2016/06/14

大砲が歴史を物語る「生田裔神八社」『三宮神社』

生田裔神八社(いくたえいしんはちしゃ)とは、兵庫県神戸市の生田神社を囲むように点在している裔神八社のことです。

御利益を求めて巡ってみましょう~!

二宮神社6
(一日で巡ろうと思えば行けます~。好きじゃないと無理です~~!)

近代以後の移転(六宮・八宮が該当します。)前の位置において、概ね東から西に数字が大きくなりますが、 例外として、二宮は旧生田川をはさんだ東側(一宮より東側)に、七宮は旧湊川をはさんだ西側(つまり、他の六社から見れば、川の対岸=外側)に位置します。

今回は明治維新の歴史も物語る『三宮神社』を紹介します。



幕末(大政奉還が行われ鳥羽伏見の戦いの直ぐ後です。)に、この神社の前で「神戸事件」が起こりました。
境内に「神戸事件発生地の碑」が建てられています。

三宮神社2(神戸事件発生地の碑)
『神戸事件』とは?どんな事件か説明しましょう。

三宮神社7(大砲だ~!こんな繁華街に大砲があった~!)
三宮神社6(なんだ。本物だけど、神戸事件の本物じゃないのね~)

開港後まもない、1868年(慶応4年)1月10日兵庫県明石に宿泊していた備前池田家家老日置氏の軍勢、約450名及び大砲方を率いた一軍が、11日午後2時ごろ、一行が神戸の三宮神社に差しかかったとき事件は起こります。
池田家の隊列が西国街道を東に向かって行進中、三宮神社の前にさしかかったとき、沖に停泊していた外国軍艦の水兵数人が隊列を横切りました。
それに怒った池田家隊員がこれを制止しようとして、水兵を切りつけたことが国際事件となりました。この際、第3砲兵隊長の滝善三郎が命令を下したとされています。これを、「神戸事件」といいます。

その結果、居留地の安全の確保を名目に、列強は一時神戸を占領します。そして、責任者の厳重な処罰すなわち滝の処刑を要求したのでした。
同月15日、明治新政府は、東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)を代表として、交渉を開始しました。直接交渉に当たった伊藤俊輔(初代内閣総理大臣、後の伊藤博文、初代兵庫県知事です。)は、何とか滝の命を救おうとしましたが、外国側代表にそれを拒否されます。
滝は同年2月9日に、兵庫の永福寺において、六カ国の立会人の面前で切腹します(滝さんは腹を十文字に切り裂くと両手を前に着いて首を突きだしたしたといわれています。凄い武士道ですね~m(__)m)。

三宮神社4(滝善三郎切腹の図、生々しいですね~。)

滝の切腹によって、決着をみた神戸事件。滝は、政治体制が確固としていない日本の新政府成立を、諸外国に知らしめるための、犠牲となったと言えるかもしれません。

『三宮神社』
所在地 : 神戸市中央区三宮町2丁目
祭神 : 湍津姫命

三宮神社5
(南正面、そういえば神社は南向きに立っていることが多いですね?理由はやはり~?)
三宮神社8(拝殿、震災の影響はどうだったのかな?)
三宮神社9(拝殿内部です。)
三宮神社1(西門、繁華街の目と鼻の先です。)

「古事記」で、須佐之男命から生まれたとされる三女神を祀る宗像神社が海の正倉院として世界遺産として登録されそうですが「日本書紀本文」および「宗像大社の社伝」では、以下のようにな並びになっています。(三女神の神名や配列などに 古来、種々の変遷もありましたが現在では以下のようになっています。)
沖津宮 - 田心姫神(たごりひめ)「一宮神社」に祀れていました。
中津宮 - 湍津姫神(たぎつひめ)「三宮神社」に祀られています。
辺津宮 - 市杵島姫神(いちきしまひめ)「四宮神社」に祀られています。


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