2018/04/17

『出雲大社』を本当に紹介してしまってよいですか?

30000アクセス突破記念・出雲神仏霊場満願記念(といってもかなり前に満願していたのですが)!体の事も有りまして、これまでの取材では不足な部分も有ると思いますが、取材を埋もられさせない為にもこの辺で冒険してみようと考え、今回出雲神仏霊場第一番『出雲大社』をご紹介することにしました。もちろん、一回で終わるはずもありませんし、摂社等も含めるとかなりの連作に成るかも知れません。

出雲の国は「神々の国・神話の国」として良く知られています。その中心に有りますのが出雲国風土記に「所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)」と記載され、縁結びの大神、笑顔の大国様と慕われる「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」をお祭りする『出雲大社』です。

DSC_0132.jpg(兎はシンボルに成っていますね。)

まずは、その概要から説明して行きますが最初に驚くのは、創建が神代(じんだい・かみよ)とされる事ですか?ダーウィンの進化論を全く無視したこの神社は、日本一古い神社の一つといえます。因みに、伊弉諾が座した場所といわれる兵庫県淡路島の「伊弉諾神宮」や国譲り前後という物語の考え方からすると「諏訪神社」の方が古い事に成りますが、何分神代の事ですからね(笑)。

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【説明が本当に要りますか?『出雲大社』ってどんな神社】

PB020006.jpg(最初の大鳥居奥に二番鳥居も見えています。)

出雲大社(いずもおおやしろ、正仮名遣いでは「いづもおほやしろ」・いずもたいしゃ)は、島根県出雲市にある神社です。式内社(名神大)出雲国一宮で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人出雲大社教の宗祠です。

所在地:島根県出雲市大社町杵築東195
主祭神:大国主大神
社格等:式内社(名神大)出雲国一宮(出雲国にはもうひとつの一宮「熊野大社」が松江市に有ります)・旧官幣大社・勅祭社・別表神社

創建は神代とされる本殿の様式は大社造で、別名「杵築大社」と呼ばれています。出雲国神仏霊場一番札所!御本殿は「天下無双の大廈(たいか・りっぱな構えの建物)」と称えられています。平成12年に境内から巨木3本の束ね柱が出土し、古代伝承の地上48mといわれる壮大な空中神殿の様子が明らかに成っています。

DSC_0053.jpg(巨大な空中神殿がここに立っていました。)

古来、一般には「神宮」と言えば伊勢神宮、「大社」と言えば「出雲大社」の意味で、現存最古の全国神社帳所載の「延喜式(えんぎしき)」には唯一「大社」と称号されています。御祭神大国主大神は「国中第一の霊神」と称えられ、素戔烏尊(すさのおのみこと)の神裔(しんえい)として大己貴神(おおなむちのかみ)をはじめ多くの御神名で敬仰されています。

【出雲大社の名称】

古代より杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)と呼ばれていましたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称しています。正式名称は出雲大社サイトには「いづもおおやしろ」、出雲大社東京分祠サイトには「いずもおおやしろ」とあるようです(前者は新旧仮名遣いが混在、後者は新仮名遣い)。一般的には「いづもたいしゃ」と読まれ、複数の辞書・事典でも読みがなは「いずもたいしゃ」となっています(島根県民は「づ」を当たり前に使われているようです)。

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(大祭礼の期間です。まあしょっちゅう出かけていますのでね)

『色々な社名でのご紹介』

出雲石(石同)之曽宮(古事記)
天日隅宮・厳神之宮・出雲大神宮(日本書紀)
杵築宮(釈日本記)
出雲宮(八雲御抄)
杵築大神宮(和漢三才図会)
所造天下大神宮・天日栖宮(出雲国風土記)
大社杵築大神宮(国花万葉記)
杵築大社(延喜式)
出雲国大社(享保集成総論録)
日本大社(真言宗正林寺蔵版木)

【こんなこともあんなことも】

二拝四拍手一拝の作法で拝礼することは良く知られています。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社でした。創建以来、天照大神の子の天穂日命(誓約で産まれた五兄弟の次男に成ります。神様に次男とか有るのか?)を祖とする出雲国造家が祭祀を担ってきました。現在の宮司は84代国造千家尊祐で、國學院大學を卒業後太宰府天満宮を経て出雲大社禰宜→権宮司と昇格すると、2002年(平成14年)宮司に就任し翌年神社本庁より神職身分特級を拝受されています。

DSC_0010.jpg(国造家の分裂で現在の宮司は84代国造千家家ですが、北島家もあります。)

また、出雲大社宮司の正服の紋様は神社本庁の定める黒綾文輪なし裏同色平絹ではなく黒綾にご神紋である二重亀甲剣花角の文様を練り込んだものであり他には類を見ない物のようです。特級は黒袍(輪無唐草紋)、白奴袴(白八藤紋)、冠(繁紋)と決められているようですが、出雲国造は黒袍(亀甲剱花菱)、小豆色奴袴(剱花菱紋)、冠(繁紋)懸緒、紫打紐と特別扱いに成っています。

DSC_0060.jpg(今上陛下も大国主大神と親戚におなりにならえるはずですね(;^_^A)

現在も、皇室の者といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けています。約60年に一度行われている本殿の建て替えに際して、神体が仮殿に遷御された後に、本殿の内部及び大屋根が公開され一般人も本殿内を見ることが出来ます。前回の一般公開時に本殿の中をご覧になった知人のお話では、「中に入ると空気が変わる」そうです。

【祭神大国主神】

DSC_0229.jpg(大国主大神の名前は多いんですよね~笑)

祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)です。1142年(康治元年)在庁官人解状に「天下無双之大廈、国中第一之霊神」と記されています。神在月(神無月)には全国から八百万の神々が集まり神議が行われます(神在祭 旧暦10月11日~17日までです)。出雲へ行かず村や家に留まる田の神・家の神的な性格を持つ留守神(荒神等)も存在しているので、すべての神が出雲に出向くわけではないようですね(神様が全部いなくなるのかと思っていました。)。そのような神集への信仰から、江戸時代以降は文学にも出雲の縁結びの神様としてあらわれるほどに、全国的な信仰をあつめるようになりました。

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(稲佐の浜で行われる神迎え神事、日本は神々の国です。)

『祭神大国主神の別称』

大穴道神(「おおなむちのかみ)・三諸神(みもろのかみ)古事記での表記
大国玉神(おおくにたまのかみ)日本書紀での表記
杵築神(きずきのかみ)文徳実録での表記
国造神(くにつくらししかみ)大隅国風土記での表記
大穴六道尊(おおなむちのみこと)土佐国風土記での表記
大国魂命(おおくにたまのかみ)日本国風土記での表記
所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)
大地主神(おおとこぬしのかみ)
大国魂神 古語拾遺での表記
大穴持命(おおなもちのみこと)出雲国造神賀詞と出雲国風土記と伊予国風土記での表記
宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)
廣矛魂神(ひろほこみたまのかみ)
倭大物主櫛甕玉神(やまとおおものぬしくしかみたまのかみ)
国作之大神(くにつくらしのおおかみ)
国作坐志大穴持命(くにつくりまししおおむなちのみこと)出雲国造神賀詞での名。
出雲御蔭大神(いずもみかげのおおかみ)
国堅大神(くにかためまししおおかみ)
国占神(くにしめたまいしかみ)
出雲大神(いずものおおかみ)
芦原志拳呼命 播磨国風土記での表記
兵主神(ひょうずのかみ)
農耕祖神(たづくりのおやのかみ)
幽冥事知食大神(かくりごとしろしめすおおかみ)
縁結神(えんむすびのかみ) ・福神(ふくのかみ)・天下地主神(あめのしたとこぬしのかみ)・大国作神(おおくにつくらししかみ) 出雲や出雲大社での神名。

【祭神が大国主命じゃなかった?】

出雲国造新任時に朝廷で奏上する出雲国造神賀詞では「大穴持命(大国主大神)」「杵築宮(出雲大社)に静まり坐しき」と記載があるので、この儀式を行っていた平安時代前期までの祭神は大国主神だったのですがやがて、神仏習合の影響下で鎌倉時代から天台宗の鰐淵寺と関係が深まりました。

鰐淵寺は杵築大社(出雲大社)の神宮寺も兼ねています。鰐淵寺を中心とした縁起(中世出雲神話)では、出雲の国引き・国作りの神を素戔嗚尊としていた(出雲風土記の国引き神は八束水臣津野命)ことから、中世のある時期から17世紀まで祭神は素戔嗚尊だったようです。14世紀「当社大明神は天照大御神之弟、素戔嗚尊也。八又の大蛇を割き、凶徒を射ち国域の太平を築く。」と杵築大社(出雲大社)の由来が記され、1666年(寛文6年)毛利綱広(元就の嫡孫・毛利輝元の嫡孫・長州藩の第2代藩主)が寄進した銅鳥居に刻まれた銘文には「素戔嗚尊者雲陽大社神也」と記されていました。

さらには、鰐淵寺の僧侶が経所で大般若経転読を行い、社殿では読経もしています。また、江戸時代初期には社僧が寺社奉行と杵築大社(出雲大社)の運営管理に関する交渉を実施していたようです。

杵築大社(出雲大社)内は仏堂や仏塔が立ち並んで神事が衰微したため、寛文7年(1667年)の遷宮に伴う大造営の時、出雲国造家が神仏分離・廃仏毀釈を主張して寺社奉行に認められ、仏堂や仏塔は移築・撤去され、経蔵は破却されました。これに併せて祭神は須佐之男命から、古事記や日本書紀などの記述に沿って大国主大神が復活しています。

【神仏分離・廃仏毀釈の証人】

「住みたい田舎ランキング2018」の近畿部門でお隣の朝来市と毎年トップを分け合う養父市(実家、但馬は豊岡市の隣ですが)には出雲大社の神仏分離・廃仏毀釈の対象と成り、出雲大社の建て直しの為の木材を得るために、但馬に移築された名草神社三重塔(国の重要文化財)が有ります。

この三重塔は島根県出雲大社の境内に、出雲の戦国大名として有名な尼子経久が願主となって大永5年(1525)に起工し、同7年6月15日に竣工したものです(資料によって異説があります)。今回はあえて本物の写真は控えさせて頂きまして、国道9号線から豊岡市の城崎温泉や神鍋高原、出石等へ向かう国道312号線沿いの、八鹿町上小田の右岸道路との合流地点に、作られたレプリカで我慢して頂きます。本物は名草神社を取り上げる時にお見せしまします。

DSC_0009.jpg
(名草神社三重塔レプリカ)

【最後に一言】

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(さざれ石は小石が固まるほどの長い時間の経過を物語ります。)

今回出雲大社を取り上げた事で、改めて日本歴史の重みや深さを感じさせられました。皆さんの身近にも多くの歴史が埋もれて居ます。稚拙な文章ですが、私のブログでその楽しさに気づいて頂けたら嬉しいのですが。

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2018/04/09

西国三十三観音霊場を巡る!「第六番札所」『壺阪山 南法華寺(壺阪寺) 』

私事で恐縮ですが、白内障を患いまして、手術することにしました~f(^_^;。老化だと思っていましたが、どうやら突発的な症状で老化では無いことが判明しました。通勤で3時間程車の運転をするので見えにくいと非常に目が疲れます。ブログUPのペースが落ちている事もPC画面に向かうのが辛いせいも有ります。勿論病院での検査等に時間を割かれていることも有りますし、その他の病気でも通院したりと中々厳しい状態が続いています。

手術は5月です~(*^^*)。日帰りなので心配はしていないのですが、富山市の学会に行く予定がキャンセルに成ったのが残念です(ToT)。そこで今回は目にとてもご利益の有るお寺をご紹介して、私も厄祓いしたいと思います。

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(そびえたつ観音像)

西国三十三観音霊場の第六番札所『南法華寺(壺阪寺)』です。こちらはバスツアーで訪れました。南法華寺(みなみほっけじ)は、奈良県高市郡高取町にある真言宗系の単立寺院です。山号は壺阪山、一般出的には壺阪寺(つぼさかでら)の通称で知られています。703年(大宝3年)創建と伝えられ、私も現在患っている、目にとてもご利益があるお寺です。

本尊十一面千手観世音菩薩は眼病に霊験があるといわれ、お里・沢市の夫婦愛をうたった人形浄瑠璃『壺坂霊験記』の舞台としても有名です。園内には養護盲老人ホーム「慈母園」があり、他にも国の内外で福祉事業を展開しています。

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【南法華寺(壺阪寺) ってどんなお寺?】

CIMG9286.jpg(仁王門、建暦2年「1212年」建立、入母屋造、本瓦葺。)

草創については不明な点が多いようですが、伝承によれば大宝3年(703年)に元興寺の弁基上人により開かれたとされます。京都の清水寺の北法華寺に対し南法華寺の名前を持ち、長谷寺とともに古くから観音霊場として栄えています。

所在地:奈良県高市郡高取町壺阪
山号:壺阪山
宗派:真言宗系単立
本尊:十一面千手観世音菩薩
創建年:大宝3年
開基:弁基上人
正式名:南法華寺
別称:壺阪寺
札所等:西国三十三所第6番・神仏霊場巡拝の道第38番

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(多宝塔、大日如来坐像安置・平安時代作)

【人形浄瑠璃・文楽や歌舞伎で演じられる『壺坂霊験記』ってどんなお話?】

CIMG9290.jpg(慈眼堂です。しっかりお詣りしたはずですがね~?)

今より三百年以上昔(江戸時代・元禄頃)、座頭(検校、別当、勾当、座頭の四つの盲人階級・位階の一つ)の沢市は三つ違いの女房お里と貧しいながらも仲睦まじく暮らしていました。沢市は盲目ゆえ琴三味線を教え、お里は内職をしてつつましく暮らしていました。そんな沢市の胸中に一つ不安が生まれます。というのも午前四時(明けの七つ)になると、お里が毎晩床を抜け出していなくなっていたのでした。

「もしや好きな男が出来たのではないのか?」と問いただすと、お里は沢市の目の病が治るよう、この三年もの間欠かさず壷阪寺の観音様に朝詣でをしていると話します。愛しい女房を疑った自分を恥じる沢市はともに観音様にお参りすることにしましたが、心の中は盲目がゆえに不遇な暮らしをしているのだと自分を責め続けます。そして、一度お里を家に帰して、お里を自由な身にしてやろうと考え、自分の身を谷へ投げてしまうのでした。不吉な予感であわてて戻るお里は、非常な現実に遭遇し、自らも身を投げてしまいます。

しかし、二人のせつない夫婦愛が、観音様の奇跡を呼び起こします。霊験により沢市・お里は助かったばかりか、沢市の目が開眼し完治します。本堂横手には、そのお里・沢市が身を投げた、投身の谷と言い伝えられている谷がありました。

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(大釈迦如来石像)

【もうひとつの伝説「さよ姫伝説」】

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(重要文化財、三重塔・室町時代の明応6年「1497年」の建立)

壷坂の村に住む姫君「さよ」が、尊い聖の説法にでかけ、親孝行する者には仏神が感応すると聞きます。 貧しくて父親の十三回忌に何もできないのを悲しんでいると、たまたま陸奥国の商人が15~16歳の女性を買いに来ます。さよは進んで我が身を売り、そのお金で父親の菩提をとむらいます。母を残して遠い陸奥国まで来たさよは、15~16歳の女性が必要とされた理由を知ることになります。

ここでは毎年、大蛇に人のを供えなければならず、ある親が娘の身代わりを求めていたのでした。 定められた池の中嶋で待つと、やがて長さ10丈(30メートル)もある大蛇が現れます。 しかしさよが御経を読むと、経典読誦と親孝行の功徳により、大蛇は成仏を確信して歓喜し、さよを乗せて天に昇って行きました。

さて、この「さよ姫伝説」実はさよは弁財天、大蛇は実は壷坂の観音菩薩であり、末世においても信心があれば二世安楽うたがいなしと結んでいます。

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(八角円堂・本堂の御本尊、十一面千手観世音菩薩座像・撮影可)

【最後に一言】

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(天竺渡来 大観音石像)

人形浄瑠璃・文楽の歴史は意外と新しく1600年代の後半、だそうです。もっと古いかと思いましたが、盲目の夫とその開眼を祈る妻の夫婦愛物語『壺坂霊験記』も、明治時代に作られた話です(モデルはあったかも?)。しかしながら当時の人気は相当に大きかったようで、壺阪寺に多くのファンが訪れたようです。

壺阪寺はインドとのつながりが深く、本尊の十一面千手観世音菩薩像もなんとなくインドの感じがありますよね。インドでの救ライ事業への尽力に対する返礼として1983年3月に贈られた「天竺渡来大観音像」は、大理石造り、高さ約20m、総重量1200トンの壮大な仏像です。

CIMG9299.jpg(天竺渡来 大涅槃石像、寝ている観音様は珍しいです。)


私的には、日本らしくない感じのお寺でした(信心は形ではないといつも言っているのにね~)。こんな事を書くから私には観音菩薩の霊験(神仏の不思議で測り知れない力のあらわれ、祈りに対して現れる利益)が無いのかもしれませんね~~(;^_^A。
御朱印集めに参加した当時の私は、まだブログを書いておりませんでした。写真が偏っていることお許し願います。

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2018/03/21

牛頭大王は平清盛か?祇園神社の祇園祭!

今日は迷いました~~長男の誕生日(17日で大分過ぎてるんですが)をアップして、イベントスイーツブログを続けるか?祇園神社 (神戸市兵庫区)を取り上げて、寺社仏閣を紹介し、本線の歴史ブログに戻る方が良いのか?結論は、祇園神社(ぎおんじんじゃ)を取り上げました。祇園祭といえば、京都八坂神社の「祇園さん」ではありませんか?神戸っ子は神戸市兵庫区上祇園町にある祇園神社の祇園祭が有名なんです。

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(平野商店街にある平清盛像誰かに似てますよね!モデル松ケン?)

神戸大学病院前を2キロメートル程有馬街道を進むと、六甲山の登り口に神社が有ります。実は神戸大学医学部での出向仕事で10年近く過ごしたので、この祇園神社の祇園祭には三回程行ったことが有ります。

その、有馬街道の六甲山登り口は平野という場所で、平清盛の邸宅が有ったといわれています。何かしら関係が有るのでしようか?

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【何故こんな所に祇園神社?】



P3100823.jpg(平清盛像から150m、此処駐車場が無くて中々お邪魔できませんでした。)
P3100963.jpg(境内までは88段、へっちゃらです。ぜ~ぜ~!)

所在地は兵庫県神戸市兵庫区上祇園町です。大倉山公園(神戸大学病院の東側)の北に位置する祇園山中腹に鎮座し、境内までは88段(金比羅神社を先日お詣りした私にはへっちゃらです)の急な石段が続きます。地元では「平野の祇園さん」と呼び習わされ水難除け・疫病退散・厄除け・大願成就に神徳があるとされています。毎年7月に8日間にわたって行われる夏祭りには、多数の参詣客が訪れます。

御祭神は、素戔嗚尊・櫛稲田姫命の御夫妻神です。明治の神仏分離令以前は素戔嗚尊は牛頭天王と同一視されていました。御朱印は「牛頭天王」の文字が中央にあります。周囲には牛頭天王に起源を持つと思われる天王川、天王橋、天王谷、天王温泉などの地名が残っています。

【牛頭天王って誰?】

P3100832.jpg(なんでも習合させてしまう、日本の和の文化?凄いのか~笑)

牛頭天王(ごずてんのう)は日本における神仏習合の神さまです。釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされています。蘇民将来説話の武塔天神と同一視され薬師如来の垂迹であるとともに素戔嗚尊の本地ともされています。

京都東山祇園や播磨国広峰山に鎮座して祇園信仰の神(祇園神)ともされ現在の八坂神社にあたる感神院祇園社から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られています。また陰陽道では天道神と同一視されていて、道教的色彩の強い神様なのですが、中国の文献には見られません。

【神社縁起】

P3100887.jpg(お詣りはこちらで!)
P3100906.jpg(やっぱりこちらでもね。)
P3100891.jpg(平清盛がいつも、悪役なのは勝ち組の策略だ~!)
P3100923.jpg(神殿、男神仕様です。)

869年(貞観11年)、京で鴨川が氾濫し疫病が蔓延したとき、行疫神として名高い素戔嗚尊を姫路の広峯神社より北白川瓜生山の東光寺に勧請することとなりました。その時、広峯社の神輿が平野の地で一泊した地に社殿を建て、分霊を崇め奉ったところが「祇園神社」創建の由来とされています(広峯神社も是非訪れたい神社のひとつです。)。

素戔嗚尊は仏教で祇園精舎の守護神とされている牛頭天王と同一視されたため、祇園神社はまた天王社とも呼ばれました。広峯社から東光寺に勧請された牛頭天王の分霊は、のちに京都八坂の地に遷宮され「祇園感神院(現在の八坂神社)」となりました。ただし現在、八坂神社は広峯社を祇園神の本社とする主張を否定しています(「元祖」と「本家」みたいなものですかね?)。

【蘇民将来護符】

800px-Sominshorai[1]
(wkiよりお借りしましたが、ちょうどここの祇園神社の物でした。紙ではなく、こけしのようですが、護符です。)

蘇民将来(そみんしょうらい、非略体: 蘇民將來、蘓民將耒、 ~将耒、等)とは日本各地に伝わる説話、およびそれを起源とする民間信仰です。こんにちでも「蘇民将来」と記した護符は、日本各地の国津神系の神(おもにスサノオ)を祀る神社で授与されており、災厄を払い、疫病を除いて、福を招く神として信仰されています。

また、除災のため、住居の門口に「蘇民将来子孫」と書いた札を貼っている家も少なく有りません。なお、岩手県県南では、例年、この説話をもとにした盛大な蘇民祭がおこなわれます。陰陽道では天徳神(天道神)と同一視されています。

蘇民将来は祇園信仰と深い関わりがある護符(お守り)で、八坂神社や信濃国分寺など祇園信仰と関係が深い寺社で頒布されています。護符には「蘇民将来子孫也」などの文言が記されており邪鬼退散・疫病除けに霊験があるといわれます。

【今年の祇園祭】

今年も7月13日~20日までの8日間、疫病や水難などの災厄から逃れ、無事厳しい夏を過ごせるようにと祈願する夏祭りが斎行されます。この祭は「平野の祇園さん」と呼ばれ、神戸市内は元より阪神間や明石・三田方面から浴衣姿のカップルやご家族連れなど多数の方が訪れ、期間中は延べ8万人の参拝者で賑わいます。

神社境内やその周辺道路には、タコ焼きやイカ焼き・綿菓子・金魚すくいなど、約100軒の露店が所狭しと軒を連ね、老若男女が童心にかえり、暑さを忘れて楽しんでいます。また、緋色の袴をはいた巫女さんのお神楽の笛や虫の音が、どこか懐かしい郷愁を誘い、神戸の夏の風物詩として皆様に親しまれています。

私も、仕事が一段落した日には何度か訪れました。どうしても用事が有ったので私社の後輩にリンゴ飴(好きなんですよね、今はブドウや苺も有るようですが)を二個頼んだんです。翌日社に届けてくれたリンゴ飴はべとべとに変わっていました。どうした?の私の質問に、入社したばかりの後輩は、「悪く成ったらいけないと思って、冷凍庫に入れたら・・・」との返事、「確かに飴は大丈夫かもしれませんが、リンゴは凍結するやろがい~~(;^_^A」。懐かしい笑い話も思い出しました。

P3100880.jpg
(面白い物が有ったのでご紹介します。風力発電機です。日本の風は強いので活躍してくれるといいですね。)

【最後の一言】

平清盛の銅像が平野商店街の交差点に設置されています。現在の平野界隈は、港側のハーバーランド(モザイク)や三ノ宮にはかないませんが、平安末期には福原遷都が行われて、御所は勿論平清盛の邸宅や清盛一族の邸宅で大きな賑わいを見せていました。7月の「祇園祭」は是非古き良き時代の神戸を見に(現在は昭和の香り満載ですが、笑)、どうぞお誘いあわせご参拝頂き、神戸の夏の風情を満喫して下さい。

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リュミエールブラン ネージュ

2018/02/22

西国三十三観音霊場七番札所 日本最大の塑像「如意輪観音像」『岡寺』

今日はこそっと、オリンピックの影に隠れて、バスツアーでしっかりフィールドワーク出来なかった?明日香の『岡寺』をご紹介します(こそっとね!)。

CIMG9267.jpg(重要文化財の仁王門)

その前に、オリンピックネタなのですが、女子スピードスケート500mで、銀メダルを獲得された、韓国の李相花(イ・サンファ)選手に拍手を送りたいので少しお話させて頂きます。金メダル小平奈緒選手の表彰式。銀メダルの韓国の李相花(イ・サンファ)選手は、日の丸が一番高い所に上がり、君が代が流れる中、胸に手を当てて敬意を表してくださっていました。気がつかれた方居られましたか?

私はどちらかというと、寺社仏閣巡りをしているからというわけでは無いですが、日本という国が大好きですし、誇りに思っています。右寄りって事に成るのかな?但し、出来る限り中立の立場を保ちたいので、近代史(特に先の大戦)についてはお話を避けています。いつかは書かなければならないテーマだと思いますが、まだ力不足だと考えているからです。

私の両親は教師でしたが、別段左寄りの育て方(教育)はされませんでした。祝日は必ず日の丸を飾っていました(田舎の事ですから)。実家の新聞は昨年の秋まで朝日新聞でしたけどね(笑)、私の妻も教師なので、若い頃は何度か「日の丸・君が代」について、話した事も有りますが、妻も今では私の考え方を理解してくれています。妻には、考え方を押し付ける事なく、教え子が大人に成って自分で判断できる教育をして欲しいと思っています。勿論、妻はそんな事当たり前だと笑われるかもしれません。わざわざここで書く必要もないです。(笑)


少し話がそれてしまいましたが、小平奈緒選手のメダル授与式に戻ります。国旗(あれは違うという方も居られるかもしれませんがm(__)m)が掲揚され、国歌(君が代の君は天皇で宗教的だと思われる方m(__)m)が流れる中、金メダルを獲得した、小平奈緒選手の国、日本の国旗と国歌に敬意を表された、韓国の李相花(イ・サンファ)選手が素晴らしく素敵で感動しました。二人の友情が国家の壁を越えたのでは無いでしょうか?李相花さんに日本人の一人として、感謝申し上げますm(__)m。

サッカー日本代表も肩組むの止めて、胸に手を当てた方が良いような気がするのは、私だけかな?キングカズは胸に手を当てていたと思いますが?

さて本題に戻って、西国三十三観音霊場七番札所『岡寺』のご紹介です(長いプロローグに成りました(;^_^A)。

それでは、『市郎右衛門』のオリンピック金メダル祈願ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
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【岡寺ってどんなお寺なの?】

CIMG9265.jpg
(お寺への道が結構急なので滑ると危ないです。)
CIMG9268.jpg(御手水から上に寺務所きれいなお寺です。)

岡寺(おかでら)は、奈良県高市郡明日香村にある真言宗豊山派のお寺です。山号は東光山、寺号は龍蓋寺(りゅうがいじ)とも称されます(寺号については後述)。正式名称は、東光山真珠院龍蓋寺と呼ばれます。本尊は如意輪観音で、西国三十三所第七番札所と成っています。

伽藍所在地:奈良県高市郡明日香村岡806
山号:東光山
宗派:真言宗豊山派
本尊:如意輪観音
創建年:7世紀末頃
開基:伝・義淵別称龍蓋寺
札所等:西国三十三所7番

文化財:義淵僧正坐像(国宝/奈良国立博物館寄託)、仁王門・書院・如意輪観音像ほか(国の重要文化財)、本堂・楼門(奈良県指定有形文化財)

【ちょぴりバスツアー話】

阪神間(神戸~西宮~大阪)からの出発の場合、何処の会社のバスツアーでも大体(その日のツアーの混み具合で、後先が変わる事もあります。)一日巡りの第三回目は、下に示したような感じて巡ります。一回目は、青岸渡寺(那智の滝)で、全十二回(全て日帰り)で満願と成ります。

5番札所・葛井寺(ふじいでら)
8番札所・長谷寺(はせでら)
番外番札所・法起院(ほっきいん)
7番札所・岡寺(おかでら)
6番札所・壷阪寺(つぼさかでら) 

番号が順番通りでは無いのは、交通網の問題です。先日法起院をご紹介したので、すく近くの長谷寺が流れ的には良いのですが、長谷寺のある初瀬山は牡丹の名所であり、4月下旬~5月上旬は150種類以上、7,000株と言われる牡丹が満開になります。
私が訪れたのは、たしか夏だったと思うので、美しい牡丹を皆さんにご紹介出来ないのもどんなもんだろうと思い、もう一度行って美しい牡丹をご紹介しようと思った次第です。実は飛鳥の石舞台のすぐ傍なんです。しかしながら西国三十三観音霊場札所巡りのツアーなのでこの時は涙をのみました。(笑)

【さて歴史です】

寺伝によると創建は1350年前。飛鳥時代の頃、日本の政治と宗教の中心地だった飛鳥地方を見渡せる岡山の中腹に、当寺日本仏教界の最高位に居た義淵僧正が建てたということは、信仰のあつさも察するべくです。

『東大寺要録』「義淵伝」、『扶桑略記』等によれば、天武天皇(壬申の乱の大海人皇子です。)の皇子で27歳で早世した草壁皇子(天武天皇と皇后「鸕野讃良皇女・後の持統天皇」の皇子)の住んだ岡宮の跡に義淵僧正が創建したとされます。この時、同時に龍門寺なども建立されました。歴史史料上の初見は、天平12年(740年)7月の写経所啓(『正倉院文書』)です。

現在の寺域は明日香村の東にある岡山の中腹に位置しますが、寺の西に隣接する治田神社(はるたじんじゃ)境内からは奈良時代前期にさかのぼる古瓦が発掘されており、創建当時の岡寺は現在の治田神社の位置にあったものと推定されています。寺跡は平成17年(2005年)に「岡寺跡」として国の史跡に指定されました。

現在では真言宗豊山派の寺院ですが、義淵僧正は日本の法相宗の祖であり、その門下には東大寺創建に関わった良弁や行基などがいます。義淵僧正が法相宗の祖とされていたため、江戸時代までは興福寺の末寺でした。江戸時代以降は長谷寺の末寺と成っています。

【寺号について】

CIMG9276.jpg(手前が開山堂、奥が本堂です。)
CIMG9275.jpg
(昭和61年に実に514年ぶりに再建された三重宝塔)

上記のように、当寺院には「岡寺」「龍蓋寺」の2つの寺号があります。「岡寺」は地名に由来する寺号、「龍蓋寺」は法号に成ります。仁王門前の石柱には「西国七番霊場 岡寺」とあり、通常はもっぱら「岡寺」の呼称が用いられています。宗教法人としての登録名も「岡寺」です。そのため、重要文化財建造物の指定名称は「岡寺仁王門」「岡寺書院」となっています。「龍蓋寺」の法号は龍蓋池に封じた竜の説話に由来しています。

CIMG9279.jpg
(池の向こうに十三重石塔)
CIMG9278.jpg(「龍蓋寺」の法号は龍蓋池に封じた竜の説話にちなんでいます。)

【文化財がいっぱいなのですが~!】

『国宝』 

木心乾漆義淵僧正坐像(奈良時代)。目尻が垂れ下がり、皺の多い独特の容貌、あばらの浮き出た胸板などを写実的に表現しています。奈良国立博物館に寄託されています(つまり見られません)。

『重要文化財』

仁王門 慶長17年(1612年)再建されました。

書院 寛永21年(1644年)建立です。

CIMG9280.jpg
(本堂内は撮影禁止でしたので、外から撮影させていただきました。)
CIMG9277.jpg(本堂)

「ご本尊の塑造如意輪観音坐像( 奈良時代)」、現存する日本最大の塑像(土で出来た仏像)とされ、約1200年前に弘法大師が、インド・中国・日本という仏教伝来のルートでもある三ヵ国の土を用いて造ったといわれています。そんな逸話を持つ仏像が、シルクロードの東の終着点とされる飛鳥の地に安置されているなんて、不思議な縁を感じます。その大陸風の雰囲気のお顔立ちは、像高4.85mというサイズ以上に壮大な物語を感じさせてくれます。

胎内にはかつてのご本尊金銅の「如意輪観音菩薩像」が納められていたと伝わります。如意輪観音像は6臂の坐像に表すものが多いが、本像は石山寺本尊などと同様の2臂像です。頭部は造像当初のものを残しますが、体部は補修が多く、脚部は本来、石山寺本尊像と同様の半跏像(台座に腰をおろし、右足を曲げて左足の膝頭に載せ、右手を曲げて指先を頬に当てて思索にふける姿の像)であったものを現状のような坐像に改めたものです。

【最後に一言】

仏教の伝来はインド~中国~朝鮮~日本と伝来したわけですが、インドの宗教はヒンドゥー教徒が圧倒的多数を占めていて、 次にイスラム教、キリスト教です。中国は国を統一する有力な宗教というものはなく、国教というものが曖昧な国です。第2次世界大戦が終結してから共産党が政権を握り、このような無宗教の空気は更に色濃くなっています。朝鮮(北の宗教って?ある意味怖い)、ここでは韓国を代表とさせていただきます。韓国で多数を占めるのは仏教とキリスト教です。現在、この二つで韓国全国民の50%だといわれています。しかし儒教の倫理思想と巫俗(ふぞく)と呼ばれるシャーマニズムの影響が大きいのです。

つまり本来の仏教を受け継いでる国は日本なのです。仏教は本来人間の生き方を問う宗教です。どのように生きて仏に近づくにか?その答えの一つを今回、韓国の『李相花(イ・サンファ)選手』に教えられた気がしますね~!

今女子パシュート決勝!私の予言通り気メダル取りました~~~~~~~~!やった~~~~~!

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リュミエールブラン ネージュ

2018/02/17

今日だからこそ行っとこ!羽生結弦選手ファンの聖地 『弓弦羽神社』

皆さ~ん平昌オリンピック見てますか~?人気日本選手が中々金メダル取れないので、イライラしてないですか?やっぱりフィギュアスケートの羽生結弦選手に最初の金メダル期待しましょう。昨日ショートプログラム完璧でしたね~ということで今日は朝からこちらの神社にお詣りしてきました。『弓弦羽神社』 です。名前が似ているということで羽生結弦選手の活躍を期待するファンで人気急上昇だそうです。問題は今日のライブ放送、フリーの演技が13:30頃ということで、御朱印をもらうまで待ってられませんでした。お詣りと写真だけ撮って帰宅!我が家から往復一時間程なので助かりました。つまり時間が無いのです。

P2170005.jpg(朝7時ですが参拝に訪れる方もおられました。結構待ちました。笑)

羽生結弦選手ファンの聖地との題名は、御祭神の伊弉册尊と事解之男命・速玉之男命に失礼かもしれませんが、羽生結弦選手なので許してもらえると信じています。 平昌冬季五輪のフィギュアスケート男子で、66年ぶりの連覇の期待がかかる羽生結弦選手と名前が似ていることからファンの間で「聖地」となっている、『弓弦羽(ゆづるは)神社』(神戸市東灘区)には多くのファンが訪れ、「けがを乗り越え金メダルを」などの応援メッセージを記した絵馬を奉納し、その数は1000枚を超えているそうです。本日のフリーの演技を目前に控え、けがからの復活を成し遂げて金メダルを~のファン「神頼み」の思いは、叶うのでしょうか?

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【弓弦羽神社】

P2170080.jpg(拝殿です。失礼ですがイメージしていた物と違って立派な神社です。)
P2170017.jpg(御水舎、水の出口は八咫烏です。)
P2170021.jpg(さすが神戸の高級住宅地、神社に犬の御手水が、笑神社で初めて見た!)
P2170032.jpg(狛ちゃんカッコイイですね~申し訳ないですが阿像だけです。)
P2170047.jpg(矢を持つ八咫烏!いいですね~。)
P2170059.jpg(朝早かったので朝日に照らされて綺麗です。)

弓弦羽神社(ゆづるはじんじゃ)は、兵庫県神戸市東灘区御影郡家にある神社です。旧社格は村社となります。

所在地:兵庫県神戸市東灘区御影郡家2丁目9番27号
主祭神:伊弉册尊・事解之男命・速玉之男命
社格等:村社
創建:嘉祥2年(849年)
本殿の様式:流造
例祭:10月15日

【御祭神】

P2170040.jpg(ご由緒です。)
P2170049.jpg(ちょっとゆず丸君欲しくなりました。)

熊野三山に祀られる神である伊弉冉尊(那智大社)・事解之男命(本宮大社)・速玉之男命(速玉大社)を祀り、「根本熊野三所大神」と総称されています。天照皇大御神・素佐男尊を配祀すると記載されていました。八咫烏をシンボルとしています(ゆるキャラ?ゆず丸君可愛いです)。

IMG_6107.jpg
(これは出雲の黄泉平坂、黄泉の国との境です。)
IMG_6110.jpg
(神跡!ここで伊邪那岐と伊邪那美、別れの場所です。ハデスがペルセポネーを連れ去る場所が世界にありますか~?)

伊弉册尊(イザナミノミコト・那智大社)ちょと珍しい記載方法ですね。

事解之男命(コトサカノヲノミコト・本宮大社)黄泉の国から逃げ帰る「伊邪那岐神」が吐いた唾を掃きはらって生まれたとされる神です(縁切りのシーンですね)。 掃きはらったことで、事物を明らかにし事態を収拾させる神とも、魔を祓う神とも言われています。『伊邪那岐神』、『須佐之男命』と共に全国の熊野神社に祀られている事が多い様です。

速玉之男命(ハヤタマノオノカミ)、速玉男命を紹介するときに決して無視することのできない神様がおられます。それが熊野古道や熊野詣で有名な熊野三山の一つ「熊野速玉(新宮)大社」の主祭神である「熊野速玉大神」です。同一視されてしまうことが多いのですが、熊野速玉大神は伊弉諾尊の別の名前であり、速玉男命とは違う神様であるとされています。ちなみに、速玉男命は日本書紀にしか出て来ません。

しかしながら「熊野本宮大社」で伊弉諾尊とともに祀られている「速玉之男命」は「事解之男命」と同一人物だと思われます。黄泉比良坂で離縁することになった二神、その約束をかためるためにはいた唾(つば)から生れたのが、「速玉之男命」同じですね。『弓弦羽神社』のご由緒には速玉之男命(速玉大社)を祀りとあるので、伊弉諾尊の事かもしれませんね。羽生結弦選手が金メダル取られましたら、お礼参りと共に御朱印も頂き、御祭神「事解之男命」「速玉之男命」「伊弉諾尊」の関係についても聞き取り調査してきます。

【勿論歴史の勉強もちゃんとね】

P2170089.jpg(流造の神殿)

神功皇后の三韓征伐中に筑紫で誉田別尊(ほむたわけのみこと・応神天皇)を出産され、その帰途出産を聞いた麛坂皇子と忍熊皇子が挙兵したことを知り、この地で弓矢・甲冑を納めて熊野大神に戦勝を祈願しました。弓矢・甲冑を納めたということから、当社背後の山を「弓弦羽岳」「武庫山」(後に「六甲山」の字が宛てられた)と呼ぶようになりました。つまり「六甲山」の名前が神功皇后や「弓弦羽神社」の由来に関係するということですね、これは知りませんでした。(驚)

延暦年間(782年 - 805年)に弓弦羽の森が神領地と定められ、嘉祥2年(849年)、社殿を造営し遷座しています。平安中期以降は熊野信仰の隆盛に伴い崇敬を集めました。17世紀に入ると、灘地方で酒造家の創業が相次ぎ、造酒・回船業の氏子を集め繁栄しています。

日本酒の名産地である灘五郷にあり、氏子には造酒メーカーも多いようです。新年に菊正宗、白鶴、剣菱の奉納した樽酒がふるまわれるほか、メーカーの醸造祈願祭も行われています。

【弓弦羽神社とスポーツ】

前述しましたように、弓弦羽神社は八咫烏をシンボルとしている御縁から、日本サッカー協会も同じ八咫烏をシンボルとしていること、また日本初のサッカーチームが近隣の御影師範学校(新制神戸大学教育学部「現・発達科学部」の前身の一つとなった)で編成されたという地縁もあり、境内に御影石製のサッカーボールが設置されていました(寄進はINAC神戸レオネッサとビッセル神戸のようです。)。神戸を本拠地とする女子サッカークラブのINAC神戸レオネッサがシーズンイン前に必勝祈願を行うことでも知られます。

P2170061.jpg(INAC神戸レオネッサとビッセル神戸奉納の八咫烏付きサッカーボール。)
P2170054.jpg(絵馬掛けですが、羽生結弦選手人気凄いですね~。修正してないので拡大禁止です。見えないかな?)

さあここです。フィギュアスケート選手の羽生結弦が、ファンからのお守りで、名前の似た当社の存在を知って2011年7月に参拝したこともあり、とりわけソチオリンピックでの羽生結弦選手の活躍を祈願しての絵馬が多数かけられ、金メダルを獲得した直後には参拝者が20倍になったといわれます(羽生結弦選手さまさま、明日のお礼参りはやめた方が良いかも、笑)。そのこともあり、年々羽生結弦選手を応援する参拝者が増加し、羽生ファンの聖地と呼ばれるようになっており、神社に奉納される絵馬の7割近くが羽生を応援し、必勝祈願をするものだそうです。

【最後に一言】

結果がどうであっても、国民に夢を与えてくれる選手の皆さんには本当に敬意を表したいです。前回のソチオリンピックの羽生結弦選手の演技は正に陰陽師そのもので、鳥肌が立ちましたね(京都の晴明神社も行っといたほうが良かったんじゃないかな)。私的には羽生結弦選手は勿論ですが、パシュートの金メダル期待してます。チームプレイが日本の和の精神を本当に良く表しています。日の丸が真ん中に上がり、君が代が流れると必ず涙が出てしまいます。君が代や日の丸を認めない方もおられるでしょうが、日本国に対する愛と誇りは持っていただきたいと思う市郎右衛門でした。

P2170074.jpg(白梅が綺麗に咲いてました。この梅の花のように、満開に花開け日本選手~~~~!)


スポーツって本当に面白いですよね。4年に一度のオリンピックですしね~(笑)
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