2016/04/08

恋する罪深き女『放火犯!八百屋お七』の顛末。

放火の罪で磔に成った、恋する罪深き女!「八百屋お七」をご存知でしょうか?

お七の生涯については伝記・作品によって諸説ある様ですが、比較的信憑性が高いとされる『天和笑委集』によるとお七の家は天和2年12月28日(1683年1月25日)の天和の大火で焼け出され、お七は親とともに正仙院に避難します。
寺での避難生活のなかでお七は寺小姓生田庄之介(名前は所説有ります)と恋仲になります。
やがて店が建て直され、お七一家は寺を引き払って家に帰りますが、お七の庄之介への想いは募るばかり。
そこでもう一度自宅が燃えれば、また庄之介がいる寺で暮らすことができると考え、庄之介に会いたい一心で自宅に放火してしまいます。
火はすぐに消し止められ「ぼや」にとどまりますが、お七は放火の罪で捕縛されて鈴ヶ森刑場で火あぶりで処刑されます。

お七の恋人の名は、井原西鶴の『好色五人女』や西鶴を参考にした作品では吉三郎とするものが多く、そのほかには山田左兵衛、落語などでは吉三(きっさ、きちざ)などさまざまです。

さて、その後この恋人はその後どうなったのでしょうか?

前回UPした島根半島の東側突端に美保神社が有るのを紹介しました。

仏国寺
(行幸の路から佛国寺へ)
その美保神社の側に『 佛谷寺(ぶっこくじ)』があります。

もともとこの地は、「三明院」と呼ばれ後鳥羽上皇後醍醐天皇(私が日本の歴史上最も尊敬する天皇のおひとりです)が隠岐に配流される折の御在所でした。

今でも港から寺に向かう道が行幸(みゆき)の路と呼ばれており、他に美保小路、月名小路の名も残るなど都の面影を偲ばせてくれますが、その後は衰退し、天正年間に再興されたのがこちらの佛谷寺です。

大日堂に安置される古色の美しい薬師如来、日光・月光・虚空蔵・聖観音菩薩の5体仏像は、出雲様式と呼ばれる一木造りで、天平様式を残す貞観時代の作。
山陰最古の木仏像は国指定重要文化財にも指定されています(拝見致しましたが素晴らしい物です)。

その佛国寺に、お七の恋い焦がれた吉三の墓が有ります。
お七の墓は長妙寺(日蓮宗、千葉県八千代市)・円乗寺(天台宗、東京都文京区)等にあるようですが
寺小姓の吉三は、お七の骨を携えて諸国を行脚し、病にかかりこの地で病没したといわれます。

仏国寺吉三の墓
(名前は吉三です)
伝えによると、お七の処刑後、吉三は自分のために、罪を犯したお七の遺骨を抱いて菩提を弔うため、発心して「西運」と称し江戸より巡礼の旅に出ていたのです。
各地にお七の地蔵を建てながら、元文2年(1737年)に70歳で亡くなり、それを葬ったのがこの地であるといわれています。
大きな歴史の隙間を埋めるように小さな?物語に出会う、それもまた歴史の面白いところです。

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