2018/04/09

西国三十三観音霊場を巡る!「第六番札所」『壺阪山 南法華寺(壺阪寺) 』

私事で恐縮ですが、白内障を患いまして、手術することにしました~f(^_^;。老化だと思っていましたが、どうやら突発的な症状で老化では無いことが判明しました。通勤で3時間程車の運転をするので見えにくいと非常に目が疲れます。ブログUPのペースが落ちている事もPC画面に向かうのが辛いせいも有ります。勿論病院での検査等に時間を割かれていることも有りますし、その他の病気でも通院したりと中々厳しい状態が続いています。

手術は5月です~(*^^*)。日帰りなので心配はしていないのですが、富山市の学会に行く予定がキャンセルに成ったのが残念です(ToT)。そこで今回は目にとてもご利益の有るお寺をご紹介して、私も厄祓いしたいと思います。

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(そびえたつ観音像)

西国三十三観音霊場の第六番札所『南法華寺(壺阪寺)』です。こちらはバスツアーで訪れました。南法華寺(みなみほっけじ)は、奈良県高市郡高取町にある真言宗系の単立寺院です。山号は壺阪山、一般出的には壺阪寺(つぼさかでら)の通称で知られています。703年(大宝3年)創建と伝えられ、私も現在患っている、目にとてもご利益があるお寺です。

本尊十一面千手観世音菩薩は眼病に霊験があるといわれ、お里・沢市の夫婦愛をうたった人形浄瑠璃『壺坂霊験記』の舞台としても有名です。園内には養護盲老人ホーム「慈母園」があり、他にも国の内外で福祉事業を展開しています。

それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
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【南法華寺(壺阪寺) ってどんなお寺?】

CIMG9286.jpg(仁王門、建暦2年「1212年」建立、入母屋造、本瓦葺。)

草創については不明な点が多いようですが、伝承によれば大宝3年(703年)に元興寺の弁基上人により開かれたとされます。京都の清水寺の北法華寺に対し南法華寺の名前を持ち、長谷寺とともに古くから観音霊場として栄えています。

所在地:奈良県高市郡高取町壺阪
山号:壺阪山
宗派:真言宗系単立
本尊:十一面千手観世音菩薩
創建年:大宝3年
開基:弁基上人
正式名:南法華寺
別称:壺阪寺
札所等:西国三十三所第6番・神仏霊場巡拝の道第38番

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(多宝塔、大日如来坐像安置・平安時代作)

【人形浄瑠璃・文楽や歌舞伎で演じられる『壺坂霊験記』ってどんなお話?】

CIMG9290.jpg(慈眼堂です。しっかりお詣りしたはずですがね~?)

今より三百年以上昔(江戸時代・元禄頃)、座頭(検校、別当、勾当、座頭の四つの盲人階級・位階の一つ)の沢市は三つ違いの女房お里と貧しいながらも仲睦まじく暮らしていました。沢市は盲目ゆえ琴三味線を教え、お里は内職をしてつつましく暮らしていました。そんな沢市の胸中に一つ不安が生まれます。というのも午前四時(明けの七つ)になると、お里が毎晩床を抜け出していなくなっていたのでした。

「もしや好きな男が出来たのではないのか?」と問いただすと、お里は沢市の目の病が治るよう、この三年もの間欠かさず壷阪寺の観音様に朝詣でをしていると話します。愛しい女房を疑った自分を恥じる沢市はともに観音様にお参りすることにしましたが、心の中は盲目がゆえに不遇な暮らしをしているのだと自分を責め続けます。そして、一度お里を家に帰して、お里を自由な身にしてやろうと考え、自分の身を谷へ投げてしまうのでした。不吉な予感であわてて戻るお里は、非常な現実に遭遇し、自らも身を投げてしまいます。

しかし、二人のせつない夫婦愛が、観音様の奇跡を呼び起こします。霊験により沢市・お里は助かったばかりか、沢市の目が開眼し完治します。本堂横手には、そのお里・沢市が身を投げた、投身の谷と言い伝えられている谷がありました。

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(大釈迦如来石像)

【もうひとつの伝説「さよ姫伝説」】

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(重要文化財、三重塔・室町時代の明応6年「1497年」の建立)

壷坂の村に住む姫君「さよ」が、尊い聖の説法にでかけ、親孝行する者には仏神が感応すると聞きます。 貧しくて父親の十三回忌に何もできないのを悲しんでいると、たまたま陸奥国の商人が15~16歳の女性を買いに来ます。さよは進んで我が身を売り、そのお金で父親の菩提をとむらいます。母を残して遠い陸奥国まで来たさよは、15~16歳の女性が必要とされた理由を知ることになります。

ここでは毎年、大蛇に人のを供えなければならず、ある親が娘の身代わりを求めていたのでした。 定められた池の中嶋で待つと、やがて長さ10丈(30メートル)もある大蛇が現れます。 しかしさよが御経を読むと、経典読誦と親孝行の功徳により、大蛇は成仏を確信して歓喜し、さよを乗せて天に昇って行きました。

さて、この「さよ姫伝説」実はさよは弁財天、大蛇は実は壷坂の観音菩薩であり、末世においても信心があれば二世安楽うたがいなしと結んでいます。

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(八角円堂・本堂の御本尊、十一面千手観世音菩薩座像・撮影可)

【最後に一言】

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(天竺渡来 大観音石像)

人形浄瑠璃・文楽の歴史は意外と新しく1600年代の後半、だそうです。もっと古いかと思いましたが、盲目の夫とその開眼を祈る妻の夫婦愛物語『壺坂霊験記』も、明治時代に作られた話です(モデルはあったかも?)。しかしながら当時の人気は相当に大きかったようで、壺阪寺に多くのファンが訪れたようです。

壺阪寺はインドとのつながりが深く、本尊の十一面千手観世音菩薩像もなんとなくインドの感じがありますよね。インドでの救ライ事業への尽力に対する返礼として1983年3月に贈られた「天竺渡来大観音像」は、大理石造り、高さ約20m、総重量1200トンの壮大な仏像です。

CIMG9299.jpg(天竺渡来 大涅槃石像、寝ている観音様は珍しいです。)


私的には、日本らしくない感じのお寺でした(信心は形ではないといつも言っているのにね~)。こんな事を書くから私には観音菩薩の霊験(神仏の不思議で測り知れない力のあらわれ、祈りに対して現れる利益)が無いのかもしれませんね~~(;^_^A。
御朱印集めに参加した当時の私は、まだブログを書いておりませんでした。写真が偏っていることお許し願います。

歴史って本当に素敵ですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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