2017/11/19

ちょと一服!大名茶人も愛した松江『明々庵 』

今日は関ヶ原の合戦で喉が乾かれた皆さんへ美味しいお茶を一服差し上げましょう。ご紹介するのは、島根県松江市の塩見繩手にある松平不昧ゆかりの茶室、明々庵(めいめいあん)です。

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(今日はお茶席に呼ばれたように順番に行きたいと思います。入り口です。)

茶人としても大変有名な、松江藩松平家7代当主・松平不昧(松平治郷)によって、1779年(安永8年)に家老有沢弌善のために殿町にある彼の邸内に建てた茶室を主とする古庵です。

関ヶ原の戦いの勝ち組によって出来たともいえる、松江藩(まつえはん)は、出雲1国または隠岐国を加えた2国を領有した藩です。藩庁は松江城(島根県松江市殿町)です。藩主は外様大名の堀尾氏、京極氏と続き、親藩の越前系松平氏が廃藩置県まで支配しています。

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PB031096.jpg(松江はお茶文化が盛んです。十時・三時の休憩も薄茶の事もあるようです。)

【折角の一腹ですので、石田三成のお茶エピソードも御紹介しましょう】

三成と三献の茶による羽柴秀吉との出会いのエピソードは有名です。三成の逸話でも、最も有名なのが、このエピソードではないでしょうか?滋賀県・長浜駅前には、この三献茶に因んだ三成と秀吉の像もあります(残念ながら写真は有りません)。「砕玉話(武将感状記)」等に記された、逸話の概要はこんな具合です。映画「関ケ原」の中にもこのシーンは語られていました。

浅井攻めの行賞で長浜城主となった秀吉は、ある日、領内で鷹狩をしていました。その途中、喉の乾きを覚えて、ある寺に立ち寄って茶を所望します。対応した寺の小姓は、まず最初に大ぶりの茶碗にぬるめの茶を一杯に入れて出しました。喉の乾いていた秀吉は、それを一気に飲み干したあと、もう一杯たのみます。すると小姓は、やや小さめの碗に、やや熱めにした茶を持参します。秀吉が試みにもう一杯所望したところ、今度は小ぶりの碗に熱く点てた茶を出しました。

相手の様子を見て、その欲するものを出す、この気配りに感じいった秀吉は、その小姓を城に連れて帰り家来としました。この小姓が、その後累進し、五奉行の一人、石田三成となったのです。映画の中では秀吉が褒美は何がよいかと尋ねるシーンが有ったと思います。それは三成の才覚を表すエピソードですが、こちらはまたの機会にご紹介しましょう。

喉の乾いている相手に、まずは飲みやすい温めの茶をたっぷり出し、渇きが癒えた後は熱い茶を味わってもらう逸話は気配りの進めとして、広く語られています。「三献茶」の舞台となった「ある寺」とはどこか、という議論も色々有るようです。今のところ、大原観音寺と古橋法華寺が有力で、観音寺には「三成茶汲みの井戸」もあります。ただこの逸話そのものが真実か?、ということになると大いに疑問があります。

逸話が載っている史料が、いずれも江戸期の俗書の類であること、三成の息子が記した寿聖院「霊牌日鑑」では三成が秀吉に仕えたのは、十八才の時に姫路で、となっており、この逸話とは符合しません。ちなみに重家(三成の嫡男)は大谷吉継から上杉討伐に出陣する徳川家康の下へ参陣するように勧められるが、関ヶ原の戦いが勃発したため、豊臣家に対する人質として大坂城に留め置かれて、生存しています。

【お話を、「明々庵」 に戻しましょう】

PB031209.jpg(門からの待合)
PB031206.jpg(井戸が有りました。)
PB031128.jpg(門を入ると待合が有ります、雪隠付きでした。笑)
PB031202.jpg(躙り口)
PB031145.jpg(躙り口から三畳の茶室、額は松平不昧直筆です。 )
PB031160.jpg(少し大きな四畳半の茶室)
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(掛け軸読めません、笑)
PB031170.jpg(明々庵全景です。茅葺き、入母屋造。)

明々庵は茶人として知られる松江藩七代藩主松平不昧公の好みによって、松江市殿町の有澤(ありさわ)家本邸に建てられ、不昧公もしばしば訪れた茶室です。一時は東京の松平伯邸に移されていたが、その後松平家から郷国出雲に帰され、1928年(昭和3年)菅田庵(かんでんあん)のある有澤山荘の向月亭(こうげつてい)に隣接した萩の台に建てられていました。大戦後、管理が行き届かず、荒廃していたのを、1966年(昭和41)年、不昧公150年忌を記念して現在の赤山の大地に移されました。

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(お隣の百草亭でお茶を頂きました。)
PB031192.jpg(秀吉と同じく、撮影する前に飲んじゃった~(;^_^A アセアセ・・・)

茅葺の厚い入母屋に不昧公筆の「明々庵」の額を掲げ、茶室の床の間は、五枚半の杉柾の小巾板をそぎ合わせた奥行きの浅い床で、また二畳台目の席は中柱もなく炉も向切りといった軽快なものとなっており、定石に頓着しない不昧公の好みの一伺うことができます。また、塩見繩手の北堀町の赤山から望む松江城の景色は格別といってよいものです。

【大名茶人松平不昧ってどんな人】

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(松平 不昧公、パチスロ好きな方は鬼武者の蒼鬼の子孫にあたります。)

松平治郷(まつだいら はるさと)は、出雲松江藩松平家の第7代藩主です。松平直政系(結城秀康の三男・結城秀康は家康の次男ですが秀吉の養子となっていました。)越前松平家宗家7代。江戸時代の代表的茶人の一人で、号の不昧(ふまい)で知られる。その茶風は不昧流として現代まで続いています。利休七哲の細川忠興(三斎)によって開かれた、茶道の流派三斎流も庇護しています。

寛延4年2月14日(1751年3月11日)、第6代藩主・松平宗衍の次男として生まれる。明和4年(1767年)、父の隠居により家督を継意でいます。将軍・徳川家治からの偏諱と祖父・宣維の初名「直郷」の1字とにより治郷と名乗ります。この頃、松江藩は財政が破綻しており、周囲では「雲州様(松江藩の藩主)は恐らく滅亡するだろう」と囁かれるほどでした。

そのため治郷は、家老の朝日茂保と共に藩政改革に乗り出し、積極的な農業政策の他に治水工事を行い、木綿や朝鮮人参、楮、櫨などの商品価値の高い特産品を栽培することで財政再建を試みます。しかしその反面で厳しい政策が行なわれ、それまでの借金を全て棒引き、藩札の使用禁止、厳しい倹約令、村役人などの特権行使の停止、年貢の徴収を四公六民から七公三民にするなどの厳しい年貢の取り立てを行いました。

これらの倹約、引き締め政策を踏まえ、安永7年(1778年)に井上恵助による防砂林事業が完成、天明5年(1785年)の清原太兵衛による佐陀川の治水事業も完了し、これらの政策で藩の財政改革は成功しています。これにより空になっていた藩の金蔵に多くの金が蓄えられました。

しかしながら、財政が再建されて潤った後、茶人としての才能に優れていた治郷は、1500両もする天下の名器「油屋肩衝」をはじめ、300両から2000両もする茶器を多く購入するなど散財が激しく。このため、藩の財政は再び一気に悪化したといわれています(改革自体は茂保主導による所が大きく、治郷自身は政治に口出ししなかったことが原因とされています)。

P6598741254.jpg(油屋肩衝(あぶらやかたつき)は、古来より「大名物」として知られる茶器のひとつ。畠山記念館 持ち主•豊臣秀吉•毛利輝元•福島正則•徳川家光•土井利勝•松平不眜など~凄いですね)

文化3年3月11日(1806年4月29日)、家督を長男の斉恒に譲って隠居し、文政元年4月24日(1818年5月28日)に死去しました。享年68歳。墓所は松江市の月照寺です(出雲国神仏霊場第5番札所、月照寺は以前ご紹介しましたね)。

【利用情報】

所在地 - 〒690-0888 島根県松江市北堀町278
開館日・時間:年中無休・9時15分~17時(入館は16時30分まで、季節変動あり)

見学とお茶で1100円だったと思います。見学だけも500円でOKでした。

【最後に少し】

毎年のように松江や出雲に足を運びます。今回訪れた明々庵 は初めてですが、出された茶菓子は松江三大銘菓の「菜種の里」「山川」「若草」の内「菜種の里」「若草」でした。ブログプロフィールに載せている大山山頂の抹茶のお菓子もこの三大銘菓の詰め合わせを持参しました。

「山川」「若草」はどちらのお菓子屋さんでもあるのですが。「菜種の里」は『三英堂』でしか作られておりません。『明々庵 』でも当日の朝に作ったものだけを持ってこられるそうです。さらに「若草」についてはもちろん春の菓子ということで、以前は季節の移り変わりによって色が濃く変わっていったようです。

お抹茶も当然ですが、前日に碾いたものだけを使用するといっておられました。私が「お茶は『中村茶舗』さんですか?」と聞きますと「練習用のお安いものですが、そうです。」との答えに満足いたしました(笑)。「加島茶舗さんも頑張っておいでで美味しいですよ」とのこと、是非美味しい松江のお菓子とお茶を味わっていただきたいです。

私が「中村茶舗」さんのお茶を押す理由ですが、歴史や格も有りますが、混ざり物のない真摯なお茶だと思うからです。お土産やさんでお茶をふるまって試飲するとすごく美味しく感じるお茶もあるのですが、後味に感じない程度ですが、舌にピリリとした刺すような感じと、しょっぱい味覚が残るお茶が有ります。その原因はクルタミン酸ナトリウムです。表示してあるので参考にされたらよいかと思います。本来のお茶を嗜むなら、私のお勧めを是非にと思います。

PB031219.jpg(城見台、明々庵から望む松江城ビューポイントの一つ)


歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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