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2018/07/01

「大国主事」こと「葦原醜男(あしはらしこを) 」に、ご挨拶『出雲大社』にお詣りする。FINAL

出雲大社を巡る旅、今回の最期を飾るのは勿論「古事記」の神話時代から語り継がれてる『本殿(神殿)』です。大国主大神をお祀りする出雲大社本殿は『国宝』に指定されています。「平成の大遷宮」で美しさに磨きを掛けた本殿の雄姿を特とご覧あれ。



【プロローグ】葦原醜男(あしはらしこを)や「大穴牟遅神(おおなむぢ)」とは?



前回は「大穴牟遅神(おおなむぢ・稲羽の素兎時)」に、今回は「葦原醜男(あしはらしこを・素戔嗚に認められて大国主に…) 」にとさせていただきました。「大国主大神」には多くの名前があります。私は「大国主」は出雲王・国王の総称であると考えています。何度も殺されるたびに何度も息を吹き返したり、全国に有る国造りの伝説も一人が成し遂げたことではなく、出雲王国の王が成し遂げた業績だと考えています。時代が移って、人代に成っても大和朝廷が出雲を特別視した所以がそこにあるのではないかと考えています。今回出雲大社に毎年二度以上通い、現地を見て感じて一層その思いが強くなりました。

DSC_0104.jpg(出雲大社に日の丸がたなびく姿が美しい20枚以上撮影したのですが…)

2008年の「仮殿遷座祭」以降、本殿の屋根等の大改修が行われて、2013年5月には御祭神を仮殿から改修が完了した本殿へ再び遷座する「本殿遷座祭」が行われました(平成の大遷宮)。出雲大社の遷宮は概ね60~70年毎に行われました。私が、出雲大社に興味を持ったのが丁度、「平成の大遷宮」の期間だったことから、本殿内部の空気感やご神体のイメージまで実際に内部を観覧したりご神体の移動に関わった方々から話を聞けたのは、偶然とはいえ幸せでした。

本殿の中に入ると「全く空気と時間が変化する」と遷宮時の公開で、本殿に登殿した方からお聞きしました。空気だけでなく、時間の流れが止まったような、あるいはゆっくりになったような、感覚に落ちていったと話されました。

出雲大社の宮司には、日本神話からの言い伝えから天照大神の子の「天穂日命」を祖とする出雲国造家のみが祭祀を担うことが許されとされており、現在においても皇室の者すら本殿内までは入れないというしきたりを守り続けています。それでは『国宝』出雲大社本殿をご紹介させていただきます。

それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
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DSC_0061_201807012004410e1.jpg
(Facebookでもお友達に成って頂いている飯塚禰宜さんです。処理しなくても良かったのですが飯塚さんは大社のポスター等にも必ず出られている美男子なので、稲原醜男は遠慮しました。笑)


『国宝』本殿概要


IMG.jpg
(参考にさせていただきました。)
P5041821.jpg(うっとり…)

玉垣、瑞垣(廻廊)、荒垣の三重の垣根に厳重に守護されている大社本殿内部は、北西には御客座五神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神)が祀られています。大国主大神の御神座は本殿内北東にあり、正面である南側ではなく西側を向いています。

これは本殿が古代の高床式住居とほぼ同じ構造になっているため、高床式住居における入口と最上席の配置と向きの関係から、御神座は西側を向くことになるためと考えられています。天井には7つの雲の絵(8つ目の雲はどこへ?)が描かれている。現在の本殿は1744年(延享元年)に建てられたもので、高さは8丈(およそ24m)と、神社としては破格の大きさです。

切妻造妻入の本殿は、柱を田の字型に配して中央には直径が1 mを超える心御柱が立ちます。正面・背面の中央には棟木まで伸びる宇豆柱は立ちます。このため戸口を中央に作られないので、東の間に板唐戸(御扉)を取り付け、扉の前に階段(木階)を作り、その上に傾斜した屋根(階隠)をかけます。

このような形式は「大社造」と呼ばれ神社建築の中でも、出雲地方に独特な形式に分類されています。特に出雲大社本殿はその代表例として国宝に指定されています。

屋根は檜皮葺で、その構造は軒先に厚みを持たせるの軒付と、屋根面を葺く平葺に分かれます。平葺は、一般的に長さ76cm の檜の皮を12 mmずつずらして重ね竹の釘で葺きますが、出雲大社本殿では121cmの皮を9mmずつずらして重ねていきます。檜皮の長さが1.5倍もある上にずらす隙間も狭く、重なりが多くなるため檜皮葺の厚さは20cmにもなります。

軒付積の厚さは60~90cmになります。また、檜皮の下には野地板(厚さ4.5cm) の上に貼られた二重の流し板(厚さ3.3cmと4.8cmが仕込まれています。この流し板は、継ぎ目を刻苧漆(こくそうるし)で止水した重厚な構造です。いずれも本殿を厳重に守るための先人の工夫です。

この本殿が建てられた時の記憶『出雲大社延亨造営伝』によれば、破風と棟の包み銅板には「チャン塗」が施されていました。修理前の包み銅板は明治の修造遷宮で取り替えられたものでしたが、分析の結果黒色のチャン塗が施されていたことがわかりました。また破風の錺金具に残っていた緑色の塗料もチャン塗でした。「チャン塗」とは主成分が松脂でこれを荏油(えごま油)で溶き、鉛と石灰を添加した塗料です。黒の場合は墨、緑の場合は岩絵の具の白緑(びゃくろく・ 白みを帯びた薄い緑色。孔雀石を砕いた粉末である岩緑青(いわろくしょう)を、さらに細かくして作った)を練り混ぜて作るそうです(自分で書いていて、意味が良くわからないです)。出雲大社の建造物‐(公財)文化財建造物保存技術協会‐より抜粋。

「雲太、和二、京三」って知ってます?


DSC_0054_20180701200440a9b.jpg(本当はどの程度の高さだったのか?)
PB020110.jpg(後ろの八雲山に作らえていればおよそ96m有ったかもしれません。)

本居宣長の『玉勝間』によれば、かつての本殿は現在の倍ほどもあり、中古(平安時代)には16丈 (48m)、さらに上古(神の時代の後、平安より前)には32丈(およそ96m)であった、という伝承があるとされます。同じ出典にある、「金輪造営図」と併せて想定される姿は大変不思議なもので、空に向かって延びた何本もの柱の上に社が建つというものになっています。上古については流石に神話の中のお話だとしても、16丈あったとすると東大寺大仏殿(当時の伝承によれば十五丈・45m)や平安京大極殿より大きかったということになります。

この説については賛否両論あり、肯定する意見としては、平安時代に源為憲によって作られた「口遊」で数え歌に歌われていること(雲太、和二、京三=出雲太郎、大和次郎、京三郎、というものですが『雲太、和二、京三。今案、雲太謂出雲国城築明神神殿。和二謂大和国東大寺大仏殿。京三謂大極殿、八省。』を元にしており、その後に続く数え歌を考慮すると、高さの順を表したものではなく、神社(神)、寺院(仏)、住宅(人)の順との説もある)や、複数の記録により、複数回倒壊していることがわかっていること(「百錬抄」「左経記」「千家家古文書」「中右記」「北島家文書」などに記録があり、平安中期から鎌倉時代初めまでの200年間に7度も倒壊している)といった傍証が挙げられてます。

上古32丈についても、山に建てたものについて、その標高を述べたものと附会すれば、不自然では無いという意見もあります。高層建築が必要とされたのは別天津神(ことあまつかみ)の祭祀と関係があるとする説もあります。別天津神は、『古事記』において、天地開闢の時にあらわれた五柱の神々をいいます。

『古事記』上巻の冒頭では、天地開闢の際、高天原に以下の三柱の神(造化の三神という)が、いずれも「独神(ひとりがみ)」(男女の性別が無い神として成って、そのまま身を隠しました。天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)至高の神、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)生産・生成の「創造」の神、神産巣日神(かみむすひのかみ)生産・生成の「創造」の神。高御産巣日神と対になって男女の「むすび」を象徴する神。

その次に、国土が形成されて海に浮かぶくらげのようになった時に以下の二柱の神が現われています。この二柱の神もまた独神として身を隠しました。宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)活力の神、天之常立神(あめのとこたちのかみ)天の神です。これら五柱の神を、天津神の中でも特別な存在として「別天津神」と呼んでいます。

一方で、前述したように明確な文献が『玉勝間』と江戸時代まで下ること、証拠とされているものがいずれも傍証にとどまること、32丈説として想定される「山」が、そもそもただの山ではなく神域であり工事が入ることなどめっそうもないといった点が否定要素とされています。

2000年、地下祭礼準備室の建設にともなう事前調査に際し、境内からは勾玉などの他、巨大な宇豆柱(1本約1.4mの柱を3本束ねたもの)が発掘されました。古代社殿の柱ではと騒がれ、16丈説があたかも確認された事実であるかのごとく報道されたりしましたが(私も興奮したもですが…)、結局、中世の遺構で現在とほぼ同大平面であり、柱の分析や出土品からも1248年(宝治2年)造営の本殿である可能性が高いとされています(鎌倉時代ですね)。ただし発見されたものが古代の本殿ではなくとも、16丈であったことの証明になる可能性があると書かれた教科書や書籍ももちろんあります。

江戸時代初期まで素戔嗚が主祭神だった?


P5041801.jpg(大国主は何故西を向いているのか?)
P5041800.jpg
(こちらからだと正面から大国主大神と対面できる場所。前の山が義父・素戔嗚を祀っているからとバスガイドさんの説明を小耳に…)

現在の出雲大社の御祭神はもちろん大国主大神ですが、その昔、素戔嗚尊(スサノオノミコト)とされていた時代がありました。出雲大社の荒垣入口の銅鳥居は長州の大名毛利家が寛文六年(1666年)に寄進したものですが、そこに刻まれた銘を見ると「一を日神といい、二を月神といい、三を素戔嗚というなり、日神とは地神五代の祖天照太神これなり、月神とは月読尊これなり、素戔嗚尊は雲陽の大社の神なり」と書かれていて、この時代は素戔嗚尊が御祭神であったことがわかります。

いつから切り替わったとはっきり伝わっているわけではありませんが、歴史を見ていきますと、古代からしばらくの間は大国主大神でしたから、創建時も当然、大国主大神であったと考えます。また、出雲国造新任時に朝廷で奏上する「出雲国造神賀詞」においては「大穴持命(大国主大神)」「杵築宮(出雲大社)に静まり坐しき」との記載がありますので、この儀式を行っていた平安時代前期までの御祭神は大国主大神であったことがわかります。

ところが、これが中世の間のどこかから変わったようです。どうも鰐淵寺という出雲大社の北東にある大きなお寺との関係が起因となったようです。変わった理由について、國學院大學教授の西岡和彦氏のわかりやすい説明がありますので、見てみますと、「中世の出雲大社は、神仏習合の影響を受けて、一時祭神は素戔嗚尊であった。それは鰐淵寺を中心とした縁起(いわゆる中世出雲神話)に、出雲の国引き・国作りの神を素戔嗚尊としていたことから、それが一般に広まり出雲大社までが祭神を素戔嗚尊とするようになったのである。」(しまねの古代文化第十一号、島根県古代センター)

中世は神仏習合体制で、神社と寺院とかなり緊密な関係となっていたところが多く、出雲大社と鰐淵寺の関係もそうであったようです。最も神仏習合といっても、神社よりも寺院の方が力が強い事も多く、また学問といえば僧侶が中心でしたから、そのあたりも祭神の変更に影響を及ぼしたのかもしれません(ちなみに鰐淵寺「取材済み」は紅葉や桜のきれいな古刹です。まだ、ご紹介していませんが、改めてご紹介させていただきます。)。

豊臣秀吉の唐入りの際、出雲大社は所領を大きく減らされた影響から、江戸時代に入って鰐淵寺との関係はかなり薄くなりました。また儒学が盛んになると、神道が見直され「日本書紀」が広く読まれるようになりました。日本書紀においては出雲大社は大已貴神(大国主大神)の住まいとして建てられた、という神話がありますから、江戸時代中期には出雲大社は公式文書にもはっきりと御祭神は大已貴神と記載するようになり、はっきりと大国主大神に戻っています。

不思議な話ですが、良く戻ったなという気もします。参拝する人や権力者の意向もあります。それでも、戻ったのは、やはり天穂日命から代々受け継いできた出雲国造家の存在が大きかったのではないかと思います。私の故郷但馬の名草神社の三重塔も尼子氏によって仏塔として出雲大社に建てられていたものです。当時の遷宮の材が無い時期に但馬の木材と交換されて出雲大社の再建に使われました(名草神社「取材済み」もまだご紹介していないのですが、現在大雪の影響で修理中です2020年に完成予定です
。)。

出雲大社のご神体は何だ?知りたいですよね~推理してみましょう。


P5041738.jpg(うっとりする美しさです。)

さて皆さんは出雲大社のご神体を何だとご想像されますか?普通は、三種の神器と同じように「鏡・剣・勾玉」のどれか、またはその全てだと思いになりませんか?ただ出雲大社のご神体は、そのどれでもないと私は確信しています。

以前もお話してのですが、実は意宇六社、出雲総社・六所神社の宮司さんと Facebook でもお友達に成って頂き、出雲の歴史を御教授頂いて居ります。最初に六所神社を訪れた時に御朱印をいただきながら、出雲歴史の話で盛り上がり(私の知識が議論に値すると思っていただけましたら嬉しいのですが)小一時間お話することができました。

御朱印集めを、出雲大社遷宮の前年から始め、出雲が大好きに成ったことなどお話をさせて頂きますと、意宇六社の宮司さん方が出雲大社遷宮時に御神体を運ぶ役目を担っていることなどを、お話下さいました。

そこで、すかさず「出雲大社の御神体は何なのですか?」と訪ねてみたところ、遷宮の御神体移動は前日の夜に、千家当主(現在の出雲国造八十四代千家尊祐さん)が一人で神輿に移され、神事の当日に意宇六社の宮司さん方が仮神殿に移されるとのことです。もちろん神輿の中は見られないわけですから御神体が何であるかわからないそうです。

しかし、神罰に触れそうなので、はっきりとは言えませんが、ある理由から、「鏡・剣・勾玉」等ではないようだと考えられているようでした。さて皆さん其では何だと思われますか?それが何かはハッキリ言えません。私見ですが、やはり出雲に関係のあるものだと推測しています。出雲に関係があるものといえば何でしょう ?(こんな物かも…笑)

PB041552.jpg
(こんなこと覚えてますか?屋根を突き破ったそのもの1億で売れたとか?)

【最後に一言】『AKB48 53rdシングル世界選抜総選挙』に日本の未来を見た。



色々ご意見もおありだと思いますので、サムライブルーはちょっとおいといて(-"-;A ...アセアセ、時代は天照?女性を欲しているかも?

5月16日(土曜日)にサッカーをみようとTVを付けると「AKB48世界選抜総選挙」の開票イベントをやっていました。実は根っからのアイドル好きなんです。と言っても AKB グループが特別好きというわけではありません。AKB48グループの『AKB48 53rdシングル世界選抜総選挙』の開票イベントが5月16日、名古屋市のナゴヤドームで行われ、SKE48の松井珠理奈さん(21)が10回目の出馬で初めて1位を獲得しました。2位にも須田亜香里さん(23)が入り、SKEが1、2位を独占しました。

しかしながら、頑張っているアイドルを見るとついつい応援したくなるのが人情ですよね、昨年の紅白歌合戦で檜坂46のメンバーが、過呼吸になって倒れた姿を見て大ファンになった私ですが、AKB48グループ「メディア選抜」16名に選ばれた彼女たちのスピーチに思わず涙をこぼしてしまったので、少しAKB48についてお話をさせていただきたいと思います(出雲大社のまとめがAKB48か~~~!と怒らないでくださいね。)。

そもそも、私よりも半分以下の年齢の彼女たちが、3万人以上の名古屋ドームのファン(観客)を前にして、堂々と話がができるということに驚きました。そういわれてみれば、毎年開催(10回です)されているようですし。初期の頃はファンの子(篠田 麻里子さんです。)がいたので程々真剣に見ていたのですが、今は篠田さんが卒業してしまっているので、それほどは関心なかったのですが、なぜか今回は、ダラダラと見続けることになってしまいました。

しかしながら、彼女たちが3万人以上の観衆の中でスピーチにする姿にびっくりしてしまいました。当然「選抜メンバー」と呼ばれるトップ16名の発言は、素晴らしいものだったと思います。彼女たちは自分たちを投票で上位に押し上げて、トップメンバー(メディア選抜に)に押し上げてくれたファンへの感謝の気持ちを当然述べるわけですが、その後に冷静に自分自身の目標やAKB48という『箱』について、自分の所属するグループだったり、またそのグループ内のチームについてもスピーチするのです。そして選抜に選ばれる、殆どの皆さんがそのチーム(12~15程度)やグループ(48名以上)のトップメンバーです。

横山由依さん(総監督)になると AKB グループ全員の400(下部組織・海外を含めると700人以上?)人をまとめていると言うではありませんか、400人ですよ~!本当にあんなに可愛い女の子が400人のグループを纏め上げるってどんなことなんだ、と思いました。会社の場合を例にすると、人数では彼女たち一人一人がそれぞれ、一つの会社の社長と変わらない仕事をしてることになります。総監督の横山由依さんにいたっては、大会社の社長に匹敵します。

その彼女たちが心の底から絞り出す「スピーチ」に感銘を受けたのです。20歳そこそこの(そこそこと言われると怒られそうですけど)の彼女たちが、「私に付いて来てください。」とか「自分の頑張りを見ていてください!」とか「次は1位になります。」とか、そんなことを3万人もの観衆の前で宣言できますか?改めてびっくりしました。1位の松井珠理奈さんは「私は本気で48グループを1位にしないと気がすまない。48グループはまたアイドル界のトップになれます。なりたいんじゃダメなんです、なるんです!」と、凄すぎる。

もちろん彼女たちの後ろには、彼女たちを育て上げ(上手くプロデュースしている?)ている大人が付いているのかも分かりません。秋元康さんの策略かも分かりません。しかしながら彼女達は自分達の言葉で語りかけているんです。とても素晴らしい事じゃないですか、それだけの覚悟が、「じゃあ自分自身にあるのか?」と問われると、とてもではないですけどないですよね、3万人の前で普通に喋れるかどうかも分かりませんし…、本当に素晴らしい皆さんだと思いました。

「AKB48世界選抜総選挙」のメディア選抜のスピーチを聞いて、日本の未来は女性に託すべきだと感じた市郎右衛門でした。

いつも応援ありがとうございます。歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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