2018/04/17

『出雲大社』を本当に紹介してしまってよいですか?

30000アクセス突破記念・出雲神仏霊場満願記念(といってもかなり前に満願していたのですが)!体の事も有りまして、これまでの取材では不足な部分も有ると思いますが、取材を埋もられさせない為にもこの辺で冒険してみようと考え、今回出雲神仏霊場第一番『出雲大社』をご紹介することにしました。もちろん、一回で終わるはずもありませんし、摂社等も含めるとかなりの連作に成るかも知れません。

出雲の国は「神々の国・神話の国」として良く知られています。その中心に有りますのが出雲国風土記に「所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)」と記載され、縁結びの大神、笑顔の大国様と慕われる「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」をお祭りする『出雲大社』です。

DSC_0132.jpg(兎はシンボルに成っていますね。)

まずは、その概要から説明して行きますが最初に驚くのは、創建が神代(じんだい・かみよ)とされる事ですか?ダーウィンの進化論を全く無視したこの神社は、日本一古い神社の一つといえます。因みに、伊弉諾が座した場所といわれる兵庫県淡路島の「伊弉諾神宮」や国譲り前後という物語の考え方からすると「諏訪神社」の方が古い事に成りますが、何分神代の事ですからね(笑)。

それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
ブログランキングならblogram
👆絶賛ランキング参加中!四つのバナータグを「 ポチっと」クリックして応援お願いします。
|o´艸)。oO(Thank you)。

バナーをクリックしますと、ランキングページに移動します。そこで慌てないでくださいね~!有難いことに現在、市郎右衛門のブログは、皆さんのお陰でランキングTOP10にINしておりますので、「高天原の縁側日記」をもう一度クリックして頂きますと、元のブログに戻ります(^人^)。又PCの片方は、Ctrlを押しながら「ポチっと」上のバナーを押していただけますと、ブログから離脱せずに応援していただけます。

CROOZ
 



【説明が本当に要りますか?『出雲大社』ってどんな神社】

PB020006.jpg(最初の大鳥居奥に二番鳥居も見えています。)

出雲大社(いずもおおやしろ、正仮名遣いでは「いづもおほやしろ」・いずもたいしゃ)は、島根県出雲市にある神社です。式内社(名神大)出雲国一宮で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人出雲大社教の宗祠です。

所在地:島根県出雲市大社町杵築東195
主祭神:大国主大神
社格等:式内社(名神大)出雲国一宮(出雲国にはもうひとつの一宮「熊野大社」が松江市に有ります)・旧官幣大社・勅祭社・別表神社

創建は神代とされる本殿の様式は大社造で、別名「杵築大社」と呼ばれています。出雲国神仏霊場一番札所!御本殿は「天下無双の大廈(たいか・りっぱな構えの建物)」と称えられています。平成12年に境内から巨木3本の束ね柱が出土し、古代伝承の地上48mといわれる壮大な空中神殿の様子が明らかに成っています。

DSC_0053.jpg(巨大な空中神殿がここに立っていました。)

古来、一般には「神宮」と言えば伊勢神宮、「大社」と言えば「出雲大社」の意味で、現存最古の全国神社帳所載の「延喜式(えんぎしき)」には唯一「大社」と称号されています。御祭神大国主大神は「国中第一の霊神」と称えられ、素戔烏尊(すさのおのみこと)の神裔(しんえい)として大己貴神(おおなむちのかみ)をはじめ多くの御神名で敬仰されています。

【出雲大社の名称】

古代より杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)と呼ばれていましたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称しています。正式名称は出雲大社サイトには「いづもおおやしろ」、出雲大社東京分祠サイトには「いずもおおやしろ」とあるようです(前者は新旧仮名遣いが混在、後者は新仮名遣い)。一般的には「いづもたいしゃ」と読まれ、複数の辞書・事典でも読みがなは「いずもたいしゃ」となっています(島根県民は「づ」を当たり前に使われているようです)。

IMG_6118.jpg
(大祭礼の期間です。まあしょっちゅう出かけていますのでね)

『色々な社名でのご紹介』

出雲石(石同)之曽宮(古事記)
天日隅宮・厳神之宮・出雲大神宮(日本書紀)
杵築宮(釈日本記)
出雲宮(八雲御抄)
杵築大神宮(和漢三才図会)
所造天下大神宮・天日栖宮(出雲国風土記)
大社杵築大神宮(国花万葉記)
杵築大社(延喜式)
出雲国大社(享保集成総論録)
日本大社(真言宗正林寺蔵版木)

【こんなこともあんなことも】

二拝四拍手一拝の作法で拝礼することは良く知られています。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社でした。創建以来、天照大神の子の天穂日命(誓約で産まれた五兄弟の次男に成ります。神様に次男とか有るのか?)を祖とする出雲国造家が祭祀を担ってきました。現在の宮司は84代国造千家尊祐で、國學院大學を卒業後太宰府天満宮を経て出雲大社禰宜→権宮司と昇格すると、2002年(平成14年)宮司に就任し翌年神社本庁より神職身分特級を拝受されています。

DSC_0010.jpg(国造家の分裂で現在の宮司は84代国造千家家ですが、北島家もあります。)

また、出雲大社宮司の正服の紋様は神社本庁の定める黒綾文輪なし裏同色平絹ではなく黒綾にご神紋である二重亀甲剣花角の文様を練り込んだものであり他には類を見ない物のようです。特級は黒袍(輪無唐草紋)、白奴袴(白八藤紋)、冠(繁紋)と決められているようですが、出雲国造は黒袍(亀甲剱花菱)、小豆色奴袴(剱花菱紋)、冠(繁紋)懸緒、紫打紐と特別扱いに成っています。

DSC_0060.jpg(今上陛下も大国主大神と親戚におなりにならえるはずですね(;^_^A)

現在も、皇室の者といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けています。約60年に一度行われている本殿の建て替えに際して、神体が仮殿に遷御された後に、本殿の内部及び大屋根が公開され一般人も本殿内を見ることが出来ます。前回の一般公開時に本殿の中をご覧になった知人のお話では、「中に入ると空気が変わる」そうです。

【祭神大国主神】

DSC_0229.jpg(大国主大神の名前は多いんですよね~笑)

祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)です。1142年(康治元年)在庁官人解状に「天下無双之大廈、国中第一之霊神」と記されています。神在月(神無月)には全国から八百万の神々が集まり神議が行われます(神在祭 旧暦10月11日~17日までです)。出雲へ行かず村や家に留まる田の神・家の神的な性格を持つ留守神(荒神等)も存在しているので、すべての神が出雲に出向くわけではないようですね(神様が全部いなくなるのかと思っていました。)。そのような神集への信仰から、江戸時代以降は文学にも出雲の縁結びの神様としてあらわれるほどに、全国的な信仰をあつめるようになりました。

CIMG9799.jpg
(稲佐の浜で行われる神迎え神事、日本は神々の国です。)

『祭神大国主神の別称』

大穴道神(「おおなむちのかみ)・三諸神(みもろのかみ)古事記での表記
大国玉神(おおくにたまのかみ)日本書紀での表記
杵築神(きずきのかみ)文徳実録での表記
国造神(くにつくらししかみ)大隅国風土記での表記
大穴六道尊(おおなむちのみこと)土佐国風土記での表記
大国魂命(おおくにたまのかみ)日本国風土記での表記
所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)
大地主神(おおとこぬしのかみ)
大国魂神 古語拾遺での表記
大穴持命(おおなもちのみこと)出雲国造神賀詞と出雲国風土記と伊予国風土記での表記
宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)
廣矛魂神(ひろほこみたまのかみ)
倭大物主櫛甕玉神(やまとおおものぬしくしかみたまのかみ)
国作之大神(くにつくらしのおおかみ)
国作坐志大穴持命(くにつくりまししおおむなちのみこと)出雲国造神賀詞での名。
出雲御蔭大神(いずもみかげのおおかみ)
国堅大神(くにかためまししおおかみ)
国占神(くにしめたまいしかみ)
出雲大神(いずものおおかみ)
芦原志拳呼命 播磨国風土記での表記
兵主神(ひょうずのかみ)
農耕祖神(たづくりのおやのかみ)
幽冥事知食大神(かくりごとしろしめすおおかみ)
縁結神(えんむすびのかみ) ・福神(ふくのかみ)・天下地主神(あめのしたとこぬしのかみ)・大国作神(おおくにつくらししかみ) 出雲や出雲大社での神名。

【祭神が大国主命じゃなかった?】

出雲国造新任時に朝廷で奏上する出雲国造神賀詞では「大穴持命(大国主大神)」「杵築宮(出雲大社)に静まり坐しき」と記載があるので、この儀式を行っていた平安時代前期までの祭神は大国主神だったのですがやがて、神仏習合の影響下で鎌倉時代から天台宗の鰐淵寺と関係が深まりました。

鰐淵寺は杵築大社(出雲大社)の神宮寺も兼ねています。鰐淵寺を中心とした縁起(中世出雲神話)では、出雲の国引き・国作りの神を素戔嗚尊としていた(出雲風土記の国引き神は八束水臣津野命)ことから、中世のある時期から17世紀まで祭神は素戔嗚尊だったようです。14世紀「当社大明神は天照大御神之弟、素戔嗚尊也。八又の大蛇を割き、凶徒を射ち国域の太平を築く。」と杵築大社(出雲大社)の由来が記され、1666年(寛文6年)毛利綱広(元就の嫡孫・毛利輝元の嫡孫・長州藩の第2代藩主)が寄進した銅鳥居に刻まれた銘文には「素戔嗚尊者雲陽大社神也」と記されていました。

さらには、鰐淵寺の僧侶が経所で大般若経転読を行い、社殿では読経もしています。また、江戸時代初期には社僧が寺社奉行と杵築大社(出雲大社)の運営管理に関する交渉を実施していたようです。

杵築大社(出雲大社)内は仏堂や仏塔が立ち並んで神事が衰微したため、寛文7年(1667年)の遷宮に伴う大造営の時、出雲国造家が神仏分離・廃仏毀釈を主張して寺社奉行に認められ、仏堂や仏塔は移築・撤去され、経蔵は破却されました。これに併せて祭神は須佐之男命から、古事記や日本書紀などの記述に沿って大国主大神が復活しています。

【神仏分離・廃仏毀釈の証人】

「住みたい田舎ランキング2018」の近畿部門でお隣の朝来市と毎年トップを分け合う養父市(実家、但馬は豊岡市の隣ですが)には出雲大社の神仏分離・廃仏毀釈の対象と成り、出雲大社の建て直しの為の木材を得るために、但馬に移築された名草神社三重塔(国の重要文化財)が有ります。

この三重塔は島根県出雲大社の境内に、出雲の戦国大名として有名な尼子経久が願主となって大永5年(1525)に起工し、同7年6月15日に竣工したものです(資料によって異説があります)。今回はあえて本物の写真は控えさせて頂きまして、国道9号線から豊岡市の城崎温泉や神鍋高原、出石等へ向かう国道312号線沿いの、八鹿町上小田の右岸道路との合流地点に、作られたレプリカで我慢して頂きます。本物は名草神社を取り上げる時にお見せしまします。

DSC_0009.jpg
(名草神社三重塔レプリカ)

【最後に一言】

IMG_6143.jpg
(さざれ石は小石が固まるほどの長い時間の経過を物語ります。)

今回出雲大社を取り上げた事で、改めて日本歴史の重みや深さを感じさせられました。皆さんの身近にも多くの歴史が埋もれて居ます。稚拙な文章ですが、私のブログでその楽しさに気づいて頂けたら嬉しいのですが。

歴史って本当に素敵ですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
下の日本人気ブログランキングバナー・ブログ村の日本史バナー・Blogramバナー・FC2ブログランキングバナー「ポチっと」と、クリックして頂けましたら嬉しいです。

ブログランキングならblogram



2018/04/09

西国三十三観音霊場を巡る!「第六番札所」『壺阪山 南法華寺(壺阪寺) 』

私事で恐縮ですが、白内障を患いまして、手術することにしました~f(^_^;。老化だと思っていましたが、どうやら突発的な症状で老化では無いことが判明しました。通勤で3時間程車の運転をするので見えにくいと非常に目が疲れます。ブログUPのペースが落ちている事もPC画面に向かうのが辛いせいも有ります。勿論病院での検査等に時間を割かれていることも有りますし、その他の病気でも通院したりと中々厳しい状態が続いています。

手術は5月です~(*^^*)。日帰りなので心配はしていないのですが、富山市の学会に行く予定がキャンセルに成ったのが残念です(ToT)。そこで今回は目にとてもご利益の有るお寺をご紹介して、私も厄祓いしたいと思います。

CIMG9297.jpg
(そびえたつ観音像)

西国三十三観音霊場の第六番札所『南法華寺(壺阪寺)』です。こちらはバスツアーで訪れました。南法華寺(みなみほっけじ)は、奈良県高市郡高取町にある真言宗系の単立寺院です。山号は壺阪山、一般出的には壺阪寺(つぼさかでら)の通称で知られています。703年(大宝3年)創建と伝えられ、私も現在患っている、目にとてもご利益があるお寺です。

本尊十一面千手観世音菩薩は眼病に霊験があるといわれ、お里・沢市の夫婦愛をうたった人形浄瑠璃『壺坂霊験記』の舞台としても有名です。園内には養護盲老人ホーム「慈母園」があり、他にも国の内外で福祉事業を展開しています。

それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
ブログランキングならblogram
👆絶賛ランキング参加中!四つのバナータグを「 ポチっと」クリックして応援お願いします。
|o´艸)。oO(Thank you)。

バナーをクリックしますと、ランキングページに移動します。そこで慌てないでくださいね~!有難いことに現在、市郎右衛門のブログは、皆さんのお陰でランキングTOP10にINしておりますので、「高天原の縁側日記」をもう一度クリックして頂きますと、元のブログに戻ります(^人^)。又PCの片方は、Ctrlを押しながら「ポチっと」上のバナーを押していただけますと、ブログから離脱せずに応援していただけます。

CROOZ




【南法華寺(壺阪寺) ってどんなお寺?】

CIMG9286.jpg(仁王門、建暦2年「1212年」建立、入母屋造、本瓦葺。)

草創については不明な点が多いようですが、伝承によれば大宝3年(703年)に元興寺の弁基上人により開かれたとされます。京都の清水寺の北法華寺に対し南法華寺の名前を持ち、長谷寺とともに古くから観音霊場として栄えています。

所在地:奈良県高市郡高取町壺阪
山号:壺阪山
宗派:真言宗系単立
本尊:十一面千手観世音菩薩
創建年:大宝3年
開基:弁基上人
正式名:南法華寺
別称:壺阪寺
札所等:西国三十三所第6番・神仏霊場巡拝の道第38番

CIMG9287.jpg
(多宝塔、大日如来坐像安置・平安時代作)

【人形浄瑠璃・文楽や歌舞伎で演じられる『壺坂霊験記』ってどんなお話?】

CIMG9290.jpg(慈眼堂です。しっかりお詣りしたはずですがね~?)

今より三百年以上昔(江戸時代・元禄頃)、座頭(検校、別当、勾当、座頭の四つの盲人階級・位階の一つ)の沢市は三つ違いの女房お里と貧しいながらも仲睦まじく暮らしていました。沢市は盲目ゆえ琴三味線を教え、お里は内職をしてつつましく暮らしていました。そんな沢市の胸中に一つ不安が生まれます。というのも午前四時(明けの七つ)になると、お里が毎晩床を抜け出していなくなっていたのでした。

「もしや好きな男が出来たのではないのか?」と問いただすと、お里は沢市の目の病が治るよう、この三年もの間欠かさず壷阪寺の観音様に朝詣でをしていると話します。愛しい女房を疑った自分を恥じる沢市はともに観音様にお参りすることにしましたが、心の中は盲目がゆえに不遇な暮らしをしているのだと自分を責め続けます。そして、一度お里を家に帰して、お里を自由な身にしてやろうと考え、自分の身を谷へ投げてしまうのでした。不吉な予感であわてて戻るお里は、非常な現実に遭遇し、自らも身を投げてしまいます。

しかし、二人のせつない夫婦愛が、観音様の奇跡を呼び起こします。霊験により沢市・お里は助かったばかりか、沢市の目が開眼し完治します。本堂横手には、そのお里・沢市が身を投げた、投身の谷と言い伝えられている谷がありました。

CIMG9289.jpg
(大釈迦如来石像)

【もうひとつの伝説「さよ姫伝説」】

CIMG9291.jpg
(重要文化財、三重塔・室町時代の明応6年「1497年」の建立)

壷坂の村に住む姫君「さよ」が、尊い聖の説法にでかけ、親孝行する者には仏神が感応すると聞きます。 貧しくて父親の十三回忌に何もできないのを悲しんでいると、たまたま陸奥国の商人が15~16歳の女性を買いに来ます。さよは進んで我が身を売り、そのお金で父親の菩提をとむらいます。母を残して遠い陸奥国まで来たさよは、15~16歳の女性が必要とされた理由を知ることになります。

ここでは毎年、大蛇に人のを供えなければならず、ある親が娘の身代わりを求めていたのでした。 定められた池の中嶋で待つと、やがて長さ10丈(30メートル)もある大蛇が現れます。 しかしさよが御経を読むと、経典読誦と親孝行の功徳により、大蛇は成仏を確信して歓喜し、さよを乗せて天に昇って行きました。

さて、この「さよ姫伝説」実はさよは弁財天、大蛇は実は壷坂の観音菩薩であり、末世においても信心があれば二世安楽うたがいなしと結んでいます。

CIMG9292.jpg
(八角円堂・本堂の御本尊、十一面千手観世音菩薩座像・撮影可)

【最後に一言】

CIMG9298.jpg
(天竺渡来 大観音石像)

人形浄瑠璃・文楽の歴史は意外と新しく1600年代の後半、だそうです。もっと古いかと思いましたが、盲目の夫とその開眼を祈る妻の夫婦愛物語『壺坂霊験記』も、明治時代に作られた話です(モデルはあったかも?)。しかしながら当時の人気は相当に大きかったようで、壺阪寺に多くのファンが訪れたようです。

壺阪寺はインドとのつながりが深く、本尊の十一面千手観世音菩薩像もなんとなくインドの感じがありますよね。インドでの救ライ事業への尽力に対する返礼として1983年3月に贈られた「天竺渡来大観音像」は、大理石造り、高さ約20m、総重量1200トンの壮大な仏像です。

CIMG9299.jpg(天竺渡来 大涅槃石像、寝ている観音様は珍しいです。)


私的には、日本らしくない感じのお寺でした(信心は形ではないといつも言っているのにね~)。こんな事を書くから私には観音菩薩の霊験(神仏の不思議で測り知れない力のあらわれ、祈りに対して現れる利益)が無いのかもしれませんね~~(;^_^A。
御朱印集めに参加した当時の私は、まだブログを書いておりませんでした。写真が偏っていることお許し願います。

歴史って本当に素敵ですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
下の日本人気ブログランキングバナー・ブログ村の日本史バナー・Blogramバナー・FC2ブログランキングバナー「ポチっと」と、クリックして頂けましたら嬉しいです。

ブログランキングならblogram



2018/04/05

古式『四條流姫井会包丁式』って何だ?

先日、平清盛由来の神戸市平野の祇園神社をご紹介しました。実はその時に、4月1日に行われる摂社「白玉稲荷明神社」で行われる『四條流姫井会包丁式』の紹介ポスターがあり、これは珍しいと早速出掛けて取材してきました。

P4011185.jpg(包丁とは思えません!まるで日本刀の様です)

四条流庖丁道は東京「神田明神」でも行われる包丁儀式で、平安時代から始まると伝えられる日本料理の流派で、「庖丁式」ともいわれます。庖丁道(庖丁式)とは料理に関する作法・故実や調理法などを最も頻用する調理器具の包丁で象徴した呼び名の事です。

私もテレビ等では、数度見たことが有ったのですが、実際に現場!それも目の前で見るのは初めてで、貴重な1日に成りました。それでは、作法に則り古来の包丁式を写真多めでご紹介致します。

それでは、『市郎右衛門』歴史ブログをお楽しみ?ください(人´ω`*).☆.。
ブログランキングならblogram
👆絶賛ランキング参加中!四つのバナータグを「 ポチっと」クリックして応援お願いします。
|o´艸)。oO(Thank you)。

バナーをクリックしますと、ランキングページに移動します。そこで慌てないでくださいね~!有難いことに現在、市郎右衛門のブログは、皆さんのお陰でランキングTOP10にINしておりますので、「高天原の縁側日記」をもう一度クリックして頂きますと、元のブログに戻ります(^人^)。又PCの片方は、Ctrlを押しながら「ポチっと」上のバナーを押していただけますと、ブログから離脱せずに応援していただけます。

CROOZ

DSC_0021.jpg
(包丁式が行われる舞舞台)
DSC_0064.jpg
(桜満開です。奥のテントの下が白玉稲荷です。)
DSC_0066.jpg
(祇園神社からは神戸の街並みが綺麗に見渡せます。)

【四條流起源】

P4011096.jpg(神官による神事が執り行われています。)


四條流の起源は、藤原山蔭(四条中納言、824年~888年)が、光孝天皇の勅命により庖丁式(料理作法)の新式を定めたことに由来すると伝えられています。朝廷の料理は宮内省に属す内膳司が司っていましたが、山蔭は宮内省内膳職とは関係ない人物なので、単に料理法や作法に通じた識者として指名されたと考えられます。9世紀には、唐から伝えられた食習慣や調理法が日本風に改善されて定着しつつあったと考えられ、それらをまとめて故実という形で山蔭が結実させたものだと思われます。これにより、山蔭は「日本料理中興の祖」とされています。四條流には様々な分流が有りますが、今回は神戸四條姫井会の四條流を取材してきました。

【四条流庖丁書】

P4011129.jpg(まな板を清めた後花を添えます。)
P4011134.jpg(三宝に飾る紙飾りも手は使いません。)
P4011167.jpg(紙を切って飾りを折っていきます。気迫が入ります。)
P4011150.jpg(三宝からまな板に鯛を移します。)


室町時代後期、すでに四条流の大意をまとめた料理書として『四条流庖丁書』が書かれています。奥書に「長享三年(1489年)二月下旬多治見備後守貞賢在判」とあり、この時期に成立したと思われます。四条流庖丁式の次第が記述され、俎(まないた)の名所・寸法などから記載が始まり、続いて具体的な料理法や、箸・膳の飾り方なども記載されており、当時の日本料理の素材や調理法を知る上で貴重な史料となっています。

驚いた事に、雁の皮煎・潮煎、カマボコ、鳥(雉)の焼き物・刺身、エビの舟盛り、このわた、鯛の潮煮、クラゲの和え物など、多彩な料理が紹介されています。また、四条流では刺身に添えるわさびと塩は接して並べる、酢も添えるべき云々など興味深い記述も有るようです(刺身に酢?面白いですね。)。花鰹の使用も記されており、当時から利用されていることが分かります。日本人の味覚、恐るべしですね。

もちもち、四条中納言藤原朝臣山蔭卿が、鯉の庖丁式を始めたことから、庖丁の儀式の切形が始ったと記載されています。

【庖丁儀式】

今回取材したように、四条流の庖丁儀式とされる、巧みな庖丁さばきによる荘厳な技術披露が現在でも継承され、行われています。藤原山蔭が鯉をさばいて以来の伝統と言われる技法を烏帽子・直垂をまとった姿で再現し、庖丁と真魚箸(まなばし)のみを用いて、鯉・鯛・鰹(今回は鯛でした!)などの素材に一切手を触れることなくさばいていくもので、各地の神事などで奉納されているようです。webで検索すると、伊勢神宮等でも行われたようです。今回庖丁式を執り行うのは、神戸四條流姫井会の方々です(家元、
三重道場・神戸道場が有るようです。)。

DSC_0024.jpg

「題 兜鯛」
庖丁人 神戸道場会頭 姫井隆之氏
持ち出し・納め 錬氏 山口るみ子氏

持ち出し・納め 錬氏の女性山口るみ子さんは、まだ慣れておられない様子で姫井隆之さんから、直前迄色々な所作を教わっておられました(笑)。先にどんな物か知りたくて、web検索したのですが、詳細はわかりませんでした。儀式の内容は、流派内の一部の人間で受け継がれる秘伝・秘事として取り扱われているとの事です。

元々年頭や慶事の際に庖丁の型を披露する儀式で、その初めは殿上人や大名が 賓客を歓待する意味で、主人みずから庖丁をとって、その庖丁ぶりを見せ、その切ったものを お抱えの料理人に調理させて賓客に供したといわれています。

P4011218.jpg(見事に下ろされた鯛です。)
P4011238.jpg(鯛の料理が終わりました。)
P4011240.jpg(決めのポーズではありません。円を描く流れの型です。)
P4011273.jpg(三宝に飾り付けた鯛の前で古式四條流の扇子で終了です。)

【最後に一言】

P4011287.jpg(三宝に綺麗に飾られた兜鯛です。見事!)

四條流姫井会包丁式は庖丁と真魚箸(まなばし)のみを使用しますが、手が鯛に触れることは全くありません。さらには、俎にも手を触れず調理された鯛を三宝に盛り付けます。最後にまな板を清め儀式はすべて終わります。古式ゆかしい包丁さばきはまるで能の舞を見ているようでした。庖丁を突き出す所作が裂帛の気合と共に太刀を差し出すような気迫を感じました。ちなみに戦国大名の伊達氏が藤原山蔭の子孫だそうです。神戸道場会頭の姫井隆之さんは料理人というより写真の通り武士の様ですよね。

歴史って本当に素敵ですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
下の日本人気ブログランキングバナー・ブログ村の日本史バナー・Blogramバナー・FC2ブログランキングバナー「ポチっと」と、クリックして頂けましたら嬉しいです。

ブログランキングならblogram



2018/04/02

我が家のスイーツシーズン終了!3月30日『結婚記念日』

少しUPが遅れてしまいましたが、3月30日は『結婚記念日』でした。つまり市郎右衛門家が産声を上げた日です。我が家の家族は次女を除いて、皆の誕生日が冬のシーズンに集中しているので、正にスイーツシーズンと成っています。

P3301078.jpg(妻は職場の旅行?我が家から10分の有馬温泉ですが、笑)

12月25日のクリスマスに始まり!1月1日は長女の誕生日(因みに平成11年産まれのフィーバーなんです。)次が妻の1月21日、2月に入ると、3月14日にバレンタインデー、3月27日に私の誕生日、3月14日にホワイトデー、3月17日が長男の誕生日、最後に3月30日の「結婚記念日」とほぼ3ヶ月の間に8回もケーキでお祝いする日が有るんです。余りに有るので、長女・長男の誕生日はブログにUPしませんでした?因みに次女は6月27日の誕生日で一息つけるんです(笑)

ということで、今回スイーツシーズン終了の21回目の結婚記念日のお祝いと共に、UP出来なかった、長女・長男のケーキをご紹介してスイーツシーズン終了ブログを書かせて頂きます。

それでは、『市郎右衛門』『馬肉会』ブログ(笑)をお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
ブログランキングならblogram
👆絶賛ランキング参加中!四つのバナータグを「 ポチっと」クリックして応援お願いします。
|o´艸)。oO(Thank you)。

バナーをクリックしますと、ランキングページに移動します。そこで慌てないでくださいね~!有難いことに現在、市郎右衛門のブログは、皆さんのお陰でランキングTOP10にINしておりますので、「高天原の縁側日記」をもう一度クリックして頂きますと、元のブログに戻ります(^人^)。又PCの片方は、Ctrlを押しながら「ポチっと」上のバナーを押していただけますと、ブログから離脱せずに応援していただけます。

CROOZ

P3301065.jpg(職場からすぐ近くのマダムシンコさんのケーキをチョイスしてみました。)
(マダムシンコ彩都店)
(どうですか?この派手さ!)
(一応まだ3月ですからね。)
(笑うしか無い。)

【ケーキの日?】

1月6日ケーキの日は明治12年(1879年)のこの日、上野の「風月堂」で初めてケーキを宣伝したことにちなむそうですがこれが今のケーキと同じものだったとは思えません。

p12365542253.jpg
(1月1日は長女の誕生日はフルーツタルトです。)

苺ショートケーキを始めて販売したのは「不二家」のようです。キャラクターのペコちゃんでおなじみの洋菓子店「不二家」。しかし、じつは日本の喫茶店、レストランの先駆けでも有るんです。1910年(明治43)、藤井林右衛門が横浜・元町に小さな洋菓子店「FUJIYA」をオープンさせました。まだなじみの少なかった西洋のお菓子を一人でも多くの日本人に味わってほしいという思いからでした。

さらに、第一次世界大戦による好景気の中で喫茶室を新設しています。インテリアはアメリカから直輸入したモダンなもので、さらに持ち手を下に押さえるとソーダ水が出てくるくる「ソーダ・ファウンテン」を導入し、話題を呼びました。そして、1923年(大正12)には念願の銀座進出を果たしています。「不二家」といえば銀座のイメージがありますが、実は横浜だったんですね~!

「不二家」という屋号はもちろん富士山を意識していて、「不二(富士山)」には2つとない存在という意味も込められています。屋号の頭文字であるFを意匠化したハイカラな現在のロゴは、20世紀を代表する産業デザイナー、レイモンド・ローウィによるもので1961年(昭和36)に完成、「ファミリーマーク」と呼ばれ、「不二家」のシンボルとなっています。 「不二家」は1910年(明治43)にクリスマスケーキも販売開始しています。

P12100909.jpg(妻の誕生日はこちらのケーキです。)

【藤井林右衛門という人物は何者】

P22701479.jpg(私の誕生日は小山シェフのチョコレートケーキ。)

藤井林右衛門は愛知県出身、16歳で横浜に出てきて古物商の奉公人として働き始めます。商売的には外国人が引っ越した後に残った家具を中古品として売ったり、鉄くずなどを取り扱ったり、今でいうリサイクルショップのようなものを始めます。1年後に大旦那が亡くなったのを機に、店を任されるようになります。さらに、日本人の洋菓子職人と知り合い、25歳時に独立開業して日本ではまだ珍しかった洋菓子店をオープンさせました。

お金持ちの外国人は家に料理人がいるので、その頃洋菓子を扱っている店は少なかったようです。一方でハイカラな食文化に憧れる日本人には人気が出る!「先見の明」があったのですね~(笑)、ちなみに先見の目は誤用ですので注意してくださいね。

メニューも林右衛門自身でも考えたようです。外国人シェフに知恵を借り、さらには単身アメリカに飛んで働きながら現地の菓子や喫茶事情を視察しました。なお、オープンした年にクリスマスケーキを販売しています。 もちろん、生クリームではなく、プラムケーキ(フルーツケーキ)に砂糖の衣をかけたものでした。なお、店内には小さなイートインスペースを作りました。喫茶店の先駆けといえます。

P31710237.jpg
(長男はマカロン付きのチョコレートケーキ。)

【ショートケーキは日本独自のケーキ?】

さらに同じ横浜の伊勢佐木町に2号店を出した1922年(大正11)にショートケーキを販売しています。これも日本初だと言われま。。クリスマスケーキが先だったんですね。皆さんショートケーキは外国発祥だと思っていませんか?私たちになじみのあるあのスポンジケーキ、ホイップクリーム、いちごという取り合わせのケーキは「不二家」が開発した日本独自の洋菓子だそうです。大正時代の原型となるショートケーキにはバタークリームのような濃厚なクリームが使われていました。当時、いちごを使っていたかどうかは記録に残っていません。

ショートケーキという名前の由来については、イギリスのショートブレッドというクッキーのようなお菓子から、「ショートニング」に由来するから、短時間(ショートタイム)で作れるからなど諸説あるようです。ちなみに、ショートケーキが今のように不二家のナンバーワン商品になったのは昭和40年代後半の事です。バタークリームから今のような生クリームやイチゴを使うようになったのは、景気の上昇や冷蔵庫の普及など、様々な要因があるようです。

【最後に一言】

P62700027.jpg(卵アレルギーの次女は卵抜きで昨年の分です。)

わが家の、スイーツシーズンは3月30日で一応終わりです。次は6月27日の次女の誕生日です。7月に一大イベントを企画しています。それまでにダイエットしなければいけませんね~(笑)。さて私のブログは基本歴史ブログですが、ここのところは雑記ブログ・スイーツブログに成っていました。取材も多く行っておりますので、主題の歴史を頑張りたいと思いますのでよろしくお願いいたします。最後に一番大事なことを忘れてましたね『ママ!21年間も私の様な、駄目夫に付き合ってくれて本当にありがとう、感謝の気持ちは心では表せません。』

歴史って本当に素敵ですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
下の日本人気ブログランキングバナー・ブログ村の日本史バナー・Blogramバナー・FC2ブログランキングバナー「ポチっと」と、クリックして頂けましたら嬉しいです。

ブログランキングならblogram

リュミエールブラン ネージュ