2016/06/30

死して尚 叶わぬ逢瀬!哀愁の花山法皇と 東光山「花山院菩提寺」

東光山「花山院菩提寺」を含む山麓の集落は尼寺(にんじ)と呼ばれますが、これは法皇付きの女官11名が法皇寵愛の弘徽殿の女御の位牌を奉じて訪ねて来たものの、女人禁制故に登山を許されなかった為、草庵を結び尼となって麓に住み着いたことに因みます。

山中で修行する法皇に聞かせたいと登り口の坂で琴を弾いたことから、参道の坂は琴弾坂と呼ばれ、石碑も有ります。
これに対して、法皇は笙を持って応じられたとか、これも涙無くしては語れない伝承ですね。

十二妃の墓5
(琴弾坂)

東光山麓の尼寺の集落の中に十二の石塔が残されています。
中央の五輪塔は弘徽殿女御のもので、周囲の十一基の石塔とあわせて十二妃の墓と呼ばれます。

十二妃の墓1(十二妃の墓説明板)
十二妃の墓2(周りには尼寺一般の墓地もあります。)
十二妃の墓3(地元の方々に守られているようです。)
十二妃の墓4(しっかり十二基ありました。中央の大きい五輪塔が弘徽殿女御のようです。)

悲しいお話ですが、これほど慕われた「花山法皇」現代人の私にはうらやましいですね。
しかしながら、花山法皇は京都に帰られた様ですが、女御たちはそれにはついては行かなかったのかな?
弘徽殿女御のお墓をお守りしたのかもしれません。

いつも応援いただきありがとうございます。
ランキング登録しています。お立ちより記念に「ぽちっと」クリックお願いします。
👇👇👇👇👇👇
ブログランキングならblogram

2016/06/28

哀愁の天子「花山天皇」が眠る?『花山院菩提寺』

さて前回少し予習しましたので、私の家から近い西国三十三所巡礼の番外霊場を紹介しましょう。
御廟所がある、「花山院菩提寺」です。

私の西国巡礼納教帳の最初の御朱印は此方でした。

花山院菩提寺 (ぼだいじ)は、兵庫県三田市尼寺にある真言宗花山院派の寺院です。



花山院1(山門です)
花山院5(本堂)

本尊は薬師瑠璃光如来、開基(創立者)は法道仙人(天竺から紫雲に乗って飛来したとされる伝説的な人物です。)と伝えられます。

花山院菩提寺は、大阪・神戸のベッドタウン三田市中心部から北方へ約6キロの東光山上(標高約400m)に位置しています。

法道仙人開基伝承をもつ寺院は兵庫県東部地域に集中しており、「インドから紫雲に乗って飛来」云々の真偽は別としても、こうした伝承の元になり、地域の信仰の中心となった人物が実在した可能性は否定できません。

正暦3年(992年)頃、三十三の観音霊場を巡礼した花山法皇が、播磨清水寺(三十三の観音霊場を二十五番札所)に登った際に東方の山上が光り輝くのを見て訪ねて隠棲の地とし、その後晩年に帰京するまでの約14年間を過ごされました。

これに因んで元は紫雲山観音寺の名であったお寺を東光山「花山院菩提寺」と呼ぶようになったと言います。

花山院3
(紅葉の美しい時期でした。宿坊の方へ行きますと)
花山院2(瀬戸内海まで見渡せます。真ん中の小さな三角山が有馬富士と思います。)

11世紀には多田荘を本拠とした多田源氏が帰依し、山内に堂塔が立ち並んで勢威を示したが、後の雷火で焼失した。現在は山内から出土する礎石群が当時を偲ばせます。

花山院7
(この色は人工的には出ないでしょう~。)

最後に花山法皇の御廟所があります。

花山院4
(花山法皇の御廟所へ)
花山院6
(供養塔ということですか?)

実際(宮内庁指定)の墓所は京都にあるので供養塔ということになりますか?
古文もっと勉強しとけばよかったです。

いつも応援いただきありがとうございます。
ランキング登録しています。お立ちより記念に「ぽちっと」クリックお願いします。
👇👇👇👇👇👇
ブログランキングならblogram

2016/06/26

三十三観音霊場中興の祖、哀愁の天子『花山天皇』

三十三観音霊場番外「花山院菩提寺」を紹介する前に、『花山天皇』のお話を少ししておきましょう。

安和2年(969年)、叔父「円融天皇」の即位と共に皇太子になり、永観2年(984年)、同帝の譲位を受けて即位。生後10ヶ月足らずで立太子したのは、摂政であった外祖父伊尹の威光によるものだと考えられますが、17歳で即位時には既に伊尹は亡くなっており、有力な外戚をもたなかったことが、2年足らずの在位という結果を招いたと考えられます。

関白には先代に引き続いて藤原頼忠が着任しましたが、実権を握ったのは、帝の外舅義懐と乳母子藤原惟成でした。
義懐と惟成は荘園整理令の発布、貨幣流通の活性化など革新的な政治を行いましたが、ほどなくして天皇が退位したのに殉じて遁世します。

さて「哀愁の天子」と書いたのは悲しい裏切りに合われて帝を退位されたからです。
寛和2年(986年)6月22日、19歳で宮中を出て、剃髪して仏門に入り退位されます。
突然の出家について、『栄花物語』『大鏡』などは寵愛した女御藤原忯子が妊娠中に死亡したことが原因とされていますが、『大鏡』ではさらに、藤原兼家が、外孫の懐仁親王(一条天皇)を即位させるために陰謀を巡らしたことを伝えています(このころの宮中のドロドロは痛々しいですね~)。

蔵人として仕えていた兼家の三男道兼は、悲しみにくれる天皇と一緒に出家すると唆し、内裏から華頂山元慶寺(花山寺、三十三観音霊場番外)に連れ出そうとします。


(花山寺、三十三観音霊場番外)

このとき邪魔が入らぬように鴨川の堤から警護したのが兼家の命を受けた清和源氏の源満仲とその郎党たちである。
天皇は「月が明るく出家するのが恥ずかしいなぁ。」と言って出発を躊躇うが、その時に雲が月を隠し、天皇は「やはり今日出家する運命であったのだ。」と自身を諭したとされます。
しかし内裏を出る直前にかつて妻から貰った手紙が自室に残したままであることを思いだし、取りに帰ろうとしますが、出家を極秘に行いたかった兼家が嘘泣きをし、結局そのまま天皇は内裏から出られます。

余談ですが、安倍晴明の屋敷の前を通ったとき、中から「帝が退位なさるとの天変があった。もうすでに…式神一人、内裏へ参れ」と言う声が聞こえ、目に見えないものが晴明の家の戸を開けて出てきて一行を目撃し「たったいま当の天皇が家の前を通り過ぎていきました」と答えたとあります。

元慶寺へ着き、天皇落飾すると、道兼は親の兼家に事情を説明してくると寺を抜け出してそのまま逃げてしまい、天皇は欺かれたことを知ります。

内裏から行方不明になった天皇を捜し回った義懐と惟成は元慶寺で天皇を見つけ、そこでともども出家したと伝えられます。この事件は「寛和の変」とも称されています。


「西国三十三カ所観音霊場巡りの由来」
養老2年(718年)、大和国長谷寺の開山「徳道上人」が病にて仮死状態になられた際、冥土で閻魔大王に会い、「生前の悪い行いによって地獄へ送られるものが多い故、観音の霊場へ参ることにより功徳が得られるよう、人々に観音菩薩の慈悲の心を説け」とのお告げを受け、起請文と三十三の宝印を授かって現世に戻され、その証拠でもって人々に観音信仰、及びその霊場へ参ることをすすめられました。
徳道上人が極楽往生の通行証となる宝印をお配りになったという場所は、観音菩薩が衆生を救うために示現された霊験所や寺院でした。
上人と弟子たちはこの三十三所巡礼を人々に説きましたが、世間の信用が得られずあまり普及しなかったため、機が熟すのを待つこととし、閻魔大王から授かった宝印を摂津国の中山寺の「石の唐戸」の中に納めました。
そして月日がたち、徳道は隠居所の法起院で80歳で示寂し、三十三所巡礼は忘れ去られていきます。



徳道上人が中山寺に宝印を納めてから約270年後、花山法皇(安和元年〈968年〉 - 寛弘5年〈1008年〉)が紀州国の那智山で参籠していた折、熊野権現が姿を現し、徳道上人が定めた三十三の観音霊場を再興するように託宣を授けます。

中山寺古墳1
(兵庫県宝塚市中山寺の古墳。おじさんの影が~!)
中山寺古墳2
(石の唐戸?三十三の宝印が封印さていたの?)

花山法皇は、988年(永延2年)観音霊場三十三ヶ所の宝印を石棺に納めたという伝承があった摂津国の中山寺(兵庫県宝塚市)で宝印を探し出し、播磨国書写山圓教寺の性空上人の勧めにより、河内国石川寺(叡福寺)の仏眼上人を先達として紀伊国熊野から宝印の三十三の観音霊場を巡礼し修行に勤め、大きな法力を身につけたといわれます。

このことにより、やがて観音霊場を巡る西国三十三所という信仰となり、西国三十三所は日本最古にして、巡礼の元祖となりました。
この花山法皇の観音巡礼が西国三十三所巡礼として現在でも継承されており、各霊場で詠んだ御製の和歌が御詠歌となっています。

花山法皇は、寛弘5年(1008年)2月花山院の東対にて崩御、紙屋上陵(現在の京都市北区衣笠北高橋町)に葬られています。

いつも応援いただきありがとうございます。
ランキング登録しています。お立ちより記念に「ぽちっと」クリックお願いします。
👇👇👇👇👇👇
ブログランキングならblogram

2016/06/23

1800年の歴史で初めて分社された、ハーバーランド『生田神社』

「生田神社」「分社」が、神戸・ポートアイランドに完成しました。
1800年超とされる同神社の歴史上、分社ができるのは初めての事す。
ポートアイランドの平安に貢献し、地域の人たちに愛される神社となればと計画されました。

兵庫県立こども病院(同市中央区港島南町1)に隣接する看護師寮などが入るビルの敷地(同区港島中町8)に今年4月、完成しました。



IKEAの隣りです。

高さ約3メートルの総ひのき造りの鳥居と社でした。

「日本書紀」によると、同神社は201年の創建とされ、祭神は「稚日女尊(わかひるめのみこと)」。

分社は、祭神の分霊をまつる神社やそのほこらなどのことを指し、分霊しても祭神の御利益が得られるとされます。

同神社は同市兵庫区に御旅所「生田神社兵庫宮」がありますが、これまで分社が造られることは有りませんでした。

ポートアイランドへの分社造立(ぞうりゅう)は、地元の方々から氏神を祭ってほしいと、これまでにも何度か提案が有ったようですが、用地が定まらず実現していませんでした。

神社総代の堀秀也さんが理事長を務める一般財団法人「敬愛まちづくり財団」の関連会社が看護師寮などの建設に向けて、土地を取得したことで、これを機に、分社の造立が決まったようです。

ならば、是非お詣りに行こうと思い立ち、行ってきました~!

造立されたばかりなので、当然ナビではでてきません。神戸新聞上の写真のポートアイランドホテルの角度を頼りに車を走らせると、有りました~本当にIKEAと隣り合わせです。

二礼二拍手一礼してお詣りしたあとに写真を撮ったのですが、何か違和感が?
生田分社1(本当にIKEAの隣ですね。)
生田分社2
(千木は外削ぎ鰹木の数は4本?)

あれ~千木が立ってる(外削ぎ)!女神のはずなのに?何故何故?
何故私が不思議に思っているのか説明しましょう。

社殿の屋根「千木と鰹木について少し説明しましょう。」
神社建築の例としては、出雲大社を始めとした出雲諸社は、祭神が男神の社は千木を外削ぎ(先端を地面に対して垂直に削る)に、女神の社は内削ぎ(水平に削る)にしてあり、他の神社でもこれに倣うことが通例です。
また鰹木の数は、奇数は陽数・偶数は陰数とされ、それぞれ男神・女神の社に見られるんです。

つまり、この神社千木が男神の形で鰹木は女神様に成ってるんですよね~?
生田神社は勿論女神様にですから千木の形がおかしい事に成りますね!

屋根の形を見ると男神様か女神様かわかるんですよ~!
他の神社で確かめて下さい。

いつも応援いただきありがとうございます。
ランキング登録しています。お立ちより記念に「ぽちっと」クリックお願いします。
👇👇👇👇👇👇
ブログランキングならblogram

2016/06/21

誓約によって生まれし五男神と宗像三女神を祀っているはず?「生田裔神八社」『七宮神社』

生田裔神八社巡りも最後に成りました。
私と一緒にお付き合い頂いた皆さんにも御利益が訪れますように~(笑)

最後は何故か「大己貴命」をお祀りする『七宮神社』です(大己貴命は大国主の別称です。)。

生田裔神八社(いくたえいしんはちしゃ)とは、兵庫県神戸市の生田神社を囲むように点在している裔神八社のことです。

二宮神社6
(これで満願成就できました~皆さんにもご利益が訪れますように!)

「生田神社」の社領は、東旧生田川から西旧湊川までの間で(南は海で、北は六甲山まででしょう。)、それが神戸(かんべ)後に「こうべ」と変革したと思われます。

七宮は旧湊川をはさんだ西側(つまり、他の六社(二宮も生田川の東で=外側)から見れば、川の対岸=外側)に位置します。

生田裔神八社に祀られているのは、日本神話の天照大神と須佐乃男の誓約の段で産まれた三女神五男神とされています
が、七宮神社のみ全く関係のない祭神となっている。さらに、活津日子根命(イクツヒコネ)はどこにも祀られていないのが不思議ですね?

『七宮神社』
生田神社とは関係が無い長田神社の末社ともされ、前身はみぬ売神社とされています。元々は会下山南麓で、北風家が祀っていたといわれています。


七宮神社1
(南鳥居です。)
七宮神社2
(拝殿後ろに神殿があるはず?)
所在地 : 神戸市兵庫区七宮町2丁目
祭神 : 大己貴尊・天児屋根命

七宮神社3
(確かにオオナムチ大神ですね~活津日子根命じゃないんだね。)
七宮神社4
(東入り口)
七宮神社5
(湊川の東にあることがよくわかる地図です。)


もう一人の祭神「天児屋根命」は、天岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに鏡を差し出した神様です。

最後に、神様と日本人についてお話させて頂きますす。
皆さんはどんな宗教を信じて居られますか?キリスト教やイスラム教を信心しておられる方は自覚して居られますよね。

しかしながらほとんどの日本人の皆さんは、外国から要らした方に宗教を聞かれたら何と答えますか?
「とくには…?」となるのではないでしょうか?外国の方々から見れば、日本人は宗教に無関心だと思われています。

私は「仏教徒」だという方もおられるでしょうが、仏壇と共に神棚がある家も少なくありません。かく言う我が家もそうです。

私家の宗派(仏教)は「日蓮宗」で、檀家寺の重職(日蓮宗では御上人と呼びます)は同級生で、お友だちです。
私の葬式は、彼が私よりも長く健在ならば、家族が彼にお願いするでしょう。

しかしながら、私達夫婦の結婚式は神前式でしたし、クリスマスも毎年お祝いしています。
正月には神社に初詣に行って、お盆には先祖がお帰りになると墓参りを欠かしません。

以前「日本は神の国」と言ってメディアに叩かれた元総理大臣がいました。
彼のTPOをわきまえない発言は別にして、私も日本は神々の国だと理解しています。

大きな木や岩があればしめ縄をはり、綺麗な河原が在れば小石を積み上げる。
1000メールを超える?山の頂上には必ず祠か鳥居がありますし。
池や名所に小銭が投げ入れられる事もよく見る光景です。

朝日に手を合わせ、食事前には「いただきます」と手を合わせる。
太陽の恵に感謝して、食べ物が口にできることを「頂く(本来の意味は全ての自然に感謝して額の上に頂くではないでしょうか?)」と表現して感謝する。そして「ごちそうさま」と言う。これは仏教にも通じる教えの実践と考えられます。
「ご飯粒を残さず食べなさい」と子供の頃に教わったし、食事の途中にトイレに立つと怒られました。
学校では、自分たちが使う教室やトイレのの掃除をする。これも仏教的な宗教観の表れと考えます。

生活の中に、宗教が自然に入り込んで居るので、自分の宗教を自覚する必要がないのではないかと思います。

家の中にも「おくどさん(京都言葉のようですが、京都平野神社に祀られている火の神様です)」「大黒柱(大黒様・大国主からきているようです)」更に「地神さん」もいる。
正に神様だらけ!そして機会があればお祀りしています。
日本には八百万の神様がいると言う。「日本は神々の国」で良いのではないでしょうか?

外国の結婚届には宗教を記入する欄が有るそうですが、私がもし記入するなら「日本教」と書きたいですね~😊

いつも応援いただきありがとうございます。
2000アクセスを達成致しました(ほかの上位のブロガーからすればまだまだですが)。これもまた、皆さまの応援のお陰です。此からも楽しく読めるブログを目指して頑張りますので、宜しくお願い致します。

ランキング登録しています。お立ちより記念に「ぽちっと」クリックお願いします。
👇👇👇👇👇👇
ブログランキングならblogram


2016/06/19

誓約によって生まれし天照大御神の三男と五男をお祀りする。「 生田裔神八社」『八宮神社』『合祀六宮神社』

生田裔神八社巡りも後半戦、今回は「熊野杼樟日命」をお祀りする『八宮神社』です。「天津彦根命」を祀る『六宮神社』は近代の土地・道路の改修に伴い「八宮神社」に合祀されています。

それでは、誓約によって生まれた天照大御神の三男と五男の男神の御利益を求めて巡ってみましょう~!

生田裔神八社(いくたえいしんはちしゃ)とは、兵庫県神戸市の生田神社を囲むように点在している裔神八社のことです。



地下鉄大倉山駅を出るとすぐです。神戸大学病院や医学部もそばにあります。
私的には、10年以上仕事で神戸大学の医学部に通っていたのに、お詣りしていなかったなんて失態でした~(笑)
神戸市立中央体育館の地下駐車場に駐車して少し東に歩いたところでした。
直ぐ近くに神戸市民ならたぶんご存知の「もっこすラーメン本店」があり今回初めて本店でラーメンいただきました。

「六宮神社」
所在地 : 神戸市中央区楠町3丁目 八宮神社の境内(明治初期に道路拡張のため八宮神社に合祀)
祭神 : 天津彦根命・応神天皇

「八宮神社」
所在地 : 神戸市中央区楠町3丁目
祭神 : 熊野杼樟日命・素盞嗚尊

八宮神社1
(北の鳥居、山手幹線に面しているのでこちらからの方が分りやすいです。)
八宮神社2
(南から)
八宮神社3
(本殿!シンプル、狛犬も可愛い~。)
八宮神社4
(在りました「六宮神社」合祀)


話題がないので?「合祀」について説明しましょう。
ある神社の祭神を、別の神社で合わせて祀ること江戸時代には寄宮(よせみや)と言いました。または、一つの神社に複数の祭神が祀られている状態のことを相殿または合祭(ごうさい、がふさい)とも言います。
前者の合祀(寄宮)には、本殿で祭神を一緒に祀る本殿合祀と、神社の境内に元の神社を移転し境内社とする境内合祀、離れた飛地境内に移転し境外社とする飛地境内合祀の3種類があります。
明治から大正にかけての神社合祀令では多数の神社が合祀の末、廃社されました。これら廃社された神社の中には、後に合祀されていた祭神を戻し(復祀)、再建されたものもあります。
復祀は、明治維新から第二次世界大戦終結(1945)までは、由緒不明とか、社殿が廃れて独立した神社として維持できない場合などに許されました。

「六宮神社」の合祀は、寄宮の本殿合祀になると思います。

いつも応援いただきありがとうございます。
ランキング登録しています。お立ちより記念に「ぽちっと」クリックお願いします。
👇👇👇👇👇👇
ブログランキングならblogram

2016/06/18

任務を遂行しなかった?天穂日命を祀る。「 生田裔神八社」『五宮神社』

生田裔神八社巡りも後半戦、今回は「天穂日命」をお祀りする『五宮神社』です。
御利益を求めて巡ってみましょう~!

生田裔神八社(いくたえいしんはちしゃ)とは、兵庫県神戸市の生田神社を囲むように点在している裔神八社のことです。

『五宮神社』は明治時代、湊川神社の氏子社になりかけたが、生田神社社家先祖である海上五十狭茅の子孫の家が近隣にあったため、住民の申し出により、取り止めとなりました。現在は、8社中一番標高の高い場所に鎮座しており、元は宇治川の氾濫原にあったため、現在地に移ったのではとの説があります。

はっきり言って場所がわかりにくいです。お隣の祥福寺(臨済宗)が大きくて目印ですね。すぐに有馬街道の登り口の平野が在り、平野には祇園神社が在るので五宮神社影薄い(罰当たりですが)です。

社務所に誰もおられなくて拝殿前に印鑑が置いてあるだけ、御朱印集めをしている私にはさみしいかぎりです。



「五宮神社」
所在地 : 神戸市兵庫区五宮町
祭神 : 天穂日命

五宮神社1
(とにかく場所がわからなかった~!)
五宮神社(本殿!裏は直ぐ六甲山ですね)
五宮神社2(お供ということは、生田神社はやっぱり…なのかな~?)
五宮神社4(お隣に併設されている、お稲荷さんもさびれてしまっていますね~頑張れ!五宮住人~笑)


天穂日命について少し説明しましょう。
天照大御神須佐之男命 誓約をしたときに、天照大神の右のみずらに巻いた勾玉から生まれました。物実(ものざね:物事のタネとなるもの)をつかさどるとされます。
天照大神の第二子とされ、正哉吾勝勝速日天忍穂耳命(長いですね~天孫降臨「邇邇芸命」のお父さんです)の弟神にあたります。
葦原中国平定のために出雲の大国主神の元に遣わされたが、大国主神を説得するうちに心服して地上に住み着き、3年間高天原に戻りませんでした。その後、出雲に伊邪那美を祭る神魂神社(島根県松江市なある素敵な神社)を建て、子の建比良鳥命は『出雲国造』らの祖神となったとされます。

覚えていますか?、2014年、高円宮家の次女・典子女王殿下と、出雲大社の宮司のご長男、千家国麿さんのご結婚の喜ばしいニュースが流れましたよね、これってある意味凄い事です。

そう出雲大社の宮司の千家国麿さん(歴史が長いので色々ありますがまたの機会に)が出雲国造84代になります。

日本神話の「誓約」で生まれた天照大御神の長男と次男の末裔がご結婚されたということになります。
2600年以上前の出来事がまた繋がった事になります(日本人で良かったな~)

英国のエリザベス女王がオリンピックでジェームスボンドとヘリコプターから飛び降りられても、今上天皇陛下がその様な事をされるはずもないのもうなずけますよね~(笑)

いつも応援いただきありがとうございます。
ランキング登録しています。お立ちより記念に「ぽちっと」クリックお願いします。
👇👇👇👇👇👇
ブログランキングならblogram


2016/06/16

世界文化遺産登録決定?の「宗像大社」宗像三女神「市杵島姫命」をお祀りする『 生田裔神八社・四宮神社』

生田裔神八社(いくたえいしんはちしゃ)とは、兵庫県神戸市の生田神社を囲むように点在している裔神八社のことです。

今回は宗像三女神「市杵島姫命」をお祀りする『四宮神社』です。
御利益を求めて巡ってみましょう~!

おっと!今回はその前に、世界遺産登録、2017年候補の宗像神社・沖ノ島「沖津宮」について少しお話ししましょう。



文化審議会は28日、2017年の世界文化遺産登録を目指す候補として、福岡県の古代遺跡「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」を選びました。
来年2月1日までに政府が国連教育科学文化機関(ユネスコ)に推薦書を提出し、17年夏のユネスコ世界遺産委員会で審査を受けることに成りました。

福岡県宗像市の沖ノ島(宗像大社沖津宮)は九州と朝鮮半島の中間にあり、4~9世紀に大陸との交流の成就を祈る国家的祭祀が行われていました
朝鮮半島製の金製指輪や中東のペルシャからもたらされたカットグラスの破片など約10万点の出土品の内8万点が国宝(凄いと思いませんか~😊)に指定され、「海の正倉院」とも呼ばれています。

今も女人禁制などの禁忌が守られており、地元自治体は「島を信仰の対象とする伝統が継承されてきた世界でもまれな例」と説明、「文化的伝統や文明の存在を伝える」といった世界遺産の登録基準を満たすとして推薦を求めていました。

選定に当たった文化審議会特別委員会の西村幸夫委員長(東大先端科学技術研究センター所長)は記者会見で「古代祭祀の跡がほぼ手付かずの状況で保存され、世界的な価値がある」と指摘し、宗像大社などによる保全体制が整っている点も含めて評価されました。

遺産群は沖ノ島に加え、九州本土にある宗像大社の社殿、祭祀を担った豪族の古墳群など全5件で構成されます。

沖ノ島は神官が交代で一人だけ駐在するほぼ無人島!行けない世界遺産が誕生するかも知れません。

実は特別に行ける方法が有るので紹介します。
先ず、沖ノ島には「沖津宮」が鎮座、「田心姫神」が祀られており、神領であるゆえ一般人は許可なく立ち入ることはできません。

この沖ノ島に滞在が許されているのは宗像大社の神職ただ一人だけです。
「田心姫神」は女性の神様なので、沖ノ島で古くから守られているのが「女人禁制」という掟です。

理由は女性に対して嫉妬心を抱くことや、手漕ぎ舟での渡島が女性にとって過酷であることなど諸説あります。
たとえ男性であっても、沖ノ島に上陸できるのは年に一度だけ。日本海海戦(日露戦争)の慰霊を行う「現地大祭(5月27日)」のみ、参加希望の一般男性から限定200人が選ばれます(実は私応募してたんですよね~世界遺産に成れば凄い確率でとても無理!今年ならと思ったのですが、落選してしまいました😭)。

上陸の際には、裸(素っ裸で海に浸かります。)になって禊を行わなければなりません!
それでも何時か行ってみたい❗

神戸に戻って「四宮神社」ですが、県庁前に有ります。各政党の事務所があるビルの並びです。



『四宮神社』
所在地 : 神戸市中央区中山手通5丁目
祭神 : 市杵島姫命

四宮神社1
(参院選挙の準備で県庁前の路上駐車場が空いていませんでした。)
四宮神社3(雨が強い日で~涙!)
四宮神社4(綺麗な拝殿内部)

ご祭神は天照大御神須佐之男命と誓約を された際にお産れになった五男三女神の一柱市杵島姫命、七福神の一柱といわれている「弁財天」(仏教が広まった平安時代に、市杵嶋姫命が宗像三神の中で最もきれいな神といわれていたので、インド生まれの美しい仏、弁財天と結びつけられた様です。)をお祀り申しています。
広島県の安芸の宮島の厳島神社から勧請されたとありますが、宗像三神を祀る宗像神社(厳島神社自体が宗像三女神を祀っているのでどちらでも問題無いとおもうのですが)とも関係があるようです。

永禄年間、摂津の武将荒木村重が織田信長の命令で花熊(隈)城を築き、その鬼門鎮護の神に定められ、 城主より幣帛が捧げられました。
天正ハ年七月二日、荒木村重謀反の影響を受けて花熊(隈)城の落城と共に燃え落ちたので、現在の場所に移されたようです。

四宮神社5
(巳神社)
四宮神社6
(大事な事が書いてありますね~「感謝の誠をささげてください」です。そう神社はお願いする所ではありませんよ~。)


次は「五宮神社」!着いて来てくださいよ~。

いつも応援いただきありがとうございます。
ランキング登録しています。お立ちより記念に「ぽちっと」クリックお願いします。
👇👇👇👇👇👇
ブログランキングならblogram


2016/06/14

大砲が歴史を物語る「生田裔神八社」『三宮神社』

生田裔神八社(いくたえいしんはちしゃ)とは、兵庫県神戸市の生田神社を囲むように点在している裔神八社のことです。

御利益を求めて巡ってみましょう~!

二宮神社6
(一日で巡ろうと思えば行けます~。好きじゃないと無理です~~!)

近代以後の移転(六宮・八宮が該当します。)前の位置において、概ね東から西に数字が大きくなりますが、 例外として、二宮は旧生田川をはさんだ東側(一宮より東側)に、七宮は旧湊川をはさんだ西側(つまり、他の六社から見れば、川の対岸=外側)に位置します。

今回は明治維新の歴史も物語る『三宮神社』を紹介します。



幕末(大政奉還が行われ鳥羽伏見の戦いの直ぐ後です。)に、この神社の前で「神戸事件」が起こりました。
境内に「神戸事件発生地の碑」が建てられています。

三宮神社2(神戸事件発生地の碑)
『神戸事件』とは?どんな事件か説明しましょう。

三宮神社7(大砲だ~!こんな繁華街に大砲があった~!)
三宮神社6(なんだ。本物だけど、神戸事件の本物じゃないのね~)

開港後まもない、1868年(慶応4年)1月10日兵庫県明石に宿泊していた備前池田家家老日置氏の軍勢、約450名及び大砲方を率いた一軍が、11日午後2時ごろ、一行が神戸の三宮神社に差しかかったとき事件は起こります。
池田家の隊列が西国街道を東に向かって行進中、三宮神社の前にさしかかったとき、沖に停泊していた外国軍艦の水兵数人が隊列を横切りました。
それに怒った池田家隊員がこれを制止しようとして、水兵を切りつけたことが国際事件となりました。この際、第3砲兵隊長の滝善三郎が命令を下したとされています。これを、「神戸事件」といいます。

その結果、居留地の安全の確保を名目に、列強は一時神戸を占領します。そして、責任者の厳重な処罰すなわち滝の処刑を要求したのでした。
同月15日、明治新政府は、東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)を代表として、交渉を開始しました。直接交渉に当たった伊藤俊輔(初代内閣総理大臣、後の伊藤博文、初代兵庫県知事です。)は、何とか滝の命を救おうとしましたが、外国側代表にそれを拒否されます。
滝は同年2月9日に、兵庫の永福寺において、六カ国の立会人の面前で切腹します(滝さんは腹を十文字に切り裂くと両手を前に着いて首を突きだしたしたといわれています。凄い武士道ですね~m(__)m)。

三宮神社4(滝善三郎切腹の図、生々しいですね~。)

滝の切腹によって、決着をみた神戸事件。滝は、政治体制が確固としていない日本の新政府成立を、諸外国に知らしめるための、犠牲となったと言えるかもしれません。

『三宮神社』
所在地 : 神戸市中央区三宮町2丁目
祭神 : 湍津姫命

三宮神社5
(南正面、そういえば神社は南向きに立っていることが多いですね?理由はやはり~?)
三宮神社8(拝殿、震災の影響はどうだったのかな?)
三宮神社9(拝殿内部です。)
三宮神社1(西門、繁華街の目と鼻の先です。)

「古事記」で、須佐之男命から生まれたとされる三女神を祀る宗像神社が海の正倉院として世界遺産として登録されそうですが「日本書紀本文」および「宗像大社の社伝」では、以下のようにな並びになっています。(三女神の神名や配列などに 古来、種々の変遷もありましたが現在では以下のようになっています。)
沖津宮 - 田心姫神(たごりひめ)「一宮神社」に祀れていました。
中津宮 - 湍津姫神(たぎつひめ)「三宮神社」に祀られています。
辺津宮 - 市杵島姫神(いちきしまひめ)「四宮神社」に祀られています。


いつも応援いただきありがとうございます。
ランキング登録しています。お立ちより記念に「ぽちっと」クリックお願いします。
👇👇👇👇👇👇
ブログランキングならblogram


2016/06/12

「生田裔神八社」 『二宮神社』

生田裔神八社(いくたえいしんはちしゃ)とは、兵庫県神戸市の生田神社を囲むように点在している裔神八社のことです。

御利益を求めて巡ってみましょう~!

二宮神社6
(一日で巡ろうと思えば行けます~。好きじゃないと無理です~~!)

近代以後の移転(六宮・八宮が該当します。)前の位置において、概ね東から西に数字が大きくなりますが、 例外として、二宮は旧生田川をはさんだ東側(一宮より東側)に、七宮は旧湊川をはさんだ西側(つまり、他の六社から見れば、川の対岸=外側)に位置します。

さて今回は例外、旧生田川の東側に位置し、順番通りではない『二宮神社』です。
三宮から東へ下町の商店街を歩きます。



『二宮神社』

所在地 : 神戸市中央区二宮町3丁目
祭神 : 天忍穂耳尊 ・応神天皇

『誓約』で生まれた、五皇子の長男(『日本書紀』の一書では次男)で、勾玉の持ち主である天照大御神の子とされます。
高木神の娘である萬幡豊秋津師比売命との間に「天火明命」と「邇邇芸命」をもうけています。

つまり天孫降臨神話の主人公、『瓊瓊杵尊』(「日本書紀」読みです。「古事記」によると本名は天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命!長い~)のお父さん、天皇家直系と云うことでしょうか。

二宮神社1
(結構歩くな~の感じで到着です。南鳥居)
二宮神社2(ビルの谷間で二度も場所を聞きました。)
二宮神社3(御幸石!神功皇后が御渡りになられたのでしょうか!)
二宮神社4(綺麗な本殿ですね~震災で建て替えられたのかな?) 
二宮神社5
(ご神木ですが敷地が狭くてカメラにはいらなかった)
二宮神社7(東鳥居です。ビルの谷間にひっそりの神社です。)

御祭神「天忍穂耳尊」ですが「古事記」での本当の名前は『正勝吾勝勝速日天忍穂耳命』です。
正勝吾勝勝速!(正に私はすぐに勝つ!歌の歌詞みたい。)勝負師にはもってこいのご利益を期待しましょう(笑)。

生田神社と周りの生田裔神八社をお祀りされた神功皇后は天日矛(出石神社御祭神)の末裔と言われています。

いつも応援いただきありがとうございます。
ランキング登録しています。お立ちより記念に「ぽちっと」クリックお願いします。
👇👇👇👇👇👇
ブログランキングならblogram