2016/09/03

現存すれば、間違いなく世界遺産!『安土城』

お待たせいたしました~さて今回ご紹介するのは『安土城』です。

「市郎右衛門」の歴史ブログをお楽しみください。

今回も写真が一杯です~(^-^)/お楽しみください!

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琵琶湖東岸の安土山(現在の滋賀県近江八幡市安土町下豊浦)にあった織田信長が造った城です。
城址は国の特別史跡で、琵琶湖国定公園第1種特別地域になっています。



安土城は、織田信長によって、現在の安土山に建造され、大型の天守(現地では「天主」と表記)を初めて持つなど威容を誇ります。
建造当時は、現在の地図とは違い郭が琵琶湖に接していました。
地下1階地上6階建てで、天主の高さが約32メートル。
それまでの城にはない独創的な意匠で絢爛豪華な城であったと推測されています。

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(真ん中の地図を見ると、琵琶湖がすぐそこまで在ったのがわかりますね。)
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(暑い日だったけど、自販機くらいしかありません!もっと観光資源の価値があると思うのですが。)
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(大手道、真っ直ぐで攻め込むには持って来いですけど~(;´・ω・)すぐ左が伝羽柴邸。)
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(こんなメインに羽柴邸が在ったとは思い難いですけど?対面、前田邸は出来すぎでしょ~!)
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(堅固な門構えです。)
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(羽柴邸結構広いですよ。石垣の上もですから。)


ここで余談ですが(こんなところで~笑)安土桃山時代って変だと思いませんか?なぜ安土伏見時代ではないのでしょうか?(秀吉は伏見城で政治を行っていたはずですよね~?伏見城は桃山台地にあったので別名桃山城と呼ばれます。桃山台地には明治天皇の御陵が在るのでそちらを浸透させたかった。鳥羽伏見の戦いの印象を薄めたかった。等所説在ります。)どうでしょう?安土大阪時代でもよいのではないでしょうか。

さてと、城郭の規模・容姿は、天下布武(信長の天下統一事業)を象徴し、一目にして人々に知らしめるものであり、山頂の天主に信長が起居、その家族も本丸付近で生活し、家臣は山腹あるいは城下の屋敷に居住していたとされます。

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(階段にお地蔵さん!合理主義で神仏を恐れない信長らしい?ですね。そこに賽銭が日本人らしい処です。笑)
CIMG6720.jpg(本丸跡まで登ってきました。広いです。)
CIMG6721.jpg(ヒノキなんか植えて大丈夫?)
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(さあ!天主ですよ~!)
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(天主~ワクワクものです。)
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(なんで四角じゃないんだろう?)

1582年(天正10年)、家臣明智光秀による本能寺の変の後まもなくして何らかの原因(残念で成りませんよね~)によって焼失し、その後廃城となり、現在は石垣などの一部の遺構を残すのみとなっていますが、当時実際に城を観覧した宣教師ルイス・フロイスなどが残した記録によって、焼失前の様子をうかがい知ることができます。

日本の城の歴史という観点からは、安土城は六角氏の観音寺城を見本に総石垣で普請された城郭であり初めて石垣に天守の上がる城となりました。
ここで培われた築城技術が安土桃山時代から江戸時代初期にかけて相次いで日本国中に築城された近世城郭の範となりました。
そして普請を手がけたとの由緒を持つ石垣職人集団「穴太衆(現在まで続いており熊本城の石垣修復にも関わられるのでないかと思います)」はその後、全国的に城の石垣普請に携わり、石垣を使った城は全国に広がっていった、という点でも重要です。

城郭遺構は安土山の全体に分布しており、当時の建築物では仁王門三重塔が、現在 城山の中腹に所在する摠見寺の境内に残っています(摠見寺には伺えませんでした)。
また二の丸には信長の霊廟が置かれている(信長の墓所と言われるものは各地にありますが、実際は光秀さえも遺体は発見できていないので、本当の墓が存在するかは疑問です)。

CIMG6728.jpg(二の丸の信長廟です。)

滋賀県は1989年(平成元年)から20年にわたって安土城の発掘調査を実施しました。
南山麓から本丸へ続く大手道、通路に接して築造された羽柴秀吉邸前田利家邸、天皇行幸を目的に建設したとみられる内裏の清涼殿を模った本丸御殿などの当時の状況が明らかとなり、併せて石段・石垣が修復工事されています。
調査は当初予定通り2008年(平成20年)度の予算をもって2009年に終了してしまいました。
20年間で調査が実施されたのは史跡指定面積の約20%(17ヘクタール)にとどまっていますので、歴史フアンとしては全域の調査(50年から100年必要とされる)に期待したいです(できれば天主の再現を~)。

さて、安土城の歴史ですが、1576年(天正4年) 1月、織田信長は総普請奉行に丹羽長秀を据え、近江守護六角氏の居城観音寺城の支城のあった安土山に築城を開始します。

1579年(天正7年)5月完成した天守に信長が移り住み、同年頃に、落雷により本丸が焼失したと、ルイス・フロイスが著書『日本史』に記しています。
1582年(天正10年) 5月15日には明智光秀が饗応役となった徳川家康の接待(信長の怒りで本能寺の変のきっかけを作った?事で有名ですね。)のが行われています。

同29日の明智光秀謀反の本能寺の変の際は蒲生賢秀が留守居役として在城していましたが、信長の横死後、蒲生賢秀・氏郷父子は本拠地日野城に信長の妻子などを安土から移動させ退去しています。
山崎の戦いの後、明智秀満率いる明智軍の退却後、天主とその周辺建物(主に本丸)を焼失してしまいました。
本能寺の変以降もしばらく織田氏の居城として、信長の嫡孫秀信が清洲会議の後入城するなどと、主に二の丸を中心に機能していました。
しかし、秀吉の養子豊臣秀次の八幡山城築城のため、1585年(天正13年)をもって廃城されたといわれます。

img_0[1](こんな感じだったのかな~!「伊勢・安土桃山文化村にある安土城天主(宮上茂隆復元案)を模した天守風建物」)

現地で感じたのは、戦う城では無いという事です。
真っ直ぐな大手道、当時湖岸にそびえたつ天守、正にシンボルタワーですね~!
現存すれば姫路城より先に世界遺産に登録されたことは間違いないと思います


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