2016/05/28

八俣遠呂智に飲ませた酒は『樽か壺か?』「須佐之男命」の行動を追いかけて!

山陰出雲神話の旅です。今回はある意味下らない論争?です。

歴史ブログと吟っているのに、近頃歴史のことUPしてないですねm(__)m

『古事記記載のオロチの物語から』

高天原を追放された(宇気比「誓約」で勝ちを宣言して慢心したのが原因です。)須佐之男命は、出雲国の肥河(島根県斐伊川)の上流の鳥髪(奥出雲町鳥上!船通山紹介しました。)に降り立ちました。

箸が流れてきた川を上ると、美しい娘を間に老夫婦が泣いています。その夫婦は大山津見神の子足名椎命手名椎命であり、娘は櫛名田比売(くしなだひめ)といいました。

夫婦の娘は8人いたが、年に一度、高志(高志については越等の論争が有ります。)から八俣遠呂智という8つの頭と8本の尾を持った巨大な怪物がやって来て娘を食べてしまうのです。
今年も八俣遠呂智の来る時期が近付いたため、最後に残った末娘の櫛名田比売も食べられてしまうと泣いています。

須佐之男命は、櫛名田比売との結婚を条件に、八俣遠呂智退治を請け負います。
まず、須佐之男命は櫛名田比売を櫛に変えて、自分の髪に挿して隠します。

そして、足名椎命と手名椎命に、7回絞った強い酒(八塩折之酒)を醸し、8つの門を作り、それぞれに酒を満たした『酒桶』を置くように指示します。
準備をして待っていると八俣遠呂智がやって来て、8つの頭をそれぞれの酒桶に突っ込んで酒を飲み出します。八俣遠呂智が酔って寝てしまうと、須佐之男命は十拳剣で切り刻んでしまいました。

このとき,尾を切ると剣の刃が欠け,尾の中から大刀が出てきた。そしてこの大刀を天照御大神に献上します。これが「草那芸之大刀(くさなぎのたち)またの名を天叢雲剣、三種の神器の一つ」です。

さて、本題です。古事記には『酒桶』と書かれていますね、子供の頃の、絵本では酒甕だったと思うとですが?

それでは桶を作る技術がいつ頃出来たのか?あの綺麗な湾曲を削る鉋の製造技術が神話の時代に有ったとは考えがたいですよね~。
土器を作る技術は有ったのですからそちらの方が早いのではではないかと考えるのですが!

そもそも鉄鉋が有ったのかも疑わしいいですし、黒曜石で木を削ったとも考えられ難いです。タタラ製鉄遺跡は有りますが、時代考証は?です。

そこで、私は「甕に容れたと決定」します。

長々とどちらでも良い論争にお付き合いくださった皆さんには、須佐之男命が作るように指示した八塩折之酒を醸造した場所との伝承がある『釜石』と、酒を造った時の神座の前に建てられた『布須神社』を紹介します。

『布須神社』は由緒記によると御室山そのものをお祀りしているようです、神殿はありません。
山そのものを御神体とする社殿形式は“神奈備式(かんなびしき)”と呼ばれるそうです。



島根県雲南市木次町宇谷367
御祭神は勿論 須佐之男命 稻田姫命

布須神社1(由緒記)

建久2年9月(1191年)の文字が刻まれていますね、鎌倉~!(笑)
御室山の裏側には「寺床」とよばれる場所があり平安時代の初期から鎌倉時代(800から1300年ごろ)にはここに「四十二坊」があって山岳佛教、山岳信仰の拠点となっていたようです。

布須神社2
(未舗装の狭い山道で高級な普通乗用車は避けたほうが賢明です。)
布須神社3
(御室山の斜面にあり階段急です。)
布須神社4(拝殿のみで御室山を拝みます。)

神社の麓には『釜石』といわれる神石があります。須佐之男命がここで酒を造られたものという言い伝えがあるそうです。
現在は道路で隔たれていますが、以前は布須神社の参道脇だったようです。

釜石2(道路からすぐだと思って、エンジンも掛けたままだったのですが、ほどほど距離があってあせりました。汗!)
釜石1(ここで造りましたか?どんなお酒だったのでしょう?)

さて八塩折之酒ですが、米で作った日本酒の可能性は低いのではないでしょうか、山ブドウや木の実で造った発酵酒の可能性が高いと思います。

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