2017/11/08

驚愕のパワースポット!祠はおろか鳥居すらない?『立石神社』

古代の祈りは究極のパワースポットなのか?観光客は勿論、多分一部のマニアだけが訪れていると思われる。『立石(たていわ)神社』をご紹介します。

あれ俺ってマニアだったのか~?、ただの歴史好きだったはずなのに、このまま行くと歴史ブログの枠から外れて行きそうで怖くなって来ました。(笑)

PB020351.jpg(先に大きさイメージしてもらわないと、フレームに入らないので、笑)

島根半島の中央部、出雲市小伊津町という山陰の岸壁に張り付いた町のすぐ近くです、日本海の荒波を背に受けて、お詣りしてきました。

阿遅須枳高日子(アヂスキタカヒコネ・出雲国風土記表記)の息子である『多伎都比古』を祀る神社です。

それでは、『市郎右衛門』の日本史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
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CIMG2254.jpg(失礼ですが、山肌にへばりつくような小伊津町、山陰の厳しい自然を感じさせます。)
CIMG2251.jpg(これが立石神社でもいいんじゃないか?)


PB020314.jpg(今日は下り~笑楽勝~?帰りは登りやんか~(;^_^A アセアセ・・・)


【まず、アヂスキタカヒコネて誰?】

アヂスキタカヒコネ(アヂシキタカヒコネとも)は、日本神話に登場する神で、『立石神社』に祀られる『多伎都比古』の父親に成ります。 『古事記』では阿遅鉏高日子根神、阿遅志貴高日子根神、阿治志貴高日子根神、『出雲国風土記』では阿遅須枳高日子と表記されています。また、阿遅鋤高日子根神、味耜高彦根命とも表記されることもあるようです。別名もあり「迦毛大御神(かものおおみかみ)」といわれます。

ビックネーム、「大国主神」と宗像三女神(誓約によって生まれた須佐之男の娘)「多紀理毘売命(古事記)」(宗像大社では「田心姫神」)として、沖ノ島にある沖津宮に祀られている今注目の女神を両親に持ちます。同母の妹に高比売命(シタテルヒメ)がいます。

農業の神、雷の神、不動産業の神として信仰されており、別名は賀茂社の神の意味である。阿遅須枳高日子神は大和国葛城の賀茂社の鴨氏が祭っていた大和の神ですが、鴨氏は出雲から大和に移住したとする説もあるようです。『古事記』で最初から「大御神」と呼ばれているのは、天照大御神と迦毛大御神だけなんです(これはすごいお宝見つけちゃったぞ~笑)。

【息子・多伎都比古】

『出雲国風土記』楯縫郡の項に、「阿遅須枳高日子根」の后・「天御梶日女命」が、多具の村に行かれて、 「多伎都比古命」を出産されます。その時、胎児の御子にかけた言葉は、 「おまえの御父上のように元気に泣きなさい。いままさに産もうと思うが、ここがちょうどよいのです(父神のおられる方向に向かった位置で産みたいと思っていたが、まさにその方向でちょうと良い)。」と言われたと記載されています。

名前に付けられた多伎は、お生まれになった土地・多具(もしくは多久)のことと思われますが、今回訪れた「多伎都比古命」の御霊代である石神「立石神社」は、日照り続きで雨乞いをした時は、かならず雨を降らせられたと伝えられ、 瀧(古代もたきが現在言葉に直結するとは思いませんが)に通じる言葉なのかもしれません。

「多伎都比古命(タキツヒコ)」という名前の神様は、『古事記』や『日本書紀』には見ることが出来ず、『出雲国風土記』の中でしか登場しない出雲在地の神ですが、日照りに必ず雨をもたらす神とすると、農耕にも関与した水神様かもしれませんね。

【立石神社の場所と立地】

PB020307.jpg(説明版は道路の上です)
PB020348.jpg
(下り道は楽勝!あっでも気を抜いてはいけませんよ。)
PB020319.jpg(鳥居代わりの注連縄を取りぬければそこはもう聖域です。)

『立石神社』島根県出雲市坂浦町立石の住所に立地しています。立地といっても社が有るわけではありません。出雲国風土記には約400の神社が記載されていますが、これは大和・伊勢に次ぐ数の多さだそうです。しかしその大半は岩に注連縄(しめなわ)を飾っただけのものだったようです。

現代までに、地元住民の手により、ほとんどの神社に社や祠が作られましたが、この「立石神社」は出雲風土記の時代そのままの姿で1300年間に至って変わらない数少ない神社の一つです。それほどに「立石神社」では古代神信仰が厚かったと考えて良いのではないでしょうか。

「雲陽誌」には「山の神」として3つの岩からなり、地元の人は立岩さんといって祀る神社があると書かれています。「立石神社」のことで、ちなみに神社の名は「たていわ」、地区名は「たていし」です。

PB020336.jpg(大きいですね~!空気が違います。)
PB020337.jpg(真ん中が祈りの場所です。)
PB020327.jpg(もちろん素敵な旅の出会いを、お祈りしてきました。)

看板から私にとっては珍しく下り道を歩いてゆくと、山中に最大高さ12m、最大幅26mなどの巨石が3つあります、一つの岩が自然に割れたものだそうです。

本殿も鳥居も無く、木と木の間に注連縄が渡してあり、そこが鳥居の代わりのように仕立てられています。祈りの場所は大岩の割れ目前に4本の細竹榊を立てた神域があるだけです。御神体である高さ十数メートルの巨石と私ひとり、人の手による構築物は何もないのですが、霊気漂う古代神道の場を彷彿とさせる貴重な場所です。

地区にある2軒の家が脈々と氏子として面倒を見てきたようです、驚くことに年に1回のお祭りも絶やさずに続けられています。

PB020330.jpg
(何処をとってもフレームから漏れてしまいます。)
PB020339.jpg
(満足しました~。)

1300年に渡り時間が止まったままのパワースポットの空気を体験されてみてはいかがでしょうか。

立岩神社から松江へ向かう途中、分かれ道の貯水タンクのところに老母石(おぼいし)神社という立看板があり、そこに地面に埋まったような石がありました。多伎都比古命の連れて来た姥(うば)を祀ったものと言われているそうです。この老母石の近くの石段の上に柵で囲まれた石は客神社です。石神が密集していてどう見ても間違えそうです。

PB020358.jpg(こちらだと思いますよね~。)
PB020364.jpg(お隣にあるこちらが老母石(おぼいし)神社だそうです。)

【最後に歴史は語る】

『出雲国風土記』に、彼の母親「天御梶日女命」がこの神社の近くの多久村で彼を生んだと書かれています。「多伎都比古命」という名前の神様は、『古事記』や『日本書紀』には見ることが出来ません。明治の初めに地域全体の神社が須佐之男を祀る鞆崎(ともさき)神社にまとめられ、「立石神社」は廃社されました。しかし昭和十年代、地元民の熱意により立石を含む庄部地区全体の祭祀の場として復活させたそうです。

ちなみに「多伎津比古命」はビッグネーム「大国主命」の孫で、この地で生まれ近くに産湯をつかった滝壺等があるとされ、更に幼い頃を過ごしたと云われているにも関わらず、今ではその滝壺の位置がどこなのか地元の人にもわからないそうです。

歴史を護り伝えることは、自国の心を伝える作業です。どんなに小さな祠や注連縄の木にも謂れが有るのです。それらの遺物に少しだけ心を残して古老の話に耳を傾けようではありませんか。

歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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リュミエールブラン ネージュ

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