2017/10/06

やはり不思議な仙人が開基していた。西国三十三番札所第26番『法華山一乗寺』

みなさん、こんばんわ~!前回「水戸黄門」を取りあげたにもかかわらず、放送時間間違えて見られなっかお馬鹿さんです。
今日は、まじめに西国三十三番札所をご紹介します。


実は大きな声では?言ってなかったのですが、私ある意味オタクなんです。興味を持つと「ずっぽし」はまりこんでしまい、楽しくてしょうがなくなってしまう、しょうがない性格です。御朱印集めにはまっているのもその性格故かもしれません。収集癖は子どもの頃からありました。当時はみんなが集めていた?「切手」「古銭」「化石」「土器のかけら」などなど今も田舎を探せば出てくると思います。

CIMG9206.jpg(インパクトでトップフォトにしました~猿の腰掛デカ~!)

漫画は読まない子どもでした。自慢ではないですが「漫画」読んだのは大学生に成ってからです。漫画収集は結婚してから(笑)弟が途中であきらめていた。「三国志」60巻、ジョジョ全巻『ジョジョの奇妙な冒険』Part6 ストーンオーシャンと『スティール・ボール・ラン』全24巻までは集めています。『ジョジョの奇妙な冒険 Part8 ジョジョリオン』はまだ連載中ですかね?などなど結構集めているんですよね~「ゴルゴ13」は途中で諦めましたけどね。

そんな私が近頃ハマっているのが「御朱印集め」です。歴史ももちろん好きな私にとっては一石二鳥の趣味となっています。そこでそろそろ(これまでも四寺院ほどはご紹介したと思いますが)本格的に、西国三十三番観音霊場をご紹介していきたいと思っています。まだ満願はしておりませんが、十八寺は廻っておりますので、機会があるごとにご紹介していきたいと思います。

今日は兵庫県内で、それほどわが家から遠くない、加西市の『一乗寺』をご紹介したいと思います。

それでは、『市郎右衛門』の日本史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
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【まず復習から、西国三十三カ所観音霊場巡りとは?】

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(一乗寺伽藍)
CIMG9186.jpg(粟嶋堂粟嶋堂は一乗寺の塔頭寺院である隣聖院にある御堂)
CIMG9184.jpg(水子供養のお供え)

養老2年(718年)、大和国長谷寺の開山「徳道上人」が病にて仮死状態になられた際、冥土で閻魔大王に会い、「生前の悪い行いによって地獄へ送られるものが多い故、観音の霊場へ参ることにより功徳が得られるよう、人々に観音菩薩の慈悲の心を説け」とのお告げを受け、起請文と三十三の宝印を授かって現世に戻され、その証拠でもって人々に観音信仰、及びその霊場へ参ることをすすめられました。

徳道上人が極楽往生の通行証となる宝印をお配りになったという場所は、観音菩薩が衆生を救うために示現された霊験所や寺院でした。上人と弟子たちはこの三十三所巡礼を人々に説きましたが、世間の信用が得られずあまり普及しなかったため、機が熟すのを待つこととし、閻魔大王から授かった宝印を摂津国の中山寺の「石の唐戸」の中に納めました。そして月日がたち、徳道は隠居所の法起院で80歳で示寂し、三十三所巡礼は忘れ去られていきました。

徳道上人が中山寺に宝印を納めてから約270年後、花山法皇(安和元年 ~寛弘5年「968年~1008年」)が紀州国の那智山で参籠していた折、熊野権現が姿を現し、徳道上人が定めた三十三の観音霊場を再興するように託宣を授けます。

花山法皇は、988年(永延2年)観音霊場三十三ヶ所の宝印を石棺に納めたという伝承があった摂津国の中山寺(兵庫県宝塚市)で宝印を探し出し、播磨国書写山圓教寺の性空上人の勧めにより、河内国石川寺(叡福寺)の仏眼上人を先達として紀伊国熊野から宝印の三十三の観音霊場を巡礼し修行に勤め、大きな法力を身につけたといわれます。

このことにより、やがて観音霊場を巡る西国三十三所という信仰となり、西国三十三所は日本最古にして、巡礼の元祖となりました。この花山法皇の観音巡礼が西国三十三所巡礼として現在でも継承されており、各霊場で詠んだ御製の和歌が御詠歌となっています。

【第26番札所『法華山一乗寺』】

CIMG9187.jpg(説明版です。)
CIMG9189.jpg(階段上るぞ~!境内入口左手に宝物館 「公開は年に2日、4月4日と11月5日のみで、それ以外の拝観は事前の許可が必要」。)

山号は「法華山」といいます。 宗派は「天台宗」ですね、 大事なご本尊は「聖観音菩薩」です。創建年は「伝・白雉元年(650年)」、開基は、伝・法道仙人(そうここら辺ではちょっと?有名な)孫悟空の様な方です。

西国三十三所26番札所の他、播磨西国三十三箇所33番札所、神仏霊場巡拝の道 第77番札所などの札所に成っています。 文化財としては三重塔、聖徳太子及び天台高僧像10幅が(国宝)、本堂他が(重要文化財)に指定されています。

寺伝では孝徳天皇の勅願で650年に創建、開基(創立者)は法道仙人とされています。 国宝に指定されている三重塔(1171年建立)は平安時代後期を代表する和様建築の塔であり、日本国内屈指の古塔ですね。 境内は山深く、春は桜、秋は紅葉の名所としてもよく知られています(私が訪れたのはそのどちらの時期でもありませんが)。

【法道仙人って誰?】

法道仙人(ほうどうせんにん)開基伝承をもつ寺院は兵庫県東部地域に集中しています。法道仙人はインド出身だということに勝手に?なっています。鉄の宝鉢を持っており神通力で鉢を飛ばし、米などの供物を得ていたため、「空鉢仙人(からはちせんにん)」とも呼ばればれていたことから、不思議な術を使う超能力の持ち主だったと伝わっています。

多くの寺の縁起などによると、推古天皇(すいこてんのう)の頃に日本へ渡ってきたとされていますので、6~7世紀の人物ということになりますが、本当の事跡や没年、墓所などすべて不明で、伝わっているのはその名前と仙術にまつわる伝説ばかりです。つまり実在の人物か解りません。第一、「法道上人」や「僧法道」ではなく、なぜか「仙人」の名前がついています。

播磨国の山には、法道仙人を開山もしくは開基と伝える寺が多いのです。此までに御紹介した寺院の多くに仙人開基の寺が有りました。西国三十三観音霊場でも二十五番札所の「清水寺」・番外の花山院菩提寺などです。仙人が開いたと伝える寺院は、兵庫県下に110か所以上あるといわれています。

また、彼が日本に渡るときに、共に渡ってきた「牛頭天王(ごずてんのう)」は、姫路市の広峰神社(ひろみねじんじゃ)に祭られ、その後、八坂神社(やさかじんじゃ)中の座に祭られたとされていますから、播磨の国がとりわけ仙人と関わりが深いことは間違い有りません。つまり須佐之男命と同一視されたり、大国主の荒魂とも言われます。「牛頭天王(ごずてんのう)」もう少し勉強が要りますね。(-"-;A ...アセアセ。

伽藍(がらん)を構えた寺院だけでなく、あちこちにある不可思議な自然物が、法道仙人と結びつけて理解され伝えられていることは、仙人に対する素朴な信仰がこの地の人々にとっても身近であったことを示しています。「インドから紫雲に乗って飛来」云々の真偽は別としても、こうした伝承の元になり、地域の信仰の中心となった人物が実在した可能性は否定できません。

法道仙人は、天竺(インド)から紫の雲に乗って飛来したとされる伝説的人物です。『元亨釈書』等の記述によれば、法道はインドに住んでいたが、紫の雲に乗って中国、百済を経て日本へ飛来、播州賀茂郡(兵庫県加西市)に八葉蓮華(8枚の花弁をもつハスの花)の形をした霊山を見出したので、そこへ降り立ち、法華経の霊山という意味で「法華山」と号したといわれます。


【法華山一乗寺の歴史】

不思議な法道仙人の評判は都へも広まり、白雉元年(650年)、時の帝である孝徳天皇の勅命により法道に建てさせたのが今回ご紹介する一乗寺なんです。

一乗寺には7世紀~8世紀にさかのぼる金銅仏6躯が存在し(うち3躯は重要文化財)、付近には奈良時代にさかのぼる廃寺跡、石仏などが存在することからも、この地域一帯が早くから仏教文化の栄えた地であることは確かなようです。

創建当時の一乗寺は現在地のやや北に位置する笠松山にあったと推定されています。笠松山の山麓には古法華(ふるぼっけ)石仏と称される奈良時代の三尊石仏(重要文化財)があり、「古法華」とは「法華山一乗寺の旧地」の意味と思われます。

現存する一乗寺国宝三重塔は平安時代末期の承安元年(1171年)の建立であるところから、その年までには現在地において伽藍が整備されていたと思われますが、正確な移転時期は不明なんです。

一乗寺は中世、近世には何度かの火災に遭っていますが、平安時代の三重塔をはじめとする古建築がよく保存されていてうれしいですね。本堂は姫路藩主本多忠政の寄進により、寛永5年(1628年)に建てられたものだそうです。

【建築物「伽藍」の紹介】

CIMG9188.jpg(石造笠塔婆、ちょっと遠くて見えませんね~!)
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(石造五輪塔 - 鎌倉時代、元亨元年(1321年)の銘がある。)
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(太子堂)

山間に位置する境内は長い石段が続き、数段に分けて整地されています。バス通りに面した境内入口には山門はなく、正面に石造笠塔婆(県指定文化財)が立つっています。その左方には宝物館(平素は非公開)と本坊の地蔵院があります。右方は公園風に整備され、太子堂、放生池、やや奥まったところに見子大明神の社がありました。

CIMG9192.jpg(常行堂)
CIMG9194.jpg(古いけど風情があります。本堂への階段。左が国宝です。)
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(国宝の三重塔)
境内入口から最初の石段を上った狭い平地の左手に常行堂があり、次の石段を上ると左手に国宝の三重塔、右手に法輪堂(経蔵)があります。三重塔の直上、さらに階段を上った位置に懸崖造の本堂が建つっています。このため、本堂の縁に立つと三重塔を見下ろすことができます。本堂裏手には鎮守社の護法堂、妙見堂、弁天堂(以上重要文化財)、行者堂があり、本堂からさらに200メートルほど登ったところに法道仙人を祀る奥の院開山堂が建つっています(大雨の影響で通行止めになっていました。残念)。

CIMG9200.jpg(本堂「重要文化財」)
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(重要文化財からの国宝三重塔)

本堂(重要文化財) は大悲閣または金堂とも称されます(だいたいの寺院では御朱印は大悲閣と書かれますね~。入母屋造、本瓦葺き、正面9間、側面8間(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を示す建築用語です)。斜面にせり出した懸造とし、内部は広い外陣と、閉鎖的な内陣、脇陣、後陣からなる、密教仏堂の典型的な平面をもっています。札所寺院として、参拝者用の空間である外陣を広く取っており、外陣天井には巡礼者の打ちつけた木札が大量に残っています(現在は木札や千社札は禁止されています)。

『法華山諸堂記』の記載により、寛永5年(1628年)、藩主本多忠政の援助で再建されたことがわかります。内陣には三間の大厨子を置き、中央の間に本尊聖観音立像(重要文化財)、左右の間には不動明王と毘沙門天像を安置するが、いずれも秘仏なんです。厨子外の左右には二十八部衆と風神・雷神像が安置されています。

堂は1998年の台風で大きな被害を受け、1999年から2009年にかけて災害復旧を兼ねた半解体修理が行われた。 銅造観音菩薩立像(重要文化財) の秘仏本尊像は像高72.7 cm、お前立ち像(現在は宝物館に安置)は80.3 cm。いずれも飛鳥時代末~奈良時代初(7世紀後半)の金銅仏です。直立した姿勢、素朴な顔貌表現、緻密に表現された装身具などに時代の特徴が出ています。秘仏本尊像は、2009年11月1日~30日及び2010年5月11日~30日、22年ぶりに開扉されました(見たかった~)。

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(お姿(レプリカ)だけですが、こんな秘仏本尊像です)

三重塔(国宝)は伏鉢(屋根上、相輪の下部にある半球状の部材)の銘から、承安元年(1171年)の建立と判明しています。平安時代にさかのぼり、建立年代の明らかな塔として日本でもとても珍しいものです。塔身部の逓減率(初重から三重に向かって小さくなる率)の大きいことが特色です。

【その他の建造物】

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(本堂横手から裏手に廻りたいかったのですが・・・)

護法堂(重要文化財) - 本堂裏手、石段上に建つ、一間社春日造の社殿。鎌倉時代。
妙見堂(重要文化財) - 本堂裏手に建つ、三間社流造の社殿。室町時代。
弁天堂(重要文化財) - 妙見堂の左に並んで建つ、一間社春日造の社殿。室町時代。

法道仙人を祀る開山堂(超危険なために通行止めでした)

国宝「聖徳太子及び天台高僧像 10幅」 は平安時代、11世紀後半頃の作。各図とも縦125.6~131.6 cm、横74.7~75.8 cm。龍無畏像と慧文像は東京国立博物館、灌頂像は大阪市立美術館、他の7幅は奈良国立博物館に、それぞれ寄託されている。

謎の仙人の正体については少し調べてみます。まずは姫路の広峰神社へ行きますかね~?

歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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