2017/09/20

山陰但馬の小京都、出石藩「仙石家」の居城『出石城』

今日は、但馬の「出石」を代表する建築遺跡『出石城』をご紹介いまします。出石城跡(いずしじょうし)は、兵庫県豊岡市出石町に有る但馬に残る唯一の城です。

城を中心とした静かなたたずまいと、江戸期を思わせる古民家は山陰の小京都と呼ばれ、出石蕎麦をはじめ白磁の出石焼などが有名で、年間を通して多くの観光客が訪れます。

DSC_0173 (2)(復元された西隅櫓)


江戸時代には漫画「センゴク一統記」でも有名な「仙石権兵衛秀久の末裔」仙石政明が長野から転封され、明治迄の時代を出石藩仙石家として廃藩置県まで居城を守っています。

それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
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DSC_0070 (2)(子供の頃は登城橋が無かったのでもっぱらこの有子橋から登城してましたね~!)
DSC_0153 (2)(最上段稲荷曲輪へ続く朱の鳥居綺麗ですね~笑)

 
【出石ってどんな町?】

DSC_0071 (2)(夏らしく風鈴がいっぱいでした。蛍の季節も綺麗だそうですよ。)

以前には、大手門跡の「辰鼓楼」や「おりゅう灯篭」をご紹介しました。その他にも天日槍を祀る、但馬一宮「出石神社」や出石生まれの沢庵禅師で有名な「宗鏡寺」などがあり、家老屋敷や町のたたずまい、小京都にふさわしい街並みを残しています。
近年では100年以上歴史を持つ建築の劇場「永楽館(えいらくかん)」がリニューアルされました。永楽館は1901年(明治34年)に竣工し、現地に現存する劇場建築としては日本最古とされます。(現存する日本最古の劇場は旧金毘羅大芝居 金丸座)
座頭6代目 片岡愛之助によるこけら落とし公演が行われ、愛之助さんは毎年のように永楽館歌舞伎を公演されていますね~(笑)奥様も来られるので話題になっていますね。

【出石の戦国時代~江戸期(時代をすべて書くと膨大になりますので)】

DSC_0131 (2)(東の隅櫓)
DSC_0126 (2)(手前に少しだけ庭園跡が残る本丸跡。石垣の上は最上段の稲荷曲輪です)
DSC_0148 (2)
(そして仙石権兵衛秀久を祀る感応殿)
DSC_0133 (2)(感応殿)

山名氏の最盛期、但馬国守護となった山名時義が、出石神社の北側の此隅山に、此隅山城(このすみやまじょう)を築きます。
永禄二年(1559)、丹波福知山城主の明智光秀が、出石の此隅山(このすみやま)城が虚城であることを聞いて攻撃しようと考え、陣代として大野内膳統康・伊藤七之助次織・伊藤加助の三名を派遣、進美寺(しんめいじ)の東に「掻上の城(かきあげじょう)」を築いて、「水生城(みずのうじょう)」を攻撃しましたが水生城は落ちませんでした。

此隅山城は長らく山名氏の本拠でしたが、1569年(永禄12)の織田軍の羽柴秀吉による但馬遠征で落城します(一次但馬征伐とは違います)。城主山名祐豊は城を失いましたが、今井宗久の仲介によって織田信長と和睦することになり、領地但馬にに復帰しています。

1574年(天正2)、祐豊は標高321mの有子山山頂を天守とする有子山城(ありこやまじょう)を築き、本拠を移します。麓には下館も築かれ小城下町の体を成しました。しかし、毛利氏方についたため、1580年(天正8)、羽柴秀吉による第二次但馬征伐で有子山城も落城、但馬国山名氏は滅亡してしまいます。

DSC_0157 (2)(山城の有子山後に登山しようともくろみましたが(-"-;A ...アセアセ)
DSC_0156 (2)(熊には勝てませんから~熊鈴もつけてるんですけどね。)

有子山城は、しばらく城代の時代が続きましたが、1585年(天正13)から前野長康(秀吉最古参の家臣)、1595年(文禄4)から小出吉政(秀吉のいとこ)が城主を務めました。関ヶ原の戦いにおいて、小出氏は家名存続のため、吉政が西軍、弟・秀家は東軍に分かれて戦う苦肉の策をとり、勝ちを納めた東軍に付いた秀家の功績により、吉政の西軍への加担の責任は問われず、出石の領土は安堵されています。

1604年(慶長9)、小出吉英(吉政嫡男)により有子山城の山上の丸および天守部分が廃され、有子山城山麓の郭および館のみを出石城と命名し幕府に居城として届けられました。それにともない平地に、堀で囲まれた三の丸が築かれ、下郭、二の丸、本丸、稲荷丸が階段状に築かれました。城主の居館も出来、このとき城下町も整備され、出石の町並みが形成されてゆきました。

山上の旧有子山城天守は取り壊しは行われませんでしたが、幕府をはばかって荒れるにままにされたため樹木が生い茂り一見したところ山林となってしまいました。出石城は、一国一城令により、但馬守護山名氏以来の出石城が但馬国唯一の城郭となっています。

江戸時代は、出石藩の藩庁となり、小出英及(吉英嫡男)が1696年(元禄9)3歳で死去すると小出氏は無嗣改易となりました。代わって松平(藤井)忠周が入城しますが、1706年(宝永3)忠周が転封となると、仙石政明(権兵衛秀久の末裔)が信濃小諸藩から転付入城し、廃藩置県まで仙石氏の居城となっています。江戸末期には「江戸期三大お家騒動といわれる」仙石騒動がおこっています。

DSC_0196 (2)(家老屋敷こちらも復元かな?)
DSC_0209 (2)(こんなに質素な生活だったのか~~?)

明治時代になり、廃城令で出石城も取り壊されましたが、辰鼓楼、堀、石垣などが現存、また隅櫓、登城門・登城橋などが復元され、堀の周囲一帯は登城橋河川公園として整備されて、観光地となっています。
おかしいと思ったんですよ~子どもの頃からよくお蕎麦を食べに行ってはおりましたが、お城はそんなにうかがう機会はありませんので、登城門・登城橋を通った時にこんな所有ったっけと思いましたもの、復元されていたのですね。

DSC_0164 (2)(最上階からの出石の町、真ん中のキノコみたいな建物「ひぼこ」ホールです。丸い山が進美寺か~?)
DSC_0191 (2)(子どもの頃には無かった登城橋と登城門初めてきぐりました。)

【出石といえばお蕎麦~~~!】

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(これが出石蕎麦「一鶴さん」の物で~す!上手いんだなこれが・・・・)


そうそうお蕎麦ですが、仙石政明が信濃小諸藩から転付時に蕎麦職人を伴ったことから発展したといわれています。今回はお蕎麦もご覧いただきましょう。
Facebookで店主さんとお友達になって頂いている「一鶴」さんのお蕎麦、ミシェラングリーンガイド2016兵庫特別版に記載された、ビブグルマン(5000円以下でコストパフォーマンスが高く、行く価値がある店)に記載されたお店です。

DSC_0185 (2)(最後に忘れてはいけない、親戚筋にあたる斎藤隆夫記念碑)
20150905200742b29[1]
(命を懸けた軍縮演説で有名ですね!ネズミの大将のあだ名が・・・納得。凄い人ほど見た目はそうでないのかも?)

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リュミエールブラン ネージュ

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