2016/05/15

後醍醐天皇反撃の狼煙を上げる『船上山登山記』 ②

船上山に登った後は歴史遺構の見物にお連れしましょう。

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【船上山の戦い】

この船上山で、1333年(元弘3年、正慶2年)、後醍醐天皇を奉じた伯耆国の武将である名和長年と、鎌倉幕府軍との間で戦いが起こります。
元弘の乱における一連の戦いです。

船上山7(頂上から地図上側、南方向に30分ほどで智積寺の遺構が点在しています)


後醍醐天皇を逃してしまった失態を犯した隠岐守護の佐々木清高は、後醍醐天皇を奪還するために手勢を率いて船上山に攻め寄せます。
伯耆国の小鴨氏や糟屋氏らも佐々木清高に応じて手勢を率いて参陣しました。

船上山に籠もる名和長年は木に四、五百もの旗を括りつけ自軍を大軍であるかのように見せかけ時折矢を放っては幕府軍を牽制する作戦を採ります。

同年閏2月29日より幕府軍は攻勢を仕掛けたが、指揮官の一人である佐々木昌綱は右目に矢があたり戦死。さらに搦手側の佐々木定宗らが降伏。

その報を知らず佐々木清高率いる本軍は船上山を攻め上がるも、夕刻の暴風雨に乗じた名和軍の襲撃に混乱し多数の兵が船上山の断崖絶壁(凄いとしか言い様の無い断崖!)から落ちるなどの被害が出て、佐々木清高は命からがら小波城へと逃げ帰っり、後醍醐天皇側の勝利が確定します。

船上山F
(52の寺坊!現在は遺構のみ。平地、石積、五輪塔などです。)
船上山A
(船上神社の石積が歴史を感じます)
船上山B
(船上神社)
船上山C
(後醍醐天皇もお触れになったかも?鳥取県天然記念物の杉)
船上山D
(何かあるようですが)
船上山I
(石に歴史有)
船上山E
(船上神社奥の宮!建物として残るのはこれだけです。)
船上山H
(色々な場所を訪れて思うのですが、戦禍による焼失が残念でなりませんね。)
船上山G
(ただの平地が残るだけです。残念)
この船上山勝利の結果を受けて、後醍醐天皇の復権が達成され、足利高氏(尊氏)新田義貞などの幕府勢力が離脱するきっかけとなり、鎌倉幕府滅亡の大きな転換点となって行きます。

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リュミエールブラン ネージュ

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