2018/05/13

神々を訪ねて「出雲大社」を歩く!スピンオフ『天照大御神は卑弥呼なのか?』

『天照大御神は卑弥呼なのか?』


前々回、謎多き邪馬台国と女王卑弥呼。その正体が天照大御神では無いかとの説をブログに乗せたところ、大きな反響がありました。この謎に迫るために、スピンオフ企画として、卑弥呼=天照大神について私なりに考えてみました。

以前、邪馬台国サミット伯耆に参加した時に、基調講演で安本美典さん(元産能大学教授・季刊「邪馬台国」編集責任者・「邪馬台国の会主催」)が「私の邪馬台国(九州説)」の中で、「卑弥呼は、日本神話の天照大神(あまてらすおおみかみ)と同一人物ではないかと考えている。中国の史書「魏志倭人伝」は、卑弥呼が239年に魏へ使者を送ったと記す。神話を集めた「古事記」が完成したのは712年。400年以上後の奈良時代だが、古事記の天照大神に関する記述は、倭人伝中の卑弥呼と類似する箇所がある。」と述べられました。

amaterasu.jpg
(KOEI三国志卑弥呼より)

安本さんの考え方はこんなん感じです。「私は日本、中国、西洋の天皇や王の在位年数を平均し、1~4世紀の天皇の平均在位年数を?年と割り出した。古事記に記された天皇が全て実在すると仮定し、それぞれ約10年在位したとすると、九州から東へ攻め上り、大和政権をつくったとされる神武天皇が活躍したのは280~290年ごろと計算できる。つまり、近畿地方における大和政権の成立は、邪馬台国の時代より後になる。天照大神は神武天皇の5代前なので、50年さかのぼると活躍した年代は230~240年。卑弥呼が魏へ使者を送った時期と重なり合う。」でした。それでは反対意見も踏まえて私も、少し考えてみましょう。

それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
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【天照大御神は卑弥呼とそっくりだ!】

CIMG1613.jpg(伊勢神宮と一緒に昼と夜を護る!あれ?夜は月読様じゃなかったっけ!)
CIMG2758.jpg(伊勢神宮に祀られる天照大御神)
CIMG1614.jpg(出雲「日御碕神社・日沈宮」に祀られる天照大御神)


まず最初に、皇紀2600年について私市郎右衛門の見解ですが、はっきり言って無理が有るかも知れません。ただし全くの否定というわけでもありません。「日本書紀」の日本建国は2678年前であり、考古学では2000年かそれ以前と考えられています。皆さんは縄文時代がどれくらい続いたかご存知でしょうか?約1万5,000年前(紀元前131世紀頃)から約2,300年前(紀元前4世紀頃)なんです。その間14700年間に素晴しい国造りをしていたことは、青森の三内丸山遺跡で見て来ました。その様な国の一つとして生まれた倭国が、最後に日本を統一したとすれば、あながち皇紀2600年もありえなくはないと考えます。古代天皇が100歳生きたというのは、さすがに無理が有ると考えているわけです。さて、前出の「安本美典さん」の考えを箇条書きにするとこんな感じです。

卑弥呼は三世紀あたりに実在した日本の女王です。日本の歴史書である古事記・日本書紀にはもちろん中国名である卑弥呼は出てきません。しかし、記紀にも卑弥呼は別名つまり、日本の呼び名で登場するのではないかと考えるのは妥当です。記紀の記述から、女性で最高の地位にある古代の人物を探すと、天照大神と神功皇后くらいしかいません。しかし、神功皇后は時代が異なるというのが通説です。日本書紀の神功皇后の三韓征伐には新羅や百済が出てきますが、新羅の建国は356年。百済は346年なので卑弥呼時代よりも100年以上は後になるのです。

それでは、天照大神はどうでしょう。記紀では天照大神の時代はありえないほど太古となっています。日本書紀によると日向時代だけで179万2470年余りとなっています。しかし、天皇の在位期間を考えてみると、意外に新しいのではないかと考えることも可能です。

31代・用明天皇は585年に即位しています。40代・天武天皇は686年崩御です。つまり、31代から40代までの10代の平均在位期間は10年ほどとなります。これを適用すると神武天皇の即位は285年あたりとなり、その五代前の天照大神の時代は240年あたりになります。このような考え方をすれば、天照大神と卑弥呼の年代は重なる可能性があるわけです。また、文献的に見た記紀の天照大神と魏志倭人伝の卑弥呼には共通点が多くあります。

1、共に女性で最高の地位にあること。共に独身であること。共に巫女的な存在であること。
2、卑弥呼は日御子(ヒノミコ)の中国読みと考えられますが、天照大神の名前も太陽に関係あること。
3、天照大神は岩戸から出てくるとき鏡が重要な役割を果たしますが、卑弥呼も魏から百枚の鏡をもらっていること。
4、卑弥呼には狗奴国、天照大神には須佐之男命という宿敵がいること。
5、卑弥呼は狗奴国との争いの最中に亡くなり、天照大神は須佐之男命の乱暴に怒って天岩戸に隠れること。
6、卑弥呼が亡くなると、跡継ぎをめぐる争いが起こり千人あまりが殺され、天照大神が岩戸に隠れると、高天原や葦原中国はみんな真っ暗闇になり、悪い神が騒ぎ出すこと。
7、卑弥呼の後を継いだ台与が女王になると国中が定まり、天照大神が天岩戸から出てくるともとのように明るくなること。
8、台与が女王になると、さらに男王が立ち、共に中国の爵命を受け、また天照大神が岩戸から出てくると高皇産霊尊が登場し、共同で高天原を治めること。つまり、共に男女の王の並存が語られていること。

このように、卑弥呼とそのあとを継いだ台与という二人の女王が、ひとりの天照大神の伝説として残っていたと考えられるわけです。天岩戸の隠れる前が卑弥呼で、天岩戸から出てきたあとが台与ということになります。

天照大神の子孫である神武天皇は、その後日向を発ち東征の旅に出ます。大和の橿原で即位し、初代天皇として即位するわけです。というわけで、天照大神=卑弥呼+台与は邪馬台国九州説(東遷説)ということになります。

【反論】


1)天皇在位年数の計算が都合よすぎる。
2)卑弥呼 は本来在位していた男王の後に共立されて歴史に登場しているが、天照大神 は血統に基もとづいて、始めから女神として神話に登場している。
3)天照大神 には婿が いた筈で あるが、卑弥呼 に夫や婿は いない。
4)天照大神 には五男三女が いたと記録されているが、卑弥呼 に子息,息女が いた形跡は無い。
5)卑弥呼 の男弟は 卑弥呼 を補佐しているが、素戔男尊 は とても 天照大神 を補佐しているとは言い難い。
6)卑弥呼 の後には男王が立った後に廃立されて女王 壱与 が再度共立されているが、天照大神 の後には血統による継嗣が続いて おり、女王が共立された形跡は見当たらない。
7)卑弥呼 の後を継いだ 壱与 に当たる人物が、天照大神 の近辺では見出し にくい。

等々、確かに納得できる疑問ですね~(;^_^A、私はこの反論を跳ね返すことが出来るのか~~?

【市郎右衛門夢物語】


まず、最初に反論に対する代替え案を出す前に、私がけして「安本美典さん」のご意見に感化されて味方(賛同)しているわけでは無い事を表明させていただきます。安本さんは邪馬台国九州説を採用されていますが、私は邪馬台国移動説を提唱したいと思います。王都は移動するんです。纒向にも行きましたが、王(女王)に死が訪れると神殿(政殿)は廃棄されて移動しているようです。つまり卑弥呼ないし壱与がいる場所が邪馬台国であるという意見です。

次に、卑弥呼の呼び名は地位であり日御子(ヒノミコ)ではなく「姫巫女」の当て字ではないかと考えます。さらに卑弥呼と天照大神が同一人物である「安本説(邪馬台国は九州)」なら「古事記」の神話部分に九州が出てこないわけがありません。

26代継体天皇・継体元年(507年?)即位、50代桓武天皇・延暦25年(806年)崩御の299年間に26人の天皇が変わり、平均在位期間は約12年、継体天皇以前の25代にその三代前の邇邇芸命と二代前の天照大神を足すと30代、30×12=360ですから、継体天皇即位の507年から360を引くと147年となってしまい卑弥呼の年代と100年の誤差が出て重なるとはいえません。確かに31代・用明天皇は585年に即位と40代・天武天皇は686年崩御を採用するのは都合がよすぎる気がします。しかし欠史八代を信じて、神武天皇と崇神天皇を同一人物と考ええば、武烈天皇から天照大神まで21代、21×12=252、507-252=255となり時代が合ってきますね。

卑弥呼→男王→ 壱与の王位継承についてですが、伊邪那美→伊邪那岐→天照大神はどうでしょう。古事記における伊邪那美の足跡は出雲にたくさん有るのですが、天照大神についてはあまり無いのです。天照大神は伊邪那美が死んだ後に伊邪那岐一人(別の女性との間)が生んだことになります。さらに伊邪那美と伊邪那岐は兄妹神(姉弟でも問題ないのでは?)です。天の岩戸にお隠れになったは、死を意味すると考えます。伊邪那美の死を多いわで、ふさいだのは伊邪那岐です。新たな太陽神が天照大神(壱与)ではないでしょうか。

天の岩戸=皆既日蝕説について、近年の研究では247年248年に皆既日蝕が発生していますが、邪馬台国は3世紀ごろのお話、国の始まりは1世紀ごろという説が有力です。手掛かりとして、国立天文台の谷川清隆特別客員研究員と相場充助教が2年かけて調べたのは、その間の1~3世紀に日本付近であった皆既日食の通り道です。

「皆既日食が見られる皆既帯の場所は限られる。邪馬台国で皆既日食が見えた事はないか」という推論をもとに研究されています。推論の根拠は日本書紀です。天照大神が天の岩屋戸に隠れ、辺りが闇に包まれたという神話が描かれています。記述が具体的であることから、この描写は皆既日食を指しているという解釈があります。天照大神=卑弥呼の説を成り立つためには、岩屋戸神話は邪馬台国など文明地で見られた皆既日食に基づいているのではないか、と推論されています。

1~3世紀には58年、158年、247年、248年の4回の皆既日食があったことが計算上わかっています。問題となったのは、地球の自転でした。月の引力などの影響を受け、地球が1回転する時間は少しずつ長くなっている。このため、約2千年前に起きた日食の場所をシュミレーションするには、時刻の補正が必要でした。2人は朝鮮の歴史書「三国遺事」に出てくる「新羅地方で太陽の光が消えた」との記事に着目します。これが新羅で見えた158年の日食と特定した。そこから導いた補正の幅から、248年皆既帯は東北地方、247年の日食は日本では日没後で、畿内、九州のいずれも皆既日食が見られなかったことがわかりました。

158年の日食は、朝鮮半島から山口、愛媛で日没直前の午後7時過ぎに20秒ほど皆既になったが、これも畿内、九州は外れています。つまりつまり天照大神の天岩戸に隠れるは日蝕とは関係なく、天照大神の死亡を意味しているのではないでしょうか?

私の勝手な(素人だから言いたい放題!)考えを採用すれば、安本さんに対する反論はほぼ解決できるのではないでしょうか?

【最後に一言】


今回、2011年に米子で行われた、古代史(邪馬台国)サミットIN伯耆から題材を頂き、言いたい放題書かせていただきました。この中には邪馬台国山陰説も勿論有りました。私のような素人がプロの考えに真っ向から反対意見を述べられるのも、まだ事実が解明されていないからですし、それがまた楽しみでもあります。

米子に単身赴任したことで、とても面白い生涯学習のテーマをもらうことが出来たことに感謝するとともに、私の産まれた山陰にスポットが当たる事は素晴らしく嬉しい事ですね。

まだ取材はしてはいないのですが、島根県松江市の田和山遺跡を松江市教育委員会のページから簡単にご紹介させていただきます。風土記の丘資料館から、西へ車で10分進むと、山陰自動車道沿いに田和山遺跡が現れます。今から約2,000年前に、その威容を誇った田和山遺跡は、三重の環壕(全国に類を見ない)がぐるりと山頂を囲み、その外側に住居跡が広がるという、他に例のない構造を持つ、謎めいた弥生の環壕遺跡です。山頂に上がると、遠くは大山など『出雲国風土記』にも登場する山々を見晴らすことができ、眼下には宍道湖が広がります。まさに心洗われる風景だそうです。現在は松江市立病院が隣に立っていますが、是非出かけてみたいですね~ここが卑弥呼の神殿跡かもしれません。


いつも応援ありがとうございます。歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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コメント

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No title

実在すると思われる第10代の崇神から14代仲哀までは父子で引き継いで言っていますが、10年で子は成長しないと思う。

No title

最短と思われる15歳で即位で父子引き継ぎを繰り返したとしても、5代で75年かかってしまい。崇神から神功皇后までの5代だけで崇神が卑弥呼の時代になってしまう。

Re: No title

実在すると思われる第10代の崇神から14代仲哀までは父子で引き継いで言っていますが、10年で子は成長しないと思う。
最短と思われる15歳で即位で父子引き継ぎを繰り返したとしても、5代で75年かかってしまい。崇神から神功皇后までの5代だけで崇神が卑弥呼の時代になってしまう。

コメントありがとうございました。もちろん10歳で即位するというのは無理ですよね、安徳天皇のように、そのような例もあります、。父親自体が10歳で即位すると考えずに、例えば40歳で即位され50歳で息子(兄弟もしくは養子)40歳に譲位すると考えて頂けませんか?さらに第10代の崇神から14代仲哀までは父子との見解ですが私の計算はあくまで統計によるものです。No titleさんが、お書きのように「実在すると思われる」の盲点を突いて計算しているわけです。ご理解いただけると嬉しいです。
「崇神から神功皇后までの5代だけで崇神が卑弥呼の時代になってしまう。」に関しては基準の神功皇后即位年が古事記には記載されていませんね、私の場合は古事記に記載のある、継体天皇即位を507年として起算しているわけです。後の計算式はブログにも書いておりますので、ご参考願いましたら幸いです。