2017/03/16

涙脆い人はハンケチをご用意下さいね!平敦盛『首塚』

前回に引き続き平敦盛ゆかりの場所を御紹介させて頂きます(^人^)。

「敦盛」と言えば「人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり~。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか~~。」の「織田信長」の幸若舞で有名ですが、原作とは少し?意味合いが違い、信長の創作?らしいですよ~(嘘でしょ~って感じです(^^;)

引き続き、「平家物語」の中でも、最も涙の量が多くなる?「巻第九~敦盛最後」ゆかりの地から、須磨寺の「平敦盛の首塚」を御紹介します(。´Д⊂) 
涙脆い人は注意してね~の第二段です。

P2220146.jpg(須磨寺奉納額より、敦盛青葉の笛を奏でる。)

其では、『市郎右衛門』の日本歴史ブログをお楽しみくださいね。 
ブログランキングならblogram

👆絶賛ランキング参加中!四つのバナータグを「 ぽちっと」クリックして応援お願いします|o´艸)。oO(Thank you)。
バナーをクリックいたしますと、ランキングページに移動します。そこで慌てないでくださいね~(笑)
市郎右衛門は現在すべてTOP10に入っておりますので、そちらをもう一度クリック頂きますとブログに戻れます(^人^)。


幸若舞の演目のひとつ「敦盛」は前回御紹介した「平家物語」のお話と少し?相違点がようなので、御紹介します(作者と製作年は不詳ですね)。

【ストーリー】

1184年(元暦元年)(平家方の呼ぶ寿永2年)、治承・寿永の乱(源平合戦)の一戦である須磨の浦における「一ノ谷の戦い」で、平家軍は源氏軍に押されて敗走をはじめます。
 平清盛の甥で平経盛の子、若き笛の名手でもあった平敦盛は、退却の際に愛用の漢竹の横笛(青葉の笛・小枝)を持ち出し忘れ、これを取りに戻ったため退却船に乗り遅れてしまいます。
出船しはじめた退却船を目指し渚に馬を飛ばす敦盛、退却船も気付いて岸へ船を戻そうとしますが、逆風で思うように船体を寄せられません。
敦盛自身も荒れた波しぶきに手こずり馬を上手く捌けずにいました。

そこに源氏方の熊谷直実が通りがかり、格式高い甲冑を身に着けた敦盛を目にすると、平家の有力武将であろうと踏んで一騎討ちを挑みます。
敦盛はこれに対して受けあいませんでしたが、直実は将同士の一騎討ちに応じなければ兵に命じて矢を放つと威迫します。
多勢に無勢、一斉に矢を射られるくらいならと、敦盛は直実との一騎討ちに応ました。
しかし実戦経験の差は歴然、百戦錬磨の直実に一騎討ちでかなうはずなく、敦盛は捕らえられてしまいます。

直実がいざ頸を討とうと組み伏せたその顔をよく見ると、元服間もない紅顔の若武者、名を尋ねて初めて、数え年16歳の平敦盛であると知ります。
直実の同じく16歳の息子熊谷直家は、この一ノ谷合戦で討死したばかり、我が嫡男の面影を重ね合わせ、また将来ある16歳の若武者を討つのを惜しんでためらっていました。
これを見て、組み伏せた敵武将の頸を討とうとしない直実の姿を、同道の源氏諸将が訝しみはじめ、「次郎(直実)に二心あり!次郎もろとも討ち取らむ」との声が上がり始めたため、直実はやむを得ず敦盛の頸を討ち取ります。

一ノ谷合戦は源氏方の勝利に終わりましたが、若き敦盛を討ったことが直実の心を苦しめ事に成ります。
合戦後の論功行賞も芳しくなく同僚武将との所領争いも不調、翌年には屋島の戦いの触れが出され、また同じ苦しみを思う出来事が起こるのかと悩んだ直実は世の無常を感じるようになり、出家を決意して世をはかなむようになります。

という具合です。
敦盛最初は逃げたんですね、幾つか相違点が出てきました。
此方の方が美化が少なくて、現実に近い感じがしますし、直実の無情感の出所を克明に描いていますね。




P2220206.jpg(須磨寺の庭に、合戦のシーンが再現されています。)
P2220207.jpg(呼び止められる敦盛像)
P2220208.jpg(勿論呼び止める直実像)

【人物紹介です前回もしましたが...】
「平敦盛」(1169~1184)父は平経盛、平清盛の甥にあたる。
従五位下に叙せられるが官職につかなかったため、無官大夫と呼ばれます。
笛の名手とされ、愛用の青葉の笛は、祖父の平忠盛が鳥羽院より下賜されたものでだそうです。
この一ノ谷の合戦が初陣、兄(経正・経俊)も一ノ谷の合戦で討死しています。

「熊谷直実」(1141~1207)武蔵国熊谷の御家人、源頼朝の挙兵直後より源氏方となり、各地を転戦します。
一ノ谷の合戦で平敦盛を討ち取る功績を挙げるが、同時に戦いの無常を知り、徐々に仏門への帰依の念を強めていきました。
建久3年(1192年)に相続争いの裁定を不服として出奔、翌年、浄土宗開祖「法然」の弟子となって出家し、名を蓮生とし、後は浄土宗の普及に努めます。

【須磨寺の『敦盛首塚』と平家関連史跡の紹介】

大師堂傍らの池は「敦盛首洗い池」、その背後には、合戦終了後、義経が池の前に腰を掛けて平家武将らの首実検をした名残という「義経腰掛の松」があります(この5年後、義経自らが鎌倉で首実検されるとは、思いもよらなかったでしょうが(((^_^;))。

P2220197.jpg
(義経首実検、腰掛の松です。前に首洗いの池が在るのですが、撮影し忘れてます(;^_^A)

敦盛の首は「須磨寺」で実検を終えると葬られ、その境内に「首塚」が建てられ祀られました。

P2220158.jpg(敦盛首塚の入り口です。)
P2220159.jpg(堂に成っています。五輪塔が首塚)
P2220162.jpg(首塚、敦盛さん眠っておられるのですかね?)


また、須磨寺には敦盛が身につけていた名笛「青葉の笛」が収蔵されています(須磨寺については、とても素敵なお寺なので、又の機械に丁寧に御紹介させて頂きます。)。

P2220210.jpg(青葉の笛?二本在りますね~確か細い方だったような…)
 

【さて幸若舞の謡?ですが】

直実が出家して世をはかなむ中段後半の一節に、『思へばこの世は常の住み家にあらず草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる南楼の月を弄ぶ輩も月に先立つて有為の雲にかくれり
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり一度生を享け、滅せぬもののあるべきかこれを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ』
という詞章があり、織田信長がこの節を特に好んで演じたのは皆さんもご存知ですね(#^.^#)。

「人間(じんかん、又は、にんげんと詠みます)五十年」は、人の世の意味です。
「化天」は、六欲天の第五位の世化楽天で、一昼夜は人間界の800年にあたり、化天住人の定命は8,000歳とされます(800×360×8000=23040000年ですか?する事無くなるf(^_^;)。
「下天」は、六欲天の最下位の世で、一昼夜は人間界の50年に当たり、住人の定命は500歳とされます。
信長は16世紀の人物なので、「人間」を「人の世」の意味で使っていた様ですし「化天」を「下天」と読み替えています。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」は、「人の世の50年の歳月は、下天の一日にしかあたらない」という意味になりますが、現代において、「(当時の平均寿命から)人の一生は五十年に過ぎない」という意味としばしば誤って説明される場合があるが、この一節は天界を比較対象とすることで人の世の時の流れの儚さについて説明しているだけで、人の一生が五十年と言っているわけではないのです。
さて、信長が49歳で本能寺に倒れた事もあり、人の人生は50年と信長が謡っていたと思っておられる方が多いいのでは無いでしょうか(若しくは信長が本当に間違えていたのかも知れませんが!)?

【最後にこんな伝説も】

直実は建久元年(1190年)法然の勧めにより、高野山で敦盛の七回忌法要を行っています。
また『一谷嫩軍記』では、実は敦盛は後白河院のご落胤で、直実はそれを知っていて、自分の息子小次郎の首を刎ねたという記述となっているのも面白いですねσ(^_^;)?。

【最後にも一つ】

2012年NHK大河ドラマ「平清盛」で題字を担当し、多岐に渡り様々な活動を展開、人々に感動と勇気と希望を与えているダウン症の女流書家「金澤翔子」さんの書を紹介します(偶然出会えたし、実は大河ドラマの題字の事を知りませんでしたf(^_^;)。

P2220214.jpg
(素晴しいものに出会うことが出来ました。これも敦盛さんの導きです。)
P2220216.jpg(「慈眼視衆生」意味は上に…ガラスが光って申し訳ありません)


1985 年東京都目黒区に誕生。
5歳から書道を始め、母でもある金沢蘭凰に師事。
10歳で「般若心経」を書き、2004 年に雅号 小蘭を取得。
2005年より様々な会場にて席上揮毫を行い、 奇跡の天才書家として注目をあつめる。
2009 年京都・建仁寺に「風神雷神」を奉納(こちらは写真に収めているはずなので、建仁寺ご紹介のおりに紹介いたします)。

歴史は私に新しい発見と素晴しい出会いをもたらしてくれます。
学生時代を通してこんなにも勉強したことが有ったかと思ってしまう、今日この頃です。


又、長々とお付き合いをありがとうございましたm(__)m

いつも応援、ありがとうございますm(__)m。
歴史って本当に面白いですよね~!

今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思いますので宜しくお願い致します(^人^)
日本人気ブログランキングバナー・ブログ村の日本史バナー・Blogramバナー・FC2ブログランキングバナー「ポチッと」クリックして頂けましたら嬉しいです。
 👇👇👇   👇👇👇   👇👇👇   👇👇👇
ブログランキングならblogram
スポンサーサイト
2017/02/25

たった五回で巡る?『西国三十三観音霊場』の旅⑤最終回!

たった五回で巡る?『西国三十三観音霊場』旅の第五段!最終回です。

前回は二十四番番札所~二十九番札所迄御紹介しました。
最終回はバスツアーNo.⑪の三十番札所・三十一番札所、バスツアーNo.⑫の三十二番札所・三十三番札所です(私が利用したのは阪急交通さんのバスツアーなので、他社だと順番が少し違うかもしれません。m(__)m)。

書写山 円教寺で、撮影した被写体の「西国三十三観音霊場レプリカ像」がもったいないという理由だけで始めた五連載を、読んで頂き本当にありがとうございましたm(__)m

P2250004.jpg
(本物じゃないです、お友達の備前焼作家石川泰二郎さんの蓮です。ある意味本物!)

それでは、最後の「西国三十三観音霊場の御本尊レプリカ像」の旅に出発です。

『市郎右衛門』の日本歴史ブログをお楽しみください。 
ブログランキングならblogram

👆絶賛ランキング参加中!四つのバナータグを「 ぽちっと」クリックして応援お願いします|o´艸)。oO(Thank you)。
バナーをクリックいたしますと、ランキングページに移動します。そこで慌てないでくださいね~(笑)
市郎右衛門は現在すべてTOP10に入っておりますので、そちらをもう一度クリック頂きますとブログに戻れます(^人^)。


【西国三十三観音霊場巡りとは!】
近畿二府四県と岐阜県に点在する三十三ケ所の観音信仰の霊場の総称です。
これらの霊場を札所とした巡礼は日本で最も歴史がある巡礼行であり、現在も多くの参拝者が訪れています。
毎回説明していますが、西国三十三観音霊場、二十七番札所「書写山 円教寺」の三十三霊場御本尊レプリカ像を紹介して、五回で満願をイメージしていただく企画の第四段です(せっかく撮影した写真が無駄にならない為です。笑!)。

さて,西国三十三観音霊場でも有名な様に、「観音菩薩様」の人気は凄いものが有りますね(#^.^#)。

【何故なのでしょうか?そもそもどんな人(人なのか~?)?。】
観音菩薩(観自在菩薩・観世音菩薩)とも訳されます。
大乗仏教において特に崇拝されている菩薩で、世間の人々の救いを求める声を聞き観じると、とただちに苦悩から救済する求道者の意味が有るそうです(速攻救済)。
慈悲深く、宗派の枠をこえて広く信仰され、人々に愛されている菩薩様です。
救う相手の姿に応じて千変万化の相となります(人によって見える姿が違う)。
阿弥陀仏(阿弥陀如来)の脇侍ともなっています。

音を観じることから観音という名がついたとされ、観じるというのは、人の姿を正しく見るという意味です。
水瓶を持ち、その中には功徳水という使っても使ってもなくならない水が入っているといいます。

つまり信仰する人にとって、非常に都合がよい、菩薩様だと思いませんか(失礼を承知でm(__)m)?

私、仏教を学んだわけではありませんから、少し意味合いが違うのかもしれませんが、観音菩薩の「菩薩」とはまだ解脱しておられない、修行中の仏様(仏=解脱を意味するなら使用例を間違えています。)の事です。

奈良の大仏(大日如来)鎌倉の大仏(阿弥陀如来)お釈迦さま(釈迦如来)「如来」と呼ばれる方々が「解脱」されて悟りを開いた方「仏陀」の事です。

頭のカタツムリ(本当に失礼ですが、螺髪といいます。)は悟りを開いた証拠ですし、衣装も物事にこだわられないので、簡素なものですね、それに対して「菩薩」様はいまだ現世に未練があるのか?衣装も素敵ですし、飾りなども持っておられますね。
人々を救うことで、来世の「解脱」が約束されている、真理の求道者といった位置付けに成ります。

此処で自分に置き換えて考えてみましょう。
「仏教は生きている間に悟りを開くための生き方を学ぶ宗教」と言いました。
「自分だけが修行して解脱すれば良い」という考えは「利己的」だとは思いませんか?
そこで「他者を救うことで、自分も徳を積んで解脱できる」という考えが生まれます。

此処が「小乗仏教」「大乗仏教」の転換点です。

これを「利他主事」といって現在の仏教の根幹をなすものです。

つまり、「如来」様は目標とするべきシンボル・到達点、「菩薩」様は私たちが実践すべき行い・見本そのものとなります(こんなこと僧侶でもない、何も勉強していない私が言ってもいいのか~(;^_^A)。


さて今回の、バスツアーですが、【ツアーNo.⑪は三十番・三十一番札所の二寺コースです。】

第三十番札所、竹生島 宝厳寺

CIMG9483.jpg
(千手千眼観世音菩薩「観音堂」)

第三十一番札所、姨綺耶山 長命寺

CIMG9484.jpg
(千手十一面聖観世音菩薩三尊一体)

【ツアーNo.⑫は三十二番・三十三番札所迄の二寺コースです。】

第三十二番札所、繖山 観音正寺

CIMG9485.jpg
(千手千眼観世音菩薩)

第三十三番札所、谷汲山 華厳寺

CIMG9486.jpg
(十一面観世音菩薩)

これで満願です。
満願成就の後は長野県善光寺にお礼参りがバスツアーで用意されています(どこまで手先やねんな~(;^_^A)

【さて最後に、私の大好きな弥勒菩薩について少し!】
弥勒菩薩は現在仏であるゴータマ・ブッダ(釈尊・釈迦牟尼仏)の次にブッダ(目覚める人)となることが約束された菩薩(修行者)で、ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされます。
それまでは兜率天で修行(あるいは説法)しているといわれています。

56億7千万年後ってとてつもないですね、これは、弥勒の兜率天での寿命が4000年であり、兜率天の1日は地上の400年に匹敵するという説から、亡くなって生まれ変わられるまでに4000年×400年(地上)×12(月)×30(日)=5億7600万年(時間が合わない?)かかるという計算に由来しています。
後代になって5億7600万年が56億7000万年に入れ替わった(間違えた?)と考えられています。

P2250014.jpg
(国宝・広隆寺蔵 弥勒菩薩半跏像「宝冠弥勒」のフィギュア)

意外と救済の時は早いのかもしれませんね~(笑)
弥勒菩薩様の救済を待つよりも、一日一日を大事にしてより良い次の一日を過ごす事が現世での解脱を達成する近道だと思う市郎右衛門なのです。
もうすぐ市郎右衛門教を立ち上げます(笑)


いつも応援、ありがとうございますm(__)m。
歴史って本当に面白いですよね~!

今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思いますので宜しくお願い致します(^人^)
日本人気ブログランキングバナー・ブログ村の日本史バナー・Blogramバナー・FC2ブログランキングバナー「ポチッと」クリックして頂けましたら嬉しいです。
 👇👇👇   👇👇👇   👇👇👇   👇👇👇
ブログランキングならblogram
2017/02/23

たった五回で巡る?『西国三十三観音霊場』の旅④

たった五回で巡る?『西国三十三観音霊場』旅の第四段です。

前回は十六番札所~二十三番札所迄御紹介しました。
今日はバスツアーNo.⑧の二十四番札所・二十五番札所、バスツアーNo.⑨の二十六番札所・二十七番札所、バスツアーNo.⑩の二十八番札所・二十九番札所迄です(私が利用したのは阪急交通さんのバスツアーなので、他社だと順番が少し違うかもしれません。m(__)m)。

私は収集癖が有るらしく、何かと気に入った物は兎に角、ある程度集めなければ気がすまない性格なので、御朱印集めという趣味は本当に私にピッタリな趣味なのですが、しかしながら熱しやすく覚めやすい性格なので、妻はこれ程続くとは思っていなかった様です(集め始めて三年半位に成りました。)。

最初に始めたのは、出雲の日御碕神社と出雲大社でした(女性の間で御朱印集めがブームの情報からかな?)。

現在、御朱印帳(納経帳)も10冊を越えて居ます。
アッ!全て御朱印で埋まったわけでは無いですよ、御朱印帳その物が可愛かったり(格好良かったり!)、持っていくのを忘れてその場で購入したりしたものも有りますしf(^_^;。

神社関係者の皆さんには失礼なのですが、おおむね(私見です(^人^))お寺の方が何時も写経などされているせいか、書く絶対量が違うのか?字がお上手ですだと思いますねσ(^_^;)?

そういえば、西国三十三観音霊場バスツアーに参加しないと貰えない御詠歌カード?が有ります。

P2220218.jpg
(こちらがそのカードです。成相寺の御詠歌ですね、まだお参りしておりません(;^_^A)

私も何枚か持っているはずなのですが、何処に片付けたのか見つかりませんでした。
昨日須磨寺のポスターの中に見つけたので御紹介します。
此方は先達会の発行らしく?お寺でも頂けません(;つД`)
正にバスツアー特権なのですが、お寺では、御影と御詠歌カード入れを販売しているのでコレクター心をくすぐるんですよね(プロローグ長い!笑)

それでは、「西国三十三観音霊場の御本尊レプリカ像」の旅に出発です。

『市郎右衛門』の日本歴史ブログをお楽しみください。 
ブログランキングならblogram

👆絶賛ランキング参加中!四つのバナータグを「 ぽちっと」クリックして応援お願いします|o´艸)。oO(Thank you)。
バナーをクリックいたしますと、ランキングページに移動します。そこで慌てないでくださいね~(笑)
市郎右衛門は現在すべてTOP10に入っておりますので、そちらをもう一度クリック頂きますとブログに戻れます(^人^)。


【西国三十三観音霊場巡りとは!】
近畿二府四県と岐阜県に点在する三十三ケ所の観音信仰の霊場の総称です。
これらの霊場を札所とした巡礼は日本で最も歴史がある巡礼行であり、現在も多くの参拝者が訪れています。
毎回説明していますが、西国三十三観音霊場、二十七番札所「書写山 円教寺」の三十三霊場御本尊レプリカ像を紹介して、五回で満願をイメージしていただく企画の第四段です(せっかく撮影した写真が無駄にならない為です。笑!)。

御朱印の話が出ましたので、御朱印帳について少し書かせて頂きます。

「よく神社とお寺で御朱印帳を分けるべきか?」問題視される方も居られますが、基本私は一緒でも問題は無いと思っています。

「出雲神仏霊場二十札所巡り」は名前の通り神社とお寺を回りますので、神官の方にお聞きしましたところ「問題無いですよ~」と言われました。
出雲神仏霊場20札所は、専用の御朱印帳がありますし、袋状に成っていて、書き置きを頂いて、そちらに納める様に成っておりますので、余計に寛容なのかも知れませんが(⌒‐⌒)。

私はといいますと、実は分けております(*`Д´)ノ!!!。
(笑)これは、お寺や神社で何か言われたわけでは無くて、私個人の「コレクターズ魂」のなせる技です。

又、「蛇腹状の御朱印帳の裏側を使っても良い?」勿論良いと思います。
信心は心の問題ですから、格好にこだわる必要は無いと思っています。
ただし表紙裏は失礼だと思いますし、一枚紙(和紙二枚の方が裏写りしなくてよいです)の蛇腹状だと裏面に墨や朱が写るので、気を付けた方が良いかも知れませんが!Σ(×_×;)!

又、通販でも安価で売っておりますが、やはり現地で寺社仏閣の物を購入することをお勧めします。
と申しますか、必ずそちらの方が欲しくな りますから(#^.^#)。
その時に気を付けるべき事は、先程の和紙の質、御朱印帳の大きさ(面積)も大きい方が良いかもです(小さな寺社ですと、無人で御朱印だけ置いて有る場所も有るのですが、御朱印帳が小さいとカットして、字体が切れてしまうことが有るからです。)。

さて今回の、バスツアーですが、【ツアーNo.⑧は二十四 番・二十五番札所の二寺コースです。】

第二十四番札所、紫雲山 中山寺

CIMG9478.jpg
(十一面観世音菩薩、一番艶やかな観音様で気に入っています。 )

第二十五番札所、御嶽山 播州清水寺

CIMG9479.jpg
(十一面千手観世音菩薩)

【ツアーNo.⑨は二十六番・二十七番札所迄の二寺コースです。】

第二十六番札所、法華山 一乗寺

CIMG9480.jpg
(聖観世音菩薩)

第二十七番札所、書寫山 圓教寺

CIMG9518.jpg
(六臂如意輪観世音菩薩、全て円教寺参道で写したためにこちらは特別の台座と大きさです。)


【ツアーNo.⑩は二十八番~二十九番札所の二寺コースです。】

第二十八番札所、成相山 成相寺

CIMG9481.jpg
(聖観世音菩薩)
第二十九番札所、青葉山 松尾寺

CIMG9482.jpg
(馬頭観世音菩薩)


巡礼道具についても色々お話ししてきましたので今日は白衣・笈摺(おいずる)について少し書かせて頂きます。

【白衣・笈摺(おいずる)】
笈摺(おいずる)の語源は、笈(背に負う物)から着物を守るために身につけていた白衣という意味から来ています。
昔は巡礼中にもしもの事が起きた時には、その身のままで埋葬してもらえるように死装束と同じ意味で着ていたようです(其ほど大変な修行だったのですね。)。
巡礼を無事に終えられたときには、谷汲山華厳寺(三十三番札所)の御詠歌「親と頼みし 笈摺を 脱ぎて納むる 美濃の谷汲」にありますように持ち帰らず、お納めいただくのが本来のきまりだそうです。
ただ、昨今は自分がこの世を旅立つ時、また肉親縁者が旅立つ時に、御仏のご宝印を頂いた白衣を着せるようになりました。

【其処で】
できましたら本来の巡礼中に身につける笈摺としての白衣と死出の旅立ちに使う白衣をご用意ください。
巡礼時身につけていた笈摺は結願したときに本来の意味である谷汲山華厳寺笈摺堂に納め下さい。
持って回ったもう1つは自らが臨終の時または人様に着せて上げる為に大切にお持ち下さい(とのことです。)。


これ迄に、何度かバスツアーを利用しておりますが(西国三十三観音霊場以外にもあちらこちら(;^_^A)、四国八十八ヶ所巡りの最初に、お隣の方がベテランの巡礼さんで、初めての私に色々教えて下さいました。
お隣の方に聞いた、四国八十八霊場巡礼が楽しくなるような話題を少しお教えしましょう。

【白衣の背中に書かれている、「南無大師遍照金剛」をはさむように、鶴と亀の朱印を押そう!】
それぞれの札所の縁起から、「鶴」が阿波の20番鶴林寺「亀」が土佐の39番延光寺で、別途料金(200円)でご朱印を押してもらえます。
1番霊山寺で白衣の肩に、「菅笠」の御朱印を押してくれるようになってます(無料)。

その他にも、あわただしくバスツアーで巡る為に、素早い蝋燭やお線香の出し方や治め札の色で巡り回数が解ること、御朱印は基本二度目からは重ね押し等(先達さんの御朱印帳は重ねが凄くて真っ赤です。)色々教えて頂きました(^人^)
「旅は道連れ世は情け」「渡る世間に鬼は無し」ですね(#^.^#)

そうそう、治め札が金色の方は四国八十八霊場巡礼100週以上だそうです。
意地汚い私は、つい計算してしまいました。
300円(一御朱印料金)×88寺×100週=2640000円なり(おっとろっしゃ!)

勿論信仰心はお金とは関係ありません。
仏様や神様も金額でご利益が変わることもないでしょうが、しかしここまで信心出来ればすごいですね~(笑)


いつも応援、ありがとうございますm(__)m。
歴史って本当に面白いですよね~!

今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思いますので宜しくお願い致します(^人^)
日本人気ブログランキングバナー・ブログ村の日本史バナー・Blogramバナー・FC2ブログランキングバナー「ポチッと」クリックして頂けましたら嬉しいです。
 👇👇👇   👇👇👇   👇👇👇   👇👇👇
ブログランキングならblogram
2017/02/21

たった五回で巡る?『西国三十三観音霊場』の旅③

たった五回で巡る?『西国三十三観音霊場』旅の第三段です。

前回は九番札所~十五番札所迄御紹介しました。
今日はバスツアーNo.⑥の十六番札所から十九番札所、バスツアーNo.⑦の二十番札所~二十三番札所迄です(私が利用したのは阪急交通さんのバスツアーなので、他社だと順番が少し違うかもしれません。)。

私の西国三十三観音霊場納経帳を御紹介します。
一般で使用しているものより、大きくて、御朱印も迫力が有りますよ(⌒‐⌒)

P2190008.jpg(比べる物が無いので大きさがわかりにくいですね~B5だと思います。)

それでは、「西国三十三観音霊場の御本尊レプリカ像」の旅に出発です。

『市郎右衛門』の日本歴史ブログをお楽しみください。 
ブログランキングならblogram

👆絶賛ランキング参加中!四つのバナータグを「 ぽちっと」クリックして応援お願いします|o´艸)。oO(Thank you)。
バナーをクリックいたしますと、ランキングページに移動します。そこで慌てないでくださいね~(笑)
市郎右衛門は現在すべてTOP10に入っておりますので、そちらをもう一度クリック頂きますとブログに戻れます(^人^)。


【西国三十三観音霊場巡りとは!】
近畿二府四県と岐阜県に点在する三十三ケ所の観音信仰の霊場の総称です。
これらの霊場を札所とした巡礼は日本で最も歴史がある巡礼行であり、現在も多くの参拝者が訪れています。
毎回説明していますが、西国三十三観音霊場、二十七番札所「書写山 円教寺」の三十三霊場御本尊レプリカ像を紹介して、五回で満願をイメージしていただく企画の第三段です(せっかく撮影した写真が無駄にならない為です。笑!)。

【バスツアーのここがイマイチ】
其にしても、旅行会社の宣伝マンの様に成っているので、バスツアーの短所といいますか不満なところもお教えしましょう!Σ(×_×;)!。

第一段で書きましたが、添乗員さんが旅行者の代わりに御朱印を頂いてくださるのです(楽で良いじゃない!)。
BAT、一人一寺について一御朱印帳つまり一御朱印帳(寺院の場合本来は御朱印ではなく納経帳ですが)もしくは、白衣(おいずる)、掛軸なのです。

私の様にマニアック?な人間は、せっかくなので御詠歌が欲しいし、西国三十三観音霊場御朱印以外の御朱印も頂きたいわけです(わがままとも言えるのですが)。
その場合、別な御朱印帳を持って駆け回らなくては、いけなくなります。

因みに西国観音二十四番札所の「中山寺」(兵庫県宝塚)なら西国三十三所24番札所、「大悲殿」(バスツアーなら此方は添乗員任せにして頂けます。)の他に、西国三十三所御詠歌の御朱印真言宗十八本山の御朱印「十一面観音」、摂津西国霊場第1番札所の御朱印「大悲殿」摂津国八十八箇所霊場第70番札所の御朱印「大悲殿」近畿三十六不動霊場第21番の御朱印「五大尊」です(平成21年4月より霊場が変更になり、新たに中山寺が札所となりました)。
まだまだ有りますよ~、聖徳太子御遺跡霊場第26番の御朱印「太子馬蹄石」西国七福神および中山寺山内七福神の「寿老神」の御朱印西国七福神の大福帳の御朱印中山寺山内七福神の「恵美須神」
以上の御朱印があります(?増えました~笑)。

まだそれだけでは有りません。
神仏集合時代の名残りで、隣に神社が有る場合も有ります。
一番札所の「青岸渡寺」には飛瀧神社(滝そのものが御神体)と熊野那智大社も鎮座されているので、一時間と少しの間に、走るは登るは、駆け降りるはの大変な修行?が待ちうけています。

そんなこんなな(笑)今回の、バスツアーですが、【ツアーNo.⑥は十六番~十九番札所+番外一寺のコースです。】

第十六番札所、音羽山 清水寺

CIMG9470.jpg
(十一面千手千眼観世音菩薩)

第十七番札所、補陀洛山 六波羅蜜寺

CIMG9471.jpg
(十一面観世音菩薩)

第十八番札所、紫雲山 六角堂 頂法寺

CIMG9472.jpg
(如意輪観世音菩薩)

第十九番札所、霊麀山 革堂 行願寺

CIMG9473.jpg
(千手観世音菩薩)

これに番外霊場の華頂山 元慶寺のコースです。

【ツアーNo.⑦は二十番~二十三番札所迄の四寺コースです。】

第二十番札所、西山 善峯寺

CIMG9474.jpg
(千手観世音菩薩!千手千眼と読めますが千手観世音菩薩です。)

第二十一番札所、菩提山 穴太寺

CIMG9475.jpg
(聖観世音菩薩)

第二十二番札所、補陀洛山 ;総持寺

CIMG9476.jpg
(千手観世音菩薩)

第二十三番札所、応頂山 勝尾寺

CIMG9477.jpg
(十一面千手観世音菩薩)

【巡礼の心得「十善戒(じゅうぜんかい)」】

巡礼者の心得について説明した十善戒を説明しときますね。
十善戒は、古来より遍路の行動規範といわれいるそうです。

一、不殺生(ふせっしょう)生きているもの、すべての命を大切にする。
二、不偸盗(ふちゅうとう)物を盗まず、他人のものを大事に扱う。
三、不邪淫(ふじゃいん)性は尊いものであり、節度をもって性を考える。
四、不妄語(ふもうご)うそ、偽りはいわず、真実を話すことを心がける。
五、不綺語(ふきご)虚飾のことばは話さず、飾らない本当のことばで話す。
六、不悪口(ふあっく)悪口は言わず、相手を思いやることばで話をする。
七、不両舌(ふりょうぜつ)どの人に対しても、二枚舌を使わず、温かな気持ちで話す。
八、不慳貧(ふけんどん)強欲をはり、貪ることなく、感謝の気持ちで過ごす。
九、不瞋恚(ふしんに)怒りをおさえ、心を落ち着けて、優しい気分で過ごす。
十、不邪見(ふじゃけん)邪な間違った考えを捨て、どの人にも平穏な気分で接する。

確か般若心経に書いてあったような?

【同行二人って誰と誰?】
お遍路をはじめると、様々のところで目にするのが、この「同行二人」菅笠や山谷袋などに書いてあります。
「同行二人(どうぎょうににん)」とはお遍路がお大師(弘法大師空海)さまと二人ずれという意味です。
遍路では一人で歩いていても常に弘法大師がそばにいて、その守りを受けているとされています。
そして、遍路で使われる杖(金剛杖)には弘法大師が宿ると言われています。 

ちなみに(笑)西国三十三観音霊場巡りでは、この同行二人を西国三十三観音霊場を開いた、徳道上人と考えたりまた観音菩薩と考えたりすることもあるようです。

【空海って誰(;^_^A】
弘法大師空海(774-835)。
「空海」として広く知られ、「お大師さま」の名称でも親しまれています。
高野山を開創者で、広く密教の教えを多くの人々に導きました。
密教の宗派の一つである真言宗を開祖で、遍路で行われる参拝作法は密教真言宗のものを基本としています。

大師は讃岐の国(香川県)の出身で、青年期には、四国の山中海岸、太龍岳、室戸岬、石鎚山などで山道修行を行うことで虚空蔵求聞持法の智恵(一度見聞きしたものは絶対に忘れず、無限の智恵を手に入れることが出来るという、真言密教の秘法です。欲しいね~!)を得たとされ、このことが四国遍路の基礎の一つとなっています。
四国には今でもお大師さまが遍路を巡っているとされています。

ちなみに金剛杖は橋の上では突いてはいけません。
弘法大師さまが今まさに橋の下でおやすみに成っているかもしれないからです。


「信じる人は救われる」良く言う言葉ですが、信念をもって行動する事が、目的を達成するためも近道であることは間違いありません。

いつも応援、ありがとうございますm(__)m。
歴史って本当に面白いですよね~!

今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思いますので宜しくお願い致します(^人^)
日本人気ブログランキングバナー・ブログ村の日本史バナー・Blogramバナー・FC2ブログランキングバナー「ポチッと」クリックして頂けましたら嬉しいです。
 👇👇👇   👇👇👇   👇👇👇   👇👇👇
ブログランキングならblogram

2017/02/19

たった五回で巡る?『西国三十三観音霊場』の旅②

たった五回で巡る?『西国三十三観音霊場』旅の第二段です。

前回一番札所~八番札所迄御紹介しました。
今日はバスツアーNo.④の九番札所から十一番札所、バスツアーNo.⑤の十二番札所~十五番札所迄です(私が利用したのは阪急交通さんのバスツアーなので、他社だと順番が少し違うかもしれません。)。

『西国三十三観音霊場』バスツアーの皆さんを見ていると、四国八十八ヶ所巡りの様な「完璧」お遍路姿が少ないのも特徴ですね。

私もだいたい、軽いトレッキングの服装ですが、輪袈裟だけは持っていく様に心がけており、お寺では着用しています(輪袈裟は宗派に関係無く持てるものにしています。2000円程の物です。)。

P2190013.jpg(安いものですが、気持ちが違いますね)

それでは、「西国三十三観音霊場の御本尊レプリカ像」の旅に出発です。

『市郎右衛門』の日本歴史ブログをお楽しみください。 
ブログランキングならblogram

👆絶賛ランキング参加中!四つのバナータグを「 ぽちっと」クリックして応援お願いします|o´艸)。oO(Thank you)。
バナーをクリックいたしますと、ランキングページに移動します。そこで慌てないでくださいね~(笑)
市郎右衛門は現在すべてTOP10に入っておりますので、そちらをもう一度クリック頂きますとブログに戻れます(^人^)。


【西国三十三観音霊場巡りとは!】
近畿二府四県と岐阜県に点在する三十三ケ所の観音信仰の霊場の総称です。
これらの霊場を札所とした巡礼は日本で最も歴史がある巡礼行であり、現在も多くの参拝者が訪れているんです。
前回も説明しましたように、西国三十三観音霊場、二十七番札所「書写山 円教寺」の三十三霊場御本尊レプリカ像を紹介して、五回で満願をイメージしていただく企画の第二段です(せっかく撮影した写真が無駄にならない為です。笑!)。

【西国三十三観音霊場の始まりについて】
長谷寺の開基である徳道上人によって718年(養老2年)に始められました。
上人が病気で死線をさまよっているとき夢の中で閻魔大王に会い、大王から悩める人々を救うため霊場を開くようにとのお告げを受けます。
夢から醒めると病気はたちまち平癒し、お告げどおりに三十三カ所の観音霊場を設けますが、なかなか人々の信仰を得ることが出来ませんでした。
徳道上人はやむを得ず宝印を集めて 、中山寺の「石の唐戸」の中に埋めました(続く~)。

P2190004.jpg(第九番、第十六もお参りはしているのですが(;^_^A)

上は、散華用の台紙です。
どれだけお参りしたか、一目瞭然ですね~(*^.^*)
私も半分位巡礼出来ました。
第九番札所、興福寺 南円堂と第十六番札所音羽山 清水寺もお参りしているのですが、当時は散華迄は集めようと思っていなかったので、貼られておりませんσ(^_^;)?

参拝したなかで、ブログに投稿させていただいたのは、今のところ以下の四寺+番外一寺です。
第一番 那智山青岸渡寺
第十八番 紫雲山 六角堂 頂法寺
第二十四番 紫雲山 中山寺
第二十五番 御嶽山 播州清水寺
番外 東光山 花山院菩提寺

此れから順次御紹介出来ればと考えています。
何年かかるか解りませんが、ごゆるりとお待ち下さいね。

さてバスツアーですが、【ツアーNo.④は九番~十一番札所のコースです。】

第九番札所、興福寺 南円堂

CIMG9463.jpg
(不空羂索観世音菩薩像)

第十番札所、 明星山 三室戸寺

CIMG9464.jpg
(千手観世音菩薩)

第十一番札所、深雪山 上醍醐 准胝堂 (醍醐寺)

CIMG9465.jpg
(准胝観世音菩薩)

【ツアーNo.⑤は十二番~十五番迄の四寺コースです。】

第十二番札所、岩間山 正法寺 (岩間寺)

CIMG9466.jpg
(千手観世音菩薩)

第十三番札所、石光山 石山寺

CIMG9467.jpg
(如意輪観世音菩薩)

第十四番札所、長等山 三井寺 (園城寺 )

CIMG9468.jpg
(如意輪観世音菩薩)

第十五番札所、 新那智山 今熊野観音寺 (観音寺)

CIMG9469.jpg
(十一面観世音菩薩)

【花山法皇の足跡】
徳道上人が中山寺に宝印を納めてから約270年後、988年(永延2年)花山法皇(安和元年「968年」~寛弘5年「1008年」)が紀州国の那智山で修行していた折、熊野権現が姿を現し、徳道上人が定めた三十三の観音霊場を再興するように託宣を授けます。
花山法皇は、観音霊場三十三ヶ所の宝印を石棺に納めたという伝承があった、中山寺(兵庫県宝塚市)で宝印を探し出し播磨国書写山圓教寺の性空上人の勧めにより、河内国石川寺(叡福寺)の仏眼上人を先達として紀伊国熊野から三十三の観音霊場を巡礼し修行に勤め、大きな法力を身につけたといわれます
このことにより、やがて観音霊場を巡る西国三十三所という信仰となり、西国三十三所は日本最古にして、巡礼の元祖となりました。

この花山法皇の観音巡礼が西国三十三所巡礼として現在でも継承されており、各霊場で詠んだ御製の和歌が御詠歌となっています。
花山法皇は、寛弘5年(1008年)2月花山院の東対にて崩御、紙屋上陵(現在の京都市北区衣笠北高橋町)に葬られています。

花山法皇については、以前も書かせていただきましたが、とても可愛そうな天皇様です。

【古典「大鏡」(花山天皇の出家)現代訳より】

次の帝は、花山院天皇と申し上げました。冷泉院の第一皇子であります。御母は、贈皇后宮懐子と申し上げます。
永観二年八月二十八日、(花山院は)天皇の位におつきになりました。御年十七歳でした。
寛和二年丙犬の年の六月二十二日の夜、驚きあきれてしまいましたことには、(花山院は)誰にもお知らせにならないで、こっそりと花山寺においでになって、御出家入道なさったのでございます。御年十九歳でした。
(天皇としての)世をお治めになること二年でした。(出家した)その後、二十二年生きていらっしゃいました。

しみじみと思われることは、(花山院が)ご退位なさった夜、藤壺の上の御局の小戸からお出ましになったところ、有明の月がたいそう明るかったので、(花山院が、)「(月の光で姿が)目立ってしまっているなあ。どうしたらよいだろうか。」とおっしゃったのを、「そうかといって、(出家を)お取りやめになれる理由はございません。神璽・宝剣も(すでに皇太子のもとに)お渡りになってしまいましたので。」と粟田殿(=藤原道兼)がせきたて申し上げなさったのは、まだ帝(=花山院)がお出ましにならなかったその前に、(粟田殿が)みずから(神璽と宝剣を)取って、皇太子の御方にお渡し申し上げなさっていたので、(花山院が宮中に)お帰りになるようなことはあってはならないとお思いになって、そのように申し上げなさったということです。

明るく澄んでいる月の光を、(花山院が)まぶしくお思いになっているうちに、月の表面にむら雲がかかって、少し暗くなっていったので、「わが出家は成就するのだなあ。」とおっしゃって、歩き出しなさるうちに、弘徽殿の女御の御手紙で、普段破り捨てないで御身から離さずご覧になっていた手紙を思い出しなさって、「しばらく(待て)。」とおっしゃって、(お手紙を)取りにお入りになったちょうどその時よ、粟田殿が、「どうしてこのように(未練がましく)お思いになりなさったのですか。
ただ今(この機会を)逃したら、(出家するのに)自然と支障も出て参るでしょう。」と、うそ泣きなさったのは。

さて、(粟田殿は花山院を)土御門から東の方にお連れ出し申し上げなさるが、(陰陽師の安倍)晴明の家の前をお通りになると、(清明)自身の声で、手を激しく、ぱちぱちとたたいて、「帝(=花山院)がご退位なさると思われる天の異変があったが、すでに成ってしまったと思われることだよ。(宮中に)参上して奏上しよう。車に支度を早くしなさい。」
と言う声をお聞きになっただろう(その時の花山院のお気持ちは)、そう(=覚悟の上での出家)であってもしみじみと感慨深くお思いになったことでしょうよ。
(清明が、)「とりあえず、式神一人が宮中に参上せよ。」と申し上げると、人の目には見えないものが戸を押し開けて、(花山院の)御後ろ姿を見申し上げたのでしょうか、「ただ今、ここを通り過ぎなさっているようです。」と答えたとかいうことです。
その家(=清明の家)は、土御門通りと町口通りの交わる所にあるので、(花山院が通る)お道であった。

花山寺にお着きになって、ご剃髪なさって後に、粟田殿は、「(ちょっと今から)退出して、大臣(=粟田殿の父である東三条殿のこと)にも、(私の出家前の)変わらない姿をもう一度見せ、これこれと(出家する)事情を申し上げて、必ず(こちらへ戻って)参りましょう。」と申し上げなさったので、(花山院は、)「私をだましたのだな。」とおっしゃってお泣きになった。
お気の毒で悲しいことですよ。
普段、(粟田殿は)よく、「(帝が出家しても私は)お弟子としてお仕えしましょう。」と約束して、だまし申し上げなさったとかいうのは恐ろしいことですよ(まだ続きますがここまでです)。
「勿論古典が訳せるわけもなくフロンテアの古典教室訳を引用させていただきました。」

大鏡は安部晴明も出てきて、式神に花山天皇を見送らせているなんて面白いですね~古文もっとまじめにやっとけばよかったな!
政争に巻き込まれて騙されて出家させられてしまったのです(涙)。


花山天皇が出家すれば、天皇の座が空き、皇太子が天皇の座につくことができる。
この時の皇太子は、粟田殿の父である東三条殿の孫であったため、孫である皇太子が天皇になれば、東三条殿は外戚として政治の実権を握ることができるという背景がありました。
要は、花山院が出家して天皇の座を降りれば、粟田殿と東三条殿にとって都合が良いため、普段から粟田殿が花山院の忠実な家臣としてふるまい、この時ようやく花山院を出家させることに成功したのでした。
花山院はだまされたのです。

宗教と政治は本来、別々のはずなのですがね~!
それから、煌びやかな寺院を見るとお金のことも気に成ってしまいますね(笑)


いつも応援、ありがとうございますm(__)m。
歴史って本当に面白いですよね~!

今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思いますので宜しくお願い致します(^人^)
日本人気ブログランキングバナー・ブログ村の日本史バナー・Blogramバナー・FC2ブログランキングバナー「ポチッと」クリックして頂けましたら嬉しいです。
 👇👇👇   👇👇👇   👇👇👇   👇👇👇
ブログランキングならblogram