2016/07/04

大国主は何度でも生き返る!「甦り」の神社『赤猪岩神社』

出雲神話の旅の再開です~!

赤猪岩神社(あかいいわじんじゃ)は、鳥取県西伯郡南部町に所在する神社です。

『古事記』上巻(古事記は上中下巻から成ります)、『先代旧事本紀』第4巻 地祇本紀での「因幡の白兎」の神話の続きの神話の舞台となった場所にあります。

大正6年(1917年)現在地に創建された久清神社と、南部町内にある要害山山頂にあった赤猪神社が、大正9年(1920年)に合祀され現在の赤猪岩神社となりました。

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赤猪岩神社1(赤猪岩神社鳥居です)


(地図の近くの米子消防署、清水川地区近くを拡大すると「清水井」もわかります)


赤猪岩神社7
(看板!~新しいでしょ!最初に訪れたときにはありませんでした。)

神話のあらすじは、大穴牟遅=大国主(神話「因幡の白兎」の時点では、大国主の名前では無かったんですね~大国主で覚えてませんか?)のたくさんの意地悪な兄神たち(八十神)は、白兎の予言通り八上比売と結婚した大穴牟遅を憎み、殺してしまおうと企んで大穴牟遅を伯耆の手間山本(手前の山麓)へ連れて行きます。

兄神達は「珍しい赤い猪を山の上から追い立てるので下で捕まえろ。そうしなければ殺す!」と言いつけて、山の麓で待たせている大穴牟遅目掛けて、火で真っ赤に焼いた岩を山の上から投げ落とします。

転がり落ちてくる真っ赤な岩を猪として受け止めようとしたため、大穴牟遅の身体がたちまちその赤く焼けた岩膚にこびりついて、焼き潰されて絶命してしまうのです(ここ!重要な記載部分です。つまり一度絶命してしますのです)。

これを知った大穴牟遅の母「刺国若比売命」は嘆き悲しみ、高天原に上り「神産巣日之命(カミムスビ)」に救いを求めたところ、赤貝の神「貝比売」と蛤の神「蛤貝比売」の2柱の女神が地上に遣わされることとなります。

ここで、 神産巣日之命について少し説明しますね、『古事記』では神産巣日神『日本書紀』では神皇産霊尊『出雲国風土記』では神魂命と記載されます。
天地開闢の時、天御中主神・高皇産霊神の次に高天原に出現し、造化の三神の一神とされています。
本来は性のない独神ですが、造化三神の中でこの神だけが女神であるともされます。
また、先代旧事本紀においては、高皇産霊神の子であるとも言われます。 

さて神話に戻って、貝比売が貝殻で大穴牟遅の体を岩からはがし、蛤貝比売が母乳と清水井の水で練った薬を大穴牟遅の体に塗りつけます。
すると大穴牟遅は大火傷が忽ち治り元の麗しい姿となって息を吹き返しました(私も塗って欲しい~(#^.^#))。

この神社の前身である赤猪神社の創立年代は不明ですが、この神社の地が話の舞台であるとされていて、大穴牟遅を焼き潰し殺したとされる岩が境内に祀られています(八俣遠呂智の時にもお話しましたか、神話の遺物が本当に埋まっている事が凄いですね~。でも大正時代に合祀したときには、山頂に在ったはずの旧社から持ってきたのかな?)。

また蛤貝比売が薬を練るために水を汲んだ「清水井」 (これは探しました~中々見つからなかった~汗)と言い伝えられている泉が、赤猪岩神社から徒歩30分の所に存在します。

赤猪岩神社2
(拝殿です。)
赤猪岩神社5
(大穴牟遅、「オオキナムシ似てるかな?」だけに♂の大きなミヤマクワガタが出迎えてくれました。)
赤猪岩神社3
(どきどきしますね~呪われた猪岩~!)
赤猪岩神社8
(厳重に封印されてますね~!)
赤猪岩神社4
(最初は猪岩がなんで四角なんだろうと思いました~笑)
赤猪岩神社6
(清水井です。なかなか見つかりませんでした。汗)
赤猪岩神社10
(御朱印と一緒にシールもいただきました。)

古事記に記載されているように、この地は、大穴牟遅が遭難され、母神の愛と二人の女神の手により「再生」された地とされています。
『再生(これもまた面白い表現です。)』後、大穴牟遅は大国主命となり、英明、温厚篤実、 仁慈博愛、堅忍不撓の精神を発揮し、幾多の辛酸をなめつつも、出雲・伯耆を本拠として山陰・山陽・北陸までの国土を経営することに成ります。
この三人の女神なくして大穴牟遅の再生は無く、後に大国主命となって国を経営することもできませんでした。
古事記は「女性の力無くして男性の成就じょうじゅは無い(今でこそその通にですが当時から考えていたのかな~?)」ことを、後世の人々に伝えています。

また、 大穴牟遅に火傷をさせた「猪に似た石」は、地上にあってこの地をを穢けがさないよう土中 深く埋められ、大石で幾重にも封印されています。
その周りには柵さくが巡らされ、 注連縄が張られています。
これは「厄の元凶」に対する注意を、 子々孫々まで忘れてはならないことを教えているそうです。

大猪岩神社は「受難」「再生」「次なる発展への出立」の地として、千数百年以上の長きの間知る人ぞ知る神社です。

大国主命存命中は言うまでもなく、亡き後も、 この地を訪れ再起に御神性の御加護を願う人は、数あまたであったと伝えられます(私が最初に訪れた時には整備されているとは言い難かったですが、駐車場が舗装され、トイレも出来て、おみやげ物と御朱印ももらえる小さなお店も出来ました~笑)。

さて全国で唯一の「甦り」の御利益が有る珍しい神社ですが!

ケチをつけようなどとは恐れ多くてできませんが、いくら神話とは言え、「古事記」が事実を元に書かれているのなら、再生など有り得ませんから、やはり大穴牟遅は死んでしまった。しかし次の王(大穴牟遅の子孫かもしれません)が即位したと考えた方が自然でしょう。
大国主=出雲の王と考えてはどうでしょう?「再生?甦り!」「多くの妻(モテモテ大国主)」「名前も一杯」「古事記で須佐之男の娘と結ばれながら、須佐之男の六代後とされること」等全ての謎に説明が着くのではないでしょうか?

いつも応援、ありがとうございます(^人^)。
歴史って本当に面白いですよね~!

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リュミエールブラン ネージュ

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