2016/01/30

日本で初めてジーンズをはいた、日本一格好いい男!

皆さんは、白洲次郎を知っておられますでしょうか?

太平洋戦争で敗北した日本の心を守るために奔走した、このたぐいまれなる人物の存在を、私が知ったのは、夫人、エッセイスト白洲正子の本からです。

白洲正子は旧華族樺山侯爵家のお嬢様で、あの黒田清輝『湖畔』『読書』がリビングに飾って有ったという凄いお家です。

日本文化に造詣が深く、本を何冊かは読んでいたのですが、夫次郎の事は余り知りませんでした。

民芸の事を調べるうちに、もう一度白洲正子を調べる機会があり(民芸運動の柳宗悦や甥とも知り合いの様で)、夫次郎の事を知り、びっくりして本を買って読んでみました。

『白洲次郎 占領を背負った男』 北 康利
占領を背負った男
(人間、白洲次郎を紹介したいと思いますので、北さんには申し訳ないのですが、この本以外の白洲次郎に関する資料も読んでいただけたらと思います。)

国土を他国に占領されるという、日本国としては歴史上初めての経験、日本人は自信を失い、GHQの顔色伺いに終始していました。
そのような時、白洲次郎は吉田茂外務大臣の要請で、終戦連絡事務局参与となり、GHQとの交渉にあたることに成ります。

GHQに対して卑屈な官僚や政治家の中にあって、次郎は筋を通し、一歩も退く事は有りませんでした。
GHQは舌を巻き、「従順ならざる唯一の日本人」と、本国に連絡したとの記録があります。

本の中には次郎らしい、代表的なエピソードがいくつか記録されていますので、紹介しましょう。

昭和20年12月のクリスマス。次郎はマッカーサー司令長官に、天皇陛下からのプレゼントを届けることを依頼されます。
長官部屋の机の上はすでにプレゼントでいっぱい、マッカーサーは「そのあたりにでも置いてくれ」と言って床の絨毯を指さします。
すると次郎は血相を変え「いやしくもかつて日本の統治者であった者からの贈り物を床などにおけとは何事ですか!」と叱り飛ばし、贈り物を持って帰ってしまおうとします。さすがのマッカーサーもあわてて謝り、急いで新しい机を運ばせたそうです。
「日本は戦争には負けたけれども、奴隷に成ったわけではない」が次郎の口癖でした。

またある時、GHQ民政局長ホイットニー将軍が「白州さんの英語は大変立派な英語ですね」とお世辞を言いました。
そこには、勝者としての奢りが込められていたはずです。
これに対して、次郎は「あなたももう少し勉強すれば、立派な英語がしゃべれますよ」と答えたといいます。

サンフランシスコ講和条約への出発時の服装は、首席全権委員の吉田茂首相は羽織袴で、二郎はTシャツにジーパン、ポケットにウイスキービン(きっとスコッチですね)だったようです。


日本人が歴史上、最も自信を喪失し卑屈になっていた時期、支配者に対し、日本人の気概を示した唯一の人物が白洲次郎でした。

この姿こそ、まさに「カッコいい」と言えませんか?
そんな、破天荒な行動力と痛快な逸話ですっかり白洲二郎に魅了されてしまいました。

次郎の遺言は『葬式無用、戒名不要』の一行のみ、格好良すぎます。お墓に御参りしてビックリ!死してなお格好いいって・・・
月心院
(白洲次郎が眠る三田市心月院、織田水軍九鬼家の菩提寺でもあります。)
白洲次郎の墓
(確かに、戒名ありません。右次郎の墓石には不動明王の梵字、左正子の梵字は十一面観音です。)

次郎は自分という人間の「筋」『プリンシプル(生き方の大原則)』と呼んでいました。

夫人の正子は、彼の人物を評して「直情一徹の士」「乱世に生きがいを感じる野人」と呼んでいたようですが、現代の若者に是非知っていただきたい人物白洲次郎!そして是非読んで頂きたい一冊です。


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