2016/06/30

死して尚 叶わぬ逢瀬!哀愁の花山法皇と 東光山「花山院菩提寺」

東光山「花山院菩提寺」を含む山麓の集落は尼寺(にんじ)と呼ばれますが、これは法皇付きの女官11名が法皇寵愛の弘徽殿の女御の位牌を奉じて訪ねて来たものの、女人禁制故に登山を許されなかった為、草庵を結び尼となって麓に住み着いたことに因みます。

山中で修行する法皇に聞かせたいと登り口の坂で琴を弾いたことから、参道の坂は琴弾坂と呼ばれ、石碑も有ります。
これに対して、法皇は笙を持って応じられたとか、これも涙無くしては語れない伝承ですね。

十二妃の墓5
(琴弾坂)

東光山麓の尼寺の集落の中に十二の石塔が残されています。
中央の五輪塔は弘徽殿女御のもので、周囲の十一基の石塔とあわせて十二妃の墓と呼ばれます。

十二妃の墓1(十二妃の墓説明板)
十二妃の墓2(周りには尼寺一般の墓地もあります。)
十二妃の墓3(地元の方々に守られているようです。)
十二妃の墓4(しっかり十二基ありました。中央の大きい五輪塔が弘徽殿女御のようです。)

悲しいお話ですが、これほど慕われた「花山法皇」現代人の私にはうらやましいですね。
しかしながら、花山法皇は京都に帰られた様ですが、女御たちはそれにはついては行かなかったのかな?
弘徽殿女御のお墓をお守りしたのかもしれません。

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