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2017/12/30

鶴の恩返しならぬ「亀の恩返し」?西国三十三所第22番札所『総持寺』

皆さん今年の年末風邪には、お気を付けください。この一週間下痢から始まり、頭痛、鼻水、くしゃみの後に、喉の痛みに、咳と続き、最後が高熱38.2℃、インフルエンザかと思いましたが一日で下がって、ようやく今日まともに動けるようになりました。

家族は本日半日だけ有った私の仕事に都合で、先に妻の実家に帰省しましたが、義弟妹の子どもたちはまだ小さいので、仕事終わりに妻の実家の餅つきに参加するつもりでしたが、中止して明日直接実家に帰省する事にしました。

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(西国三十三所第22番札所『総持寺』の名石も亀に乗っています。)

「須恵器(馬肉会)」以来ブログを更新できる状態ではなく、皆さん何しとるん?と思われたかもしれませんが、風邪ひきで寝込んでいたのでした。

今日は今年最後となる、歴史ブログをありがたい亀のお話で皆さんの長寿を願おうと考え、西国三十三所第22番札所『総持寺』をご紹介します。

それでは、『市郎右衛門』の日本史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
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【総持寺はどんなお寺なの】

CIMG8744.jpg(山門中々立派ですね。)
CIMG8747.jpg(大師堂)
CIMG8751.jpg(お庭も綺麗です。もちろん亀がいっぱいです。正面は薬師堂です。)
CIMG8752.jpg(不動明王を祀る不動!堂そのまんまやん)

総持寺(そうじじ)は、大阪府茨木市にある高野山真言宗の寺院です。山号は補陀洛山 (ふだらくさん)。西国三十三所第22番札所で本尊は千手観音です。

観音様の台座といえば、美しい蓮華座が定番。とはいえ仏像界を見わたせば、邪気を踏み付ける四天王、像や獅子に乗る菩薩さまと個性的な仏像もたくさんある中で、総持寺の御本尊「千手観音菩薩像」稀有な存在感を示しています。本堂に祀られた御本尊(秘仏なためつうじょうはお前たち)で注目すべきは足元です。神獣の一つとされる亀が観音様を凛々しく支えています。この組み合わせは寺の縁起に由来するものなので歴史をご紹介しましょう。

【総持寺の歴史】

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(本尊御影200円、お金の問題じゃないですよ、(;^_^A)
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(御前立、御本尊のレプリカに成るのかな?総持寺のご本尊は像高75.4cm、亀に乗った「千手千眼観世音菩薩」です。秘仏となっていますが、毎年4月15日~21日のみ開扉されているそうです。)

総持寺の草創説話は、助けた亀の恩返しと観音の霊験に関するもので、寺所蔵の縁起絵巻のほか、『今昔物語集』などにも納められたエピソードです。それによると、開基藤原山蔭の父・藤原高房は、漁師たちが大亀を捕らえているのを見、「今日18日は観音様の縁日だから」と言って、亀を買い取って逃がしてやりました。

その日の夜、高房の子・山蔭は、継母の計略で船から川に落とされてしいます(今昔物語を馬鹿にするつもりはありませんがストーリーが安直過ぎませんかね?笑)。父の高房はこれを悲しみ、観音様に祈ったところ、高房が助けた亀が、山蔭を甲羅に乗せて現れたと言います。それを感謝した高房は、観音像の造立を決意しましたが、それからすぐに高房は亡くなってしまいました。

息子の山陰が遺志を継ぎ、仏師を探すため、長谷寺へ籠もり祈願すると。ある朝、観音様のお告げで童子姿の仏師に仏像の作成を依頼すると、「仏様を彫刻する千日の間は誰もこの仏舎に入らぬ事。また、山蔭卿自身で私の食事を作ること」を申し付けられました。

そして千日目の朝、童子(長谷観音の化身)は空に飛び立っていきました。驚いて中に入ってみると、亀の背に千手観音像が立っており、その前には千日間の食事をお供えしてあったそうです。つまりは長谷観音が願を聞いてお造りになったということですかね?伝説はさておき、藤原山蔭が報恩のため観音像を造立し祀ったのが当寺の起源だといわれています。

寺伝では元慶3年(879年)頃、藤原山蔭が創建し、山蔭の三回忌の寛平2年(890年)に伽藍が完成したとされます。

【藤原山蔭ってどんな人】

藤原 山蔭(ふじわら の やまかげ)は、平安時代前期の公卿。越前守・藤原高房の三男。

うんちく『公卿(くぎょう)』って何、公家の中でも日本の律令の規定に基づく太政官の最高幹部として国政を担う職位の事です、すなわち太政大臣・左大臣・右大臣・大納言・中納言・参議ら(もしくは従三位以上「非参議」)の高官(総称して議政官という)を差す用語です。参議は従三位以下でも任命されます。山蔭は従四位上で参議となっています。

仁寿4年(854年)の左馬大允を振り出しに衛門少尉を務めた後、天安2年(858年)3月に皇太子・惟仁親王の春宮大進に任ぜられ、同年11月の惟仁親王の即位(清和天皇)に伴い従五位下に叙せられます。

清和朝では天皇の側近として蔵人・近衛少将を務める傍ら、備後権介・伊予介・美濃守と地方官を兼ねる。貞観6年(864年)従五位上に叙せられてから10年近く昇進の機会がなかったが、貞観14年(872年)の太政大臣・藤原良房の没後に俄に昇進し、貞観15年(873年)正五位下、貞観17年(875年)従四位下・蔵人頭兼右近衛権中将に叙任されます。

昇進問題は私的にも縁が無いのでどうでもよいのですが、山蔭は「やめたいやめたい」と言い続けながら昇進していくのが面白いのでちょっとご紹介します。

貞観18年(876年)12月に陽成天皇が即位すると、清和上皇に仕えるために近衛中将の辞任を重ねて奏上し、翌貞観19年(877年)正月に一旦中将の辞任を許されます。しかし早くも翌月には右大弁に任ぜられたため山蔭は再度辞任を上奏するが、陽成天皇の強い慰留を受けて、太上天皇宮別当を兼帯しながら右大弁を務めることになっています。

元慶3年(879年)正月に従四位上に叙せられるが、同年5月の清和上皇の出家に前後して山蔭はまたも致仕(官職を辞して隠居すること。)の上奏を重ねて行うも許されず、逆に10月には参議に叙任され公卿に列しています。元慶4年(880年)清和上皇が崩御されますが、山蔭は出仕を続けて元慶5年(881年)左大弁、元慶6年(882年)正四位下に叙任されています。

光孝朝の仁和2年(886年)従三位・中納言に至る。仁和4年(888年)2月4日に薨去。享年65。最終官位は中納言従三位兼行民部卿。どうですか?分かりにくいと思うので、最初の「左馬大允」が名前の通り御所の馬屋番の課長クラスだと思います。最後の従三位・中納言は正に水戸黄門様ですね。豊臣秀吉程ではないですが、大岡越前よりは断然凄い出世ですね(余計分かりにくくなりましたかね)。

四条流庖丁式の創始者としても知られています。これまで磐鹿六雁命の末裔高橋氏が庖丁式を執り行っていましたが、光孝天皇の命により今までとは別の新たな庖丁式(料理)を編み出した。料理というよりは、平安時代より伝わる、庖丁師により執り行われる儀式の事です。(こちらも寺の伝承と重なる処がありますね。)

烏帽子・直垂、あるいは狩衣を身にまとい、大まな板の前に座り、食材に直接手を触れず、右手に庖丁、左手にまな箸を持ち食材を切り分け、並べる儀式のことを庖丁式といいます。時々TVでも見たことが有ります。総持寺には山陰が料理の名人であったことに因む「山陰流包丁式」や包丁塚があり、料理人の崇敬を受けている事でも有名です。

CIMG8753.jpg(包丁塚)


【続・総持寺の歴史】

CIMG8755.jpg(開山堂)
CIMG8745.jpg(慶長8年再建の本堂)

総持寺縁起には、元亀2年(1571)織田信長の兵火により焼失と記されています。この兵火は正確には、元亀2年(1571)8月の白井河原合戦で和田惟政を破った荒木村重ら池田衆の茨木・高槻への攻撃・放火などによるものだとみられます。ルイスフロイスの「日本史」では荒木村重をはじめとする池田衆らが高槻を放火したとあり、総持寺もこの時の戦火を受けたものだと思われます。

「信長公記」にみえる織田方の拠点「惣持寺砦」のあった場所との記載もあり、白井河原合戦の戦火に見舞われた際、本尊の観音は上半身が焼けずに金色に輝いていたことから「火除け観音」として、信仰を集めたとも言われます。再建は慶長8年(1603)、豊臣秀頼の名のもと諸社寺修造が行われた際、片桐且元が奉行となり、総持寺も再建されました。

【今年最後の一言】

山陰は藤原北家(藤原鎌足・不比等・義満などに連なる名門)仙台伊達宗家初代当主・伊達朝宗、仙台藩祖17代達政宗は子孫にあたるらしいです。開基が藤原山陰ということで、明日山陰但馬に帰省するにふさわしい落ちが着きました。

伊達宗家初代当主伊達朝宗、第3代義広の代に分家。鎌倉時代に但馬国の地頭職に補任され土着しています。但馬で伊達さんってあんまり知らないし?同級生にも居なかったけど、結構凄い血脈ですね~中臣 鎌足ですよ、大化の改新(乙巳の変)の、だから歴史は面白いのですよね~皆さん良いお年をお迎えくださいね。それでは来年もよろしくお願いいたします。

歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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