2016/10/26

因幡の白兎!その後のストーリー「御井神社」

出雲神話のミステリーに帰ってきました。
前回もそうだったかな?

有名な因幡の白兎神話「八上比売」とめでたく結婚した大穴牟遅(後の大国主)ですが、どうも新婚なのにも関わらず妻を実家に置いて、出雲に帰ろうとしたようです。
その途中に嫉妬した兄達の八十神に迫害を受け、命を落とし、再生~と、色々あって須佐之男命の娘「須勢理毘売」と結婚する事になります。

因幡に取り残された「八上比売」のその後の物語です。
ご紹介するのは「御井神社(みいじんじゃ)」通称「御井戸さん」です。

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御井神社(みいじんじゃ)は島根県出雲市斐川町直江にある神社です。



大国主の神話に登場する八上比売(やがみひめ)とその子である木俣神(このまたのかみ)にまつわる伝承のある神社で、安産の神として信仰されています。

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(周りに井戸が見えていますが、まずはお詣りです。)
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(珍しく平地、妊婦さんですからね~。)
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(綺麗な神社です。)

祭神
木俣神(御井神)
八上比売は祀られていません。

CIMG2351.jpg(神楽もあるようです。須世理姫になっていますね。)
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(八上比売と木俣神の母子像。)

『古事記』に描かれる大国主の神話に登場する。
以前も書きましたが、「因幡の白兎」白ではありませんよ~本当は「素兎」です。
大穴牟遅神と結婚した八上比売は、子を身ごもり出雲国まで来たが、正妻の須勢理毘売を畏れ、生まれた子を木の俣に押し込んで因幡国に帰ってしまいました。
そのためにその子は「木俣神」と名づけられたと言われています。

御井神社は、大国主大神の第一子木俣(このまた)大神を主神とする総本社で、全国に四つの末社を有します。

建久二年(1191)に、当時の神職稲田彦太郎が源頼朝の命によって上直江八幡宮に転住するまでは、方三百間(1キロ強)の神苑を有し、大社型の豪壮な社殿がそびえたっていたと記録されています。
拝殿、幣殿と大社造の本殿、境内地は595坪もの大きさでした。

戦国時代、尼子VS毛利の戦禍のため、社宝、古文書はことごとく焼失してしまいました。

CIMG2357.jpg(こちらは八上姫です。)
CIMG2360.jpg(井戸そのものが神様ですね~?)
CIMG2361.jpg(拝殿です。)
CIMG2363.jpg(残念ながら神官がおられず、御朱印は涙をのみました。)
CIMG2365.jpg(かわいらしい神殿です。)

御井神社 由緒概略

御井神社は、古事記および風土記等日本最古の史書十三の文献に記された由緒ある神社である。
そもそも当社が安産の神また水神の祖であるという謂れは、記紀に記された次の故事による。
大国主大神は因幡の白兎の神話の時むこうで八上姫という心姿の美しい女神を愛され、姫はやがてみごもられた。
臨月となられた八上姫は背の君に会いに出雲大社へ行かれたが、正妻須世理姫の立場を慮り、会わずに引き返された。
そして神奈火山の麓直江の里まで帰られた時産気づきやがて玉のような御子を挙げられた。
そこで三つの井戸(生井、福井、綱長井)を順次掘り御子を産湯させてから木の俣に預け、母神のみ因幡へ帰られた。
これより御子を木俣神または御井神と申し上げ、安産と水の守護神として全国からの信仰を集めている。

 木の俣の 三井の産湯の水なれば
    祈らん人を 守る神垣(神詔)
             社 頭
~境内の案内板より~

神社の近くに「生井(いくい)」、「福井(さくい)」、「綱長井(つながい)」と呼ばれる3つの井戸があり、八上比売が出産の時に産湯を使ったという伝承があります。
元来この3つの井戸に対する信仰が神社に発展したものと考えられています。

CIMG2347.jpg
(生井井戸)
CIMG2348.jpg
(神事などには使われているのでしょうか?)
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(福井井戸)
CIMG2343.jpg(民家のすぐ隣です)
CIMG2368.jpg
(少しだけ離れた綱長井井戸)
CIMG2369.jpg(草地の中でも、ちび狛犬様が御守りされています。)

境外社として、母神の八上比売を祀る実巽神社(じっそんじんじゃ)が在ります(八上比売は因幡に帰って亡くなったとも言われます)。
探したのですが、よくわかりませんでした。
たぶんこれが実巽神社ではないかと思います。

CIMG2372.jpg(神社の案内板の地図だとこの建物だと思うのですが、行く道が見当たらなかったです。望遠撮影!)

御井神社の近くに1985年に大量の銅剣や銅鐸が出土した「荒神谷遺跡」があります。

出土品の製造は弥生時代中期後半頃とさえていますが、はっきりはしません。
年代的には、紀元頃から紀元200年代後半の間ということになります(倭大乱!考えずにはおられませんね)。
この発掘により「神話の世界」「考古学の実物」が重なったのです。


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