2016/04/21

奇祭『婆々焼き祭り』と承久の乱の顛末!そして時代は変わる。③

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前回UPしました。「婆々焼き祭り」伝承ですが、現兵庫県豊岡市高屋迄の行程『地名と日数』と、川に身を投げる『人物』が、但馬の昔話でも、食い違いが有りますので、もう一方の昔話もお話しましょう。

1221年、雅成親王承久の乱で幕府の手に捕らえられ、但馬国は室の朝倉(豊岡市高屋)に流されます。

雅成親王には、幸姫というお妃がいました。
幸姫は 雅成親王と別れた後、子どもを懐妊していることが分かり、すぐにでも 雅成 親王に知らせたいと思い、但馬へ侍女を連れて出向きました。
途中、丁度豊岡市日高町松岡に差し掛かった頃、疲労困憊の幸姫はいつまでこのたびが続くのか?見掛けた、ばばどのに尋ねるように頼みます。
侍女は、ばばに豊岡高屋までの距離を聞いたところ、「高屋なら、二日かかる府中、七日かかる納屋、九日かかる九日市、十日かかる豊岡があって、その先に人をとる一日市がありますで。」(此方のお話では29日に成りますね)と言い、去っていった。
幸姫は、落ち込みながらも明るい声で「死後必ず、南風(高屋は松岡の北方向です。)となって高屋へ達しましょう。」と川へ身を投げたが、侍女の叫び声に人々が駆けつけ、助けられます。
その後、皇子が生まれますが、幸姫は産後のひだちが悪く、すぐにお亡なりになってしまいます。

村人が侍女から老婆の話を聞いたその夜、南風が強くなり、大雨が降り、円山川(兵庫県北部を流れる一級河川)は大水に見舞われます。
侍女は人々が大水に気をとられている隙に川へ身を投げます。
それからも、大雨は降り続け、洪水と成って人々を苦しめました。

人々は幸姫様のたたりと、嘘をついた老婆を引きずり出し、火あぶりにして焼き殺し、幸姫の御霊を産土神とし、十二所神社に祀りました。

それ以来、毎年4月14日には、お宮の前でわらで作った老婆の人形を焼いて幸姫様の霊を慰める行事が(800年間にわたり)続いています。

此方のお話では高屋までの日にちは29日幸姫は病死、身を投げたのは侍女と成ってます。



二宮尊徳
(城崎小学校の二宮尊徳さん立派です。今時珍しい大きさ!)

【若上臈稲荷】
城崎温泉の町の入口すぐ(城崎小学校の裏山)に『若上臈(わかじょうろう)稲荷』という場所があります。
上臈というのは、宮中で身分の高い女の人、つまり貴婦人のことです。
円山川の海に出る直前、河口に近い城崎の川岸に流れ着いた身分の高い上臈の亡骸がまつられているとの伝承が有ります。

若上臈稲荷1
(プールの横に鳥居が並んでいます)

学校裏の小山の斜面に朱色の小さな鳥居がずらりと並んでいます。
その若上臈稲荷に祭られている女性こそ、雅成親王の妻、幸姫(もしくは侍女ですね)だそうです。

若上臈稲荷2(説明文はどこも少しずつ違っています。広い心で読みましょう。笑)
若上臈稲荷3(お稲荷さんですね。)
若上臈稲荷5
(狐様!こ、怖い~怨念が乗り移ったようです。)
若上臈稲荷4(本当にお祀りされているのは誰なのでしょう?)


鎌倉幕府成立後も西日本では朝廷により国司が決められていました。
しかし承久の乱の結末により、守護職の権限が増大する結果を呼び、但馬では、太田氏 (源頼朝の義経討伐に功があったとして、 但馬守護に成った一族です。)が力を得て数代の間、但馬を支配することに成りました。
正に「ご恩」の一族ですね(笑)。

この様な悲しい昔話は、謎が多くて、ミステリアスなほうが良いに決まっています。

ついでに松岡の隣の地区は、鶴岡といいます。鶴岡地区の村社は「井田神社」なんですが、地区の人々は「鶴岡の八幡さん」と呼んでいます。

源氏の血統が途絶えた場所は「鶴岡八幡宮」、良くできた偶然ですが、ミステリアスなお話は、偶然の重なりがより一層面白く?させるのかも知れませんね(笑)。

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