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2018/07/29

取材5日目は前日「富士下山」後、足を引きずりながら向かった「諏訪大社」四社「御朱印」巡り。

取材5日目(7月18日)は、富士登山後の痛い足を引きずりながら向かった「諏訪大社」四社御朱印巡りです。諏訪大社前宮・諏訪大社本宮・諏訪大社春宮・諏訪大社秋宮を巡ると、サプライズで有難い御品物もいただけます。

前日(富士下山の日)翌日の事も考えて、諏訪市内のビジネスホテルで休養を取りました。登山用具も家族へのお土産と共に自宅へ送った後に、最初に向かったのは、諏訪大社前宮(諏訪大社はすべて信濃一ノ宮です)です。

毎回申しておりますとおり、歴史ブログは、私の人生のテーマですから、中断いたしません。日本文化の伝承と発信を、生涯の役割と考えて、第二の「柳宗悦」を目指す目標も忘れてはおりません。




【プロローグ】7月17日「富士下山」後の移動はきついぜ~!



諏訪大社は上社前宮・上社本宮・下社春宮・下社秋宮の4社からなり、諏訪湖の南北に二社ずつに分かれて鎮座する、独特の形を持ったお宮です。4社すべてが信濃国一之宮となっています・。御祭神は神話でも有名な建御名方神とその妻八坂刀売神を祭ります。

御鎮座は「古事記」その他の書物から推定して、少なくとも15~600年から2000年前と伝えられており、我が国で最古の神社のひとつに数えられることができます。建御名方本人は建御雷之男に負けて諏訪の地に逃げてきたと神話では言われていますが、諏訪大社そのものは勝負の神、特に歴代の朝廷をはじめ武門からは武将から、「勝負の神」「軍神」として崇められ、日本第一大軍神または関東第一の軍さ神と称えられています。

P7181581.jpg
(上社前宮の4本目の御柱)

神功皇后が三韓征伐の折り諏訪大神の神助ありと伝えられますし、征夷大将軍坂上田村麻呂が戦勝祈願をされたことでも有名ですよね。

戦国時代になると隣国、甲斐の国(山梨県)の武将武田信玄は、諏訪大神を信仰し武田家の守り神として崇め、社殿の造営や社領地等を寄進しています。

各地の戦いに行くたびに、その都度参詣して武運の祈願長の願を込めて諏訪南宮法性大明神の旗印を先頭に出陣しています。

北と南に2社ずつ分かれて鎮座するのも面白いですね、18日は天候も良く諏訪湖がとても綺麗(で当然暑かったですけれど)四社一気に巡ることができました。これも諏訪大明神のおかげですね~。

それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
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先ずは諏訪大社前宮・諏訪大社本宮


まずお参りしたのは、諏訪大社上前宮です。前宮は建御名方が最初に鎮座した場所といわれているようで、御朱印帳の順番から言うと前宮から参って、次に諏訪大社上社本宮の順番に上社を回るようになっていました。

今回写真を付餡沢山紹介したいのですが、いっておりますように取材の様子を伝えるブログということで、有名な御柱祭の御柱のうち各社4本ずつ御柱の4番目の柱を一本ずつご紹介したいと思います(笑)。

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(上社本宮の4本目の御柱)

上社本宮の現在の宮司は、出雲大社北島家の方のようで出雲を巡ってってきたと言うと、ボランティアのおじさんが「お会いになって行かれませんか」と誘われたのですが、宮司さんはちょうどお仕事中でおられなかったようで、会うことはできませんでした(残念)。とても綺麗な神社でした。

諏訪大社春宮・諏訪大社秋宮とサプライズの供物


さて次に巡るのは下社春宮と下社秋宮の2社です。下社・上社はそれぞれ近くに前社・本宮、春宮と秋宮という形で直ぐ近くに神社があります。春宮と秋宮は約1 km しか離れておりません。

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(下社春宮の4本目の御柱)

皆さんご存知のように、「式年造営御柱大祭」という正式名称の、「御柱祭り」または「おんばしら」とも呼ばれる寅年と申年の7年ごとの大祭(実際は6年ごとなんですけれど)が昨年開催されました。7年ごとと成っているのは数え年計算のようなものだと思います。

十二支のうちの半分ずつなので実際は6年ごとということになると思いますが、規模が雄大豪壮である所から奇祭の一つに挙げられています。

祭りの起源は古く古代に遡りますが、古代巨木信仰ということを考えると、日本海側の出雲大社の古代御社や三内丸山遺跡の柱などにも、巨木信仰の影響が見られますので、そういう意味では面白いですよね。

大きな御柱は長さ55尺(16.5ⅿ)周囲1丈余り(3ⅿ)もあります。重さが12~3トンにもなりますが、車もころも使わず人の力のみで引き摺るため原始的ですが、急坂を引き落としたり川を引き渡したりして怪我人が出ない方が不思議と言われるほどに、荒く雄壮な行事として知られ、このお祭りには数十万人の観衆を動員するため「人を見るなら諏訪の御柱に行け」とも言われているようです。

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(下社秋宮の4本目の御柱)

実は去年の御柱祭りに是非行きたかったのですが、時間が合わずに行けなかったのが非常に残念でした。6年先に行けるかどうかは起業にかかっていますかね(笑)。

そうそう忘れておりました。4社を回るとお土産と言うと失礼ですがプレゼントの御品物がサプライズ?で頂けます。そば粉と和三盆で作った落雁が入っていました。大変美味しくいただきました。皆さんも4社巡って、おいしい落雁食べてみませんか。

P7280865.jpg(諏訪大社の神紋「諏訪梶の葉・明神梶の葉」. 梶の正式名は「穀(かじ)」だそうです。蕎麦落雁頂けます)


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2018/07/27

取材旅行の第一目的地、木花咲耶姫に会う為に、「7月17日、富士山頂に立つ!」

取材4日目7月17日、遂に富士山頂アタックです。前日16日(海の日)は、八合目の太子館を目指して五合目2300m(富士吉田ルート)~3100m(八合目の山小屋「太子館」まで800m迄登りました。17日は山頂(標高3776.24 m)までの676.24 mです。

憧れの木花咲耶姫に会う為に余裕をもって16日の11:30頃に登山開始しました。毎回申しておりますように、日本の文化を届けるためには、一度は富士山の頂上に立たねばならないと、以前から考えていたのです。

今回は取材報告だけですので、サプライズイベントなどは、改めてご紹介しますし、写真なども少なめに当たり障りの無い物にしているのは、みなさんもご承知ですね。




【プロローグ】7月17日富士山頂(標高3776.24 m)剣が峰に立つ!



標高3100 mの「大子館」を夜の11時半頃に出発しました。年齢や体力を考えて、他の方よりも1時間は早く出発しました。八合目といっても八合目最下層から本八合目までに200 m~300mぐらいの高低差が有ります(八合目最下「大子館」3100 m、本八合目の 「富士山ホテル」は3370 mです)。

P7260861.jpg(モンベルの登山靴「テナヤ ブーツ」の底部分がすべて外れてしまった!下山はどうするんだ?)

できれば、頂上前の渋滞を考えて、一番収容人数の大きい山小屋「富士山ホテル」の登山客が行動を起こすまでに、富士山ホテル(3370m)を通過できれば良いと考えていたのですが、私の体力は不甲斐なく結局登山渋滞に巻き込まれてしまいました。

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富士山の登山渋滞は半端ない



体力不足から、登山渋滞に巻き込まれてしまった私ですが、。七合目八合目はなだらかなジグザグが続きますし、岩もそうないのですが、最後の頂上までの200mほどは、ほとんど横2列で登っていくしかなくなってしまいます。

パークレンジャーや関係者の皆さんが、交通整理をしなければいけない状態になります。左側がツアー客の皆様、右側が個人登山の私等が進む様に先導されるのですが、体力のない私は右よりの岩側を登れと言われ、結構きつく大変でした。

大変さを物語るのが最初の写真ですね。頂上に到着してなんか足がパカパカするなと思っていたら、モンベルの登山靴(テナヤ ブーツ)の底部分がすべて外れてしまっていました。

一度登山渋滞に巻き込まれると、動けないばかりではなく休むこともできなくなってしまうので、とてもつらかったです。もう少し早く出発していればと後悔しましたが、もうその時点では渋滞に巻き込まれ身動きが取れない状態でした。もちろん少しずつですが動きますし、関係者の皆さんが交通整理をしてくださったので、どうにかギリギリ日の出(4:27)10分前に山頂に到着することができました。

P7171017.jpg(どうにか日の出前に到着!)


富士山の山頂の寒さはもっと半端ない



取材旅行を始めてから、びっくりするほどの暑い日が続きましたので、富士山自体もかなり普段よりは暖かかったようです。実際八合目の私が宿泊した、大子館3100mを夜11時に出発した時もそれほど寒さは感じませんでした。もちろん歩いている間は汗もかきますし暑いのですが、頂上に到着した途端動きを止めるとその汗が冷え込んできて急激に震えるほどの寒さに見舞われます。

実際に吐く息が白く成りました(息が白く成るんのは、5度以下と言われています)。実際の温度は零度でした。あったかいものが当然欲しくなるのですが富士山頂の食べ物は値段が高いので、そう簡単には飲み物を飲む事も出来ませんし、そこらは防寒着で対応しました(貧乏旅行なのでね)。

P7171066.jpg(雲海も素晴しい。なんという山?)
P7171061.jpg(万年雪がまだありました。)
P7171120.jpg(お鉢を一周ました)
以上今回の富士山登山取材報告でした。富士山の神社や富士山についての細かな詳細につきましては、改めましてご報告させていただきます。

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京都大学工学部電気電子工学科卒業
京都大学経営管理大学院経営管理専攻事業創再生マネジメントコース終了 MBA取得
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京都大学大学院にてMBAを取得後、
(株)NTTデータ等での勤務を経て、26歳の時に起業。(元手20万円)

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一番最後に成りましたが、『古事記』表記「木花之佐久夜毘売」と瓊瓊杵尊のおお話もまたいつかしたいです。 

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2018/07/26

取材旅行の第一目的地、木花咲耶姫に会う為に、「海の日、富士登山に挑む!」

取材3日目7月16日は、とうとうやって来ました~~。「富士登山初日」。「脱サラ起業宣言」したままPC持たずに、取材旅行に出かけたうえに8日にわたってブログを全く構わず。「こりゃ、ブログ挫折したな!」の声が聞こえそうな中、16日(海の日)は富士登山初日、八合目の太子館を目指して五合目2300m(富士吉田ルート)~3100m(八合目の最初の山小屋「太子館」800m迄登りました。年齢を考慮して余裕もっての登山です。

毎回申しておりますとおり、歴史ブログは、私の人生のテーマですから、勿論中断するつもりはございません。日本文化の伝承と発信を、生涯の仕事と考えて第二の「柳宗悦(思想家)」を目指す目標も忘れてはおりません。




【プロローグ】7月16日「海の日」目指したのは標高3100mの当日のお宿「太子館」です。



弾丸登山といわれる、一気に山頂の危険な登山も話題になっているようですが、私のような年齢の登山者には身体を慣らしながらの登山が最適と考えて、富士吉田ルート(初心者向き)を選びました。

富士吉田ルートは、ネットでは頂上まで6時間の時間配分でしたが、無理をせず8合目で一泊し(御来光も見たいので)、8合目までの登山時間を4時間+2時間(予備)の6時間、8合目から頂上までを、日の出の朝4時27分に余裕を持って上がれるように11時出発で5時間半(こちらはも予備時間と混雑を考慮しました、)に計画しました。

IMG_20180722_135123_397 (002)
(気落ち悪いかもしれませんが・・・ごめんね、岩場では手袋してたのですけれどね。)


実際に登り始めてみると、火山灰・火山弾・火山の石を含んだ砂利道で、なかなかに足が進みませんし、高度が高いので周りに木陰も無く、お日さまに照らされまくる結構きつい登山に成りました。

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富士山の一番の敵は空気の薄さです。


P7160971.jpg
(五合目7はまだ木々も有ります)

空気が薄いというのは、少し語弊があります。本来は酸素が少ないわけですが、酸素が少ないことがこれほど体力を奪うとは考えていませんでした。

少し登るたび、にゼーゼーと息があがってしまいますし、登山道はジグザグのなだらかなコースになっているのですが、そのジグザグコースを1往復するだけで休憩しないと筋肉に抜き乳酸が貯まって、次に足が進まないような厳しさです。

P7160975.jpg(パークレンジャ―さんに一番きついといわれた6~7合目!うそつき~~~!)

もちろん一番大切なのは水分補給です。さらにはカロリーメイト・羊羹やビスケット等、歩きながら食べられるお菓子を(山ほど)持って行ったのですが、頂上に登る間に全て、なくなってしまいました(笑)。

思い込みほど怖いものはない


P7160998.jpg(霧の中に浮かぶのは、「太子館」では無くて、7合目最期の「東洋館」でした。)

途中7合目の一番最後あたりで150mほど上に山小屋が見えたので、てっきり八合目「太子館」だと思って頑張って登ったのですが、実際は7合目最後の山小屋「東洋館」でした(東洋館と大子館迄の高低差100m)。その時の落胆ぶりといったら大変なものです。 それでも時間に余裕を持たせていたので午後3時半に8合目最初の山小屋「太子館」へ無事到着出来ました。

P7161009.jpg(到着~~3100m!ですが、まだ頂上迄は、600m以上登ります。)

今回は、富士登山の初日8合目までの記事ですので、あまり紹介する写真もないです。

実際登山はかなりきつくて、写真をあまり撮影できませんでした。

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京都大学大学院にてMBAを取得後、
(株)NTTデータ等での勤務を経て、26歳の時に起業。(元手20万円)

1年目で年商1.1億を達成し、延べ1,000名以上を面接し社員数十人を使う社長になる。
2年目で年商2億6千万円を達成。

書籍流通支援システム、法人向けデータマーケティング支援システム等の開発・販売を行う一方で、
MBAで学んだ知識や、実際にゼロから短期間で事業を軌道に乗せた経験を伝える活動を行う。

2013年より開始した「次世代起業家育成セミナー」は
これまでに5回開催され、累計3,000名の法人代表・法人代表候補・起業家の卵が参加。




この経歴!凄いとしかいえません。

一般公立中学から高専、そして京都大学。

新聞配達のバイトを経て起業も凄いですね。

義弟の大学・学部の後輩ということも、加藤さんに親近感を持った原因のひとつです。

いつも応援ありがとうございます。歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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2018/07/23

八日間の取材旅行報告!7月15日「駿府城」「久能山東照宮」「浅間神社」

取材2日目7月15日は、「駿府城」「久能山東照宮」「浅間神社」と取材して来ました~。「脱サラして企業設立」表明したまま取材旅行に出かけ、八日にわたってPCを全く構わず。「こりゃ、ブログ挫折したな!」と、思われた方々も多かったと思います(ランキング順位が如実に物語る?笑)。しかし前回・前々回とも申しましたとおり、歴史ブログは、私の人生のテーマですから、勿論続けますし(猛暑の中、八日間しっかり取材して来ました。)、日本文化の伝承と発信を、生涯の仕事と考えて第二の「柳宗悦(思想家)」を目指す目標も忘れてはおりません。



【プロローグ】富士登山前日の久能山 東照宮の1159段「いちいちご苦労さん」は無理!



7月13日の夜は車中泊!今の車は、軽自動車でもフラットに成るので、それほどは苦しく無いのですが、コンビニの隅はちょっと恥ずかしいです。

そんな時は、道の駅がオススメ、トイレもあるし、元々が何時でも利用して下さいの場所なので、とても便利です。

猛暑の為に、朝涼しくなるまでエンジンかけっぱなし、ガソリンへるへる(笑)。

一応は、ハイブリッドもどき?のスズキのワゴンRなんですけれどね。

P7150438.jpg
(当然お解りと思いますが、当たり障りの無い写真を少なめに使用しています。)

15日(日曜日)の取材は、たぬき親父(家康)が余生を過ごした「駿府城」に墓所の「久能山 東照宮」と巡りましたが、最初に記載したように、東照宮は階段が1159段なんです。

私、明日富士山登るよね~~?やっぱりやめとこ、と思っていたら、日本平からロープウェイがあるじゃないですか!

これや~~!と車の中で叫びなからガッツポーズしたとか、しなかったとか(笑)。

ロープウェイの駅前で、桜海老と白魚の団子を食べて、駿河湾の海幸も満喫?したつもりになって、富士宮市の「浅間神社」へ向かいました。

毎度申しますが、本来は皆様に一社・一寺・一所ずつ、ご紹介するのが筋なのですが、とりあえず”真面目に取材をしてきました”のご報告を先にさせて頂きます。

取材場所だけを、順次日にちごとに上げていき、後に書くで有ろう本編で、細かいところを補足したいと思っています。

今回の第一目的の富士登山は、正に日本一の山で素晴らしかったですが、疲れも半端がなかったです(空気の薄いのが一番つらいです)。

それでも、皆さんも一度富士山に登ると人生観変わりますよ~~!是非登山してみてください(何といっても、日本のてっぺんですからね)。

それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
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たぬき親父「駿府城」で余生を過ごす。


駿府城(すんぷじょう)は、現在の静岡県静岡市葵区にあった城です。別名は府中城や静岡城などと呼ばれました。

14世紀に室町幕府の駿河守護に任じられた今川氏によって、この地には今川館が築かれ今川領国支配の中心地となりました。

今川氏は隣接する甲斐国の武田氏、相模国の後北条氏と同盟を結び領国支配を行いましたが、16世紀には甲斐を中心に領国拡大を行っていた武田氏との同盟関係が解消され、武田氏の駿河侵攻により今川氏は駆逐され、城館は失われてしまいます。

武田氏は1582年(天正10年)に織田・徳川勢力により滅亡し、駿河の武田遺領は徳川家康が領有となります。徳川氏時代に駿府城は近世城郭として築城し直され、この時に初めて天守が築造されました。

江戸時代初期、家康は徳川秀忠に将軍職を譲り、大御所となって江戸から駿府に隠居します。このとき駿府城は天下普請によって大修築され、ほぼ現在の形である3重の堀を持つ輪郭式平城が成立します。

天守閣は、石垣天端で約55m×48mという城郭史上最大のものでした。しかし1607年(慶長12年)に、完成直後の天守や本丸御殿などが城内からの失火により焼失してしまいます。その後直ちに再建されましたが、1610年(慶長15年)再建時の天守曲輪は、7階の天守が中央に建つ大型天守台の外周を隅櫓・多聞櫓などが囲む特異な構造だったようです。

P7150421.jpg(現在も発掘中です。)

現在も、発掘調査が行われており、調査の様子も見ることが出来ました。

家康の墓所「久能山 東照宮」


P7150591.jpg(扁額「東照大権現」)

久能山 東照宮(くのうざんとうしょうぐう)は、日本の静岡市駿河区根古屋に所在する神社で、晩年を駿府で過ごした徳川家康が元和2年(1616年)に死去した後、遺命によってこの地に埋葬されました。

徳川家康は生前、家臣に対し、自分の死後について「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、関八州の鎮守になろう」(『本光国師日記』より)との遺言を残します。

この遺命により御遺骸を久能山に埋葬し、その地に2代将軍秀忠の命により久能山東照宮が創建されました。

気になるのは、家康の御霊を久能山から日光に移した際、遺体も移したのか?ですよね、改葬は「大化の改新」で知られる藤原鎌足の死後1年後、摂津から大和に遺体を移した故事にならったものとされ、「遺体も移ったと考えるのが自然」とみる識者もいるようです。

現宮司は「家康公は今もここに眠っていると思っている。四角い棺(ひつぎ)の中に正装して座し、西を向いているはず。遺体を日光に運んだのなら、久能山に大きな墓を建てる必要はなかった」と話されてるようです。

明日は富士登山!無事を祈願「富士山本宮浅間神社」


P7150811 (2)(登山の無事を「此の花咲くや姫」にお願いしとかなきゃね。)

富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)は、静岡県富士宮市にある神社です。式内社(名神大社)、駿河国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社と成っています。

全国に約1,300社ある浅間神社の総本社でも有り。「富士山信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されています。

P7150952.jpg(富士の湧水が滾々と湧き出ています。チドメグサが可愛くてパチリ。)

富士山の8合目以上の約385万m2も社地として所有しています。

つまり、富士山の頂上は富士山本宮浅間神社の境内で奥の院なのです。

決意変わらず!「脱サラして起業の勉強するぞ」


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私の夢は、日本文化の伝統を継承するために、第二の(山陰の)「柳宗悦(思想家)」になる事です。

ですから歴史ブログは絶対にやめませんし、「柳宗悦」さんは大きな目標ですが、少しずつでも近づきたいと考えています。


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2018/07/22

八日間の取材旅行報告!7月14日「岡崎城」「浜松城」「龍潭寺」

脱サラして企業設立の夢に向かって!「次世代起業セミナー」を始める事にしたと表明したまま、取材旅行に出かけ八日にわたってPCを構わず。「やはりブログみかぎったな」と、思われた方々も多かったようです(ランキング順位が如実に物語る・笑)。しかし前回も申しましたとおり、歴史ブログは勿論続けますし(八日間しっかり取材してきました。)、日本文化の伝承と発信を、生涯の仕事にと、第二(山陰の)の「柳宗悦(思想家)」目指す目論見目的も忘れていません。7月14日は「岡崎城」「浜松城」「龍潭寺」。



【プロローグ】とにかく熱かったぜよ!



7月の13日の仕事終わりに、大阪を出発してそのまま名古屋に向かいました。

大雨による大きな被害があった後なのですが、梅雨明け宣言を聞いた途端とてつもない猛暑に襲われました。

取材初日14日(土曜日)は、家康生誕の地「岡崎城」をかわきりに「浜松城」井伊家発祥の地、「井伊谷」と回る予定だったのですが、とにかく暑さがとんでもなかったです。

P7140046.jpg
(三方ヶ原でうんち洩らした?後に描かせた画が石像にしつらえてあまりました。)

これから、皆様に一つ一つご紹介するのは、もちろんなのですが、とりあえず、真面目に取材をしてきたことのご報告をしたいと思います。

ただカメラがカメラを構える手が震える、水分が足りなくなって体から塩をふく、などなどこの暑さは本当に酷いものでした。

車を停めてクーラーを切ってしばらく取材すると、車中の水やコーヒーが熱くて飲めなくなるほどの猛暑に一週間以上晒されました。

涼しかったのは、富士山頂日の出前の0°だけでした。

昨夜7月21日10時頃に、家に帰宅しましたが、倒れこむように眠ったまま、今日の10時朝の10時まで起きることはありませんでした。

こんなに暑い取材旅行は初めてで、どちらかと言うと確かに晴れ男なのですが、晴れ過ぎにも程があるという感じでした。

とりあえず取材は一生懸命頑張って行ってきましたので、皆様にそれぞれひと場所ずつと歴史を、ご報告取材報告ができればと考えています。

とりあえず行った場所だけを、順次日にちごとに上げていき、できるだけ後の本編で細かいところを補充したいと思っています。

富士山は、本当に日本一の山で素晴らしかったですが疲れも半端がなかったです。

それでも、皆さんも一度富士山に登ると人生観変わりますよ~~是非登山してみてください.。

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徳川時代の出発点「岡崎城」


P7140071.jpg(復元された門・暑さ半端ない!)

岡崎城(おかざきじょう)は、愛知県岡崎市にある城跡です。徳川家康の生地で有名。別名は、「龍城」。岡崎公園の中に有ります。

戦国時代から安土桃山時代には松平氏の持ち城、江戸時代には岡崎藩の藩庁でした。 菅生川と矢作川の合流地点にある龍頭山という丘陵を利用して造られています。

元は、龍頭山の砦として三河国仁木氏の守護代であった西郷稠頼(つぎより、つぐより、又は、ちかより)、そして、その子頼嗣(よりつぐ)が北方に対する防御として築城しました。それを、松平清康(徳川家康の祖父)が西郷信貞(松平昌安)から奪い取り改修拡張整備したものが岡崎城です。

家康壮年期?「浜松城」


P7140196.jpg
(浜松城の家康像・精悍です。羊歯の前立てに注目。)

ごくごく簡単に説明します。浜松城は、静岡県浜松市にある城跡です。野面積みの石垣で有名。歴代城主の多くが後に江戸幕府の重役に出世したことから「出世城」といわれています。

浜松城の前身は15世紀頃に築城された曳馬城で、築城時の城主は不明です。16世紀前半には今川氏支配下の飯尾氏が城主を務めていました。この頃の引馬城は、江戸時代の絵図にみられる「古城」と表記された部分であり、現在の元城町東照宮付近にあたります。

徳川家康が元亀元年(1570年)に曳馬城に入城し、浜松城へと改称します。城域の拡張や改修を行い、城下町の形成を進めました。

P7140281.jpg(暑さの中にもちょっぴりなごみますね。)

徳川家康在城時における浜松城の具体像は不明確ですが、古文書や出土遺物から現在の本丸に向けて城域が拡張されたことが窺えます。また、徳川家康が築造した浜松城は、土造りの城であり、石垣や瓦葺建物は有りませんでした。

10分間に合わなかった。井伊の谷「龍譚寺」


P7140344.jpg(「龍潭寺」も行ったのですよ)

最後に井伊家の「龍潭寺」も取材に行きましたが、16:30拝観終了到着16:40でした(残念)。

周りの取材はしっかり行いましたので、ご紹介したいと思っております。


そして今決意する!「脱サラして起業の勉強するぞ」


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2018/07/07

「くわばら、くわばら」の語源知ってました?語源を求めて三田市桑原『欣勝寺』

「くわばら、くわばら」の雷封じの呪文、死後に雷の祟り神となったとされる菅原道真が領地であった桑原には雷を落とさないからだとか、雷神が桑の木を嫌うからということで、雷よけの効果があるとされています。伝承の残る我が家の近く三田市桑原『欣勝寺』を訪ねてみました。



【プロローグ】雷の祟り神といえば菅原道真ですよね。


嫌なことや災難を避けようとして唱えるまじないに「くわばら、くわばら」が有ります。えっ!「もうお年寄りしかいわない」って?(笑)

本当ですね、近頃余り聞いたことが有りません。これは元々、死後に雷神となったとされる、菅原道真の領地「桑原」には落雷がなかったところから、その地名をまじないにしたとも言われています。

また、雷神が農家の井戸に落ちて農夫にふたをされてしまったとき、雷神が「自分は桑の木が嫌いなので、桑原と唱えたなら二度と落ちない」と誓った、という伝説によるとも言われます。

雷がゴロゴロと鳴り出した時に、自分の所に落ちないための呪文であり、転じて恐ろしいことが起きた時に身に降りかかる災難を除けるための呪文です。

P6160042.jpg(曹洞宗といえば柱巻だそうです。西陣織の風神雷神柱巻)

今回私が訪れたのは、自宅からご近所?車で30分程度の兵庫県三田市(さんだし)桑原『欣勝寺』です。雷様の子どもが井戸に落ちた伝承が有り、どちらかといえば、菅原道真と関係無い方ですね。それではご紹介いたしましょう。 

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京都にくわばらってあるの?



雷と菅原道真公の由来は、道真公が政敵の左大臣藤原時平との抗争に敗れ大宰府に左遷され怨霊となり、京都に災いを及ぼしたという話から始まります。

道真公は宇多天皇に重用されて、右大臣に昇進し右大将を兼任、従二位まで昇進しました。それを快く思わない藤原氏や他の貴族に謀られて大宰府に左遷され、903年(延喜3年)その大宰府で亡くなった後は怨霊(雷神)となり、京都を襲ったとされます。

道真の死後、京には荒れ、醍醐天皇の子が次々に病死するなどの事態が発生、これを道真のたたりと恐れた朝廷は流刑に処した道真の子供らの刑を解き、京に呼び戻しました。これによって京が安泰になった事から、天神を祀ったことで有名です(北野天満宮は有名ですね)。

京都府京都市中京区に「桑原町」という地名があります。一見どこにでもありそうな地名ですが、不思議なことが有るのです。

何が不思議化といいますと、京都市街地のど真ん中にあるこの桑原町という地名は居住区ではなく、「北は京都市上京区京都御苑」「西と南は京都市中京区四丁目」「東は桝屋町(富小路通り)」という地名に完全に囲まれており、丸太町通上の20m×30mで囲まれた一角のみなのです(つまり道の上だけ)。

京都御所自体は丸々京都市上京区京都御苑という地名になっており、桑原町の東西に隣接する中京区四丁目、桝屋町(富小路通)は共に京都御所に隣接している事と、南部の京都簡易裁判所も中京区四丁目、枡谷町に囲まれている事から桑原町が道路上のみの地名で、居住区でない事が分かります。

一見不思議に感じますが、現在の京都を形作ったのは、豊臣秀吉で16世紀末の事ですから、平安期の町割りは少し違ったものだったのかもしれません。菅原道真公とも有ろう方の所領が20m×30mということも考えにくいことから、後に(秀吉時代の町割り改革時)このような道路上に成ったのかもしれません。



「くわばら、くわばら」の語源の元となった場所が、和泉市内にもあった。和泉33ヶ所札所の1つである成福寺にも同じような昔話があるようです。雷神が農家の井戸に落ちて農夫にふたをされてしまったとき、雷神が「自分は桑の木が嫌いなので、桑原と唱えたなら二度と落ちない」と誓った、という伝説によるともいわれます。

P6160047.jpg(あわてんぼう雷様が落ちた雷井戸)

私がご紹介する、兵庫県三田市桑原「欣勝寺」にも境内には雷の子供が落ちたといわれる雷井戸があり、また、長野県千曲市桑原にも菅原道真に関わる雷伝説が語り継がれているということです。

P6160048.jpg(ご由緒書)

民話「くわばら、くわばら、欣勝寺」



【三田の民話「くわばら くわばら 欣勝寺」】

P6160028.jpg(民話「くわばら、くわばら、欣勝寺」)

『昔々、あわて者の雷の子どもは欣勝寺の井戸に落ちてしまいました。どうしても外に出られないので「助けてくれ~!」と大声で叫んでいるのを見た和尚さんは井戸にふたをしてこらしめました。雷の子どもは「助けておくれ、二度と桑原へは雷を落としません。」と約束したので、和尚さんは助けてやることにしました。雷の子どもは、雲の上に戻ってから、両親にこの話をすると、雷の親はとても感謝をして仲間を集めて、「これからは桑原には決して雷を落としてはならないぞ。」と皆に言いました。それからというもの、欣勝寺や桑原には雷が落ちたことがないと言います。そのようなことがあってから、「くわばら くわばら」と唱えると雷は落ちないと言い伝えられています。 』

三田市桑原『欣勝寺』




P6160001.jpg(山門)
P6160057.jpg(本堂、新しいです。)
P6160014.jpg(山号額は川本幸民の曽祖父寄贈だそうです。)
P6160020.jpg(奥に見えるのが、ご本尊の虚空蔵菩薩です。)

永禄年間(970年~973年)に清和天皇より別れた源満仲の開基を伝える真言宗の道場で、桑原さ山欣浄寺と称されました。その後、安貞2年(1228年)曹洞宗の開祖道元禅師が28歳の時に、有馬温泉に入浴した際に、桑原のに地に立ち寄り、この寺の山が宗の不老山に似ていることから、体宋山欣勝寺と命名し、曹洞宗に改宗されました。境内には雷の子供が落ちたと言われる雷井戸があります。

なお、ご本尊は虚空蔵菩薩で元亀4年(1573)に、安房国(現在の千葉県)清澄寺から、「欣勝寺」へ本尊としてもたらされました。数え年13歳の時にお参りすると知恵を授かるといわれる「十三まいり」としても有名です。

住職は同級生?


CIMG9212.jpg
(豊岡市日高町にある曹洞宗の寺「隆国寺(牡丹寺として有名で、関西花のお寺 第6番)」)

余談ですが、欣勝寺の方丈さん(お坊さんの呼び方というのはなかなか難しいようで、曹洞宗 では、住職のことを「方丈(ほうじょう)」と呼びます。)とゆっくりお話をさせていただきました。わが家の宗教が日蓮宗であること、曹洞宗については三田市で600年の歴史を持つ「永澤寺」で座禅を数回行ったことがあることなど話をした話をさせていただきました。

お話の中で、仏教という宗教が生き方を主眼に置いた宗教であることなど、楽しくお話しさせていただきました。話の中でどうやら年齢が近いようなのでお尋ねすると全く同じ年齢でした。

曹洞宗のお寺ということで、実家近くの兵庫県豊岡市日高町にある曹洞宗の寺「隆国寺(牡丹寺として有名で、関西花のお寺 第6番)」の方丈さん(住職)が高校の同級生なのでその話をしますと、「はいはい存じ上げてますよ、大学の時は同じクラスでした。」と申されましたので、びっくりしてまた話が盛り上がってしまいました。

隆国寺の牡丹は5月が見ごろ(過ぎてしまいましたが)です。方丈さんの太田くんは高校の同級生、素敵なお寺ので又改めてご紹介したいと思いますが、皆さんもよろしければ是非出かけてください。

【最後に一言】「くわばら、くわばら」は雷ばかりじゃない!


P6160039.jpg(なんとなくの籠、狭い所は大丈夫?)

「くわばら くわばら」ですが、先日大阪北部を襲った大きな地震は、本当にびっくりしました。多くの方々が被災され、現在も復旧作業は難航しています。はっきりしたことはわからなかったようですが、好きな歴史学的見地から言うと、前回の地震は有馬-高槻断層帯のずれが引き起こした地震ともいわれています。

有馬-高槻断層帯(が引き起こした地震としては、1596年に起きた伏見桃山の豊臣秀吉の『伏見城』を崩壊した地震があります。

今回は、雷よけのお寺ということで「欣勝寺」を取り上げさせていただきましたが、昨日からの大雨で、全国で大きな被害が出ているようで、亡くなった方もおられます。被災された方に心からのお見舞いを申し上げます。

私も、昨日は神戸ポートアイランドの病院に行く予定だったのですが、有馬街道が通行止め(高速道路も全て通行止め)になっていて、仕事を有給を取って休んだにもかかわらず、全く家から動くことができませんでした。

「くわばら くわばら 欣勝寺」「くわばら くわばら 大地震」「くわばら くわばら 大雨」、人間は自然災害には無力な訳ですが、情報を早く入手して、素早く行動する事で、被害を最小限に収めてくださいね。本当に『くわばら くわばら』です。

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2018/07/01

「大国主事」こと「葦原醜男(あしはらしこを) 」に、ご挨拶『出雲大社』にお詣りする。FINAL

出雲大社を巡る旅、今回の最期を飾るのは勿論「古事記」の神話時代から語り継がれてる『本殿(神殿)』です。大国主大神をお祀りする出雲大社本殿は『国宝』に指定されています。「平成の大遷宮」で美しさに磨きを掛けた本殿の雄姿を特とご覧あれ。



【プロローグ】葦原醜男(あしはらしこを)や「大穴牟遅神(おおなむぢ)」とは?



前回は「大穴牟遅神(おおなむぢ・稲羽の素兎時)」に、今回は「葦原醜男(あしはらしこを・素戔嗚に認められて大国主に…) 」にとさせていただきました。「大国主大神」には多くの名前があります。私は「大国主」は出雲王・国王の総称であると考えています。何度も殺されるたびに何度も息を吹き返したり、全国に有る国造りの伝説も一人が成し遂げたことではなく、出雲王国の王が成し遂げた業績だと考えています。時代が移って、人代に成っても大和朝廷が出雲を特別視した所以がそこにあるのではないかと考えています。今回出雲大社に毎年二度以上通い、現地を見て感じて一層その思いが強くなりました。

DSC_0104.jpg(出雲大社に日の丸がたなびく姿が美しい20枚以上撮影したのですが…)

2008年の「仮殿遷座祭」以降、本殿の屋根等の大改修が行われて、2013年5月には御祭神を仮殿から改修が完了した本殿へ再び遷座する「本殿遷座祭」が行われました(平成の大遷宮)。出雲大社の遷宮は概ね60~70年毎に行われました。私が、出雲大社に興味を持ったのが丁度、「平成の大遷宮」の期間だったことから、本殿内部の空気感やご神体のイメージまで実際に内部を観覧したりご神体の移動に関わった方々から話を聞けたのは、偶然とはいえ幸せでした。

本殿の中に入ると「全く空気と時間が変化する」と遷宮時の公開で、本殿に登殿した方からお聞きしました。空気だけでなく、時間の流れが止まったような、あるいはゆっくりになったような、感覚に落ちていったと話されました。

出雲大社の宮司には、日本神話からの言い伝えから天照大神の子の「天穂日命」を祖とする出雲国造家のみが祭祀を担うことが許されとされており、現在においても皇室の者すら本殿内までは入れないというしきたりを守り続けています。それでは『国宝』出雲大社本殿をご紹介させていただきます。

それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
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DSC_0061_201807012004410e1.jpg
(Facebookでもお友達に成って頂いている飯塚禰宜さんです。処理しなくても良かったのですが飯塚さんは大社のポスター等にも必ず出られている美男子なので、稲原醜男は遠慮しました。笑)


『国宝』本殿概要


IMG.jpg
(参考にさせていただきました。)
P5041821.jpg(うっとり…)

玉垣、瑞垣(廻廊)、荒垣の三重の垣根に厳重に守護されている大社本殿内部は、北西には御客座五神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神)が祀られています。大国主大神の御神座は本殿内北東にあり、正面である南側ではなく西側を向いています。

これは本殿が古代の高床式住居とほぼ同じ構造になっているため、高床式住居における入口と最上席の配置と向きの関係から、御神座は西側を向くことになるためと考えられています。天井には7つの雲の絵(8つ目の雲はどこへ?)が描かれている。現在の本殿は1744年(延享元年)に建てられたもので、高さは8丈(およそ24m)と、神社としては破格の大きさです。

切妻造妻入の本殿は、柱を田の字型に配して中央には直径が1 mを超える心御柱が立ちます。正面・背面の中央には棟木まで伸びる宇豆柱は立ちます。このため戸口を中央に作られないので、東の間に板唐戸(御扉)を取り付け、扉の前に階段(木階)を作り、その上に傾斜した屋根(階隠)をかけます。

このような形式は「大社造」と呼ばれ神社建築の中でも、出雲地方に独特な形式に分類されています。特に出雲大社本殿はその代表例として国宝に指定されています。

屋根は檜皮葺で、その構造は軒先に厚みを持たせるの軒付と、屋根面を葺く平葺に分かれます。平葺は、一般的に長さ76cm の檜の皮を12 mmずつずらして重ね竹の釘で葺きますが、出雲大社本殿では121cmの皮を9mmずつずらして重ねていきます。檜皮の長さが1.5倍もある上にずらす隙間も狭く、重なりが多くなるため檜皮葺の厚さは20cmにもなります。

軒付積の厚さは60~90cmになります。また、檜皮の下には野地板(厚さ4.5cm) の上に貼られた二重の流し板(厚さ3.3cmと4.8cmが仕込まれています。この流し板は、継ぎ目を刻苧漆(こくそうるし)で止水した重厚な構造です。いずれも本殿を厳重に守るための先人の工夫です。

この本殿が建てられた時の記憶『出雲大社延亨造営伝』によれば、破風と棟の包み銅板には「チャン塗」が施されていました。修理前の包み銅板は明治の修造遷宮で取り替えられたものでしたが、分析の結果黒色のチャン塗が施されていたことがわかりました。また破風の錺金具に残っていた緑色の塗料もチャン塗でした。「チャン塗」とは主成分が松脂でこれを荏油(えごま油)で溶き、鉛と石灰を添加した塗料です。黒の場合は墨、緑の場合は岩絵の具の白緑(びゃくろく・ 白みを帯びた薄い緑色。孔雀石を砕いた粉末である岩緑青(いわろくしょう)を、さらに細かくして作った)を練り混ぜて作るそうです(自分で書いていて、意味が良くわからないです)。出雲大社の建造物‐(公財)文化財建造物保存技術協会‐より抜粋。

「雲太、和二、京三」って知ってます?


DSC_0054_20180701200440a9b.jpg(本当はどの程度の高さだったのか?)
PB020110.jpg(後ろの八雲山に作らえていればおよそ96m有ったかもしれません。)

本居宣長の『玉勝間』によれば、かつての本殿は現在の倍ほどもあり、中古(平安時代)には16丈 (48m)、さらに上古(神の時代の後、平安より前)には32丈(およそ96m)であった、という伝承があるとされます。同じ出典にある、「金輪造営図」と併せて想定される姿は大変不思議なもので、空に向かって延びた何本もの柱の上に社が建つというものになっています。上古については流石に神話の中のお話だとしても、16丈あったとすると東大寺大仏殿(当時の伝承によれば十五丈・45m)や平安京大極殿より大きかったということになります。

この説については賛否両論あり、肯定する意見としては、平安時代に源為憲によって作られた「口遊」で数え歌に歌われていること(雲太、和二、京三=出雲太郎、大和次郎、京三郎、というものですが『雲太、和二、京三。今案、雲太謂出雲国城築明神神殿。和二謂大和国東大寺大仏殿。京三謂大極殿、八省。』を元にしており、その後に続く数え歌を考慮すると、高さの順を表したものではなく、神社(神)、寺院(仏)、住宅(人)の順との説もある)や、複数の記録により、複数回倒壊していることがわかっていること(「百錬抄」「左経記」「千家家古文書」「中右記」「北島家文書」などに記録があり、平安中期から鎌倉時代初めまでの200年間に7度も倒壊している)といった傍証が挙げられてます。

上古32丈についても、山に建てたものについて、その標高を述べたものと附会すれば、不自然では無いという意見もあります。高層建築が必要とされたのは別天津神(ことあまつかみ)の祭祀と関係があるとする説もあります。別天津神は、『古事記』において、天地開闢の時にあらわれた五柱の神々をいいます。

『古事記』上巻の冒頭では、天地開闢の際、高天原に以下の三柱の神(造化の三神という)が、いずれも「独神(ひとりがみ)」(男女の性別が無い神として成って、そのまま身を隠しました。天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)至高の神、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)生産・生成の「創造」の神、神産巣日神(かみむすひのかみ)生産・生成の「創造」の神。高御産巣日神と対になって男女の「むすび」を象徴する神。

その次に、国土が形成されて海に浮かぶくらげのようになった時に以下の二柱の神が現われています。この二柱の神もまた独神として身を隠しました。宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)活力の神、天之常立神(あめのとこたちのかみ)天の神です。これら五柱の神を、天津神の中でも特別な存在として「別天津神」と呼んでいます。

一方で、前述したように明確な文献が『玉勝間』と江戸時代まで下ること、証拠とされているものがいずれも傍証にとどまること、32丈説として想定される「山」が、そもそもただの山ではなく神域であり工事が入ることなどめっそうもないといった点が否定要素とされています。

2000年、地下祭礼準備室の建設にともなう事前調査に際し、境内からは勾玉などの他、巨大な宇豆柱(1本約1.4mの柱を3本束ねたもの)が発掘されました。古代社殿の柱ではと騒がれ、16丈説があたかも確認された事実であるかのごとく報道されたりしましたが(私も興奮したもですが…)、結局、中世の遺構で現在とほぼ同大平面であり、柱の分析や出土品からも1248年(宝治2年)造営の本殿である可能性が高いとされています(鎌倉時代ですね)。ただし発見されたものが古代の本殿ではなくとも、16丈であったことの証明になる可能性があると書かれた教科書や書籍ももちろんあります。

江戸時代初期まで素戔嗚が主祭神だった?


P5041801.jpg(大国主は何故西を向いているのか?)
P5041800.jpg
(こちらからだと正面から大国主大神と対面できる場所。前の山が義父・素戔嗚を祀っているからとバスガイドさんの説明を小耳に…)

現在の出雲大社の御祭神はもちろん大国主大神ですが、その昔、素戔嗚尊(スサノオノミコト)とされていた時代がありました。出雲大社の荒垣入口の銅鳥居は長州の大名毛利家が寛文六年(1666年)に寄進したものですが、そこに刻まれた銘を見ると「一を日神といい、二を月神といい、三を素戔嗚というなり、日神とは地神五代の祖天照太神これなり、月神とは月読尊これなり、素戔嗚尊は雲陽の大社の神なり」と書かれていて、この時代は素戔嗚尊が御祭神であったことがわかります。

いつから切り替わったとはっきり伝わっているわけではありませんが、歴史を見ていきますと、古代からしばらくの間は大国主大神でしたから、創建時も当然、大国主大神であったと考えます。また、出雲国造新任時に朝廷で奏上する「出雲国造神賀詞」においては「大穴持命(大国主大神)」「杵築宮(出雲大社)に静まり坐しき」との記載がありますので、この儀式を行っていた平安時代前期までの御祭神は大国主大神であったことがわかります。

ところが、これが中世の間のどこかから変わったようです。どうも鰐淵寺という出雲大社の北東にある大きなお寺との関係が起因となったようです。変わった理由について、國學院大學教授の西岡和彦氏のわかりやすい説明がありますので、見てみますと、「中世の出雲大社は、神仏習合の影響を受けて、一時祭神は素戔嗚尊であった。それは鰐淵寺を中心とした縁起(いわゆる中世出雲神話)に、出雲の国引き・国作りの神を素戔嗚尊としていたことから、それが一般に広まり出雲大社までが祭神を素戔嗚尊とするようになったのである。」(しまねの古代文化第十一号、島根県古代センター)

中世は神仏習合体制で、神社と寺院とかなり緊密な関係となっていたところが多く、出雲大社と鰐淵寺の関係もそうであったようです。最も神仏習合といっても、神社よりも寺院の方が力が強い事も多く、また学問といえば僧侶が中心でしたから、そのあたりも祭神の変更に影響を及ぼしたのかもしれません(ちなみに鰐淵寺「取材済み」は紅葉や桜のきれいな古刹です。まだ、ご紹介していませんが、改めてご紹介させていただきます。)。

豊臣秀吉の唐入りの際、出雲大社は所領を大きく減らされた影響から、江戸時代に入って鰐淵寺との関係はかなり薄くなりました。また儒学が盛んになると、神道が見直され「日本書紀」が広く読まれるようになりました。日本書紀においては出雲大社は大已貴神(大国主大神)の住まいとして建てられた、という神話がありますから、江戸時代中期には出雲大社は公式文書にもはっきりと御祭神は大已貴神と記載するようになり、はっきりと大国主大神に戻っています。

不思議な話ですが、良く戻ったなという気もします。参拝する人や権力者の意向もあります。それでも、戻ったのは、やはり天穂日命から代々受け継いできた出雲国造家の存在が大きかったのではないかと思います。私の故郷但馬の名草神社の三重塔も尼子氏によって仏塔として出雲大社に建てられていたものです。当時の遷宮の材が無い時期に但馬の木材と交換されて出雲大社の再建に使われました(名草神社「取材済み」もまだご紹介していないのですが、現在大雪の影響で修理中です2020年に完成予定です
。)。

出雲大社のご神体は何だ?知りたいですよね~推理してみましょう。


P5041738.jpg(うっとりする美しさです。)

さて皆さんは出雲大社のご神体を何だとご想像されますか?普通は、三種の神器と同じように「鏡・剣・勾玉」のどれか、またはその全てだと思いになりませんか?ただ出雲大社のご神体は、そのどれでもないと私は確信しています。

以前もお話してのですが、実は意宇六社、出雲総社・六所神社の宮司さんと Facebook でもお友達に成って頂き、出雲の歴史を御教授頂いて居ります。最初に六所神社を訪れた時に御朱印をいただきながら、出雲歴史の話で盛り上がり(私の知識が議論に値すると思っていただけましたら嬉しいのですが)小一時間お話することができました。

御朱印集めを、出雲大社遷宮の前年から始め、出雲が大好きに成ったことなどお話をさせて頂きますと、意宇六社の宮司さん方が出雲大社遷宮時に御神体を運ぶ役目を担っていることなどを、お話下さいました。

そこで、すかさず「出雲大社の御神体は何なのですか?」と訪ねてみたところ、遷宮の御神体移動は前日の夜に、千家当主(現在の出雲国造八十四代千家尊祐さん)が一人で神輿に移され、神事の当日に意宇六社の宮司さん方が仮神殿に移されるとのことです。もちろん神輿の中は見られないわけですから御神体が何であるかわからないそうです。

しかし、神罰に触れそうなので、はっきりとは言えませんが、ある理由から、「鏡・剣・勾玉」等ではないようだと考えられているようでした。さて皆さん其では何だと思われますか?それが何かはハッキリ言えません。私見ですが、やはり出雲に関係のあるものだと推測しています。出雲に関係があるものといえば何でしょう ?(こんな物かも…笑)

PB041552.jpg
(こんなこと覚えてますか?屋根を突き破ったそのもの1億で売れたとか?)

【最後に一言】『AKB48 53rdシングル世界選抜総選挙』に日本の未来を見た。



色々ご意見もおありだと思いますので、サムライブルーはちょっとおいといて(-"-;A ...アセアセ、時代は天照?女性を欲しているかも?

5月16日(土曜日)にサッカーをみようとTVを付けると「AKB48世界選抜総選挙」の開票イベントをやっていました。実は根っからのアイドル好きなんです。と言っても AKB グループが特別好きというわけではありません。AKB48グループの『AKB48 53rdシングル世界選抜総選挙』の開票イベントが5月16日、名古屋市のナゴヤドームで行われ、SKE48の松井珠理奈さん(21)が10回目の出馬で初めて1位を獲得しました。2位にも須田亜香里さん(23)が入り、SKEが1、2位を独占しました。

しかしながら、頑張っているアイドルを見るとついつい応援したくなるのが人情ですよね、昨年の紅白歌合戦で檜坂46のメンバーが、過呼吸になって倒れた姿を見て大ファンになった私ですが、AKB48グループ「メディア選抜」16名に選ばれた彼女たちのスピーチに思わず涙をこぼしてしまったので、少しAKB48についてお話をさせていただきたいと思います(出雲大社のまとめがAKB48か~~~!と怒らないでくださいね。)。

そもそも、私よりも半分以下の年齢の彼女たちが、3万人以上の名古屋ドームのファン(観客)を前にして、堂々と話がができるということに驚きました。そういわれてみれば、毎年開催(10回です)されているようですし。初期の頃はファンの子(篠田 麻里子さんです。)がいたので程々真剣に見ていたのですが、今は篠田さんが卒業してしまっているので、それほどは関心なかったのですが、なぜか今回は、ダラダラと見続けることになってしまいました。

しかしながら、彼女たちが3万人以上の観衆の中でスピーチにする姿にびっくりしてしまいました。当然「選抜メンバー」と呼ばれるトップ16名の発言は、素晴らしいものだったと思います。彼女たちは自分たちを投票で上位に押し上げて、トップメンバー(メディア選抜に)に押し上げてくれたファンへの感謝の気持ちを当然述べるわけですが、その後に冷静に自分自身の目標やAKB48という『箱』について、自分の所属するグループだったり、またそのグループ内のチームについてもスピーチするのです。そして選抜に選ばれる、殆どの皆さんがそのチーム(12~15程度)やグループ(48名以上)のトップメンバーです。

横山由依さん(総監督)になると AKB グループ全員の400(下部組織・海外を含めると700人以上?)人をまとめていると言うではありませんか、400人ですよ~!本当にあんなに可愛い女の子が400人のグループを纏め上げるってどんなことなんだ、と思いました。会社の場合を例にすると、人数では彼女たち一人一人がそれぞれ、一つの会社の社長と変わらない仕事をしてることになります。総監督の横山由依さんにいたっては、大会社の社長に匹敵します。

その彼女たちが心の底から絞り出す「スピーチ」に感銘を受けたのです。20歳そこそこの(そこそこと言われると怒られそうですけど)の彼女たちが、「私に付いて来てください。」とか「自分の頑張りを見ていてください!」とか「次は1位になります。」とか、そんなことを3万人もの観衆の前で宣言できますか?改めてびっくりしました。1位の松井珠理奈さんは「私は本気で48グループを1位にしないと気がすまない。48グループはまたアイドル界のトップになれます。なりたいんじゃダメなんです、なるんです!」と、凄すぎる。

もちろん彼女たちの後ろには、彼女たちを育て上げ(上手くプロデュースしている?)ている大人が付いているのかも分かりません。秋元康さんの策略かも分かりません。しかしながら彼女達は自分達の言葉で語りかけているんです。とても素晴らしい事じゃないですか、それだけの覚悟が、「じゃあ自分自身にあるのか?」と問われると、とてもではないですけどないですよね、3万人の前で普通に喋れるかどうかも分かりませんし…、本当に素晴らしい皆さんだと思いました。

「AKB48世界選抜総選挙」のメディア選抜のスピーチを聞いて、日本の未来は女性に託すべきだと感じた市郎右衛門でした。

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