2017/09/26

ブリューゲル「バベルの塔」展 16世紀ネーデルラントの至宝―ボスを超えて―

昨夜毎月恒例となっている「馬肉会」がありました。今回はサプライズも無く、静かな?まったりした会に成りました。このような月ももちろんあってよいね~なんてね。(笑)来月は賑やかに大爆発するかもかも知れません。美味しいお酒と美味しいいお料理、気の置けないブログ仲間との楽しいいひと時が、栄気を養ってくれました。

さて今日は、昨夜の疲れもあるので(アッ!失言、笑)、ボイマンス美術館所蔵、ブリューゲル「バベルの塔」展 16世紀ネーデルラントの至宝―ボスを超えて―の美術展の様子と観覧の感想を少しお話したいと思います。

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(大阪国際美術館初めて来ました。)

その前に、今回の感想ですが、はっきり言って一言で終わってしまうものです。それに先に観覧に行かれたブログ仲間のビー玉さんが丁寧に記事を書いていらっしゃいますので、そちらも参考にしていただけると、私が疲れてどこかで眠りに落ちそうになったら途中で切り上げてUPしてもよいかなんて思っている、市郎右衛門です(他力本願・勝手にコラボ)。どんだけ大着するきやねん。

それでは、『市郎右衛門』の美のブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
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(俺の足が写ってる?半ズボン!寒いね~。)
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(中国の方が空気読んでくださらなくて。)
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(人が多くてこの閉まった自動ドア撮るのに15分も待った私!頭悪いです。)

【バベルの塔への思い】

ヤッパリ横山光輝さんの「バビル二世」ですよね~~~ねえ!。(違うからね、楽しかったのは分かるけど)
私、これでも中学はクラブで、高校・大学時代は部活動も美術部でした~わりと絵も上手いんですよ。子どもたちも遺伝したのか美術だけはみなさん成績が良いようです。そんな私がどうしても見たかった絵画の一つがピーテル・ブリューゲル1世の『バベルの塔』です。しかしながら私は、先日ブログにUPした13年待ちコロッケ同様に大きな勘違いをしておりました。これは最後の最後バベルの塔の絵の前まで(少し前か)まったく気が付きませんでした。情けないかぎりです。

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(はいチケット買いました~1500円でした。)

忘れていました。眠くなっても大丈夫なようにまずは、展覧会のHPを載せておきますね。ブリューゲル「バベルの塔」展 16世紀ネーデルラントの至宝―ボスを超えて―

オランダを代表する美術館のひとつ、ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館から、ピーテル・ブリューゲル1世の『バベルの塔』が24年ぶりに来日する展覧会が実現しました。
副題に「16世紀ネーデルラントの至宝―ボスを超えて」とある通り、ブリューゲルのみならず、彼が手本とした先駆者ヒエロニムス・ボスの油彩2点、そして彼らが生きた時代、16世紀ネーデルラントの絵画、版画、彫刻を全体で約90点の出品作が鑑賞できます。
ネーデルラントは16世紀から18世紀にかけて現在のオランダおよびベルギー北部(フランデレン地域)に存在した国家です。

迫真の写実と輝くような美しい色彩が印象的な油彩絵画、ボスの怪物モチーフが所狭しと描かれる版画作品、そして木彫の粋を尽くした彫刻作品など、16世紀ネーデルラント美術の精華をご覧いただけます。

先にビー玉さんのおっちょこ主婦の家計救出ブログ 紹介しとこ、眠くなってきそう。(笑)とても素敵なブログに成っています。

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(ビー玉ちゃんも好きだと言っていた。ボスの作品です。なんとなく可愛い?諺が絵に成っています。)
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(聖クリストフォロス)
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(放浪人「行商人」)

【その前に 「AKIRA」「童夢」などで知られる漫画家・映画監督の大友克洋さんのバベルの塔】

原画を大胆に新解釈した絵画作品「INSIDE(インサイド) BABEL(バベル)」を発表する。塔にざっくりと切り込みを入れて、構造や中でうごめく人々、建設作業を想像し、ちみつに描き出した。作品を書かれていましたのでご紹介します

ブリューゲルのこの「バベルの塔」は、建築物としてかなり完成に近づいている。「中はどうなっているのか。カットして中を見たら面白いんじゃないか?」と考えたのが始まりだそうです。

準備のため、オランダ・ロッテルダムのボイマンス美術館で原画をつぶさに観察し、学芸員に話を聞痛そうです。ウィーンの美術史美術館でも、ブリューゲルが描いたもう一つの「バベルの塔」(1563年作)を見て来たそうです(羨ましか~~~!)。

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(バベルの塔の中が書かれています。)
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(同じくですが明るさがすこし違うかな?)
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(拡大)

大友克洋「INSIDE BABEL」。ブリューゲルの原画に基づき、切り込みを入れた中央部分を新しく描いた 2017年 デジタルプリント、紙 90×110.5センチ (C)マッシュ・ルーム 大友克洋

2点の「バベルの塔」は(ブリューゲルが実際に見た)ローマのコロセウムに基づいたと言われてはいますが、想像で補っているはずです。架空の建物を主役にしてここまで描き込む想像力のすごさ。建築物について相当の知識を持って、構造を考えて描いたのだと思います。

【バベルの塔って?】

旧約聖書の「創世記」中に登場する巨大な塔の事です。もちろん神話だともいますが、一部の研究者は紀元前6世紀のバビロンのマルドゥク神殿に築かれたエ・テメン・アン・キのジッグラト(聖塔)の遺跡と関連づけた説を提唱されている学者もおられます。

実現不可能な天に届く塔を建設しようとして、崩れてしまったといわれることにちなんで、空想的で実現不可能な計画を比喩的に「バベルの塔」ということもあるようです。

正確には「バベルの塔」という表現は聖書には現れず、"the city and its tower"もしくは"the city" と表される。バベル(𒁀𒀊𒅋𒌋)はアッカド語では神の門を表す。一方聖書によるとバベルはヘブライ語のbalal(ごちゃまぜ)から来ているとされます。

【旧約聖書の記述ギュスターヴ・ドレ『言語の混乱』】

バベルの塔の物語は旧約聖書の「創世記」11章にあらわれます。そこで語られるのは次のような記述で述べられています。位置的にはノアの物語(ノアの箱舟)のあとでアブラハムの物語(信仰の父と呼ばれ神の言葉に疑問を持たなかった人物)の前に置かれているようです。私キリスト教徒ではありませんので、間違いがあるかも知れません。そのときは遠慮なさらずにコメントをくださいね。

全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていました。東の方から移動した人々は、シンアル(バベルの塔が有ったとされるバビロニアの元の名前)の地の平原に至り、そこに住みつきます。そして、「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合います。彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いました。そして、言った、「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」。

神様は、人々が作ろうとしていた街と塔とを見ようとして天からお下りになり、そして言われます。「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。神様ははそこから全ての地に人を散らされたので。彼らは街づくりは完成しませんでした。その為に、この街はバベル(ごちゃまぜ)と名付けられます。神様がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全世界に散らされたからです。「創世記」11章1-9節より。

偽典(作者ではない人物の著書)の「ヨベル書(旧約聖書外典)」によれば、神はノアの息子たちに世界の各地を与え、そこに住むよう命じていました。しかし人々は、これら新技術を用いて天まで届く塔をつくり、シェム(名前?)を高く上げ、人間が各地に散るのを免れようと考えます。神は降臨してこの塔を見「人間は言葉が同じなため、このようなことを始めた。人々の言語を乱し、通じない違う言葉を話させるようにしよう」と言われます。このため、人間たちは混乱し、塔の建設をやめ、世界各地へ散らばっていってしまいます。

あれバベルの塔は?あまりに高くて神の怒りに触れて崩れ落ちたんじゃなかったの?ノアの箱舟での洪水、ゾドムとゴモラの滅亡、バベルの塔の破壊、神は自分にまねて人を作ったはずなのに、アダムとイヴは知恵のリンゴをかじったばかりに楽園から追放されるし、なんか納得できないことだらけ!唯物神の信仰って人が神に近づくことさえ許さない信仰なのかな?(気を悪くされませんようにお願いいたします。)

【信仰にケチをつけてもしょうがない】

私は信仰心を持っているのか?いつも疑問に思っています。実家(家)の宗教は仏教(日蓮宗)ですが結婚式は神前結婚でしたし。お正月は神社に初詣(近頃は初詣じゃなくても神社巡りしてますけどね)、お盆はお墓参りに行って、クリスマスでケーキ食べます。近頃はハロウィンまで盛り上がるようになって来ました。日本人には宗教心が無いのか?なんて外国の方に思われているかもしれません。けれどちゃんと「ご飯は一粒も残してはいけない」と教わりませんでしたか?これ仏教の考え方なんですよね。

キリストがキリスト教を作ったと思っていませんか?私はキリストはちょっと変わったユダヤ教徒だったと思います。キリスト教を実際に広めたのはキリストに会ったことも無いパウロさんですね。おなじくブッタも少し変わったバラモン教徒でした。仏教を広めたのは、アーナンダ達十大弟子とナーガールジュナ(大乗仏教の生みの親?)などです。ん~~?話がそれてますね~(-"-;A ...アセアセ。

【バベルの塔、教義と実践の狭間】

ピーテル・ブリューゲル1世の『バベルの塔』は古代バビロニアの世界ではありません。ブリューゲルが生きた16世紀の街並みがマクロなバベルの塔の中にミクロな超絶技巧で再現されています。素晴しい作品でした。

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(最後に目玉です!ピーテル・ブリューゲル1世による「バベルの塔」。1568年ごろ/油彩、板 59.9×74.6センチ)

最後に申し上げなければいけない一言ですが、「私の見たいピーテル・ブリューゲル1世の『バベルの塔』」はこれじゃなかった~(笑)
ブリューゲルは『バベルの塔』を三枚書いています。一枚は行方不明(焼かれてしまった?)と今回のボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館の『バベルの塔』です。

そして私が望んでやまなかった三枚目は1563年製作、オーストリア、ウィーン美術史美術館所蔵の『バベルの塔』だったんです。その大きさから今回の作品を小バベル、ウィーン美術史美術館の物を大バベルと呼んでいます。
「私が死ぬまでに見たかったのは、1563年製作、オーストリア、ウィーン美術史美術館所蔵の『バベルの塔』だったんです。」

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(これ~大バベル、1563年製作、オーストリア、ウィーン美術史美術館所蔵の『バベルの塔』)


おお神よ、私を見放さないでください、利他主義実践してます。隣人愛までは来てると思うけどな?

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リュミエールブラン ネージュ

2017/08/05

「一休み一休み」!社員会の写真コンテストに出品してみた。第二弾!

今回は余り歴史とは関係ない?話題です。たまには「一休み一休み」です。ブログを書き始めた頃に、丁度会社(社員会)の写真コンテストがあったのです。

二年前位ですね、現社員会の会長はほぼ同期入社なので、協力しなければ、と出品してみたのですが、あえなく落選!もう二度と出すものか~とふて腐れていたのですが、今回は社員の皆さんも興味が薄れたのか出品数が定数に届かないという、お粗末さだったので、再募集のメールが各現場に回ってきました。

わが社は社員200名程の中小企業ですし、殆どの社員が派遣されたり出向したりと、横の繋がりがはとんど無いのです。
かくゆう私も、現在の職場(「国立研究所(医薬系)」、凄くかっこいい響きですが下働きです)にお世話に成って五年程に成りますが。他の現場がどんな状態かよく分からないのです(;^_^A。

そこで出品数が少ないのなら、社長賞(10000円券)のチャンスも在るのでは?と意地汚く考え、普段からブログで色々廻って写真だけは撮影しているので、何か掘り出し物がが有るだろうと、探してみたのですが、ブログ用の写真は記録が本分なので、面白みに欠けてしまいます。

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(社員会のコンテストに応募した、次女出演の「天の橋立又覗き」賞金が出たらアイスいっぱい買ってやろっと!)

そこで私が選んだのが、丹後国一宮「元伊勢の一社」の『籠神社(このじんじゃ)』と西国三十三所観音霊場第28番札所『成相山 成相寺』、先日に家族で行きましたおりに、撮影した傘松公園からの「日本三景又覗きの図」を景品欲しさに出品してみました。

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【一寸休憩して日本三景を!】



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(登りはケーブルカーを使いました。桜がまだ残っていますね。)

傘松公園(かさまつこうえん)は、京都府宮津市にある日本三景の天橋立を眼下に望む展望公園です。天橋立の北西にあり、丹後海陸交通が運営している展望台は観光名所のひとつになっています。麓の府中からケーブルカー(天橋立鋼索鉄道)かリフトで登ることができます。

【展望の醍醐味】

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(傘松公園の松、江戸末期宮津藩主松平伯耆の守一行が急な雨をしのいだことから名前がついたそうです。)
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(当時の松とは違うと思いますが、枝ぶりはなかなかのものです。)
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(見事な橋立、実は又覗きで撮影したのですが、カメラの修正機能が賢いのか普通に撮れています。私が逆転すべき?)

傘松公園から観る天橋立は「斜め一文字」と呼ばれ、股のぞきをして観ることの楽しさで有名です。股のぞきをすると、天地が逆転し、まさに天にかかる橋のようにみえます。公園は山の上にありますが、さらに徒歩で3分ほど登ると、「傘松」という名の松がある『股のぞき発祥の地』があります(ちょっと歴史ブログらしく成って来ました。笑)。発祥の地からは西国三十三所第28番札所の成相寺へ行くバスが出ています(料金がもったいないので?健康のために歩いてみました?。どっちやねんな)。公園内には「天橋立パノラマハウス」があり、中には、レストランや軽食コーナー、売店などがあります。また公園の一角には籠神社の祭神が降臨したとされる冠島、沓島遥拝所がありました。

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(籠神社の祭神が降臨したとされる冠島、沓島遥拝所がありました。)
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(冠島見えますよね~(;^_^A)

天橋立を挟んで対岸には同様の展望施設がある天橋立ビューランド(眺めは「飛龍観」と呼ばれる)が所在しています。

【日本三景って誰が決めたの?】

江戸時代前期の儒者、林羅山の三男の林 鵞峰(はやし がほう)、元和4年5月29日(1618年7月21日) ~延宝8年5月5日(1680年6月1日)が決めています。

那波活所(なわかっしょ)に師事し、その後父羅山同様江戸に赴き江戸幕府に仕えました。父羅山の死去後の明暦3年(1657年)林家を継ぎ、幕政に参与しています。寛文3年(1663年)、4代将軍徳川家綱に五経を講義して弘文院学士号を与えられ、訴訟関係・幕府外交の機密を担った役人です。

日本史に通じ、父羅山とともに『日本王代一覧』、『本朝通鑑』(『本朝編年録』)、『寛永諸家系図伝』など、幕府の初期における編纂事業を主導し、近世の歴史学に大きな影響を与えました。鵞峰が整えた林家学塾の組織は、その後の昌平坂学問所の基礎となっっています。

多方面な関心をいだいて博学広才ぶりを発揮した父羅山にくらべ、鵞峯は、『本朝通鑑』や『日本王代一覧』などにおいて「日本」の国柄がどのようなものであったかを追究し、幕府政治の正統性や妥当性がどうあればいいかについて、その支配イデオロギー形成の端緒を開いたとも評されています。

寛永20年(1643年)の著書『日本国事跡考』のなかで「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳、與丹後天橋立、安藝嚴島爲三處奇觀」(松島、この島の外に小島若干あり、ほとんど盆池月波の景の如し、境致の佳なる、丹後天橋立・安芸厳島と三処の奇観となす)と記していて、これが現在の「日本三景」の由来となったと思われます。2006年(平成16年)、林鵞峰の誕生日にちなみ、7月21日が「日本三景の日」と制定されています(へ~そうなんだ!林 鵞峰の経歴はWikiを参考にさせて頂きました)。

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(のこり桜の橋立もなかなかです。)
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(下りはリフトで、これが子供達には好評でした。)




丹後国一宮「元伊勢の一社」の『籠神社(このじんじゃ)』と西国三十三所観音霊場第28番札所『成相山 成相寺』は又の機会に必ずご紹介させていただきます。

【最後にもう一つ、らしいうんちくを】

題名にした「一休み一休み」!は私が子供の頃のアニメ一休さんのCM前の「あわてない、あわてない、一休み一休み」の一言から遣わしていただきました。一休さんこと(一休宗純・いっきゅうそうじゅん)は、1394年(応永元年)正月元旦に、後小松天皇と、宮仕えしていた日野中納言の娘照子姫との間に生まれました。つまり皇子ですね、お墓は京田辺市薪の酬恩庵一休寺にあります。
皇族ですから勿論宮内庁管轄なんですよ。(オット行ってない所は書かない御約束なので、この辺で止めておきます。)

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リュミエールブラン ネージュ

2016/11/01

『天下分け目の天王山』京都符乙訓郡大山崎町「おじ散歩」③

気持ちの良い秋の日、京都と大阪のちょうど間あたり、大山崎町を散策してみてはどうでしょう。

京都符乙訓郡大山崎町、JR 山崎駅近辺の史跡を訪ねる「おじさんと散歩」の第③段です。

今回ご紹介するのは「アサヒビール大山崎山荘美術館」です。

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「アサヒビール大山崎山荘美術館」は、京都府乙訓郡大山崎町にある京都府の登録博物館です。
公益財団法人アサヒグループ芸術文化財団が運営されてます。



大阪府と京都府の境にある天王山の山腹に位置し、真下に木津川・宇治川・桂川の三川が淀川へと合流する美しい風景を見ることがで来ます(見てきました~(^^)d)。

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(此処からは、車は勿論、バイク・自転車も入れません、登山用のバックもコインロッカーへ預けなければ入れない徹底ぶりです。)
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(綺麗な洋館ですね~絵画サークルがスケッチをされていました。)
DSC_0284.jpg(三階建ての洋館、殺人事件の恰好の舞台です。)
DSC_0281.jpg(入り口もお洒落、内部は撮影禁止なので、失礼します。)

開館20周年記念 うつくしいくらし、あたらしい響き  クロード・モネ展を見てきました。

実業家の加賀正太郎昭和時代初期に建物の他、庭園や道路、家具、調度品なども含めて自ら設計、デザインして建てた英国風の山荘の建物を復元整備し、1996年に美術館として開館したそうです(お金持ちって凄いですよね~(^^;)。

美術館のコレクションは、朝日麦酒株式会社(現アサヒビール)の創業者として知られる、山本為三郎の収集したコレクションです。
山本さんは大正から昭和初期に柳宗悦らが提唱した「民芸運動」の賛同者であり支援者でした(全く比べる必要もないですが、私も賛同しています。笑)。

美術館には民芸運動にかかわる河井寛次郎バーナード・リーチ濱田庄司富本憲吉棟方志功芹沢銈介といった作家たちとの交流の中で収集された作品が展示されているんです。
私が見たかったのはそれらの作品なのです。

陶磁器・染織・絵画などの作品や、彼らにインスピレーションを与えた朝鮮王朝時代の古陶磁、イギリスのスリップウェアなどの古陶磁といった、生活用品でもあった美術品がおさめられていますが、これらは山本自身が日常親しく愛用したものばかりだそうです。
素敵でした~!

勿論、モネは大好きな画家なのでそちらも期待していました(好きすぎて長女に「モネ」の名前つけてしまいました~笑、阪神タイガース好きで、強虎「きょうこ」よりは良いと思っています。)。

私の絵画での目玉はクロード・モネの絵画≪ル・プティ=ジュヌヴィリエにて、日の入り≫1874年姫路市立美術館(國富奎三コレクション)でした。
「印象・日の出」にも劣らない名作だと思っています。
美術館は、『睡蓮』の連作も複数所有しているのですが、今回はこれが見たかった(笑)。

建物は加賀正太郎が昭和初期の1932年に完成させた三階建てのイギリス・チューダー様式の山荘である本館と、それとは別に隣接して地下に作られた安藤忠雄設計の地中館(「地中の宝石箱」)、同じく安藤忠雄設計の山手館(「夢の箱」、2012年開館)からなっています。

山荘は戦後、加賀正太郎の没後に所有者が変わってから荒廃し、取り壊して高層マンションを建設する計画があった様ですがが、保存運動が高まり1996年に今日のように私立美術館として再生されました。

現在は民芸運動関係作品が山荘に、『睡蓮』他の絵画作品が地下展示室に展示されています。
これが季節ごとに展示換えされるほか、これらのコレクションから受けた印象をもとに現代美術作家が制作を行い、展示を行う企画展や、来館者を相手にしたワークショップなども精力的に行われています。

本館 - 1階には展示室1・2と山本記念展示室、ミュージアムショップ、2階には展示室34、喫茶室、テラス(2か所)があります。

地中館「地中の宝石箱」 - 安藤忠雄設計(モネの『睡蓮』などを展示)。

DSC_0280.jpg(山手館へ向かう通路です。もう二人くらい殺されているかも、名探偵は?)

山手館「夢の箱」 - 安藤忠雄設計(現代美術を展示、今回は企画展でモネの作品ばかりでした。)。

屋外展示 - バリー・フラナガン『ボールをつかむ鉤爪の上の野兎』(庭園内)、フランソワ=グザヴィエ・ラランヌ『新しい羊たち』(栖霞楼近く)

DSC_0278.jpg(川向うに見える山が、石清水八幡宮のはずです。庭に『ボールをつかむ鉤爪の上の野兎』見えますか?)
DSC_0273.jpg(写真左下『新しい羊たち』なんですけど、笑)

テラスに面した部屋は、淀川や京都盆地を見下ろすカフェになっていました。
ケーキは大阪のリーガロイヤルホテルから運ばれてくる焼き菓子が楽しめます。
ドリンクにはアサヒビールのスーパードライもあり、雄大な景色を眺めながらビールを嗜むことも出来ますが、呑めない私はケーキとミルクティのセットを堪能しました。

DSC_0277.jpg(アルデショワ、マロンペーストに国産クリをあしらった贅沢な焼き菓子とミルクティー、テラスより景色を眺めながら。)

因みに、駐車場は有りませんから、JR山崎駅線路脇にタイムスが有るので、駐車はそちらに!

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(夏目漱石も訪れています。)
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(結局大山崎山荘って、漱石~~悲しすぎるぜ!)

さて次回こそは天王山に登ってみますか~?
そろそろ本気で歴史のお話に行かないとやばいかもですね(笑)

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2016/07/10

心象派の画家!『江後原好一』さんを紹介させて下さい。

久々にだらだらと過ごしてしまった日曜日!ブログも久しぶりにARTです。

心象画と言われるジャンルがあります。

父の同級生(私の高校の先輩)の『江後原好一』さんが、素敵な絵を描かれるので紹介します。

先ず、心象とは心の中のイメージの事です。

人の脳裏にも少年時代の田園風景のようなものから、人との触れ合いで受けた強烈な 印象もあるでしょう。
これらイメージは細部の輪郭はぼやけているものの全体的な印象は今でも強く残っています。
これを絵に書き上げるのが、心象画です。


心象画は作者の心象風景を描いたといえますが、同時に観る人の心象風景をいざなう絵ともいえます。

そこで描く側は、観賞する側の自由な想像を促すために、絵にあいまいさを残すことになるのです。

観る側は、絵によって設定された舞台に立ちます。

するとそこに 「これは何?」 と思わせる仕掛けが待っているかも知れません。

観る側は、そこから自分の心象風景をふくらませ始める事になります。

作品をご紹介します。

宮津の海
(宮津の海)
こうのとり
(コウノトリ)
舟屋の冬景色
(舟屋の冬景色)
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(題名は聞いていません城崎温泉の桜並み木の心象です。家所蔵、笑!)

彼の故郷、山陰の海岸を描いた絵にに郷愁を覚えるのは私だけでしょうか?
父の同級生ということもあり、我が家には10枚以上の作品が有りますが、私のお気に入りは、丹後伊根の舟屋を描いた物(上の物と違います、F50号と大きくて額の硝子にブラッシュが反射して上手く撮影出来ませんでしたm(__)m)と、城崎温泉の温泉寺の山頂から桜並木を描いた?作品です。

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2016/04/04

光の天才画家クロード・モネの『印象・日の出』を見てきました。

私の大好きなモネ『印象・日の出』が21年ぶりに日本に来ると言うので見てきました。

モネ展

クロード・モネ(Claude Monet, 1840年11月14日 - 1926年12月5日)は、印象派を代表するフランスの画家です。
「光の画家」の別称があり、時間や季節とともに移りゆく光と色彩の変化を生涯にわたり追求した画家です。
モネは印象派グループの画家のなかでは最も長生きし、20世紀に入っても『睡蓮』(有名で日本にもかなり有るので、ご覧の方も大いでしょう)の連作をはじめ多数の作品を残しています。

印象派の名称の由来となった、巨匠クロード・モネが手がけた最も有名な作品のひとつ『印象・ 日の出』。
本作は画家が10代の頃に住み風景画家ウジェーヌ・ブーダンから自然光(外光)の美しさを学んだ地であるノルマンディ地方のル・アヴールの港町の写真家ナダールのスタジオで開かれた1874年に開かれた第一回印象派展でモネが出品した作品です。

当初『日の出』のみの名称で出品されていたが、名称が短すぎるとの指摘を受けて、画家自らが前部に『印象』と付け加えた本作は、画家の最も特徴的な手法である筆触分割(色彩分割とも呼ばれ、細く小さな筆勢によって絵具本来の質感を生かした描写技法)を用いて、ル・アヴール港を素描写生的に描いた作品ですが、当時の批評家ルイ・ルロワはル・シャリヴァリ誌に「印象?たしかに私もそう感じます。しかしこの絵には印象しかない。まだ描きかけの海景画(壁紙)の方がマシだ。」と本作を嘲笑する記事を諷刺新聞に寄稿し掲載されますが、この記事によって反伝統のバティニョール派が開催した最初の独立展覧会に出典した画家ら(モネ、ルノワール、エドガー・ドガ、カミーユ・ピサロ、ギヨマン、ベルト・モリゾ、セザンヌ、シスレーなど)は印象派と呼称されるようになりました。

本風景の海面、船舶、船の漕ぎ手、煙、そして太陽などの構成要素は筆触分割によって、形状や質感の正確性・再現性は失っているものの、大気の揺らぎや、刻々と変化する海面とそこに反射する陽の光の移ろい、陽光による自然界での微妙な色彩の変化など観る者がこの風景の印象として受ける独特の感覚は、英国を代表するロマン主義の風景画家ウィリアム・ターナーの『ノラム城、日の出』に強い影響を受けたモネがより進化(発達)をさせた筆触分割兼印象的描写でなければ表現できなかったものであり、この新たな表現手法こそ当時席巻していたアカデミー的な伝統主義とは、決定的に異なるモネのアプローチ方法であったと言えます。

なおこの第一回印象派展は、ルイ・ルロワの批評もあって不評に終わっています。

印象・日の出

■ 印象 -日の出- (Impression, soleil levant) 1872年
48×63cm | 油彩・画布 | マルモッタン美術館(パリ)

【私の感想】

驚くべきは、この絵がまったく下書きなしで描かれた点でしょう。
動いている光を一瞬で描ききる、モネの面目躍如と言えます。

以前オルセー美術館展を見たときには、写真の発明による画家達の焦りの様な感覚を受けて、がっかりしてしまいましたが、今回のモネは何枚ものカンバスを駆使して、光と色を瞬間的にとらえようとする真摯な姿勢に感銘を受けました。

青森の奥入瀬渓流で、春の木漏れ日の美しさに感銘を受け、倉敷の大原美術館でモネの睡蓮を見た後に、長女にそれらにちなんだ名前をつけた私としては、今回のモネ展は思いで深い一日と成りました。


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