2016/09/17

我が家も安産!西国三十三観音霊場第二十四番札所 『中山寺』

西国三十三観音霊場第二段です。
ご紹介するのは『中山寺』です。
中山寺は、兵庫県宝塚市にある真言宗中山寺派の大本山寺院です。

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山号は紫雲山
本尊は十一面観音
西国三十三所第24番札所(私が現在まわれているのはちょうど半分です)。



本尊は十一面観世音菩薩で、インドの勝鬘夫人勝鬘夫人(「しょうまんぶにん、シュリーマーラー」は、古代インドの在家仏教徒。シリーマーラーとは「素晴らしい花輪」という意味で、勝鬘はそれを漢訳したもの)の姿を写した三国伝来の尊像と伝えられます(私見ですが、御本尊の十一面観世音菩薩、西国三十三観音霊場の御本尊の中で一番艶やかなお姿をされていると思います)。
左右の脇侍も十一面観世音菩薩で、本尊と脇侍をあわせて三十三面となり、西国観音を総摂すると共に法華経に説く、観音の三十三権変化身を表象し、真の三十三所巡拝と同じ功徳がえられるという便利な?お寺です。
普段は秘仏となっていますが、毎月18日に開扉されます。

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(姫路書写山園教寺にあるレプリカ?鋳造仏です。艶っぽいですよね。)

地元では「中山さん」と親しみを込めて呼ばれていますし、「中山か~んの~ん」のメロディーのTVコマーシャルは関西では?誰もが耳にしているはずです(^^;。

また、摂津国八十八ヶ所霊場会の本部も、設置されています。
御朱印集めを楽しんでいる者といたしましては、ありがたいですが、懐具合も気に成ってしまいます(笑)。

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(山門も豪華です。縁日のように参道にお店が並ぶのが楽しいですね。)
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(この日のお店は少ないですが、私は寺町で七味唐辛子を必ず買うことにしています。これが美味しい!)
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(本堂!何度も御参りしているので、写真が一杯と思っていましたが、HD壊れて飛んで行ってしまったようです。)
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(新しくできた大願塔です。)

寺伝では聖徳太子が建立したとされる日本最初の観音霊場です。
「極楽中心仲山寺」と称されていました。
現在の本堂(慶長8年・1603年再建)や阿弥陀堂は豊臣秀頼が片桐且元に命じて再建されたようです。
羅漢堂に約800体の羅漢像が並ぶ姿は荘厳ですね。

ここで少しうんちく!「西国三十三カ所観音霊場巡りの由来」
養老2年(718年)、大和国長谷寺の開山「徳道上人」が病にて仮死状態になられた際、冥土で閻魔大王に会い、「生前の悪い行いによって地獄へ送られるものが多い故、観音の霊場へ参ることにより功徳が得られるよう、人々に観音菩薩の慈悲の心を説け」とのお告げを受け、起請文と三十三の宝印を授かって現世に戻され、その証拠でもって人々に観音信仰、及びその霊場へ参ることをすすめられました。
徳道上人が極楽往生の通行証となる宝印をお配りになったという場所は、観音菩薩が衆生を救うために示現された霊験所や寺院でした。
上人と弟子たちはこの三十三所巡礼を人々に説きましたが、世間の信用が得られずあまり普及しなかったため、機が熟すのを待つこととし、閻魔大王から授かった宝印を中山寺の「石の唐戸」の中に納めました。
そして月日がたち、徳道は隠居所の法起院で80歳で示寂し、三十三所巡礼は忘れ去られていきます。

徳道上人が中山寺に宝印を納めてから約270年後、花山法皇(安和元年〈968年〉 - 寛弘5年〈1008年〉)が紀州国の那智山で修行していた折、熊野権現が姿を現し、徳道上人が定めた三十三の観音霊場を再興するように託宣を授けます。

中山寺古墳1
(兵庫県宝塚市中山寺の古墳。おじさんの影が~!)
中山寺古墳2
(石の唐戸?三十三の宝印が封印さていたの?)

花山法皇は、988年(永延2年)観音霊場三十三ヶ所の宝印を石棺に納めたという伝承があった、中山寺(兵庫県宝塚市)で宝印を探し出し、播磨国書写山圓教寺の性空上人の勧めにより、河内国石川寺(叡福寺)の仏眼上人を先達として紀伊国熊野から宝印の三十三の観音霊場を巡礼し修行に勤め、大きな法力を身につけたといわれます。
このことにより、やがて観音霊場を巡る西国三十三所という信仰となり、西国三十三所は日本最古にして、巡礼の元祖となりました。
この花山法皇の観音巡礼が西国三十三所巡礼として現在でも継承されており、各霊場で詠んだ御製の和歌が御詠歌となっています。
花山法皇は、寛弘5年(1008年)2月花山院の東対にて崩御、紙屋上陵(現在の京都市北区衣笠北高橋町)に葬られています。

さて本題に戻って中山寺ですが、安産祈願の霊場として皇室源頼朝など武家、庶民より深く信仰を集めます。
豊臣秀吉が祈願して豊臣秀頼を授かったともいわれています。
また、幕末には中山一位局明治天皇を出産する時に、安産祈願して無事出産したことから、日本唯一の明治天皇勅願所となり、安産の寺として知られています。

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(皇帝ダリアが綺麗に咲いていました。)

我が家でも、三人の子供達の安産祈願を此方中山寺で行いました。
いぬ帯を持っての御礼参りを行うのですが、三人目の次女だけ行きそびれて、10年掛かって御礼参りに行かせて頂きました(罰当たりな事です。)。

中山という山が背後にあり、山麓にある中山寺奥之院には厄神明王がまつられ、本堂脇にある湧水は大悲水と呼ばれています。
中山寺の境内からは18丁、徒歩50分程度で参拝する事ができるそうですが、そんな元気は勿論ございません(笑)。

毎月の戌(いぬ)の日は、安産祈祷会があり、安産を願い、また、鐘の緒(かねのお)(祈祷を受けた腹帯)の授与を求めて、日本各地から多くの参詣者が訪れます。

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