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2018/06/10

安い?旨い?早くない!我が家の『牛丼』のレシピ教えます。「Allez cuisine!」

鬱陶しい梅雨が始まりましたね~!こんな時は肉でしょ?余り関係ないけど、牛丼作ろ!そうそう前回の神楽のお話も補足させていただきます。



【プロローグ】前回の補足と料理大好き市郎右衛門。


前回、「実家の神楽は伊勢大神楽(いせだいかぐら)の模倣と考える」と、お話をしましたので、伊勢大神楽を簡単に説明します(機会が有ればまた丁寧に説明させてください)。伊勢大神楽は獅子舞を舞いながら諸国を巡り、かつては伊勢神宮、現在では伊勢大神楽の神札を配布してまわる神楽師のことを指します、広義には彼らのおこなう芸能の総称です。神楽師達は各戸で竈祓(祈祷)を行う際に獅子舞を舞いますが、それ以外にも特定村落の鎮守社境内などで総舞と呼ばれる娯楽要素の強い芸能を披露します。

1954年(昭和29年)には三重県の指定文化財となり、1981年(昭和56年)には「とくに放下の芸系を遺す演目は芸能史的に貴重であり、獅子による曲芸という芸態にも特色があると認められている」との理由で、国の重要無形民俗文化財に指定されています(現在、伊勢大神楽講社所属の5社中が当該文化財の保護団体になっています)。

私は5年ほど前に、鳥取県の加藤菊太夫家の神楽を松江城で観覧する機会に恵まれました。神楽支配を家職としていた公家・持明院家と深い繋がりを持ち、主に鳥取県を檀那場(だんなば・得意先やテリトリーの意味)としていた加藤孫太夫の分家にあたる家元です。加藤菊太夫家は檀那場以外での総舞披露や公演活動にも力を入れている家元であり、2008年・2009年には韓国公演を行うなど、海外公演も積極的に行っておられます。古来よりの檀那場は、滋賀県・鳥取県・岡山県・島根県・大阪府・兵庫県です。

放下芸とは、中世から近世にかけて行われた大道芸の一つ。伊勢太神楽にも、綾(あや)とりの曲、水の曲、手鞠の曲、傘の曲などが「放下芸」として残っています。剣舞等に代表される竈祓(祈祷)と違い、曲と名付けらるコミカルな曲芸を指します。とても片手間で出来るようなものでは無いので、村々の神楽からは消え去ったのでしょう。演目も(約2時間近くだったと記憶しています。)長いですが、これも地区だけに御札を渡し竈祓をすればよいというものではなく、遠方からも呼ぶための一大エンターテイメントだった為と思われます。

さらに、私の私見で獅子舞のスト-リーを展開しましたが、獅子が伊勢神宮の使いなら「天照大御神」を表し、天狗「猿田彦命」は前政権の象徴なのかもしれません。私見は全くの逆説ということに成ります。

P6100008.jpg(シンプルなお肉だけの牛丼おいしそうでしょ。)

さて前置きが長くなりました。昨日三宮の病院に定期健診にまいりましたので、ついでにお肉を買ってきて『牛丼』作りました。たまに作るのですが、これがなかなかいけるので是非皆さんも挑戦して欲しいです。

それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
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牛丼の誕生は明治時代に入ってからです。



牛丼(ぎゅうどん)は、薄く切った牛肉(切り落とし、小間切れ等、今回は違います。)とタマネギなどを醤油などで甘辛く煮込み、丼に盛った飯の上に載せた料理の総称です。

牛丼は牛鍋を丼飯にかけた料理が原型で、初期には「牛めし」と呼ばれ、明治時代に誕生しました(牛を食べる習慣自体が江戸時代にはありませんでした。)。「牛丼」の名称は、吉野家を1899年(明治32年)に創業した松田栄吉が名付けたとされています(やはり吉野家です!)。

すき焼き丼も同類とされています。すき焼きの名残から、しらたき、焼き豆腐、ネギなどを入れる店舗もありますが、大手の牛丼チェーンでは牛肉やタマネギのみが乗せられる場合が多いですね。また、食べる者の好みに応じ、紅しょうが、七味唐辛子、生卵などが付け合わせとして使用されることもあります(皆さんご存知ですよね。)。

牛丼は醤油ベースで調味されることが多いが、神戸らんぷ亭が2010年1月25日に発売した日本初の「塩牛丼」は味付けに塩ダレを使用している点で珍しいです。また、神戸らんぷ亭は、「味噌牛丼」も期間限定で提供し、醤油・塩・味噌の「牛丼3兄弟戦略」を2010年に展開したそうです(覚えてますか?)。このほか、牛肉を焼く調理法を採用したメニューでも牛丼の範囲として扱う場合があり、その際は「焼き牛丼」と呼ばれています。

牛丼の歴史を紐解こう。


P6100007.jpg
(2.5キロの肉ですから大きな寸胴で作りますが…台所が汚くて写真は小ぶり。(-"-;A ...アセアセ)

牛丼の源流に該当する料理は牛鍋であり、1862年(文久2年)横浜入船町の居酒屋「伊勢熊」が店の半分を仕切り、日本初の牛鍋屋を開業したとされています。幕末から明治時代初期の牛肉は硬く獣臭さが目立ち、それらを緩和するために関東の牛鍋は紅葉(鹿肉の別名)鍋に類似した内容で、具材は牛肉(当時はまだ薄切り肉の使用が定着しておらず、角切り肉を使う場合もあった)とネギのみで味噌仕立ての味付けで、煮るか炒め煮にする調理法が主流でした。ネギを五分(一寸の半分で約16 - 17mm)の長さに切ったことから、明治初期には具材のネギが「五分」と呼ばれたこともありました。

明治時代の文明開化により牛肉を食べる習慣が広まり、東京”芝”に外国人向け食肉加工場が完成したこと、などの要因から肉質が良くなるにつれ、関東地方の味付けは味噌から醤油と砂糖などを調合したタレ(割下)が主流になっていきます。1877年(明治10年)には、東京での牛鍋屋は550軒を超えて大流行となりました。1887年(明治20年)頃になると、具材において牛肉や野菜以外にも白滝や豆腐が使われ始め、ネギはザクザクと切ることから「ザク」と呼ばれ、この「ザク」という言葉は具材全体の総称にもなっており、これらを沢山の割下で煮た牛鍋が関東風すき焼きの原型となりました(なるほど~!)。

「牛丼」は当初、牛飯もしくは牛めしという名称で1890年代には発売されており、この時期の東京にはあったが京阪にはありませんでした。その後、1899年に創業した吉野家の牛丼も同様の料理であり、当時は「牛鍋ぶっかけ」と呼ばれ、主客である日本橋の魚河岸の人々に親しまれました。浅草や上野の広小路一帯にも牛丼の屋台が沢山出店しており、そこでは「かめちゃぶ」の俗称も使われていたそうです。かめちゃぶの表現は、古川ロッパ(1930年代の日本の代表的コメディアン・編集者、エッセイスト)の随筆集「ロッパの悲食記」の中でも登場しています。大正から昭和初期にかけ、牛スジの煮込みを使った屋台料理として浅草で人気を呼び、本格的な完成品となりました。

吉野家での具材は明治から大正時代は牛鍋と同様の時期が続きましたが、客側の「特に牛肉とご飯を一緒に楽しみたい」という要望が高まり、それを追求・進化していった結果、現在に通じる「牛肉とご飯を一緒に楽しむ」ことに特化した内容へ変化していったようです。

1973年から吉野家がファーストフードの一種としてフランチャイズチェーンを展開したことで一般に親しまれるようになった後、養老乃瀧、松屋、すき家、なか卯、神戸らんぷ亭などが牛丼(牛めし)をチェーン展開した(「養老乃瀧」は後に牛丼から撤退)。1993年当時、ダイエーグループの神戸らんぷ亭が恵比寿に1号店の出店を発表した際にはセゾングループの吉野家が即座に対抗し、2軒隣に吉野家恵比寿駅前店を開店して対抗しました。

各牛丼チェーンでは持ち帰り用の容器を用意しており、「牛丼弁当」としても販売しています。また注文の際に「つゆだく」など客の好みに合わせた盛りつけを無料または有料で行っている場合があります(私はつゆだくは結構です。)。これはチェーン店によってマニュアルを定めた内容に限り対応可能としている特殊なサービスです。吉野家ではこれを「特殊オーダー」と呼んでいるようです。ただし、これは店内のどこにも明示されていない「特殊」サービスです。

つゆだくとは(説明要りますか?一応ね。)牛丼における盛り付け指定の一種であり、具材の汁(つゆ)を多めに盛りつけた状態のことを指す符丁です。 つゆを少なめに盛り付けることはつゆ抜き(つゆ切り)とよばれています(知りませんでした。)。また、つゆだくだくというさらに多めにつゆを盛り付けた状態を指す言葉もある。ときに「つゆだくだくだく…」のように、「だく」を多くしてつゆをとても多くしてもらう人もまれにいるようです。「だく」は「たくさん」の「たく」が濁ったものだという説と、「だくだく」という擬音が短縮されたものだという説があります(どっちでもいいよね。)。

つゆだくの語源・普及は、1950年代頃につゆを多めに頼む常連客が存在しており、その注文を簡潔に調理場へ伝えるため店員同士のやりとりに使用する合い言葉(符丁)として使い始めたとされ、1990年代中頃には一般にも定着し、1997年頃につゆだくで牛丼を食べることが女子高生の間で流行して一気に広まりを見せました(やっぱり流行はJKが作るんやね。)。店側にとっては、通常の注文と同価格でより多くのつゆを提供することとなるため、一品当たりのコストが増すことに成ります。ある牛丼チェーン店ではつゆだくに伴うコスト増が年間数億円に上るといわれます。

吉野家、すき家、松屋では、つゆだく牛丼弁当を注文すると弁当容器の上につゆだくと印刷されたシールが付くので、中を開けなくてもつゆだく牛丼弁当を見分けることができるそうです。

又、ねぎだく・ねぎ抜きも存在します。ねぎだく・ねぎ抜きとは、牛丼における盛り付け指定の一種であり、ねぎだくは具材のタマネギ(玉ねぎか~(;^_^A)を多めに盛り付けた状態、ねぎ抜きはタマネギを抜いた状態のことです。吉野家では2007年12月をもって一部店舗を除きねぎだく・ねぎ抜きの注文受け付けを終了しています。すき家・松屋は現在もねぎだく・ねぎ抜き共に注文可能です。

メニューに表示されていませんが、一部のトッピングやメインの具材量を有料・無料で変更可能な場合があるそうです。松屋では福神漬の量調節やサラダのコーンを抜く注文が可能ですし、すき家では過去の期間限定メニューの一部が「隠しメニュー」という形で存在しており、牛丼の「キング」(940円、肉の量が並盛りの6倍、ご飯の量が2.5倍)と、「プチ」(130円、並盛りの4割ほどの量)が店内食のみで注文可能だそうです。吉野家では肉を多めに食べたいがご飯は少なくていい場合、大盛りを頼んでご飯少なめ(頭の大盛り)という注文で対応可能、なお、吉野家では現在「頭の大盛り」は正式メニューとなっているそうです(近頃食べて無です。)。

牛丼チェーンの地域的特性として、関東地区は吉野家・すき家・松屋が数百店規模で拮抗し、中国・四国・九州エリアではすき家が最も多く、信越・北陸ではすき家が吉野家の2倍以上の店舗を出店しています。大都市圏の傾向では東京では松屋が頭一つ抜けた店舗数で、大阪ではゼンショーグループであるなか卯・すき家の両社を併せた状態だと少し抜け出た店舗数となっています。 また、イベント会場などでテナントとして出店し、牛丼弁当などを販売するケースもあるようです。

さて、次はみそです(ちょっと疲れて来ました。笑)。みそ汁は有料である店舗が多いですが、店内食の場合に限りみそ汁を無料で付けるサービスを行う店もあります。大手チェーンでは松屋全店舗(持ち帰り牛丼は除く)、東京チカラめし全店舗(お持ち帰り牛丼は除く)、すき家の一部店舗(赤坂六丁目店など)で実施されています。

47都道府県すべてに展開している企業は吉野家とすき家のみである。2000年代の一時期では、こういった状況やエリアごとの店舗分布や売り上げから考慮して、吉野家とすき家の「2強」時代と見る傾向がありました。しかし2000年代後半以降に発生した価格競争に松屋も度々参戦したことから、すき家・吉野家・松屋の3社が「3強」「御三家」といった主要チェーンとして認識されています。

2010年代初旬では、低価格居酒屋チェーンの「居酒屋270」シリーズを展開した三光マーケティングフーズが2011年6月に牛丼市場に参入し、「焼き牛丼」を看板メニューとした「東京チカラめし」が新たな勢力として存在感を見せましたが、一過性のブームに終わり、2014年には直営店の8割を閉めています。牛丼市場は日常食として需要が安定していることや、新たにファミリー層などを取り込んだこと、低価格業態が消費者の支持を集めて堅調なことから、調査会社において2010年代前半から中盤にかけて市場の拡大が予測されています(2018年、どうですか?)。

A5神戸牛で作るにもかかわらず安い!でも、当日は食べられません(カレーか?)



さて、私がお肉(我が家ではお肉=牛肉です。鳥・豚は頭に着けますが、牛は基本お肉です。カッコつけてますがつまり牛肉あんまり食べられません。)を購入する店舗は決まっています。神戸大丸正面の「守屋商店」か神戸湊川の「太田屋」さんです。今回は時間の都合(店長以下従業員がお友達なので、長話に成ります。)や駐車場(神戸の繁華街で路上駐車できません。)の関係もあり、湊川の「太田屋」さんに向かいました。

購入したのは、当日特売の牛スジ肉2.5キロ(500g1280円が当日800円)です。「太田屋」さんが扱うのは、基本但馬牛を元牛とした神戸牛・三田牛・淡路牛そして但馬牛だけです。ですからスジといってもA5ランクのスジ肉なんですよねえ~。お肉の事をあまりご存知ない方はコンビニのスジおでんを想像されるかもしれませんが、全くの別物です。スジ肉と言っても馬鹿ににはできません。お肉の味がしっかりついているんです。

さて次は調理方法ですが、やはりあく抜きは行わないといけません。ずんどうに2.5kg のスジ肉を入れひたひたになるまで水を入れます。生姜とネギを臭み抜きで入れて煮立たせます。出てきたアクをとりながら 20分ほど強火で火にかけます。火を止めて中のお肉が外に飛び出さないようにしながら水を捨てます。そしてまた水をひたひたにして同じ作業を2度繰り返します。この作業によりスジ肉の臭み(余りないです。)や抜け残ったあくも取ることができます。

この作業の後肉を一度全て取り出し、口入る大きさに切断して寸胴に戻します。寸胴に戻した後、約2時間煮込んで肉を柔らかくします。スジ肉がすべて柔らかくなった頃を見計らって味付けをします。味付けはお好みで良いのですが基本は、お砂糖・薄口醤油・みりん・酒・きざみしょうが等です。私はシンプルなものが好きなので具材は玉ねぎだけですが、お好みでねぎや糸こんにゃくなどを入れても良いかもしれません。最後の15分程なったら、切った玉ねぎを四ケ分程投入ししばらく煮つめて火を止め一晩おきます。

翌日もう一度味が染み込んだスジ肉に火を入れます。前日に入れた玉ねぎは溶けている可能性があるので、サクサクの玉ねぎがお好みの方は、後で玉ねぎを二つほど追加してください。

さあ召し上がれ。


P6100030.jpg(下で使った器の説明をさせてください。)

まずは丼ですが、同じ物が無いのでこちらの写真にはありませんが、私の陶芸師匠・京焼の吉村先生作です。シンプルな先生得意の轆轤形ですが、薄くて使いやすく刷毛目のアクセントに御本手(萩焼に多い。)の模様が浮いています。次にかくてきを乗せた小皿ですが、出雲松江藩御用窯の流れを汲む布志名焼き、松平不昧公(大名茶人)好みの袖師窯で調達しました。「かけ分け(ブリュッセル万博陶芸グランプリ)」は伊達じゃないです。小さい小鉢は丹波・渓水窯の芥川啓子(清水焼)さんの「赤絵付け」兎の可愛さに負けた(器は御夫君の芥川清さんと共にテレビや映画の撮影にも使用されるそうです)。映画”関ケ原で”家康の燭台を作成、京都で女優さんの陶芸演技指導もされるとか…。箸置きは信楽焼きでFacebookでお友達に成って頂いている篠原さんの焼き締め(徳利買ったらおまけにくださった物。)最後に忘れてはいけないのがお箸、taka:aさんから誕生日プレゼントにいただいた箸です。

さて、「牛丼」総額はお肉の4000円+玉ねぎ200+消費税=4536円でしたが、十人前は作れると思うので、一人前に換算すると玉ねぎを入れても約450円で作ることができます。皆さんも是非参考にして作ってみてくださいね。

P6100027.jpg(ほらね~全然スジ肉じゃないでしょ!)

【最後に一言】味の秘訣は手間暇と愛情。


最後の一言は、味の秘訣ですがやはり”愛情”と言わざるを得ません。時間をかけて丁寧に作ること、めんどくさいことですがこれが一番の味付けになります。スジ肉は安いお肉ではありますが、お肉の味が一番出ると考えています。口の中でとろけるゼラチン、スジについた筋肉の味も最高です。スーパーで買った紅しょうがですが色合いも兼ねて載せてみましたどうぞご堪能ください(笑)。

いつも応援ありがとうございます。歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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