2017/06/23

次の古墳は?まとめ二つご覧下さい 『纒向矢塚古墳』 『東田大塚古墳』だ~!

「一気に箸墓まで突っ走るか~?」と思いながらも、「少し柔らかい話題も入れた方が良いかな?」などとも考えつつ、やはり「古墳をご紹介する」(;^_^Aに落ち着きました。
林ばかりの写真だと、飽きられるかも知れません(笑)!

P5190087.jpg
(小学校の校舎から石棺が見える事間違いなしです。)

次回は御期待してください(^人^)それでは「古墳でGO!」

今回御紹介致しますのは(お分かりでしょうが)。
『纒向矢塚古墳』と『東田大塚古墳』です。


前回、前々回と同じく纒向古墳群の二つの古墳です。

其では、『市郎右衛門』の日本歴史ブログ(暫く古墳ずくし)をお楽しみくださいね(人´ω`*).☆.。
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P5190083.jpg(矢塚古墳の方が近いですね(;^_^A)

【先ずは纒向矢塚古墳からどうぞ】

(纒向小学校検を索した方が早いですね!)
P5190088.jpg
(すこしだけ近づいて見ましたが、竹藪蝮注意~退散!失礼しました。登山靴持ってたのに暑くて半ズボンです。)

所在地:奈良県桜井市東田(ひがいだ)字矢塚
形状:纒向型前方後円墳(葺石・埴輪なし)
規模:全長約96m、後円部径約64m、前方部長32m、周濠幅約17-23m、周濠深さ約0.6m
築造年代:3世紀中頃以前
被葬者:不明
指定文化財:国指定(纒向古墳群)

『纒向矢塚古墳』の埋葬部は未調査ですが、墳頭部より板石が露出しているので竪穴式石室・箱式石棺だと考えられます(小学校の窓から見えてるんじゃないかな?)。
出土遺物は、埴輪、纒向3類の須恵器、瓦器です。

【東田大塚古墳に行きましょう】


P5190126.jpg(だいたい後円部正面に成ります。)
P5190120.jpg
(確かに大分削られているのがわかります。)

所在地:奈良県桜井市東田字大塚
形状:纒向型前方後円墳規模全長約120m、後円部径約68m、前方部長約50m、周濠幅約21m、周濠深さ1.3メートル
築造年代:3世紀後半
埋葬施設:周濠外堤部1基(ちょっと珍しくありませんか?陪塚の始まりかな?)
被葬者:不明
指定文化財:国指定(纒向古墳群)

現在はかなり削られている前方部が西南に長く延びていたようです。
試掘調査により前方部に盛土が残っていることが確認され、2007年4月12日、桜井市教育委員会は全長がこれまでの推測より14メートル長く110メートル以上である旨を発表しました。

周濠外堤部より東海系壺片で蓋をした西部瀬戸内系土器棺「甕棺」が埋納されていました。
名古屋の蓋をした広島産の甕に入った遺骨が古墳外の堀の外で見つかったと書けばわかりやすいですかね?
出土遺物、土師器(布留0式)、木製品等。

P5190123.jpg(私有地立ち入り禁止、上は花畑かな?取り会えず、注意書きは守りました。)

ちなみに「東田大塚古墳」私有地で立ち入り禁止、日本史の転換点の大地で大根作る農家のおばあちゃん、ある意味大物です(畑作られてるのがおばあちゃんだとか、私の勝手な妄想ですからね、笑)。
田んぼ道なので、車で行くのはやめた方が良いと思いました(軽自動車で精一杯です)。

地図で秘密の大発見~!前述の石塚古墳と勝山古墳、今回の矢塚古墳とを結ぶとほぼ正三角形の配置となります。
地図で確認してください、真ん中掘ったらお宝ザクザクと考えるのは、欲に目がくらむ素人考えですかね~?
でも、三角形の真ん中小学校の校庭ですね。

P5190130.jpg(斜め後ろから撮影、本当に穏やかな土地です。暑かったけど~!)

【またまた最後に私の妄想を膨らませます】

私は、子供の頃から古墳がが大好きで、掃除中に小学校の裏庭で前方後円墳のレプリカを作って遊んでました(掃除しろよ!)。
鬼ごっこもお寺の墓地で遊んでいたので、お墓が怖いという感覚はありません(笑)

色々な事が有りまして、歴史探訪を長い間してなかったのですが、米子に単身赴任したことが、私の歴史熱を再燃させる切っ掛けに成った訳ですが、出雲(旧出雲国)の地形はけして穏やかな土地とは言えません。
雲南市や奥出雲町を散策すると、ここなら八岐大蛇が本当にいても可笑しくないと思わせる、厳しく荒々しい自然に囲まれています。

そういえば、話180度変わりますが、映画『たたら侍』見たかったな~( ノД`)…
不祥事で打ちきりに成ってしまいました~f(^_^;、DVD出てくれるかな~?


オット、本論ですね、それに比べて「山辺の道(やまのべのみち)」は本当に穏やかです。
有史以前から、ここは古代の人々によって「道」として使用されていました。
山辺の道は、史実に記される我が国最古の道、遠く弥生時代から、すでに道として機能していた痕跡があります。
そして古墳時代には、街道として整備され、飛鳥時代になるとその名を文献に残しています。
「山辺の道」の途中途中に在る古墳群、それらはまるで弥生の甍とも思え、古墳の数々は目を見張るものが在りました。
史実もさることながら、実際歩いてみると、「ここは弥生から万葉の時代まで、確実に古代日本の最重要拠点だったに違いない」と確信できる、史実上の重要な遺跡の多さに驚かされます。

そして、今日もご紹介した、「纒向の地」はおおらかで優しく、初めてここに立った者なら、「ここに住んで生活を営もう」「神殿を建てて神も迎えよう」と考えたに違いないと思える場所です。
卑弥呼も、そう思ったはずなんです。

ここは、まだ大部分が解き明かされていない、弥生・古墳・飛鳥の古代日本ミステリースポットの中心地です。
是非お出かけください、そして妄想(想像)をフル回転させてみてお楽しみください。


いつも応援、ありがとうございます(^人^)。
歴史って本当に面白いですよね~!

今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思いますので宜しくお願い致します(^人^)
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