2017/02/11

『出雲神話は事実だったなこりゃ!』「荒神谷遺跡」

今日は「倭国大乱」の痕跡か?驚きの発見が続々と発見されている山陰の中で、『荒神谷遺跡』をご紹介しましょう。

私、小学校の卒業文集に「歴史学者に成りたい!」と書いたんです。

実家の地区内に「楯縫古墳群」があって古墳探検したり、その先の葡萄畑では土師器の欠片や矢じりがいっぱい拾えました。
子供には楽しかったんですよ~(o^-')b(今の子供達はそんな楽しい遊びしてるかな?)。 !

中学生に成って、但馬国分寺の調査が本格的に始まり、歴史ブームが有りました(#^.^#)。
邪馬台国論争が盛んで、九州VS機内のバトルが楽しみでした。

面白かったですね~、だって事実は一つにも関わらず、嘘を本当の様に話せば大学教授(子供の考えですから、真面目に取り組んで居られる皆様、許して下さい(^人^))?にだって成れるのですからねぇ!。
必ず歴史学者に成るぞ~と思って居たのですが、全く違う理系に進んでしまいました(笑)

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(古代人はなぜこの地にこれほどの銅剣を埋めたのか、知りたくありませんか?)

しかしながら、鳥取県米子市に単身赴任した事が何十年も忘れていた心の中の、焼けぼっくいに火を着けてしまいました。

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今日は建国記念日ですので、建国記念日の由来から始めますか、2月11日は、日本神話の登場人物であり古事記や日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日が、日本書紀に紀元前660年1月1日 (旧暦)とあり、その即位月日を明治に入り新暦に換算した日付です

【出雲の「神話」は史実だった!? 定説を覆す出雲・山陰、近年の考古学的大発見の数々】

さて本題、出雲を初めとする山陰は長らく歴史学・考古学では重要視される事が在りませんでした。
それは、関連する歴史文献や考古学的な出土品がほとんど無かったからです。

出雲大社で有名な「出雲」の地は、数多くの神話や伝承の舞台として有名ですが、それらの神話のうちいくつかが歴史的な事実であった可能性が出てきています。

出雲はしばしば「神話の国」と形容されます(小泉八雲も「神々の都」と称しています)。
その典拠は、日本の「建国」の歴史を記した『古事記』『日本書紀』『出雲国風土記』です。

一般に「神話」と「歴史的事実」とは別個に扱われますし、「神話」をそのまま「歴史的事実」と考える人は多くはないはずです。
しかし近年、出雲地方で、それまでの常識を覆す考古学的大発見が続き、「神話」が「史実」と考えられ始めている事はご存知でしょうか。

1984年から85年にかけて、荒神谷(こうじんだに)遺跡から弥生時代の358本という大量の銅剣や16本の銅矛などが出土しました。

もちろん、これだけ大量の銅剣、銅矛が一箇所から発見されたのは前代未聞のことです。
それまでに、全国で見つかっていた弥生時代の銅剣の総数が約300本であることを考えますと、荒神谷遺跡で発見された銅剣の数にあらためて驚かされます(一気に倍以上の数になったわけです)。

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(発掘調査の様子ですが、こんな小さな谷に何故と思いますね~?)




さらに、1996年にも、荒神谷遺跡から遠くない加茂岩倉(かもいわくら)遺跡から39個の銅鐸が発見されて注目を集めました。
この加茂岩倉遺跡での発掘以前に日本全国で発掘されている銅鐸の総数が460個であることを考えますと、39個というのは異常な多さです。
加茂岩倉遺跡は今回はお預けまたの機会にお話しいたしますね。

このように、近年、「神話」が「史実」と認められるような画期的な考古学的発見が「神話の国」出雲で続いているのです。
出雲はもはや「神話の国」だけではなく「古代史の国」といってもよいのではないかと思います。

いま近年の出雲における画期的考古学的発見のいくつかを述べたのですが、じつは、出雲地方では以前より弥生式文化の特徴を示す、四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)と呼ばれるヒトデの形をした独特の大型墳墓がいくつか発掘されていますし、銅剣、銅矛、銅鐸なども弥生式文化の時代のものなのです。

CIMG2608.jpg(妻木晩田遺跡の四隅突出型墳丘墓です。こちらも国自体が消えるように衰退しているんです。)

従来、弥生時代の「二大青銅器文化圏」として知られていたのは和辻哲郎氏が提唱した「近畿の銅鐸文化圏」「北九州の銅剣・銅矛文化圏」ですが(教科書で習いましたよね~)、近年の出雲古代史における数々の発見を考えますと、「二大青銅器文化圏」の再考が求められるでしょう。
いずれにしても、出雲が弥生時代に栄えた大文化圏であることは疑いのない事実です。

【荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)は、島根県出雲市斐川町神庭の小さな谷間にある国指定の史跡】

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(荒神谷遺跡史跡公園)
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(おびただしい数の青銅器!凄すぎます。)

「荒神谷遺跡」が正式名ですが、地名を冠して「神庭荒神谷遺跡」とも呼ばれています(前回UPした「景初三年の三角縁神獣鏡」の神原古墳のすぐそばです)。

1983年広域農道(愛称・出雲ロマン街道)の建設に伴い遺跡調査が行われました。
この際に調査員が古墳時代の須恵器の破片を発見したことから発掘が開始されることに成ります。
1984年 - 1985年の2年間の発掘調査で、銅剣358本・銅鐸6個・銅矛16本が出土しました。
銅剣は1985年、銅鐸・銅矛は1987年に国の重要文化財に指定されましたが、1998年に一括して「島根県荒神谷遺跡出土品」として国宝に指定されました。
出土品は現在、文化庁が所蔵し、島根県立古代出雲歴史博物館などに保管されています。

遺跡自体は1987年に国の史跡に指定されました。
斐川町(現:出雲市)が中心となり1995年に遺跡一帯に「荒神谷史跡公園」も整備されています。
2005年には公園内に「荒神谷博物館」が開館し、出土品の期間展示なども行われ古代のロマンが目の当たりにできます。
現在、出土品は2007年3月に出雲市大社町杵築東に開館した「島根県立古代出雲歴史博物館」に常設展示されているので通常はこちらの方が間違いないですね。

銅剣の一箇所からの出土数としては最多であり、この遺跡の発見は日本古代史学・考古学界に大きな衝撃を与えました。
これにより、実体の分からない神話の国という古代出雲のイメージは完全揖に払拭される事に成りました。
その後の加茂岩倉遺跡の発見により、古代出雲の勢力を解明する重要な手がかりとしての重要性はさらに高まってきています。
出土した青銅器の製作年代等については解明されているようですが、これらが埋納された年代は現在のところ特定できていないそうです(中の土や木片などで今の技術ならできそうな気がしますけどね~)。

【出土した青銅器】

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(綺麗に並べられた358本の銅剣、誰が何故、何の目的で埋めたのでしょうね?)
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(再現ですが、ビックリですね~写真が光って申し訳ありません。)

『銅剣』
丘陵の斜面に作られた上下2段の加工段のうち下段に、刃を起こした状態で4列に並べられて埋められていました。
358本の銅剣は、全て中細形C類と呼ばれるもので、長さ50cm前後、重さ500gあまりと大きさもほぼ同じです。
弥生時代中期後半に製作されたとみられています。
この形式の銅剣の分布状況から出雲で製作された可能性が高いが、鋳型が発見されていないため決定的で無いのが残念ですね。
いずれにしろ、形式が単一なので同一の地域で作られたことは確かなんです。
また、このうち344本の茎には、鋳造後にタガネ状の工具で×印を刻まれています。
このような印は、現在までのところこれらと加茂岩倉遺跡出土銅鐸でしか確認されておらず、両遺跡の関連性がうかがえます(大きなヒントのように思えるのは私だけでしょうか?)。

当時の大和朝廷「イズモ」を特別な地域であると認識していた事が、「記紀」の記述にもあり、また神話のなかの三分の一(三分の二と考える研究者もおられるようです)を出雲神話で占める、といったことからも証明される形となっています。
更に、時代が下って編纂された「式内宮」として認められた神社の、出雲地方での総数と出土した銅剣の本数との奇妙な一致も不思議な謎ですね。

当初は、農道を造るために、神庭と呼ばれる場所であることから、とりあえず調査発掘をすることになり、最初に掘ったトレンチから銅剣が土中から出てきました。
担当者は連絡に奔走し、同時に発掘を進めていくことに成りました。
当初は百本位だろうと考えられたが、次々に出土し、最終的に358本という数に達しました。
それまでに全国で発掘された銅剣の総数を超える数の銅剣が発掘された事は当時のマスコミを興奮のるつぼに放り込んだ形となりましたね(当時私も大興奮した記憶がありますもの)。

これらの銅剣が発掘された1985年7月13日の担当者の話では、梅雨のさなか、テントを張って毎日、夜も欠かさず見張りを続け、現場から帰ってきたその日の当直者は顔が変形するほど蚊にさされたというエピソードもあります(笑い話ですが、当時はそれはそうだっただろうと思えますね)。

『銅鐸』
先年の騒動が静まってから、島根県教育委員会では、周辺に未発掘の遺物、遺跡がある可能性が大でありとして、磁気探査器を使って調査したところ、銅剣出土地より南へ7メートルに反応があり、発掘が始められました。
発掘開始まもなく、銅剣出土地点よりも7メートルほど谷奥へ行った場所で新たに銅鐸6口が発見されます。
埋納坑中央に対して鈕を向かい合わせる形で2列に並べられていました。
分類としては、最古の形式であるI式(菱環鈕式)が1つと、それよりやや新しいII式(外縁付鈕式)の形式のものが1個、外縁付鈕1式3個が出土しました。

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(こちらは銅矛と銅鐸、整然と並んでいます。)
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(358本の銅剣のすぐ隣です。)

製作時期は、弥生時代前期末から中期中頃の間と考えられています。
文様に強い独自性がみられる1つを除いては、同形式の銅鐸の鋳型の分布からみて近畿産とする説が有力だったのですが、12年後に出土した加茂岩倉遺跡の39口の銅鐸との関連性を考慮すると、一概に畿内製造であるとは言い切れなくなってきています(北部九州製の可能性が高くなりましたし、分布そのものが加茂岩倉や、昨年の淡路の松帆銅鐸の発見などで変わって来ていますね。)。
三号銅鐸は伝徳島県出土銅鐸と同笵であることが確認されていますし、二号銅鐸が京都市右京区梅ヶ畑遺跡出土の四号銅鐸と同笵であることも判明しました(なお6個の銅鐸の高さが20センチと同じです。)。

地元の研究者である速見保孝によると、近辺に銅鉱山があり、また鋳型を作るための材料となる「来待石(砂岩の一種、細かい細工がしやすく、勾玉などの製造に際して砥石として利用されました。出雲の神社では狛犬の制作にも使われています。)」が大量にある事から、出雲で原材料を集め、大量に製造したのではないか、という説を提唱しておられます。(更なる研究が待たれる所ですね)。

成分は銅を主成分としスズと鉛を含む、青銅です(スズは8.79~17.3%、平均で12.6%、鉛は1.53~7.53%、平均で4.3%含んでいることが分かっています)。
銅とスズの合金である青銅は、スズの配合によって色が変化します。
このような成分組織では、銅鐸の地金の色は少し黄色味を帯びた銅色(現在は勿論緑青で覆われています。)を呈していたと考えられ、中には金色に近い色を呈していたものもあったのではないかとみられています(再現された銅鐸の色は黄金といってよいほどに綺麗です。)。

『銅矛』
矛先を揃えられ、銅鐸と共に出土した銅矛は、銅鐸と同じ埋納坑の東側に、16本とも刃を起こし、矛先が交互になるように揃えて寝かせた状態で埋められていました。
横には小ぶりの銅鐸が鰭(ひれ)を立てて寝かせた状態で、同じく交互に並べた状態です。
鰭とは、銅鐸の横側、板状の部分を「鰭」と呼びます(プラモデルのバリみたいな部分です。バリと一緒にしちゃだめですね~必要部分ですからね!)。
古代当時、この青銅器に関わった人が、銅矛の刃と銅鐸の鰭を立てた状態で丁寧に並べて置いた、そのままの状態を保って出土したのだと思われます(古代人の意思が感じられる埋め方です。)。

分類には諸説あるようですが、大まかに言えば、中広形14本と中細形2本に分けられます。
製作時期は、銅剣とほぼ同じか、若干後の時期と考えられています。
その形態や北部九州産の青銅器に見られる綾杉状のとぎ分けがあることから、16本とも北部九州で製作されたものと考えられます。

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(公園に植えられた大賀蓮、縄文時代の古代蓮が花開いています。)
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(枯れても種は2000年の時を隔ててまた咲くのですね~感慨深いですね。)

「記紀神話」の中には出雲繁栄と国譲りという「イズモ」にとっては、栄光と挫折ともいえるお話が語られています。
その神話の現実が、この荒神谷遺跡ではないのでしょうか?

弥生時代から語る継がれる神話の世界が解明されて「日本人は神の子孫」と呼ばれる日が来るかもしれませんね。
「日本は神の国」と発言して物議をかもした、総理経験者も居られましたが、ご本人の発言の意図は別にして、誇りをもって神の子孫といえる日本人に成りたいし、子供達にも語り継ぎたいお話です。
建国記念日にふさわしいブログだったかな!

いつも応援、ありがとうございますm(__)m。
歴史って本当に面白いですよね~!

今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思いますので宜しくお願い致します(^人^)
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