2016/05/14

後醍醐天皇反撃の狼煙を上げる『船上山登山記』①

『船上山』は、現在の鳥取県東伯郡琴浦町に位置する山です。

元弘の乱の、後醍醐天皇の足跡をたどるために、この天然の要害に登山してきました。

其では、『市郎右衛門』の日本歴史ブログをお楽しみくださいね(人´ω`*).☆.。
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この登山記録を登山としてUPするべきなのか?歴史部門なのか迷いました。
写真も多いので二つに分けることで、楽しんで頂きます。

この船上山で、1333年(元弘3年、正慶2年)、後醍醐天皇を奉じた伯耆国の武将である名和長年と、鎌倉幕府軍との間で戦いが起こります。
元弘の乱における一連の戦いの1つです。

元弘2年/正慶元年(1332年)、鎌倉幕府転覆計画を企てた後醍醐天皇が捕らえられ隠岐に流されると(元弘の変)、隠岐守護をしていた佐々木清高は黒木御所に天皇一行を幽閉します。

当時は西日本を中心に後醍醐天皇の皇子である護良親王を奉じた楠木正成を筆頭に悪党と呼ばれる武士達が反幕府活動を続けていました(赤坂・千早城の戦いなど)。

佐々木清高も有志による後醍醐天皇奪還を警戒し、御所を厳しく監視していました。
しかし、同年閏2月24日(暦1333年4月19日)に突如として後醍醐天皇は隠岐を脱出し出雲を目指すも、風により東に流され隣国の伯耆国の名和の港に漂着します。

伯耆国名和(鳥取県西伯郡大山町名和)にて海運業を営んでいたとされる名和氏は後醍醐天皇を奉じて同年閏2月28日(西暦1333年4月23日)船上山にて挙兵しました。
また、大山寺の別当であった名和長年の弟の信濃坊源盛も僧兵を引き連れて船上山へと向かいます。
後醍醐天皇は船上山に入って倒幕の綸旨を天下へ発します。

それでは、時代背景を踏まえて、天然の要害登山を楽しみましょう。

船上山1
(綺麗ですけど城どころでは無い堅固さです)
船上山2
(まさに天然の要害!左側屏風岩は50Mはありそうです)
船上山3
(とりあえず東側登山道から登ってみましょう)
船上山4
(尾根で弓に狙われたらたまりませんね)
船上山5
(倒木さえもが芸術的です)
船上山6
(湧き上がる雲が綺麗です。戦乱時代ではなくてよかった。笑)
船上山7(船上山としては頂上ですが、歴史遺構はこの奥になります)
船上山8
(東登山道を登ってきました)


船上山は新緑、桜も綺麗ですし、紅葉も素晴らしいそうです。
歴史と登山を一緒に楽しんでみませんか?

いつも応援、ありがとうございます(^人^)。
歴史って本当に面白いですよね~!

今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思いますので宜しくお願い致します(^人^)
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