にこれら中期古墳が突如営造される点が注目されます。

古墳域は、1921年(大正10年)に残丘部分を「第一古墳」とする「作山古墳 第一古墳」の名称で国の史跡に指定されています。現在では毎年12月に下草刈りが行われるそうです。かなりの木々が大きく成長しているため、巨木?を残して下草刈りを行っています。

【作山古墳あれこれ】

P7290463.jpg
(航空写真、後円部のテラスと左上に独立丘陵の一部が未削残存が分かります。)
P7290472.jpg(中央下の造山古墳と比べると後円部がいびつです。)
P7290470.jpg(さらにナガレ山古墳と比べると歴然、これが勢力の違いですかね~?)

墳丘長に関して、かつては航空測量図を基に約286メートルという値が知られたが、1997-2014年度(平成9-26年度)の測量結果では282メートルの値に修正されました。墳丘は北側で良好に遺存するが、南側では民家・道路の建設により裾部で大きく改変を受けています。また作山古墳の墳丘には、独特な築造企画として次の幾つかの点が挙げられます。まず、前方部前面などに、元の独立丘陵の一部が未削平のまま残存しています。前方部前端に台形突出部の存在があります(あまり聞いたことが無いです)。前方部前面の堀切(空堀の一種)が水平でなく高低差(約2メートル)が存在します。後円部が正円形でなく楕円形(墳丘を大きく見せるため?)。後円部周囲に「作山段」と呼ばれる段の存在(段築では無いようです)。

造出については、墳丘北側で認められるほか、南側にも存在可能性が指摘されます。造山古墳の造出がくびれ部付近にあるのに対し、作山古墳の造出はくびれ部から前方部寄りに位置し、後出的な様相になります。また、この北造出のさらに前方部寄りには、規模の小さい造出状の張出し部も認められています(色々と試してみた感じがありますね~プロトタイプ?)。

周濠の有無は明らかでない。周堤状の地形が見られることから周濠が存在したとする説もありますが、これについても墳丘テラス内側部分の耕作での削平によるもの(残存テラス部)という見解が示されています。なお吉備地方では、造山古墳も非常に浅い周濠(または周濠なし)と見られ、畿内地方のような深い周濠を有する大型古墳は『両宮山古墳』のみになります。

【出土品】

作山古墳からの出土品のほとんどは、円筒埴輪・朝顔形埴輪です。これらの埴輪列が墳丘各段の平坦面に巡らされたと見られています。総数は5,000本にも及ぶと推計されています。円筒埴輪・朝顔形埴輪のほとんどは窖窯焼成(登り窯は古墳時代中期より朝鮮半島より須恵器が伝来したことに伴って伝来しています。)と見られ、形状は多様です。製作時期にも時間幅があると見られますが、概ね5世紀第2四半世紀に始まり中頃に完成したと推定されています。そのほかには形象埴輪として、わずかに武人埴輪の肩鐙片1点、蓋形埴輪片数点、器種不明埴輪片のみが検出されています(未削平の残丘と共に形象埴輪の破片だけというのも何かありそうです)。

【陪塚】

陪塚(ばいちょう)とは日本の古墳時代に築造された古墳の様式です。 大型の古墳とともに古墳群をなす小型の古墳であり、なおかつ大型の古墳と同一の時代に、その周囲に計画的に築造されたとみなされるものを指します。中心となる大型の古墳に埋葬された首長の親族、臣下を埋葬するもののほか、大型の古墳の埋葬者のための副葬品を埋納するために築造されたものもあると考えられています。

作山古墳の陪塚(陪冢)の存在は明らかに成っていません。かつては、くびれ部南側にある小丘陵が陪塚と見られ「作山第1古墳」と称されていましたが、実際には前方部前面のものと同様に、未削平の残丘の1つと見られます。なお、作山古墳北側の丘陵尾根上には前方後円墳の野宮古墳の存在が知られるが、作山古墳との関係は明らかではありません。

【最後に一言】

吉備に大きな勢力を有した、首長の存在が有った事は事実なようです。しかしながらその勢力が急な拡大と衰退を経験したことは間違いないと思います。その原因が何だったのかは今後の研究の課題かもしれませんね。ここら辺にも吉備津彦命や倭迹迹日百襲姫命辺り絡んでいるかもしれませんね~?(時代は無視ですが、笑)

歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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