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2017/09/14

今話題の『前方後円墳を嗜(たしな)む』見処と鑑賞法!

今日は趣向を変えまして、古墳を見に行く機会が有ったなら、是非ここだけはチェックしてほしい四つの目利き?ポイントについてお話したいと思います。

この四つが理解出来るようになると、その古墳の位置付けが分かるように成って、かっこよくくうんちくを友達や恋人に語れるように成りますよ。

CIMG9040.jpg(今城塚古墳、真の第26代継体天皇といわれる入って遊べる天皇陵墓の埴輪レプリカ群)

それでは人気の、前方後円墳を例に上げて注目点を説明していきましょう。

キーワードは次の四つです。『段築』 『周濠』 『葺石』 『埴輪』です。それでは前方後円墳の説明から始めましょうか?

それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
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【前方後円墳 って何?知らない方はおりません!】

前方後円墳 (ぜんぽうこうえんふん)は、古墳の形状の1つですよね小学校の教科書で習っています。円形の主丘に方形の突出部が接続する形式で、双丘の鍵穴形をなしています。

主に日本列島で3世紀中頃から7世紀初頭頃(畿内大王墓は6世紀中頃まで)にかけて築造され、日本列島の代表的な古墳形式としてよく知られていますね。

【あの鍵穴形の起源は何なの?】

ん~~~謎なんですよ~!、奈良県桜井市の纏向古墳群が最古の前方後円墳群とされています。3世紀中頃の築造で、完成形が箸墓古墳(卑弥呼の墓とも言われています)です。

P5190134.jpg(卑弥呼の墓とも言われる箸墓古墳)


以前に書いたブログ参考にしてください。
「豊鍬入姫命」「卑弥呼」「台与」?誰が眠るんだ~『ホケノ山古墳』
本当に眠るのは「卑弥呼」なのか?纒向遺跡最後を飾る『箸墓古墳』

日本(およびそれに影響を受けた朝鮮半島南部)でのみ見られる前方後円墳の起源については、これまでに様々な仮説が唱えられました。

最もよく知られているものは、弥生時代の墳墓から独自に発展したものという学説です。この説は従来より存在した円形墳丘墓の「周濠(あら出ちゃった)」を掘り残した陸橋部分(通路部分)で祭祀などが行われ、その後この部分が墓(死の世界)と人間界を繋ぐ陸橋として大型化し円墳と一体化したと考えられる説です。

それに対して円部は軍事・政治を担った男王、方部は祭祀を司った女王の墓に由来するという説もあります。奈良県橿原市の瀬田遺跡では弥生時代終末期(2世紀頃)の前方後円形の円形周溝墓が発見されており、前方後円墳の原型である可能性が指摘されています。

「前方後円」の語は、江戸時代の国学者蒲生君平が19世紀初めに著した『山陵志』で初めて使います。明治時代末期になり、ウィリアム・ゴーランドは円墳と方墳が結合して作られた。清野謙次は主墳と陪塚が結合して前方後円墳になったと推測します。その後、壺形土器の形や盾の形を模倣したというような学説も生まれています。

現在の研究では、平面では円形をしている後円部が埋葬のための墳丘で主丘であり、平面が撥形・長方形・方形・台形などの突出部をひっくるめて前方部と呼びます。前方部は、弥生墳丘墓の突出部が変化したもので、もともと死者を祀る祭壇として発生・発達とする説や葬列が後円部に至る墓道であったとする説があり、次第に独特の形態を成したと考えられています。ただし時代が下ると前方部にも埋葬がなされるようになっていきます。

しかし、慣習と便宜によって前方後円墳、前方部、後円部といった用語はそのまま使われています。古い形の前方後円墳は前方部は低く撥形をしており、後円部は新古にかかわらず大きく高く造られている。撥形にしているのは、葬列が傾斜の緩やかな道を通れるように前方部の左右の稜線のどちらかを伸ばしたものと考えられています。

近畿地方、宮崎県を中心として日本全国に広く分布する大型の前方後円墳の周りには、小型の前方後円墳、あるいは円墳・方墳が寄り添うように建造されており、複数の大型古墳から構成される古墳群が形成されている箇所が多くあります。古墳時代に築かれた巨大な墳墓はその多くがこの前方後円墳であり、その中で最も大きなものは大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)であり、墳墓の表面積としてはクフ王のピラミッドおよび始皇帝陵をしのぐ世界最大の墳墓に成ります。墳丘の全長が486メートル、高さが36メートル、周りには、三重の周濠を巡らしています。

後円部は、前方後円墳で最も大切な場所です。それは、そこに亡き首長を埋葬し、盛大に埋葬祭祀が行われてきたと考えられます。その頂上は狭いが平坦に造られていて、その下の土中に埋葬を行うのに都合のよい形に造られています。裾部から頂までは高く造られ、その斜面の勾配は、平均的には25度から26度もあり、それ以上の急勾配の墳墓もあります。築造当時には斜面に葺き石が敷かれて、登ることができないように造られています。

また、くびれ部や前方部の斜面も急勾配に造られており、簡単に登ることができなくなっています。葬列が登れるのは前方部の前面の左右の隅角のどちらかで、そこを緩い斜面にして登りやすくしています。このように前方後円墳は簡単に登れないような急斜面で囲まれています。登ることを慎めという意味であり、前方後円墳は禁忌の状態に築造されているのです。

前方後円墳は、墳丘(前方部・後方部・造出)、埋葬施設(棺室・槨室・石室)、副葬品、外表施設(封土固めの葺石、祭祀用の土器・埴輪など)などの諸要素から成っています。今回私が取り上げるのは、『周濠』『葺石』 『段築』 『埴輪』です。

【祈りはどこで行われた?】

CIMG9045.jpg(今城塚古墳の造出は四角いです。)

前方後円墳には造出(つくりだし)という括れ部分の突出が見られます。最古級の前方後円墳では造出は見つかっていません。大王墓および地方の有力首長墓のみに付随する物と考えられています。造出には埴輪を立て並べたり、形象埴輪を置いたりしています。祭祀・追葬が後円部や前方部の墳頂で行われるのではなく、くびれ部裾付近に作られた造出で行われたことは、埋葬祭祀の考え方が変わって来たことをうかがえます。それは、墳頂へ登ることが禁忌され、畏敬されたことと関わっていると考えられ、追葬や祭祀は一定期間行われると停止されたと考えられます(33回忌いいえ50回忌までかな?)

【最初のキーワードは 『段築』 】

P7290446.jpg(大きさは前国10位の282m、岡山2位の作山古墳三段築成の二段目!わかります?)

古墳の外部施設の一種です。墳丘を数段の階段状に造ること,またはそのような墳丘のことです。畿内の大型前方後円墳では,初期には墳丘は3~4段に造られ、後円部最上段は円丘を呈していましたが、4世紀中期以降には前方部・後円部ともに3段の形が定着しました。各平坦面には埴輪が並べられました。

箸墓古墳NO~~1!後円部は4段築成で、4段築成の上に小円丘(径約44-46メートル、高さ4メートルの土壇、特殊器台が置かれていたと考えられる)が載ったものと指摘する研究もあります(4.5段)。前方部は側面の段築は明瞭ではないが、前面には4段の段築があるとされます。ちなみに五段築成(四段築成で、後円部に小円丘が載る)は箸墓古墳のみで四段築成(三段築成で、後円部に小円丘が載る)は西殿塚古墳(大和古墳群)、行燈山古墳(柳本古墳群)、渋谷向山古墳(柳本古墳群)、桜井茶臼山古墳(鳥見山古墳群)、メスリ山古墳(鳥見山古墳群)、築山古墳(馬見古墳群)等が考えられ他の天皇陵クラスの古墳は全て三段築成(後円部も前方部も三段築成)とされます。被葬者の格付けを表しているのかも知れませんね。

0220-05[1]
(箸墓古墳、NO1、4.5段)

ちなみに最初の前方後円墳といわれる「纒向石塚古墳」は、もうすでに2段築成なんですよ~。

P5190064.jpg(纒向石塚古墳分かるかな左側面に段が有りますよね。)

【次のキーワードは『葺石』】

葺石(ふきいし)とは、主として古墳時代の墳墓の遺骸埋葬施設や墳丘を覆う外部施設の1つで、古墳の墳丘斜面などに河原石や礫石(れきいし)を積んだり、貼りつけるように葺(ふ)いたものです。「葺石」は前期古墳と中期古墳に多いが、後期になると葺石をともなわない古墳が大多数をしめるようになります。

日本の墳墓においては、中国の墳墓に顕著にみられる版築の工法がほとんどみられない一方で、斜面を礫石などで葺いてがっしりと安定させる手法が採用されており、この工法は日本列島独自のものなのです。

葺石の発生については阿波(いまの徳島県)の吉野川流域や瀬戸内海沿岸など日本の古い積石塚の分布する地域で工夫されたとする説が唱えられています。古くから瀬戸内および四国地方には石工集団がおり、石に関する知識が特に豊富であったことも指摘されています。

なお、『日本書紀』と『古事記』には、箸墓古墳(奈良県桜井市)の造営の際、大坂山の石をリレー方式(一列に大阪から並んでバケツリレーした?)で運んだという説話が記されています、このとき運ばれたのは葺石のための石材であったと考えられています。

P5190160.jpg(奈良桜井市、ホケノ山古墳の葺石です)

葺石墓は、弥生時代中期以降の西日本に点々とみられ、古墳時代へとつながっていきます。とくに一般的に「定型化された大型前方後円墳」の最古の例と考えられている箸墓古墳および若干それに先立つとみられるホケノ山古墳(奈良県桜井市)では葺石をともなうことが確認されており、葺石は、出現期古墳の特徴を示す一要素となっています。なお、定型化以前の、いわゆる「纒向型」と称される墳墓では、纒向石塚古墳、纒向勝山古墳、東田大塚古墳いずれの場合でも埴輪・葺石はともなっていません。

葺石の祖形のひとつとして掲げられることの多いのは、弥生時代の山陰地方にみられる四隅突出型弥生墳丘墓(こちらまだご紹介していませんが凄いですよ~今回少しだけ見せちゃいます)にみられる貼石(はりいし)です。島根県出雲市の西谷墳墓群3号墓では、墳丘の裾部分を全周するかたちで貼石がなされている。また、岡山県総社市の楯築遺跡(こちらもまだ内緒です)では墳丘に石列をめぐらせており、このような例は山陰・山陽で広くみられます。さらに、山陽地方においては、石垣状に積んで墳丘を造る例もみられます。

P8111324.jpg(まだ見せたく無かった!四隅突出型弥生墳丘墓、島根県出雲市の西谷墳墓群3号墓)

葺石の目的としては、墳丘の偉容を示すとともに墳丘そのものの保護を目的とするとみられています。とくに墳丘斜面に使用され、平坦面では通常使用されないことから、盛土流出を防ぐ目的があったものと考えられ、防水・排水の効果も高かったと推察されます。

また、他の隣接する地域とは明確に区別するという意味合い、すなわち、「ここからは聖域であり、霊域である」という境界を示して周囲とのあいだを画する意味合いもあったとも考えられます。

【三番目のキーワードは『周濠』】

p3652148.jpg
(奥が大仙陵古墳、三重の盾形周濠)

考古学では普通、古墳の周囲に掘られた堀をさします。湛水しているものが多いですが、空濠の場合もあります。前者では一般に、濠が畦で区切られ、水面が階段状をなすものから、畦がとれ水面が同じ高さで一周するものへと変遷したと考えられています。

形は墳丘に沿って同じ幅の周濠がめぐるもののほかに、前方後円墳では盾形(馬蹄形も含む)、前方後方墳では長方形のものが多いようです。古墳時代中期には、墳丘の巨大化に伴う外部施設の整備の一環として、著しい発達をとげ大阪府古市・百舌鳥(もず)古墳群などでは、墳丘との統一企画のもとに、二重・三重の盾形周濠が掘削されました。

すこしわかりやすく簡単に説明しますと、自然の山などを利用した場合土はいりませんよね、しかしながら平地に小山の様な古墳を作ろうとすると、当然土をどこからか運ばなければなりません。もうお分かりですよねそう「周濠」部分の土が使われたのです。

段築と同じく一重周濠からの被葬者の格付けを表しているのかも知れませんね。大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)のように、三重の周濠を巡らした古墳もあります。

【最後のキーワードは祭祀用土器『埴輪』】

P3190089.jpg(但馬の茶すり山古墳、円筒埴輪と朝顔形埴輪、朝顔形埴輪には貢物の壺を乗せたのか?)

埋葬祭祀で使用された土器は、最古級の前方後円墳では、宮山型特殊器台・特殊壺、この土器から変化した最古の埴輪といわれる都月形円筒埴輪と次に古い特殊壺形埴輪、円筒埴輪、家型埴輪、武器形埴輪、人形埴輪などが有ります。特殊土器は、日常の器台・壺と違い大きく、文様で飾られています。器台は1メートルほどもあるものもあり、壺も40センチから50センチぐらいで、器台に壺を載せると人の肩ほどにもなります。このような大きな目立つ道具を使って亡くなった首長の霊魂と首長権を継承するための祭祀を行ったと考えられています。

【まとめ「古墳を語るなら」】

P2220002.jpg(神戸五色塚古墳、復元すると全て明らか『段築』 『周濠』 『葺石』 『埴輪』)

古墳時代の日本の大型墳墓は、墳丘の斜面などにびっしりと『葺石』が施され、遠目には石塚のように見えました。平坦なテラス部分『段築』には『円筒埴輪』をならべ、さらに墳丘周囲には『周濠』をめぐらせて、その外側には数基より成る陪塚をともなうなど、色彩豊かで華麗な装いをみせています。規模や形状のみならず、当時は側面からしか古墳を見られない人びとに対して、葺石によって白く輝く構築物としての陵墓の色彩的イメージは、他の構築物とのあいだに大きな格差を感じさせるに充分であったと考えられます。このような意味からも、古墳は単なる墓ではなくて政治の柱として機能したのでした。

さあ、長々のお付き合いありがとうございました。これであなたも古墳博士です(笑)ホントか~~~!

いつも応援、ありがとうございます(^人^)。
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今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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