2016/11/04

『天下分け目の天王山』を旅する。大山崎町「おじさんと登山」②

気持ちの良い秋の日、京都と大阪のちょうど間あたり、大山崎町を散策してみてはどうでしょう。

京都符乙訓郡大山崎町、JR 山崎駅から天王山の史跡を訪ねる「おじさんと登山」です。

今日は本気で登山「天下分け目の天王山」続編です。

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天王寺ハイキングコースももうすぐで山頂!といっても標高270.4メートルですからすぐなんですけどね~(笑)
山頂手前の山中に墓石群を発見し近づいてみると十七烈士の墓とあります(なんなんでしょうね?)。

CIMG6750.jpg(維新の史跡、京都御所には割りとよく出かけます、蛤御門には現在も銃弾の跡が残っているんです。)
CIMG6751.jpg(現総理も長州の方なんですよね~!自説を曲げず国を守り抜く気概を持っておられると信じています。)
CIMG6752.jpg(蛤御門の銃創は又の機会にご紹介いたします。)

十七烈士の墓は、幕末の禁門の変(1864年「蛤御門の変」)の時、尊王攘夷運動を旗印に戦い敗れ天王山中で自刃した隊長、「真木和泉守」(私、真木和泉と久坂玄瑞がこんがらがっていたので、真木和泉は御所で割腹したと思っていました、なんで?こんな所に墓が?と勉強不足を暴露してしまいました。)、以下十七名の眠る墓です。
十七名は天王山に踏みとどまり、殿軍(しんがり)をつとめ、一戦交えた後、全員割腹自刃しました(禁門の変「蛤御門の変」は又どこかでご紹介いたします)。

又、少し登りますと、「自玉手祭来酒解神社(酒解神社) 神社」が在ります。
場所は天王山山頂より約百メートルほど下つたところに位置し、本殿の手前に建つ「神輿庫」は鎌倉時代の建築で日本にある板倉式倉庫としては最古の例であり、国の重要文化財に指定されています。
牛頭天王を祀る旧山崎天王社は天王山の名前の由来になっていますので、お参りしていきましょうか。

CIMG6753.jpg(これは、三社宮です 天照大神社・月讀社・蛭子社ですが、右がやっぱり天照大御神かな?)
CIMG6755.jpg(大山祇神を主祭神とし、素戔嗚尊を相殿に祀ります。神輿庫は歩いている長女の右側にあります。汗!)

さてついに到着~!麓から歩くこと、約1時間程度、270.4メートルの標高の高さにある山頂です。
山頂は大きく広場のようになっており、土肌がみえています。
かつて城が築かれており、その痕跡を発見できるところにあります。
広場には山の上には似つかわしくない石が散見され、五輪の塔、石仏、墓石、井戸の跡などが見つかります。

CIMG6757.jpg(石垣のようですね~。見えにくいですが白い柱が山頂の杭です。)

さて下山しながらご紹介できなかったお寺を二つご紹介いたします(いつもの言い訳ですが、ブログを書く予定が無かったので、写真が・・・)。

CIMG3266.jpg

天王山山中地図を見てください。
「観音寺」は通称、山崎聖天(やまざきしょうてん)と言う古寺です。
山号は妙音山といい、地中から現れた薬師如来の石像に「妙音山寛平法皇剏建地(そうけんち)」と彫ってあったことに由来します。
桜と紅葉の名所としても有名で、春と秋のシーズンには多くの行楽客が訪れるそうです。

CIMG6766.jpg(紅葉は本当に素晴らしいです。)

もう一つ、「宝積寺」は寺伝では724年、聖武天皇の勅命を受けたに行基が建てたと伝えられる真言宗の寺院お寺で、行基が山崎橋という対岸八幡への往来の橋を建てた際に、橋寺として創建した「山崎院」の後身と考える説があります。
歴史上しばしば登場するお寺であり、寺宝や重要文化財が多く残り、聖武天皇が夢で竜神から授けられたという「打出」「小槌」を祀ることから通称「宝寺」(たからでら)の別名があり、大黒天宝寺として商売繁盛のお寺として知られています。

宝積寺は貞永元年(1232年)の火災で一度焼失し、現存する仏像等はこれ以降のものです。
宝積寺は山崎の戦いでは秀吉の本陣となり、禁門の変では尊皇攘夷派の真木保臣を始めとする十七烈士らの陣地が置かれた場所です。
ちなみに、お寺の途中にあるお墓には、十七烈士の碑があります。
三重塔は山崎の合戦に勝利した羽柴秀吉が寄進したものだそうです。

CIMG6741.jpg
(秀吉が寄進したと伝わる三重塔)


家族で楽しい登山が出来ました。
IMG_0001.jpg
(登頂証明書が100円でもらえます。JR山崎駅近辺で訪ねてください。勿論登頂してからね!)



次回は?山崎の戦いの羽柴秀吉軍の勝因について、考察してみますか。
あ~と!敗北を悟った明智光秀が逃げ込んだ「勝竜寺城」のご紹介をわすれていました。

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2016/11/03

『天下分け目の天王山』を旅する。大山崎町「おじさんと登山」①

気持ちの良い秋の日、京都と大阪のちょうど間あたり、大山崎町を散策してみてはどうでしょう。

京都符乙訓郡大山崎町、JR 山崎駅から天王山の史跡を訪ねる「おじさんと登山」です。

今日は本気で登山「天下分け目の天王山」です。

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古来、大山先は軍事、交通上の要衝として歴史上重要な役割を果たしてきました。
その要の位置をしめている山が標高二七〇・四メートルの「天王山」です。



天王山は摂津国山城国の境をなし、また西国と東国を結ぶ重要なポイントであり、山と川との間は最も狭い部分で200メートルたらずしかなくここを通らずして西へも東へも行けないという位置にあります。

古代、この山には名はなく、中世になって山崎山、そして山頂近くに酒解(さかとけ)神社が建立されて牛頭(ごず)天王を祭ったためそれから天王山の名が生まれました。
しかしこの名が知られるようになるのは室町時代の応仁・文明の乱の時からで、地域的な重要性から天王山に城が築かれ、たびたび合戦が行われました。
「山崎の戦い」は天王山と鴨川水系を挟んだこの狭い地域で行われました(当時は湿地で大きな沼もあり街道以外は取れないほどでした)。
明智光秀はこの狭い地域の出口に鶴翼の陣を張り、狭い西国街道を通過した部隊を各個撃破する戦法を採ったようです。

さてその天王山に登って見ましょう。
JR山崎駅を北へ少し行って線路を渡ると、登山道が見えます。

CIMG3263.jpg
(線路を渡るとすぐに登山道登り口の石碑)
CIMG3262.jpg(古地図山崎宿、街道沿いの狭い地域でしか戦闘が出来ないのがわかりますね。)
CIMG3266.jpg(天王山の名所旧跡ですがすべては回れません、(;´・ω・))
CIMG3268.jpg
(本能寺の変当時の織田家の領地です。)
CIMG6742.jpg
(このように秀吉の道として説明板が作ってあります。)

天王山ハイキングコースの八合目付近、ちょうど酒解神社の鳥居近くに旗立松があります。
山崎でおこった羽柴秀吉と明智光秀による天王山の戦いの際、秀吉軍が自軍の指揮を高めるため、老松の樹上高くに旗印を掲げました.。

CIMG6745.jpg(旗立松の説明板ですが本当に旗立てて見えたかな?)
CIMG6746.jpg
(もう五代目だそうです。400年以上前だからね~。)
CIMG6744.jpg
(だそうです、笑)
CIMG6743.jpg(これは大阪方面だな~???)

すぐ隣には、山頂側に展望台があり風景は、「京都の自然二百選」に選ばれていて、そこから明智軍と秀吉軍が布陣していたとされる山崎の古戦場跡も確認できます。

CIMG6747.jpg(布陣図です。沼も書いてありますね~。)

 
今日は時間が無くてここまでです。
ごめんなさい~。
やぶ蚊が多くて、軽装で登山した子供たちは大変だったみたいですが、良い経験になったはずです。

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2016/05/11

大山登山記録「1729メートル登ったど~?!」 ③

大山登山も最終回です。

大山山頂は360度の大パノラマ!少し靄がかかっていましたが、北は島根半島、東は鳥取市?南は比婆山連峰、西は宍道湖迄が一望出来ます。

大山のパノラマ
お昼は、バーナーで沸かしたお湯でカップヌードルを食べました(皆がやっているので是非食べたかったのでした)~(^^)/
食後は抹茶を一腹!プロフィールにも書いていますが、大山山頂で、抹茶を立てて飲みたくて(これ程の風流が有ろうか!笑)わざわざ背負って登って来たのです。
その味たるや、えもいわれぬ美味しさです 。
松江三大銘菓(若草、山川、菜花の里)を食して大満足でした~(^o^)v

大山山頂で一腹
(これが至福の時)

山頂山小屋で登頂ピンバッチ(山頂でしか買えないのです。)を買いまして、山頂に約小一時間、天気も気になったので下山を始めます。

大山山頂バッチ(500円?)

天気予報は午後は雨!下り始めて直ぐにぼつりぽつりとまいりました。
「山の天気は変わりやすい」とは言いますが、あっという間に霧に包まれて視界を奪われます。

七合目辺りで、前方から「大丈夫か~」の声がして暫く下山すると、六号目のベンチに若い男性が足を抱えています。
どうやら滑落(道筋で滑り落ち)したみたいでした。
足が折れているらしく?仲間が副え木をくくりつけています。

表情も青く、つらそうです。
仲間(大学生かな?)が心配していますが、全く歩けなさそうです。

結局ドクターヘリの出動要請と成ったのですが、着陸するところもなく霧で遭難場所も見えないという悪条件、結局発煙筒を焚いて、場所を確認し、ロープで引き上げる方法がとられました。やはり山をなめてはいけませんね(彼がなめていたわけでは無いでしょうが!)。

大山行者コース(行者コースからの眺め、あそこまで登ったんだね~うんうん)

私は何事もなく、無事に下山しました。
結局朝7:00に登り始めて、下山は4:00になってしまいました(休憩を除けば7:30位ですね!)。

七月に、子供たちともう一度昇りました。コースは登り降り逆にしました。
心配していたよりは、楽勝な子供たちでした。
生涯、パパと登山した大山の事覚えてくれているかな~?

大山神社奥の宮(7月、子供たちと、大山神社奥の宮からの出発~!)

次は浅間神社奥の院の富士山頂に子供たちと立ちたいと心に誓う私でした~。

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2016/05/10

大山登山記録「1729メートル登ったど~?!」②

昨年六月(下見を兼ねて)と七月(子供たちと)の二度、鳥取県の大山に登山してきました~!②。

皆さんご存知だとは思いますが、大山は日本の鳥取県にある標高1,729mの火山で、鳥取県および中国地方の最高峰です(前回からのつなぎで)。


(地図を忘れていました。有名だから地図いるかな?)

とにかく大山の自然の美しさをご覧いただきましょう。

大山の高山植物1( ハクサンフウロ! 華麗な花々満載です。)
大山の高山植物2(本当ね綺麗です。ナンゴククガイソウ ?コメント単調、笑)
大山の高山植物3(こ、これは タムラソウ?アザミじゃないのね。)
大山の高山植物4(黙っとこう)
大山の高山植物5(........)
大山の高山植物7(イワカガミの群生は可憐でヤバイです!)
大山の絶景1(こちらは落ちたらヤバイな、汗)
大山の絶景3(下に見える白い河原が行者コースで大山神社奥の宮へ続きます。)

九号目の木道階段が見えてくると、天然記念物「ダイセンキャラボク」の群生地が広がります。この辺りは比較的緩やかなので、歩きやすいしゴールは目前(私は膝がガクガクで木道の1cm程の出っ張りにもつまずく状態!)。

大山の絶景4(ヒヤヒヤ~)
大山の絶景5(ダイセンキャラボクの群生です。)
大山の絶景7
(9合目の看板を横目で確認しながら!)
大山の絶景8
(もう少し)
大山の絶景9(キタ~!1710.6ⅿ)
大山の絶景10(あちらが剣が峰)

やった~?1710.6メートル?登れるのは弥山迄、1727メートルの剣ヶ峰はとても危険すぎる馬の背を行かねば無理みたいですね(現在は禁止されていますね)。

道理で頂上なのに、あちら(剣ヶ峰)の方が高く感じたのは、実際高かったんですね。

でも神事が行われるのは、弥山なので満足でした~。

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2016/05/08

大山登山記録「1729メートル登ったど~?!」①

昨年六月(下見を兼ねて)と七月(子供たちと)の二度、鳥取県の大山に登山しました。

大山は日本の鳥取県にある標高1,729mの火山で、鳥取県および中国地方の最高峰です。

角盤山とも呼ばれるほか、鳥取県西部の旧国名が伯耆国であったことから伯耆大山、あるいはその山容から郷土富士として伯耆富士とも呼ばれます。

古来より日本四名山に数えられます(日本人が好きな山では、富士山・槍ヶ岳に次いで3位)。

大山冬
(いつか登るぞ~)
大山を臨む
(もうすぐ!まってろよ~)

私、市良右衛門は中学、高校の先輩(わが町の英雄)に植村直己さんがおられて、登山はスポーツではなくて冒険だと考えていました。
あの植村直己さんでさえ亡くなることも有る!の論理で、生涯登山はしないと心に誓っていたのですが。

鳥取県米子市に単身赴任中つい、「古事記」で 建速須佐之男命が降り立った伝承がある、船通山に登ってみたくなり、始めて1000メートルを越える山(もしかしたら小学校の遠足で、兵庫県最高峰の氷ノ山に行ったかもですが、記憶に有りません。)に登山したのがきっかけで、軽登山やトレッキングを始めました。

大山は明治時代まで山岳仏教の霊場として入山が禁止されていて、今も手つかずの、素晴らしい大自然が残っています。
森林浴や自然観察スポットとして人気が高く、古くから登山家の憧れ(もちろん私も)の山でした。

大山夏山開き祭(6月の第一週の土日)が行われると、本格的な夏山登山シーズンを迎えます。

「子供たちと大山に登りたい」と相談すると、「下見してきてね」と妻が言うので、昨年山開き(6月第一週の土曜日)の次の週末に、露払いのチャレンジしてきました。

人気の大山、登山者が多くて山肌が削られるので、一人一石運動(登山時に石を持って登ります。)が行われています。
私は負担に成らないように小さめでm(__)m

単身赴任当初から 「いつかは大山、いつかは大山」と思い、登山口そばに有るmont-bell大山店で道具類を購入しているうちに、mont-bellカードがゴールドに成ってました(笑)。

この下見登山時は、上りは駐車場から夏山大山登山道を、下りは大山神社奥の院への、行者谷コースを選びました。朝7時に出発して歩き始めます(登山届けもしっかり出しました。)。

大山1
(さあ出発!)
大山3(ブナの中の自然がよいですね~)


他にも登山者が多くて、迷う事もなく行けましたが、体が重くて(高校卒業時は57キロ、現在の体重は87キロです。5キロ程ダイエットして挑みましたが)登りになれるまでは、死ぬかと思いました(笑)。

それでも、現代の登山用具は本当に良くできていて、体力面の30%程は補ってくれたと思います。

三号目で左足の脹ら脛がつり、四号目で右足、五号目で左側の腿がつり、六合目で右足の腿!「どれだけ運動してないねん!」と心で叫びながら登りました。

5合目辺りまでは、新緑のブナ林に包まれます。
ハエ?アブ?がとにかくうるさくてたまりませんでした(虫苦手の子供たちが行かないとも言い出しかねないので「黙っとこ」と心に決めました。(;^_^A)。

大山2
(本当にきれいですが、顔の周りはぶ~んぶ~ん)
大山4
(なんだ~これは?)
大山5
(倒れたブナの大木の造形美も素晴らしい!)
大山7(安全を願い手を合わせます。)
大山8(六合目からまだ雪が?右上が山頂です。)

避難小屋のある6合目を過ぎると、ブナ林も少なく成って、虫に悩まされることも無くなる代わりに日光に悩まされます。
それでも、開けた景色と美しい高山植物にうっとりさせられます。

大山は富士山に例えられるように、ずっと登りばかりですので、六合目を過ぎると、上を行かれる方々がよく見えて、まだあんなに有るのか?!と気持ちが挫けますが、ここで引き返す訳にもいかず、体をごまかしごまかし登ります。

大山の自然を一杯、見ていただきたくて、今回は六合目までです。


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