2017/04/25

陰陽師とは何者なのか?安倍晴明を祀る『晴明神社』

今日は、小説や漫画(アニメーション)等で有名な安倍晴明をお祀りする「晴明神社」をご紹介します。

「晴明神社」は、平安時代中期の天文学者(陰陽師)である安倍晴明をお祀りした神社です。
創建は、寛弘4(1007)年となっています。
晴明の偉業を讃えた一条天皇の命により、そのみたまを鎮めるために、晴明公の屋敷跡である現在の場所に社殿が設けられたと伝わります。

CIMG7972.jpg(安陪晴明といえば五芒星ですよね~(^o^)v。)

式神という人知を超えた者どもを使ったともいわれる安倍晴明とは、どんな人物だったのでしょうか?

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CIMG7971.jpg(正面すぐ左隣にタイムス?の駐車場がありました。割と簡単にお詣りできました。)

【そもそも陰陽師って何者?】

陰陽師(おんみょうじ、おんようじ)は、古代日本の律令制下において中務省の陰陽寮に属した官職の1つで、陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって占筮(せんぜい)及び地相などを職掌とする方技(技術系の官人で技官です。)として配置された者を指しますが、それら官人が後には本来の律令規定を超えて占術など方術や、祭祀を司るようになったために陰陽寮に属する者全てを指すようになり、更には中世以降の民間において個人的に占術等を行う非官人の者をも指すようになり、声聞師と重ねられることもあって「声聞師(陰陽師の文化を源流とした読経、曲舞、卜占、猿楽等の呪術的芸能を行った人々)」と呼ばれる場合もありました。
中・近世においては民間で私的祈祷や占術を行う者の総称となり、中には神職の一種のように見られる者も存在するようになります。

古い資料によれば、創建当時の晴明神社は、東は堀川通、西は黒門通、北は元誓願寺通、南は中立売通という広大なものであったとされています。
ところが、応仁の乱の後、豊臣秀吉による都の造営や度重なる戦火によって、その規模は縮少され、古書・宝物なども散逸し、社殿も荒れたままの時代が続きました。
その後、式年祭の度に、氏子が中心となって整備・改修が行われ、昭和25(1950)年には、多年の宿望であった堀川通に面する境内地が拡張されるなど、晴明の御神徳を仰ぎ尊ぶ崇敬者の真心によって復興が進められました。
近年は、文芸、漫画、映画などを通じて晴明の存在は広く知られ、全国にその崇敬者を集めるようになっています。

CIMG7975.jpg(もう一本細い通りがあります。)

御祭神は勿論安倍晴明御霊神ですね

【安倍晴明ってどんな人?】

安倍晴明(920-1005)は、孝元帝(こうげんてい)の皇子・大彦命(おおびこのみこと)の御後胤で、幼い頃から非常に多くの道に秀でていました。
特に、天文暦学の道を深く極め、神道を思いのままに操る霊術をも身に付けていたともいわれます。
長じては、天文陰陽博士として活躍、天体を移り行く星や雲の動きを観察し、宮殿の異変や遠方での吉凶を言い当て、朝廷を始め多くの人々が信望を寄せたと伝えられています。
晴明は、朱雀帝から村上、冷泉、円融、花山、一条の6代の天皇の側近として仕え、数々の功績をたてています。
村上天皇の代には、唐へ渡航し、はるか城刑山にて伯道仙人の神伝を受け継ぎ、帰国後これを元に、日本独特の陰陽道を確立したとされます。
今日、私たちの日常生活の基準となる年中行事や暦術、占法はこの時に創られたものだそうです。

そして、一条天皇に仕えて、寛永2(1005)年9月 26日、85歳で亡くなりますが、晴明御霊神として祀られた後も、陰陽道の祖として広く世の中の尊敬を集めます。
「晴明神社にお祈りすれば、不思議な霊の利益を受けることができ、さまざまな災いから身を守り、病気や怪我が治る……」そうした評判が、今も多くの人々に語り継がれています。

以前も書きましたが、「大鏡」の花山天皇御退位場面で、(花山天皇を)お連れ出し申し上げたとき、安倍晴明(あべのせいめい 陰陽師)の家の前をお通りになりましたが、清明自身の声がして、手を激しくぱちぱちと打って、 「帝(みかど)がご退位あそばされると思われる天の異変があったが、すでに事はなってしまったとみえるようだ。(宮中に)参上して奏上しよう。 車に支度をせよ」といふ声をお聞きになられた、そのときの(天皇の)お心は感慨無量に思われたことでありましょう。
「とりあえず、式神(しきがみ)一人が内裏(だいり)に参上せよ」と(清明が)申し上げると、人の目には見えない何物かが戸を押し開けて、(天皇の)御後ろ姿をお見申し上げたのでしょう、 「ただ今、ここをお通りになられているようです」と答えたということです。
清明の家は、土御門(つちみかど)町口(まちぐち)ですので、天皇がお通りになった道です。
「大鏡現代訳より」
というような、お話が出て来ます。
本当に式神という使い魔(ゴブリンみたいな?)術が仕えたのかもしれませんね~(驚)

【戻り橋の伝説】

CIMG7973.jpg(有名な一条戻り橋のレプリカ、冥界との境かもしれません。)

文章博士で参議だった三善清行の八男に浄蔵貴所という修験道を極めた者がいました。
918年(延喜18年)、紀州熊野で修行していた浄蔵のもとへ父が危篤だという知らせが届きます。
急ぎ都へ向かった浄蔵ですが、この橋のにさしかかったところで葬列に出会います。
父の臨終に間に合わなかった事をさとった浄蔵は、父に一目会いたいという一心で祈ると法力がとどき、父は一時的に冥府からこの世へ戻ることを許されたという。
これ以来、「土御門橋」と呼ばれていた橋は、「戻橋」と呼ばれるようになったのだといわれます。

た源頼光の四天王「渡辺綱」が鬼女の腕を切り落とした場所としても知られます。
「晴明神社」の戻り橋は、架け替えが行われた際に、本橋の部材を使って作られたレプリカだそうです。
 
【ご利益】

CIMG7976.jpg(桃は古代から破魔や厄除けとして有名ですね、桃太郎もその流れかも?)
CIMG7977.jpg
(安倍晴明の像です。)
CIMG7978.jpg
(本殿をのぞかせていただきました。)

晴明神社は、「魔除け」「厄除け」の神社です。
御祭神である安倍晴明は、ご生前より、天皇から貴族、庶民に至るまで、広くその悩みや苦しみを取り払うことで大きな信頼を得ていました。
その信頼は、神様となって祀られた現在も変わることは無いようです。
勿論、映画や漫画などの影響もあって参拝者は多かったですね~。

そもそも、「魔」や「厄」というものは、好むと好まざるに拘らず、誰しもが抱え込んでしまうものですから、折りに触れ、その厄を取り除くことが肝要です。
私たちの日々の生活には、なかなか解決できない問題もありますが、神前で静かに手を合わせ、その心を正直に安倍晴明公にお伝えすれば、その絡まった糸がほぐされることでしょう。
「晴明神社HPより抜粋いたしました」

私が言ったときは隣のお土産やさんとの権利問題でもめているようで、ちょっと残念なお詣りに成りました。
五芒星のお守りは車の後部にも良く張ってあるのを見かけますね(笑)


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