2016/05/13

『後醍醐天皇』悪党「名和長年」の力を頼って隠岐を脱出す!

1331年(元弘元年)に起きた、後醍醐天皇を中心とした勢力による鎌倉幕府討幕運動から1333年(元弘3年/正慶2年)に鎌倉幕府が滅亡に至るまでの一連の戦乱を『元弘の変』と呼ばれます。

正中の変 (元亨4年9月「1324年9月」に起きた、後醍醐天皇による討幕計画が事前に発覚し首謀者が処分された事件です。この年は12月9日に改元あって正中元年となったため、日本史の上ではこの改元後の元号をとって「正中の変」と呼んでいます) から、「 元弘の変 」の笠置山・赤坂城の戦いを経て千早城の戦いで倒幕の気運が高まると各地で反幕府勢力が狼煙を上げ始めます。
播磨国では赤松則村(円心)が挙兵し、その他の各地でも反乱が起き始めます。中でも赤松則村は周辺の後醍醐天皇方を糾合し京都へ進撃する勢いと成ります。

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このような状況を見て、1333年閏2月に後醍醐天皇が幕府軍に閉じこめられていた隠岐の島から脱出、伯耆国名和(鳥取県西伯郡大山町名和)にて海運業を営んでいたとされる『名和長年』を頼り御来屋港(名和の湊)にたどり着かれます。
御来屋港にたどり着いた後醍醐天皇が体を休めるため、海岸にあった岩に腰掛けて休んだという言い伝えが残る岩が現在も残っています。
この岩は「お腰掛けの岩」と呼ばれています。


(地図は御来屋漁港直販店お魚センター みくりやです。二階に食堂があってすごく新鮮で美味しい!小さな漁港なので腰掛岩もすぐです。)

後醍醐天皇7
(現在は護岸工事が行き届いて港の道路わきです。)
後醍醐天皇6(おお~!ここに後醍醐天皇が座られたのです~!)
後醍醐天皇5
(歌も詠まれておられます。「忘れめや よるべもなみの荒磯を 御舟の上にとめし心を」)

また、村人が「御腰掛の岩」に座る天皇をすぐ前にある家にお連れして、かくまったといわれています。
あばら家に戸板を立ててむしろを吊るし、外から見えなくしただけで、鶏のねぐらのようだったので、後醍醐天皇自らその家に塒(ねぐら)という名前をつけたと言われています。
塒さんの家は(現在はあばら家ではありませんよ、笑)、今もその場所にあります(凄いことですね~♪)。
33代目の当主にあたるのは、塒佑志郎さん(82歳)です

後醍醐天皇4(ねぐらさんのお家です)
後醍醐天皇3(塒佑志郎さん、表札を勝手に写してごめんなさい。)
後醍醐天皇1(元弘帝御着船処の碑)
後醍醐天皇2
(元弘帝御着船処読めますか?)

家の前側には元弘帝御着船処の碑があります。

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リュミエールブラン ネージュ

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