2017/10/24

阪神タイガースの聖地『廣田神社』で神様の意思を推察す。

私、『阪神タイガース』の熱狂的なファンでした!。いえいえファンをやめたわけでは無いんですよ、今でも大のファンですが、昔ほどは熱中できなくなってきました。勝てばうれしいですが、何か夢中になれないのです。阪神ファンがライバルと勝手に思い込んでいる「G」チームがライバルと思えるほど強くないからかもしれませんね(笑)。そうそう、「広島カープ」ファンの皆さんおめでとうございます。あまりお金も無いのに素晴しい成績、頭が下がります。タイガースも考えなければいけないのではないでしょうか(訂正を一つ、CSシリーズで負けたのは残念でしたが、今年一年間ダントツに強かったのは、広島カープです。その強さに敬意を表しますm(__)m)。

それに比べるとサッカーは力が入ります。でもJリーグではなくて、日本代表戦です。やはりナショナリズムが触発されるのですかね。ワールドカップは頑張って欲しいですね~。

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(これくらいおっきく育って欲しいよ若手の皆さん!)


これでも(こんなに太っていても)、中学校三年間はしっかりバスケット部だったんですよ、現在はBJリーグが出来て、兵庫県にも「西宮ストークス」というチームが有ります。しかしながら私がBJリーグで応援しているのは「島根スサノオマジック」です。歴史ブロガーですからね~名前だけじゃん!(笑)
 
 
p1654987.jpg(ヤッパリ恰好いいね~笑)
 

さて今日は、ちょっとファン離れが進んでいる、「阪神タイガース」が全選手・監督・コーチが揃って毎年キャンプイン前の1月に武運長久を願って参拝する事でも有名な、廣田神社をご紹介します。

それでは、『市郎右衛門』の日本史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
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【廣田神社はどんな神社?】

CIMG7761.jpg(まだブログ撮影意識してないですね。オカルト写真じゃないですから。)
CIMG7762.jpg(鳥居も背後から~全然じゃん。)
CIMG7763.jpg(人の顔も平気で写してるし、修正済)
CIMG7767.jpg(拝殿と本殿が一体化してないですか?)


廣田神社(ひろたじんじゃ)は、兵庫県西宮市の閑静な住宅街の中にあります。式内社(「延喜式神名帳に記載された神社」名神大社)、二十二社(下八社)の一社です。簡単に説明すると、古代から格式の有る神社だと考えてください。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社に成っています。

主祭神は天照大神荒魂です。この荒魂って難しいですよね~後で説明したいと思います。撞賢木厳之御魂天疎向津媛(つきさかき いつのみたま あまさかる むかつひめ)が主祭神荒魂として祀られています。 これは、伊勢神宮内宮の第一別宮荒祭宮祭神と御同体となっています。

原子は最小の物だと思っていたら中性子と電子が発見されたみたいに考えてみてください。怒られるなきっと、先に謝っておこう「勝手に好きなこと書いてごめんなさい」。

神社創建(伝)は神功皇后2年(神話、朝鮮征伐の後に成ります。)本殿の様式は神明造です。札所としては、神仏霊場巡拝の道68番(兵庫3番)となっています。

【廣田神社の歴史をお話しましょう】

CIMG7764.jpg(昔から説明版撮影はだめですね。)
CIMG7765.jpg(昔の西宮!ほとんどが海です。下にあるのが西宮神社ですね。)

日本書紀に「廣田神社」創建のことが書かれています。神功皇后の三韓征伐に出発する際、天照大神の神託がありました。和魂(また難しい言葉後に回しましょう)が天皇の身を守り、荒魂が先鋒として船を導くだろうとのお告げがあります。

神功皇后の三韓征伐の留守の間に忍熊王(瀬田の唐橋でも出てきた、皇子の腹違いの兄弟です。)が神功皇后とお腹の中にいる皇子(後の応神天皇)を亡きものにしようと明石で待ち伏せていました。戦いを終え、帰途それを知った神功皇后は、紀淡海峡に迂回して難波の港を目指します。しかし、難波の港が目の前という所で、船が海中でぐるぐる回って進めなくなってしまったのです。

そこで兵庫の港に向かい、神意をうかがうと、天照大神の託宣がありました。「荒魂を皇居の近くに置くのは良くない。広田国に置くのが良い」とのお告げです。そこで皇后は、山背根子の娘の葉山媛に天照大神の荒魂を祀られました。これが廣田神社の創建のいわれです。

このとき、生田神社・長田神社・住吉大社に祀られることになる神からも託宣があり、それぞれの神社の鎮座が行われました。すると、船は軽やかに動き出し、忍熊王を退治することができたのでした。

創建の後には、朝廷より篤い崇敬を受け、『延喜式神名帳』では名神大社に列し、二十二社の一社とされました。たびたび奉幣勅使の派遣があったようです。平安時代後期より、神祇伯白川家との関係が深く、代替わりのごとに「廣田神社」に参詣しています。中世には和歌の神として信仰されるようになり、社頭にて何度か歌合せが行われています。

うんちく『伯家神道(はっけしんとう)』とは、花山天皇(西国三十三観音霊場でも有名)の子孫で神祇伯を世襲した白川家によって受け継がれた神道の一流派の事です。

【近代の歴史】

当初は甲山山麓の高隈原に鎮座し、後に御手洗川のほとりに遷座しましたが、水害のため、享保9年(1724年)に現在の西山の地に遷座し、1945年、空襲による全焼までは西側の廣田山に鎮座していました。戦後、その東側の現在地に移転しています。明治4年(1871年)には官幣大社に列格した(兵庫県で最初、淡路の伊弉諾神宮は1931年に列格されています)。かつて「向か津峰」と呼ばれた六甲山全山は、元は廣田神社の社領であったともいわれます。

CIMG0735.jpg(淡路の伊弉諾神宮の不思議!)


六甲山大権現を古くからの祭神とする六甲山神社(むこやまじんじゃ石の宝殿=現廣田神社の摂社)と六甲比命神社(むこひめじんじゃ)がかつての奥宮と考えられます。六甲比命神社は、インドの渡来僧法道仙人(また出てきてますね)によって大化の改新の頃に、付近の心経岩・雲ヶ岩とともに、唐櫃(からと)の吉祥院多聞寺 (神戸市北区)(本尊は毘沙門天・吉祥天・禅膩師童子)奥の院とされました。

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(唐櫃(からと)の吉祥院多聞寺です。よく有ったね、どこでも撮影しとくもんだ~!)

六甲山東麓の社家郷山は廣田神社宮司家の所有地であったその名残といわれます昭和20年に空襲によって社殿を焼失、現在の本殿は伊勢神宮荒祭宮の旧社殿を譲り受けて昭和31年に竣工したものです。平成13年に鎮座1800年の喜節を迎えました。

廣田神社を中心とする神社群は、京から西国方向を目指す街道上にある神社ということで「西宮」(にしのみや)とも呼ばれていました。「西宮」の語は、後に廣田神社の神郷一帯(現在の神戸市東部から尼崎市西部まで)を指すようになりましたが、行政区画では廣田神社が武庫郡大社村、戎社(現・西宮神社)が西宮町となり、現在は町村合併により西宮市に含まれています。えべっさんで有名な「西宮神社」も元は「廣田神社」の境外摂社に成ります(西宮神社の方が有名に成っていますね)、浜南宮で、西宮神社境内の南宮神社がその原型といわれます。

【為に成るかなトリビヴィア】

西宮神社(西宮戎)も元は浜南宮と呼ばれ、当社の境外摂社でした~。境内にはコバノミツバツツジの群落があり、総数2万株に及美ます。このツツジ群落は兵庫県指定天然記念物に指定されています。阪神タイガースが全選手・監督・コーチをそろえて毎年キャンプイン前の1月に廣田神社(武運長久⇒優勝を祈願)に参拝する行事は、球団創立時からの伝統です。

神功皇后の新羅征伐からの帰還伝説からの発祥と思われる廣田神社・西宮神社の夏祭御神幸が戦国時代まで行われていました。やはり、神功皇后に従って先祖が出兵したとの伝説を持つ北風家等がある和田岬(輪田岬)まで、往路は数百艘の船で、復路は陸路で馬に乗った一群の辰馬・八馬・葛馬・乙馬・音馬・小上馬・六馬・七馬・十馬・中馬・大黒馬・一馬・大徳馬・小唐馬・善茂馬などの家の者が付き従っていました。

主祭神の天照大神荒魂とは、実は「瀬織津姫」のことであったとする説があります。戦前の由緒書きには、瀬織津姫を主祭神とすることが明確に記されていました。しかし瀬織津姫という神様のお名前は「記紀」に一切の記載がありません。

【最後の難題、荒魂・和魂って何】

Ichireishikon[1]
(こんな関係です)

一霊四魂説の概念図を見ていただきましょう。荒魂・和魂・幸魂・奇魂が並列的に存在し、それらを直霊という一つの霊がコントロールしているとする考え方です。神様のお心と考えずに人間として考えると分かりやすいかもしれません。

荒魂(あらたま、あらみたま)・和魂(にきたま(にぎたま)、にきみたま(にぎみたま))とは、神道における概念で、神の霊魂が持つ二つの側面のことです。

荒魂は神の荒々しい側面、荒ぶる魂です。勇猛果断、義侠強忍等に関する側面とされるます。これに対し和魂は神の優しく平和的な側面であり、仁愛、謙遜等の側面とされています。ちなみに私の卒業高校には正門すぐに『和魂』の石碑が置かれています。仁愛・謙遜を常とせよの教えだったんですね~!高校時代に気づけばよかったのにな(-"-;A ...アセアセ。

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(『和魂』の石碑、素晴らしい!)

荒魂と和魂は、同一の神であっても別の神に見えるほどの強い個性の表れであり、実際に別の神名が与えられたり、皇大神宮(伊勢神宮の事です)の正宮と荒祭宮といったように、別に祀られていたりすることもあります。人々は荒魂と和魂を支えるために、神に供物を捧げ、儀式や祭を行ってきました。

この神の御魂の二面性が、神道の信仰の源となっているのです。また、荒魂はその荒々しさから新しい事象や物体を生み出すエネルギーを内包している魂とされ、同音異義語である新魂(あらたま、あらみたま)とも通じるとされています。

和魂はさらに幸魂(さきたま、さきみたま、さちみたま)と奇魂(くしたま、くしみたま)に分けられます(しかしこの四つは並列の存在です)。幸魂は運によって人に幸を与える働き、収穫をもたらす働きをつかさどります。奇魂は奇跡によって直接人に幸を与える働きであり、知識才略、学問、技術を表します。幸魂は「豊」、奇魂は「櫛」と表され、神名や神社名に用いられていますね。

江戸時代以降、復古神道がさかんとなり、古神道の霊魂観として、神や人の心は天と繋がる一霊「直霊」(なおひ)と4つの魂(荒魂・和魂・幸魂・奇魂)から成り立つという一霊四魂説が唱えられるようになりました。

【いつもの最後に・・・】

神社に参拝する人のほとんどは、神様に願い事を伝える為に伺いますよね、でも実は私は神社はお願いに行くところでは無いと考えています。神社を参拝することで自分の目的を再確認し、それを成し遂げる力にすることにお詣りの意味があるのです。

神社でお願い事をしても問題が有るわけではありませんが、お願い事が叶ったならお礼に参拝する必要があります。お礼参りに行けるのでしたら、いくらでもお願い事をしてもけっこうです。旅行先などでたくさんの神社へお願い事をされたのでしたらお礼参りも大変に成りますね。お礼参りに行けない場所の神社なら御挨拶程度にしておいた方が無難ではないでしょうか(笑)。

人でも神様でもお願い事をしたなら、お礼をするのが常識ですよね、私はこのように考えています。「見ていてください」のお詣りです。神様にお願いが有るときは、「私はこのように努力しますから見守ってください」とお願いします。お願いしたことが叶ったならばお礼にお詣りします。「ありがとうございます」のお礼、これが本来の神社のお詣りの作法だと思います。

以前鳥取県の「金持神社」をご紹介しました。「高額宝くじ当選お願いします」に神様が答えてくださるはずが無いと思いませんか、「毎日努力を怠らず、一生懸命頑張りますから見ていてください」ならばきっと「金持神社」の神様も答えてくだされのではないかと思うのですがどうでしょう。

ちなみに、神社によっては自分事のお願いをしてはいけない神社もあります。伊勢神宮の本宮では個人的なお願いはしてはいけないことになっています。国を護り、国民の幸せを願う神社です。個人の雑念は必要ありませんね。

CIMG7768.jpg(神様来年はお願い来てくださいね、タイガース優勝!選手は頑張りますからね。)

歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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