2018/05/22

神々を訪ねて『出雲大社・荒垣外摂社』を歩く!更にに二社「国譲り神話の神々」vol⑥

『出雲大社・荒垣外摂社のご紹介が残り五社に成りましたので、二社・三社とUPしてご紹介します。 』


今日のプロローグは、ブログ仲間で年は違えど、私は大親友と思っている。皆さんもご存知「カップ麺皇子(あえてね!)」こと、taka:a◝( ꒪౪꒪)◜ケケケ…さんがブログを新設された事に触れたいと思います。

皆さんは、もうご承知かも知れませんが、WordPress(ワードプレス)にブログ「本館」を移動されて、新作カップ麺をレビューするブログ、「本日の一杯-cupmen review blog-」を立ち上げられました(ワーワー)。

更に、これまでのブログは「本日の一杯 -別館- taka :aの雑記帳」としてリニューアルオープンです。こちらは不定期では有りますが、taka:aさんの心のうちを垣間見るような素敵なブログと成っております。皆さん私の稚拙なブログ共々、taka:aさんのブログを宜しくお願い致します(逆だな…taka:aさんのブログ共々私のブログもよろしくお願いいたします。)。

P5041485.jpg(出雲風土記”国引き”のシーン!大迫力です。)

さて今回、ご紹介させて頂きますのは出雲大社からそれほどは遠くないのですが、ちょぴり分かりにくい場所に有る二社、②阿須伎神社(阿式社、あじきのやしろ)・式内社。大国主の神子の阿遅鉏高日子根神を祀る。(出雲市大社町遥堪)と③大穴持御子神社(三歳社、みとせのやしろ)・式内社。子の事代主神・高比賣命(古事記では下照比賣命)と素戔嗚尊の孫の御年神を祀る。(出雲市大社町杵築東)をご紹介します。

さて、出雲大社に戻って荒垣外摂社をご紹介しましょう。

それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
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【今回ご紹介するのは、荒垣外摂社の三社 の三社です。★を付けた社はご紹介済】


①★神魂伊能知奴志神社(命主社、いのちぬしのやしろ)・式内社。神産巣日神を祀る。(出雲市大社町杵築東182)

②★阿須伎神社(阿式社、あじきのやしろ)・式内社。大国主の神子の阿遅鉏高日子根神を祀る。(出雲市大社町遥堪1473)

③★大穴持御子神社(三歳社、みとせのやしろ)・式内社。子の事代主神・高比賣命(古事記では下照比賣命)と素戔嗚尊の孫の御年神を祀る。(出雲市大社町杵築東)

④大穴持御子玉江神社(乙見社、おとみのやしろ)・式内社。子の下照比賣命を祀る。(出雲市大社町修理免字向地920)

⑤★大穴持伊那西波岐神社(いなせはぎのかみのやしろ)・式内社。天穂日命の子で、国譲りの際に事代主のもとに使者として向かった稻背脛命(いなせはぎのみこと)を主祭神とし、白兔神を配祀する。(出雲市大社町鷺浦102)

⑥★上宮(かみのみや)・素戔嗚尊・八百萬神を祀る。神在祭の際、神々の会議所となる。(出雲市大社町杵築北)

⑦★下宮(しものみや)・天照大御神を祀る。(出雲市大社町杵築北)

⑧出雲井社(いずもいのやしろ)・岐神(ふなどのかみ)を祀る。(出雲市大社町修理免)

⑨★因佐神社(いなさのかみのやしろ)・建御雷神を祀る。(出雲市大社町杵築3008)

⑩★湊社(みなとのやしろ)・櫛八玉神を祀る。(出雲市大社町中荒木)

⑪★大歳社(おおとしのやしろ)・素戔嗚尊の子の大歳神を祀る。(出雲市大社町杵築北)

⑫祓社(はらいのやしろ)・祓戸四柱神を祀る。参道大鳥居の東側にあり参拝者が前もって身心を祓い清める社。(出雲市大社町杵築東195)

⑬★野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)・参道大鳥居の西側、神苑相撲場の北西にあり相撲の始祖野見宿禰命(第13代出雲國造 襲髄命(かねすねのみこと)を祀る。

【最初にご紹介するのは、②★阿須伎神社(阿式社、あじきのやしろ)・式内社です。大国主の神子の阿遅鉏高日子根神を祀ります。(出雲市大社町遥堪1473)】




PB020149.jpg(まずは鳥居から、普通の神社の装いです。)
PB020153.jpg(写真ではご紹介できませんが多くの神様が祀られています。)
PB020164.jpg(拝殿です。)
阿遅鉏高日子根神(あじすきたかひこね・味耜高彦根命)って誰?と思われる方多いと思います。「古事記」「出雲風土記」のご出演で「日本書紀」には出演されていません。阿遅鉏高日子根命は、国譲り神話に天稚彦(あめのわかひこ)の友人として登場する美青年の神さまです(隠れた?人気がある神様です。)。葦原中国を平定するに当たって、遣わされた天穂日命(あめのほひ)が3年たっても戻って来ないので、次に天稚彦が遣わされます。

しかし、天稚彦は大国主の娘下照姫命(大国主神と多紀理毘売命の娘で、阿遅鉏高日子根神は兄に成ります。)と結婚し、葦原中国を得ようと企んで8年たっても高天原に戻って来ませんでした。そこで天照大御神と高御産巣日神は雉の鳴女を遣して戻ってこない理由を尋ねさせるお話、以前にしましたよね~。

すると、その声を聴いた天探女(天邪鬼のモデルとも言われます。)が、不吉な鳥だから射殺すように勧め、彼は遣わされた時に高御産巣日神から与えられた弓矢(天羽々矢と天之麻迦古弓)で雉を射抜いてしまいます。その矢は高天原まで飛んで行き、矢を手にした高御産巣日神、「天稚彦に邪心があるならばこの矢に当たるように」と誓約をして下界に落とすと、その矢は寝所で寝ていた天稚彦の胸に刺さり、彼は死んでしまいます。このお話は「天に唾する」に変化しているように思えます。天に唾すると、自分にかかる事から、悪事は自分に帰って来るのだという教えですね(うんうん)。

天稚彦の死を嘆く下照姫命の泣き声が天まで届くと、天稚彦の父の天津国玉神は下界に降りて葬儀のため喪屋を建て八日八夜の殯を行います。下照姫命の兄の阿遅鉏高日子根も弔いに訪れますが、彼が天稚彦に大変よく似ていたため、天稚彦の父と妻が「天稚彦は生きていた」と言って抱きついてしまいます。すると阿遅鉏高日子根神は「穢らわしい死人と見間違えるな」と怒り、神度剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばして天地に飛び去ったといいます。喪屋が飛ばされた先は美濃・藍見の喪山だといわれています。阿遅鉏高日子根の名前”スキ”は、農具の「鋤すき」から連想されたもので、もともとは鋤を御神体とする農業神だったようですが、このときの激怒ぶりや天地を行き来する姿は、雷神をイメージさせるものです。

さらに『出雲国風土記』のこの神さまの養育に関する説話では、阿遅鉏高日子根が幼い頃、昼夜泣きやまなかったので船に乗せて八十島やそじまを巡ったり、高屋を作って梯子を掛けてそれを上り下りさせて育てられたといいます。古代の人々は、雷鳴が天空を駆け巡る様子から雷を天翔ける船(神の乗り物)と考えて、強烈な落雷からは天地を往来する雷神の姿を連想したのかもしれませんね。

PB020172.jpg(阿遅鉏高日子根神で、間違いありませんね。)
PB020214.jpg(神殿正面から。)
PB020189.jpg(少し小ぶりでも大社造りは美しいです。)
PB020175.jpg(出雲大社の東に位置しますので、西に遥拝所神社があります。)

【次にご紹介するのは③大穴持御子神社(三歳社、みとせのやしろ)・式内社です。(出雲市大社町杵築東)】




P5041473.jpg(出雲大社拝殿西側と千家家の荒垣外に位置する神楽殿の間を登ります。車の場合は観光客が多いので注意が必要です。)
P5041479.jpg
(川沿いを下りて登ると分かりやすいですが、橋を通り過ぎるコースをえらんで道に迷いました。笑)

この社は、大国主の子ども達が祀られています、事代主・高比賣命(古事記では下照比賣命、阿遅鉏高日子根の妹)と素戔嗚尊の孫の御年神を祀 ます。事代主はいうまでもなく超有名ですね。国譲りの時には美保に漁に出ていたことから、恵比須神と同一視されています。えびす様は事代主系と蛭子系に分かれるようです。1月10日の開門神事で有名な西宮神社は蛭子系に成るので、天照大御神の兄となります。神様も複雑な人間関係?神様関係をお持ちです。

高比賣命こと下照比賣命は夫・天稚彦の死よりも兄・阿遅鉏高日子根の名を明かす歌を詠んだ事で知られています。この歌は「夷振(ひなぶり)」と呼ばれます。夷振を詠んだという記述は『日本書紀』本文にはありませんが、『日本書紀』第一の一書では、天稚彦の妻の名は記されておらず、夷振を詠んだ者の名としてのみの下照比賣命の名が登場しています。以前ご紹介した伯耆一宮の倭文神社では現在は建葉槌命が主祭神となっていますが、社伝には下照比賣命に関するものが多く、大正時代までは下照比賣命が主祭神であると考えられていました。倭文神社内の塚が下照比賣命の墓であると考えられて発掘されましたが、経塚であると判明しています(出土品は国宝に指定されました)。

御年神ですが日本神話では、須佐之男と神大市比売(かむおおいちひめ・大山津見神の娘)の間に生まれた大年神(おおとしのかみ)とされています。毎年正月に各家にやってくる来方神です。地方によっては、お歳徳(とんど)さん・正月様・恵方神・大年神(大歳神)・年殿・トシドン・年爺さん・若年さんなどとも呼ばれます。

現在でも残る正月の飾り物は、元々年神を迎えるためのものです。門松は年神が来訪するための依代であり、鏡餅は年神への供え物でした。各家で年神棚・恵方棚などと呼ばれる棚を作り、そこに年神への供え物を飾りました。わが家では”どんど焼き”といいますが、民俗学的な見地からは、小正月に門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされます。

P5041457.jpg(大国主の親族神です。)
P5041467.jpg(新緑も水も綺麗!マイナスイオンで癒されますね~。)

【日本に生まれて幸せだ!】


世界の宗教をみてみると、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は同じ神を拝める宗教で、解釈の違いで何百年も争っているって知ってました?それではなぜ、仲良く出来ないのでしょう。キリスト教とイスラム教はユダヤ教から派生した唯一神を信じるため、これら3つはすべて「一神教」といわれる同類の宗教なのです。西暦0年がキリスト教誕生の年で、西暦610年にイスラム教は誕生しているので、イスラム教がこの中では一番新しい宗教ということになります。

そこでまず、一番古いユダヤ教を考えてみましょう。基本ポイントは3つで、唯一神・預言者・メシア(救世主)です。思想ポイントが解ればあとは簡単です。神は唯一神である「ヤハウェ」という名前(固有名詞)で、「すべてのものをつくった、たった一つの神様」とされます。預言者とは、唯一神からの命令を預かる特別な人のこと。「箱舟を作ったノア」や「海を割ったモーセ」などが有名ですね。メシア(救世主)はヘブライ語で救世主という意味があります。基本的には、いつの日にか「自分達(ユダヤ教徒)を救ってくれる存在を神様が遣わしてくれるはずだ」という思想です。実は、キリスト教もイスラム教も「神様は同じ」なんですよね、これら3つの宗教は「姉妹宗教」ともいわれます。

キリスト教の唯一神も「ヤハウェ」です。ただし、キリスト教の信者は「イエス・キリスト」が預言者であり救世主でもあるという個人崇拝を基本としています。イスラム教の唯一神もやはり「ヤハウェ」ですが、イスラム教の開祖であるムハンマドは「最後にして最大の預言者」という位置づけに成ります。「アッラー」というのは日本語でいうところの「神」で普通名詞、英語だと「God」に成ります。そのため、よく「アッラーの神」といいますが、あれは誤まりということに成りますね。キリスト教徒と同じく、イスラム教徒も人類はアダムとイブから始まったと考えているんですよ(ちょっとびっくりしませんか?)。

ユダヤ教では「アドナイ」、キリスト教では「ゴッド」、イスラム教では「アラー」と呼びますが、これらは全て「ヤハウェ」の事です。ただし、ユダヤ教は戒律に「神の名前をみだりに呼ぶなかれ」というものがあるため信者はこの名前(ヤハウェ)を口にしません。ですから、あまり宗教に感心のない人達には分かりづらいですよね。それでは何処が違うのか?預言者(開祖)がどう位置づけられているかに成ります。キリスト教においてメシア(救世主)として信仰の対象とされるイエスは、イスラム教ではイーサーと呼ばれ、ムハンマド(マホメット)の前駆者であり、ムハンマドの出現を予言した者と認識されています。

そのため、イスラム教のコーランには、イエス・キリストもあくまで「預言者のひとり」として登場します。ユダヤ教徒にすれば、イエスやムハンマドはメシアを騙る偽物であり、本当のメシアはまだ現れていないのだそうです。キリスト教徒にすれば、ユダヤ教徒はイエスを偽物だと決めて迫害した仇、メシアであるイエスの以後に預言者を名乗ったムハンマドは偽預言者に成ります。さらに、イスラム教徒にすれば、ムハンマドという最後の預言者が現れたのだから、ユダヤ教徒もキリスト教徒もイスラム教徒に改宗すればいいと思っています。

信者の数は、キリスト教約21億人、イスラム教約13億人、ユダヤ教約1500万人です。細かく見れば色々と違う考え方をしている宗派もありますが、基本的にはこう考えれば間違いではないと思います。このように、これら3つの宗教は異なる宗教というよりも、異なる宗派(仏教の臨済宗と曹洞宗の違い位です。あ~やちまったかな?失礼が有りましたら無知ゆえとお許しください。)といった感じに思えてきます。神様が同じなのに、あんなに激しく争うのには様々な思惑が、宗教的動機と、政治的動機が複雑に絡まっているからです。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三宗教の聖地はエルサレムであり、この聖地奪回を巡って、およそ二百年間に、七回に亘る戦争が繰り広げられました。11世紀末から13世紀末まで、約200年間にわたって展開された、西ヨーロッパのキリスト教勢力による、西アジアのイスラーム教圏などに向けての軍事活動。ローマ教皇の「聖地回復」という宗教的目的での十字軍の派遣です。その続きが現在も行われているんです。

【最後に一言】

P5041669.jpg(だんだん近づいてきましたよ~!)

神様が一人だから問題が起きるのでは?と考えるのは私だけなのでしょうか?日本では八百万の神がおられて、それぞれに専門性があります。大国主神なら”縁結び”ですよね(笑)ここが大事なのです。全ての神様に得意部門のお願いをすることによって、神様同士も喧嘩することはありませんしうまく収まるのです。正に和国ですよね~。一神教:の国々が神様の代理戦争を人間が行っているように見えるのは私だけですか?

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2018/05/20

神々を訪ねて『出雲大社・荒垣外摂社』を歩く!更に二社vol⑤

『出雲大社・荒垣外摂社のご紹介が残り七社に成りましたので、二社・二社・三社とUPしてご紹介します。 』


実は、出雲に関係の有る神社の神官の方々三人とFacebookでお友達に成っていただいておりますので、出雲の神社ブログを書くときは緊張します。その三方は出雲大社と国造北島家、更には意宇六社・日御碕神社兼務のお三方神官の皆さまです。毎回お会いしてお話を聞かせて頂きたいのですが、そこは仕事中でしようから、ご迷惑を掛けないようにしている積もりなのです。特に神事(お祭り)の時期はとてもではないですですよね~f(^_^;

皆さんは、出雲といえば出雲大社が有名ですから、古代出雲国の中心は出雲大社近辺だと思われておられませんか?実は古代の出雲の中心は意宇郡です。国府跡や国分寺、意宇六社が有る辺りです。「出雲風土記」でも『おえ!(終え?)』の掛け声と共に「八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)」が柱を突き刺したといわれるのも「意宇の杜」といわれています。

「建御雷之男神」が稲佐の浜に訪れるのも、古代出雲から考えると不思議な感じがします。国譲りの際も「事代主」は伯耆の倉吉に有る波々岐(はばき)神社に逃亡した伝承が残りますし。出雲大社で仲良く祀られている「須勢理毘売命」も以前、現在の伯耆・大山町に逃亡して隠れ?住んだ伝承の検証を試みました。

更には「建御名方神」は諏訪湖まで逃亡して、諏訪神社の御祭神と成っています。東の大和(倭)から攻め込まれた神々が全て?東に逃亡し、攻め込んだ勢力は西から上陸なんて、いくら私がつじつま合わせの作り話が得意でも疑問が湧かざるをえません。
神話の謎解きはとても魅力的ですが、頭の中だけでは実感出来ない事柄が多いのです。私が出雲に何度も足を運んでいるのも、フィールドワークの重要性を感じるからです。


P5041915.jpg(稲佐の浜の弁天島?とも思わせる柏島です。日本海綺麗です。)

さて今回、ご紹介させて頂きますのは少し出雲大社から距離的にも離れていて、中々分かりにくい場所に有る二社、⑤大穴持伊那西波岐神社(いなせはぎのかみのやしろ)・式内社。天穂日命の子で、国譲りの際に事代主のもとに使者として向かった稻背脛命(いなせはぎのみこと)を主祭神とし、白兔神を配祀する。(出雲市大社町鷺浦102)と、⑩湊社(みなとのやしろ)・櫛八玉神を祀る。(出雲市大社町中荒木)をご紹介します。

さて、出雲大社に戻って荒垣外摂社をご紹介しましょう。

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【今回ご紹介するのは、荒垣外摂社の二社です。★を付けた社はご紹介済】


①★神魂伊能知奴志神社(命主社、いのちぬしのやしろ)・式内社。神産巣日神を祀る。(出雲市大社町杵築東182)

②阿須伎神社(阿式社、あじきのやしろ)・式内社。大国主の神子の阿遅鉏高日子根神を祀る。(出雲市大社町遥堪1473)

③大穴持御子神社(三歳社、みとせのやしろ)・式内社。子の事代主神・高比賣命(古事記では下照比賣命)と素戔嗚尊の孫の御年神を祀る。(出雲市大社町杵築東)

④大穴持御子玉江神社(乙見社、おとみのやしろ)・式内社。子の下照比賣命を祀る。(出雲市大社町修理免字向地920)

⑤★大穴持伊那西波岐神社(いなせはぎのかみのやしろ)・式内社。天穂日命の子で、国譲りの際に事代主のもとに使者として向かった稻背脛命(いなせはぎのみこと)を主祭神とし、白兔神を配祀する。(出雲市大社町鷺浦102)

⑥★上宮(かみのみや)・素戔嗚尊・八百萬神を祀る。神在祭の際、神々の会議所となる。(出雲市大社町杵築北)

⑦★下宮(しものみや)・天照大御神を祀る。(出雲市大社町杵築北)

⑧出雲井社(いずもいのやしろ)・岐神(ふなどのかみ)を祀る。(出雲市大社町修理免)

⑨★因佐神社(いなさのかみのやしろ)・建御雷神を祀る。(出雲市大社町杵築3008)

⑩★湊社(みなとのやしろ)・櫛八玉神を祀る。(出雲市大社町中荒木)

⑪★大歳社(おおとしのやしろ)・素戔嗚尊の子の大歳神を祀る。(出雲市大社町杵築北)

⑫祓社(はらいのやしろ)・祓戸四柱神を祀る。参道大鳥居の東側にあり参拝者が前もって身心を祓い清める社。(出雲市大社町杵築東195)

⑬★野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)・参道大鳥居の西側、神苑相撲場の北西にあり相撲の始祖野見宿禰命(第13代出雲國造 襲髄命(かねすねのみこと)を祀る。

【最初にご紹介するのは、⑤大穴持伊那西波岐神社(いなせはぎのかみのやしろ)・式内社です】




P5041877.jpg(鳥居に扁額がありませんが伊那西波岐神社です。)
P5041876.jpg(式内社の大穴持伊那西波岐神社に比定されます。)
P5041881.jpg(白兎神とも関連していますし、四十二浦巡りも出来ればと考えています。)
P5041888.jpg(随神門もしっかりあり、摂社の中でも一・二の規模です。)
P5041893.jpg(境内は白砂がひかれ、拝殿もしっかりありました。)
P5041904.jpg(神殿は勿論大社造りです。)

御祭神の稻背脛命(いなせはぎのみこと)は天穂日命(誓約時の天照大神の第二子、出雲国造の祖)の子で、国譲りの際に事代主のもとに使者として向かっています。こちらのお話は「日本書紀」のみで「古事記」では稲背脛命ではなく「アメノトリフネ」が登場しています。出雲大社摂社「伊奈西波岐神社」です。式内社「大穴持伊那西波伎神社」に比定されている神社で、鷺社とも呼ばれています。出雲大社を北に向かい日本海の小さな漁村に鎮座されます。

熊野の諸手船で事代主への連絡役を担い、国譲りを承諾するかどうかを問う使者という役割を与えられた神には間違いがありません。事代主命が祀られる美保神社では国譲りに因んだ、青柴垣(あおふしがき)神事・諸手船(もろたぶね)神事が行われています。ちなみに私青柴垣神事は取材できたのですが(偶然)、諸手船神事は取材できておりません。

P5041919.jpg
(こちらは摂社の横に在った臨済宗妙心寺派の寺院・一畑薬師の石灯篭、目の仏様ということで手術の成功をこっそり祈願しました。)

【次にご紹介するのは⑩湊社(みなとのやしろ)・櫛八玉神を祀る。】




P5041935.jpg(とにかく敷地が広大です。)
P5041940.jpg(来待石の出雲型狛犬の風化具合が歴史を感じさせてくれます。)
P5041944.jpg(舞の舞台や土俵もあります。)
P5041949.jpg(どんな料理がふるまわれたのでしょう。)
P5041961.jpg(摂社らしい?可愛いいお社です。)

湊社は出雲市大社町中荒木に在り、櫛八玉神を祀ります。敷地は摂社にしては大きいのですがお社はこじんまりとしていました。御祭神の櫛八玉神(くしやたまのかみ)ですが、「古事記」では、大国主命が国を譲って遠くに隠れ控えるかわりに、天神御子の住むような住居を要求し 出雲国多芸志の小浜(杵築の地)に神殿(出雲大社)が造られ、水戸神の孫・櫛八玉神が膳夫(料理人)となります。櫛八玉は鵜に変身して海底の埴(粘土)をとり「天の八十平瓫」(平らな土器)を作り海藻を刈って 燧白・燧杵を作り、火を鑽り出して、大国主命に対して、火を使って調理した魚を献る詞章(火鑽りの詞)を述べます。

水戸神(みなとがみ)とは、港の神のことで伊邪那岐と伊邪那美が国産みを終えて、神を産み始め、九番目と十番目に産んだ「速秋津日子神(はやあきつひこのかみ)と速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)」の事だそうです。 水戸神は神の名前ではなく、「分類(種族・系譜かもしれません)」のようですね。

建御雷之男神(たけみかずち)が大国主を気遣ったのか?これとも屠ってしまった大国主(私は大国主は称号と考えていますので国譲りに関わった出雲の王)を祀ろうとしたのかもしれませんね。

【最後に一言】

CIMG23745.jpg(古代出雲の中心「意宇の杜」)

想像を逞しくするのは悪い事では無いと感じますし、漫画本を大学に行くまで読んだことが無かった私は小説に没頭し本が大好きになりました。映画やドラマを見る前に本を読んでしまうと、内容を理解(俗にいうネタバレってやつですか?)していることもありますが、どうしても想像力の方が大きくて映画やドラマが物足りなく?感じてしまうのは私だけでしょうか?先日誰かのSNSで「銀河鉄道999」の実写化の話題があり大丈夫?と思ったばかりですし、現在放映中の「モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-」はディーン・フジオカさんが頑張っておられるにも関わらず、違うんだよね~と感じてしまいます。

「モンテ・クリスト伯」は私の推薦図書ベスト100のトップに入ろうかという名作!大河ドラマ位の尺が無いと描ききれないと思いまし、日本人の設定は無理が有ると思います。

大河ドラマが『古事記-全ての始まり-』なんて出来ないかな?出来ないですよね~~オールスター出演でもめるでしようね、皆さんなら、まず天照大御神誰にします?(((^_^;)


P8111098.jpg
(少しずつではありますが出雲大社の神殿に近づいています。神楽殿横の鏡の池の蛙様です。笑!)

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2018/05/15

神々を訪ねて『出雲大社・荒垣外摂社』を歩く!一気に三社「勿論、天照大御神もお祀り・纏向遺跡も新事実!」vol④

『やはり纏向遺跡が邪馬台国?「桃の種」年代が確定!』


奇しくも、「タイミング良すぎるやろ!」のニュースが飛び込んで来ました。前回卑弥呼=天照大御神のブログを書いて、反響も凄くて、ご意見も一杯頂きました。ありがとうございましたm(__)m。

さて昨日の新聞各社が、「纏向遺跡の「桃の種」年代は卑弥呼の時代と重なる。 」のほぼ同じ見出しでスクープを伝えました。

各社新聞によりますと、邪馬台国の有力な候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で見つかった大量の桃の種の年代を測定した結果、女王・卑弥呼の時代と重なることが分析結果からわかりました。邪馬台国の謎に迫る新たな資料として注目されるようです。


P5190134(2).jpg(あえて箸墓古墳にしました。何度見ても美しい。纒向遺跡「箸墓古墳のすぐ傍」は私が取材した時には埋め戻されて更地に成っていました。)

纒向遺跡は、3世紀から4世紀にかけての大規模な集落跡で、邪馬台国があった場所の有力な候補の1つとされています。遺跡では、8年前、卑弥呼の宮殿跡との説もある3世紀前半の大型建物跡のそばで、桃の種が2000個以上見つかりました(現地に行って来ましてフィールドワークしてきました。)。この桃の種を、名古屋大学の中村俊夫名誉教授と元徳島県埋蔵文化財センターの近藤玲さんが、それぞれ放射性炭素を使った年代測定を行ったところ、いずれも西暦135年から230年の間のものの可能性が高いことがわかりました。

卑弥呼は中国の歴史書「魏志倭人伝」で、3世紀前半ごろに邪馬台国を治めていたとされ、今回の結果は卑弥呼の時代と一部、重なっています。また、桃は古くから神聖な果物とされていたことから、卑弥呼が行った祭しで供えたのではないかという指摘もあるということです。

桜井市纒向学研究センターの寺澤薫所長は、「魏志倭人伝の記述にある卑弥呼の時代と重なり、纒向遺跡について考えるうえで重要な資料」としています。

邪馬台国九州説の研究者の皆さんは卑弥呼 と明確には結びつかないとの見解です。邪馬台国が九州にあったとする説を唱える、佐賀女子短期大学の高島忠平名誉教授は、「参考になる研究成果だが、邪馬台国の所在地や卑弥呼と結びつく明確な材料はなく、今回の成果で論ずるのは無理があるのではないか」しています。

確かに、この桃の年代が分かったからといって、卑弥呼が纒向遺跡に居たことの根拠では無いですし、ましてや箸墓古墳が卑弥呼の墓と証明された訳でも有りません。

しかしながら、纒向遺跡の場所に当時日本最高の都市国家が有ったであろうことは証明されました(これから最も凄いものが他所から出てくれば別ですが!)。

更に注目したいのは、桃が神聖な物だということです。伊邪那岐が黄泉国の鬼女「黄泉醜女(よもつしこめ。醜女は怪力のある女の意)」から追われた時に投げつけたのも桃でしたね。纒向遺跡周辺の前方後円墳は日本最古の物です。この地が邪馬台国では無いにしても、倭→大和と続く日本国家の中心に成っていった事の証明に大きく近付いたのではないでしょうか?今後の展開が楽しみですね~(*^^*)


さて、出雲大社に戻って荒垣外摂社をご紹介しましょう。

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【今回ご紹介するのは、荒垣外摂社の三社⑥上宮(かみのみや)・⑦下宮(しものみや)・⑪大歳社(おおとしのやしろ)の三社です。★を付けた社はご紹介済】


①★神魂伊能知奴志神社(命主社、いのちぬしのやしろ)・式内社。神産巣日神を祀る。(出雲市大社町杵築東182)

②阿須伎神社(阿式社、あじきのやしろ)・式内社。大国主の神子の阿遅鉏高日子根神を祀る。(出雲市大社町遥堪1473)

③大穴持御子神社(三歳社、みとせのやしろ)・式内社。子の事代主神・高比賣命(古事記では下照比賣命)と素戔嗚尊の孫の御年神を祀る。(出雲市大社町杵築東)

④大穴持御子玉江神社(乙見社、おとみのやしろ)・式内社。子の下照比賣命を祀る。(出雲市大社町修理免字向地920)

⑤大穴持伊那西波岐神社(いなせはぎのかみのやしろ)・式内社。天穂日命の子で、国譲りの際に事代主のもとに使者として向かった稻背脛命(いなせはぎのみこと)を主祭神とし、白兔神を配祀する。(出雲市大社町鷺浦102)

⑥★上宮(かみのみや)・素戔嗚尊・八百萬神を祀る。神在祭の際、神々の会議所となる。(出雲市大社町杵築北)

⑦★下宮(しものみや)・天照大御神を祀る。(出雲市大社町杵築北)

⑧出雲井社(いずもいのやしろ)・岐神(ふなどのかみ)を祀る。(出雲市大社町修理免)

⑨★因佐神社(いなさのかみのやしろ)・建御雷神を祀る。(出雲市大社町杵築3008)

⑩湊社(みなとのやしろ)・櫛八玉神を祀る。(出雲市大社町中荒木)

⑪★大歳社(おおとしのやしろ)・素戔嗚尊の子の大歳神を祀る。(出雲市大社町杵築北)

⑫祓社(はらいのやしろ)・祓戸四柱神を祀る。参道大鳥居の東側にあり参拝者が前もって身心を祓い清める社。(出雲市大社町杵築東195)

⑬★野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)・参道大鳥居の西側、神苑相撲場の北西にあり相撲の始祖野見宿禰命(第13代出雲國造 襲髄命(かねすねのみこと)を祀る。

【最初にご紹介するのは、天照大御神を祀る⑦下宮(しものみや)・天照大御神を祀る。(出雲市大社町杵築北)】

P5041395.jpg(下宮・しものみや)
P5041399.jpg
(出雲では天照大御神も遠慮がち?です。)

番号順に行こうかとも思いましたが、ブログの流れから天照大御神を祀る摂社、下宮からご紹介です。天照大御神って誰?なんて愚問は必要無いですよね。

【次にご紹介するのは⑥上宮(かみのみや・仮の宮)・素戔嗚尊・八百萬神を祀る。神在祭の際、神々の会議所となる。(出雲市大社町杵築北)】

P5041405.jpg
(上宮かみのみや、出雲大社は素戔嗚が御祭神だった時期もありますから、上宮?)
P5041410.jpg(拝殿と神殿・会議されるだけあって大きめ?です。)
P5041416.jpg(隋神門もしっかりあります。)
P5041423.jpg(一年の万物を決める会議、のども乾きますよね~(;^_^A)

旧暦の十月、他地域では神様が留守になるので神無月といいますが、ここ出雲では神在月と呼びます。そして全国の八百万の神々が出雲大社に集まられ、諸々の事、特に人々の縁に関することを会議「神議り(かむはかり)」されると言い伝えられています。実際に、この「上宮」の扉を開けられるのは、年に一度、この神在月の7日間だけだそうです。その間、出雲大社の神職さんもここに詰めておられます。

出雲の各神社では「神迎祭(かみむかえさい)」に始まり、「神在祭(かみありさい)」そして、全国に神々をお見送りする「神等去出祭(からさでさい)」が行われます。

稲佐の浜での神迎神事、旧暦の十月十日の夜(2018年は11月17日です。)、出雲大社の西の稲佐の浜において神迎神事が行われ、龍蛇神の先導の元、八百万の神々は出雲にお着きになります。それより1週間大国主大神の元で会議をされ、旧暦十月十七日に出雲大社をお発ちになります。そしてその神々の会議所となるのが、この上宮です。素戔嗚尊に関しては天照大御神同様に説明は不要ですね(笑)。

一昨年、私も神在祭の神迎え神事に参加することが出来ました。稲佐の浜に人人人、一種のトランス状態になるような感じがしました。とても言葉では言い表せない神秘の体験です。皆さんも一度参加されてはいかがでしょうか?

【最後にご紹介するのは、⑪大歳社(おおとしのやしろ)・素戔嗚尊の子の大歳神を祀る。(出雲市大社町杵築北)】

P5041444.jpg(一番先に見つけました。三宮はほんの近くです。)
P5041431.jpg(分かりやすい場所です。出雲大社から稲佐の浜へ向かう途中です。)
P5041439.jpg(前の石台には何が立つのかな?)
P5041440.jpg(可愛らしいお社です。)

大歳神って誰?という方も居られるのではないでしょうか、簡単にご紹介させていただきます。日本神話では、建速須佐之男命(スサノオ・素戔嗚尊)と神大市比売(かむおおいちひめ・大山津見神の娘)の間に生まれた大年神(おおとしのかみ・大歳神)とされてています。基本は農耕の神様です。柳田國男は、一年を守護する神、農作を守護する田の神、家を守護する祖霊の3つを一つの神として信仰した素朴な民間神が年神であるとしています。

【最後に一言】


前回、卑弥呼=天照大御神のブログに対して多くのコメントを頂きました。感謝しますと共にもっともっとご意見を伺いたいと感じました。その中で私の説明が至らない事で自身の意見が否定されたと思われた方もおられるかもしれませんが、そんなことはありません。卑弥呼=天照大御神自体が私の意見とは違うからです。さらには私が素人であるがゆえの、説明不足もあります。又改めて市郎右衛門に教えてやろうと思われましたら。どしどしコメントを頂けましたらうれしいです。少しでも日本の歴史に興味を抱いて頂ける方々が増えますように願っております。

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2018/05/13

神々を訪ねて「出雲大社」を歩く!スピンオフ『天照大御神は卑弥呼なのか?』

『天照大御神は卑弥呼なのか?』


前々回、謎多き邪馬台国と女王卑弥呼。その正体が天照大御神では無いかとの説をブログに乗せたところ、大きな反響がありました。この謎に迫るために、スピンオフ企画として、卑弥呼=天照大神について私なりに考えてみました。

以前、邪馬台国サミット伯耆に参加した時に、基調講演で安本美典さん(元産能大学教授・季刊「邪馬台国」編集責任者・「邪馬台国の会主催」)が「私の邪馬台国(九州説)」の中で、「卑弥呼は、日本神話の天照大神(あまてらすおおみかみ)と同一人物ではないかと考えている。中国の史書「魏志倭人伝」は、卑弥呼が239年に魏へ使者を送ったと記す。神話を集めた「古事記」が完成したのは712年。400年以上後の奈良時代だが、古事記の天照大神に関する記述は、倭人伝中の卑弥呼と類似する箇所がある。」と述べられました。

amaterasu.jpg
(KOEI三国志卑弥呼より)

安本さんの考え方はこんなん感じです。「私は日本、中国、西洋の天皇や王の在位年数を平均し、1~4世紀の天皇の平均在位年数を?年と割り出した。古事記に記された天皇が全て実在すると仮定し、それぞれ約10年在位したとすると、九州から東へ攻め上り、大和政権をつくったとされる神武天皇が活躍したのは280~290年ごろと計算できる。つまり、近畿地方における大和政権の成立は、邪馬台国の時代より後になる。天照大神は神武天皇の5代前なので、50年さかのぼると活躍した年代は230~240年。卑弥呼が魏へ使者を送った時期と重なり合う。」でした。それでは反対意見も踏まえて私も、少し考えてみましょう。

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【天照大御神は卑弥呼とそっくりだ!】

CIMG1613.jpg(伊勢神宮と一緒に昼と夜を護る!あれ?夜は月読様じゃなかったっけ!)
CIMG2758.jpg(伊勢神宮に祀られる天照大御神)
CIMG1614.jpg(出雲「日御碕神社・日沈宮」に祀られる天照大御神)


まず最初に、皇紀2600年について私市郎右衛門の見解ですが、はっきり言って無理が有るかも知れません。ただし全くの否定というわけでもありません。「日本書紀」の日本建国は2678年前であり、考古学では2000年かそれ以前と考えられています。皆さんは縄文時代がどれくらい続いたかご存知でしょうか?約1万5,000年前(紀元前131世紀頃)から約2,300年前(紀元前4世紀頃)なんです。その間14700年間に素晴しい国造りをしていたことは、青森の三内丸山遺跡で見て来ました。その様な国の一つとして生まれた倭国が、最後に日本を統一したとすれば、あながち皇紀2600年もありえなくはないと考えます。古代天皇が100歳生きたというのは、さすがに無理が有ると考えているわけです。さて、前出の「安本美典さん」の考えを箇条書きにするとこんな感じです。

卑弥呼は三世紀あたりに実在した日本の女王です。日本の歴史書である古事記・日本書紀にはもちろん中国名である卑弥呼は出てきません。しかし、記紀にも卑弥呼は別名つまり、日本の呼び名で登場するのではないかと考えるのは妥当です。記紀の記述から、女性で最高の地位にある古代の人物を探すと、天照大神と神功皇后くらいしかいません。しかし、神功皇后は時代が異なるというのが通説です。日本書紀の神功皇后の三韓征伐には新羅や百済が出てきますが、新羅の建国は356年。百済は346年なので卑弥呼時代よりも100年以上は後になるのです。

それでは、天照大神はどうでしょう。記紀では天照大神の時代はありえないほど太古となっています。日本書紀によると日向時代だけで179万2470年余りとなっています。しかし、天皇の在位期間を考えてみると、意外に新しいのではないかと考えることも可能です。

31代・用明天皇は585年に即位しています。40代・天武天皇は686年崩御です。つまり、31代から40代までの10代の平均在位期間は10年ほどとなります。これを適用すると神武天皇の即位は285年あたりとなり、その五代前の天照大神の時代は240年あたりになります。このような考え方をすれば、天照大神と卑弥呼の年代は重なる可能性があるわけです。また、文献的に見た記紀の天照大神と魏志倭人伝の卑弥呼には共通点が多くあります。

1、共に女性で最高の地位にあること。共に独身であること。共に巫女的な存在であること。
2、卑弥呼は日御子(ヒノミコ)の中国読みと考えられますが、天照大神の名前も太陽に関係あること。
3、天照大神は岩戸から出てくるとき鏡が重要な役割を果たしますが、卑弥呼も魏から百枚の鏡をもらっていること。
4、卑弥呼には狗奴国、天照大神には須佐之男命という宿敵がいること。
5、卑弥呼は狗奴国との争いの最中に亡くなり、天照大神は須佐之男命の乱暴に怒って天岩戸に隠れること。
6、卑弥呼が亡くなると、跡継ぎをめぐる争いが起こり千人あまりが殺され、天照大神が岩戸に隠れると、高天原や葦原中国はみんな真っ暗闇になり、悪い神が騒ぎ出すこと。
7、卑弥呼の後を継いだ台与が女王になると国中が定まり、天照大神が天岩戸から出てくるともとのように明るくなること。
8、台与が女王になると、さらに男王が立ち、共に中国の爵命を受け、また天照大神が岩戸から出てくると高皇産霊尊が登場し、共同で高天原を治めること。つまり、共に男女の王の並存が語られていること。

このように、卑弥呼とそのあとを継いだ台与という二人の女王が、ひとりの天照大神の伝説として残っていたと考えられるわけです。天岩戸の隠れる前が卑弥呼で、天岩戸から出てきたあとが台与ということになります。

天照大神の子孫である神武天皇は、その後日向を発ち東征の旅に出ます。大和の橿原で即位し、初代天皇として即位するわけです。というわけで、天照大神=卑弥呼+台与は邪馬台国九州説(東遷説)ということになります。

【反論】


1)天皇在位年数の計算が都合よすぎる。
2)卑弥呼 は本来在位していた男王の後に共立されて歴史に登場しているが、天照大神 は血統に基もとづいて、始めから女神として神話に登場している。
3)天照大神 には婿が いた筈で あるが、卑弥呼 に夫や婿は いない。
4)天照大神 には五男三女が いたと記録されているが、卑弥呼 に子息,息女が いた形跡は無い。
5)卑弥呼 の男弟は 卑弥呼 を補佐しているが、素戔男尊 は とても 天照大神 を補佐しているとは言い難い。
6)卑弥呼 の後には男王が立った後に廃立されて女王 壱与 が再度共立されているが、天照大神 の後には血統による継嗣が続いて おり、女王が共立された形跡は見当たらない。
7)卑弥呼 の後を継いだ 壱与 に当たる人物が、天照大神 の近辺では見出し にくい。

等々、確かに納得できる疑問ですね~(;^_^A、私はこの反論を跳ね返すことが出来るのか~~?

【市郎右衛門夢物語】


まず、最初に反論に対する代替え案を出す前に、私がけして「安本美典さん」のご意見に感化されて味方(賛同)しているわけでは無い事を表明させていただきます。安本さんは邪馬台国九州説を採用されていますが、私は邪馬台国移動説を提唱したいと思います。王都は移動するんです。纒向にも行きましたが、王(女王)に死が訪れると神殿(政殿)は廃棄されて移動しているようです。つまり卑弥呼ないし壱与がいる場所が邪馬台国であるという意見です。

次に、卑弥呼の呼び名は地位であり日御子(ヒノミコ)ではなく「姫巫女」の当て字ではないかと考えます。さらに卑弥呼と天照大神が同一人物である「安本説(邪馬台国は九州)」なら「古事記」の神話部分に九州が出てこないわけがありません。

26代継体天皇・継体元年(507年?)即位、50代桓武天皇・延暦25年(806年)崩御の299年間に26人の天皇が変わり、平均在位期間は約12年、継体天皇以前の25代にその三代前の邇邇芸命と二代前の天照大神を足すと30代、30×12=360ですから、継体天皇即位の507年から360を引くと147年となってしまい卑弥呼の年代と100年の誤差が出て重なるとはいえません。確かに31代・用明天皇は585年に即位と40代・天武天皇は686年崩御を採用するのは都合がよすぎる気がします。しかし欠史八代を信じて、神武天皇と崇神天皇を同一人物と考ええば、武烈天皇から天照大神まで21代、21×12=252、507-252=255となり時代が合ってきますね。

卑弥呼→男王→ 壱与の王位継承についてですが、伊邪那美→伊邪那岐→天照大神はどうでしょう。古事記における伊邪那美の足跡は出雲にたくさん有るのですが、天照大神についてはあまり無いのです。天照大神は伊邪那美が死んだ後に伊邪那岐一人(別の女性との間)が生んだことになります。さらに伊邪那美と伊邪那岐は兄妹神(姉弟でも問題ないのでは?)です。天の岩戸にお隠れになったは、死を意味すると考えます。伊邪那美の死を多いわで、ふさいだのは伊邪那岐です。新たな太陽神が天照大神(壱与)ではないでしょうか。

天の岩戸=皆既日蝕説について、近年の研究では247年248年に皆既日蝕が発生していますが、邪馬台国は3世紀ごろのお話、国の始まりは1世紀ごろという説が有力です。手掛かりとして、国立天文台の谷川清隆特別客員研究員と相場充助教が2年かけて調べたのは、その間の1~3世紀に日本付近であった皆既日食の通り道です。

「皆既日食が見られる皆既帯の場所は限られる。邪馬台国で皆既日食が見えた事はないか」という推論をもとに研究されています。推論の根拠は日本書紀です。天照大神が天の岩屋戸に隠れ、辺りが闇に包まれたという神話が描かれています。記述が具体的であることから、この描写は皆既日食を指しているという解釈があります。天照大神=卑弥呼の説を成り立つためには、岩屋戸神話は邪馬台国など文明地で見られた皆既日食に基づいているのではないか、と推論されています。

1~3世紀には58年、158年、247年、248年の4回の皆既日食があったことが計算上わかっています。問題となったのは、地球の自転でした。月の引力などの影響を受け、地球が1回転する時間は少しずつ長くなっている。このため、約2千年前に起きた日食の場所をシュミレーションするには、時刻の補正が必要でした。2人は朝鮮の歴史書「三国遺事」に出てくる「新羅地方で太陽の光が消えた」との記事に着目します。これが新羅で見えた158年の日食と特定した。そこから導いた補正の幅から、248年皆既帯は東北地方、247年の日食は日本では日没後で、畿内、九州のいずれも皆既日食が見られなかったことがわかりました。

158年の日食は、朝鮮半島から山口、愛媛で日没直前の午後7時過ぎに20秒ほど皆既になったが、これも畿内、九州は外れています。つまりつまり天照大神の天岩戸に隠れるは日蝕とは関係なく、天照大神の死亡を意味しているのではないでしょうか?

私の勝手な(素人だから言いたい放題!)考えを採用すれば、安本さんに対する反論はほぼ解決できるのではないでしょうか?

【最後に一言】


今回、2011年に米子で行われた、古代史(邪馬台国)サミットIN伯耆から題材を頂き、言いたい放題書かせていただきました。この中には邪馬台国山陰説も勿論有りました。私のような素人がプロの考えに真っ向から反対意見を述べられるのも、まだ事実が解明されていないからですし、それがまた楽しみでもあります。

米子に単身赴任したことで、とても面白い生涯学習のテーマをもらうことが出来たことに感謝するとともに、私の産まれた山陰にスポットが当たる事は素晴らしく嬉しい事ですね。

まだ取材はしてはいないのですが、島根県松江市の田和山遺跡を松江市教育委員会のページから簡単にご紹介させていただきます。風土記の丘資料館から、西へ車で10分進むと、山陰自動車道沿いに田和山遺跡が現れます。今から約2,000年前に、その威容を誇った田和山遺跡は、三重の環壕(全国に類を見ない)がぐるりと山頂を囲み、その外側に住居跡が広がるという、他に例のない構造を持つ、謎めいた弥生の環壕遺跡です。山頂に上がると、遠くは大山など『出雲国風土記』にも登場する山々を見晴らすことができ、眼下には宍道湖が広がります。まさに心洗われる風景だそうです。現在は松江市立病院が隣に立っていますが、是非出かけてみたいですね~ここが卑弥呼の神殿跡かもしれません。


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2018/05/12

【緊急告知】『チェーンメール(スパムメール)』のおわび!Facebookのお友達様へ!

『ご迷惑をお詫びさせて下さいませm(__)m』


チェーンメールに引っ掛かり、Facebookのお友達にご迷惑おかけしました。メッセンジャーで、以下の文章を送ってしまった皆様にお詫び申し上げます。

P5122184.jpg(本当に申し訳ございませんでした)

【[注意]あなたのメッセンジャーリストにあるすべての連絡先に、Jayden K. Smithの友情要求を受け入れないように教えてください。

彼はハッカーであり、あなたのFacebookアカウントにシステムを接続しています。

あなたの連絡先の1人がそれを受け入れると、あなたもハッキングされるので、すべての友達にそれを知らせてください。

受け取ったとおりに転送されますので、このメッセージを指で押さえてください。

そうすると、真ん中の一番下右手に転送ボタンがあります。

それをタッチし、あなたのリストにある人の名前をクリックすると、それがあなたの友人達に送信されます。

以上宜しくお願いします!お互いに被害者にならない為に、、、】


さて、転んでもただでは起きないぞと、こんなややこしい(紛らわしい)チェーンメールを始めた奴に怒りを込めて、ブログ一本書いて、憂さ晴らししてやろ~~(((^_^;)

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【市郎右衛門は何故騙されたのか?】


昨日早朝に高校の同級生でFacebookでも友達に成ってる頂いている、友人から上記のチェーンメールがメッセンジャーで、送られて来ました。運の悪いことに、仕事開始時間が迫っていた上に、スマートフォンを開いた時点で、同じく高校の先輩からも同じメールが来ていたので、すわ大変!と焦ってしまったのです。時間が有れば他のお仲間の皆さんのFacebook情報に、同じメールがチェーンメールで有る情報が有ったのでした。

Facebookの友人に送って直ぐに、数人から「チェーンメールでは?」「スパムメール」ですよ!等の連絡が有り、同級生本人からも「チェーンメールだから送らないで!」の連絡が有ったのですが、時すでに遅し。皆さんにご迷惑を掛けてしまいました。本当にごめんなさい。

【チェーンメールってなに?】


中世ヨーロッパで始まった「天使の手紙」という手紙が始まりだそうです。チェーンメール(英語: chain mail, chain letter)は、受信者に対して他者への転送を促す手紙(メール)です。特に巧妙な文面を用いて受信者に不特定多数への転送を促す手紙(メール)のことだそうです。

かつて「不幸の手紙」や「幸福の手紙」と呼ばれたものが典型的な例ですね(不幸より幸福の方がまだましか?こっくりさんがキューピットさんに成った感じ!)、チェーンレター、チェンメとも。掲示板などにもそういった「チェーン書き込み」「チェーンカキコ」と呼ばれるものが存在します。

【チェーンメールの歴史あれこれ】


歴史的に見ても不特定多数への配布が特徴的なこの種の書簡は、北魏興安3年(454年)の「大慈如来十月二十四日」文書や中世ヨーロッパの「天使の手紙」(独語:Himmelsbrief)などが存在し、チェーンメールという手段が古来より、ある種の意図を不特定多数の他人に流布させる手段であったことを示しています。

電子メールが登場するとチェーンメールは迷惑メールの一類型として問題化しました。チェーンメールは日本では迷惑メール防止法、信用毀損罪、威力業務妨害罪などの法律に触れる場合がありますから。気を付けて下さい。

私が子どもの頃、不幸の手紙がありました。「この手紙と同じ文章で、あなたの友人○人(人数は不定ですが5人だったな!)に出さないと不幸になります」というスタイルで二度、送られて来たことが有ります。悪意のある手紙ですが、不幸に成るといわれると、仲介する人の気持ちも分かりますね。大抵は差出人不明だそうです(幸せの手紙は名前が有りましたね。私は筆不精なので出したことは無かったです。)。

日本では大正時代の「幸福の手紙」が発祥とされています。「不幸の手紙」は昭和40年頃に大流行したね。不幸の手紙が書き写される過程で「不幸」が「木奉」と変形、最後には「棒」になってしまい、「棒の手紙」が広まってしまった笑える例も有るようです。

【そしてインターネット上へ】


チェーンメールは、メールの最後に「このメールを何人の人に送ってください」といった内容のことが書かれているのが特徴です。「止めると殺される」などの脅し文句が入っていることも多いが、その逆に「~のために広めてください」と積極的な流布が社会に貢献するかのような文句がつけられていることもあります。

内容としては「○○が殺されたので犯人を探している」「こんなコンピュータウイルスが出回っています(今回はこちらですね。)」などの場合がほとんどですが、「お金持ちになる方法を教えます」や「有名人に会えます」というものも出回っています。

チェーンメールは人の手をわたる間に内容が変化する傾向にあります。単なる書き間違いである場合が多いが、より多くの人を引っ掛けるために説得力のある文に書き換えられることもある様です。

本当のメールとチェーンメールの見分け方は語尾の「何人の人に送ってください」という文章です。書かれた内容は参考になることは少なく、信用できる友人(今回は疑う必要の無い友人や先輩でした)から送られてくることが多いため注意が必要です。

【代表的なチェーンメール】


私は知らなかったのですが、2001年ごろにインターネット上に蔓延し、恐怖系チェーンメールの定番とされた物が有ります。

【11月22日(土)に兵庫県姫路市港区住吉台(実在しない地名。後述。)で橘あゆみという19歳の女性が複数の男にレイプされ、下腹部をメッタ刺しにされて殺されました。それは私の親友です。彼女は妊娠3カ月でした。[中略]怪しいやつはみんな殺す計画をたてたのです。このメールを見たら必ず24時間以内に9人に回して下さい。パソコン・携帯・ピッチそれぞれの位置情報からメールをとめたやつの居場所をつきとめ怪しいと判断した場合、殺す!探偵事務所の最新型のパソコンによりメールを回したことを確認できるようになっています。】

恐ろしいですね~女性の生首の画像が添付されたメールが送られてくることもあったそうです。また、この件の類似タイプの内容では「このメールを転送した場合、○分後に番号非通知のワンコール(ワン切り)で転送された事の確認を通知します。」等の文が追記されている場合もある。実際にかかってきた場合、大抵自分に送ってきた相手による非通知ワン切りであることが多く、送られてきた側にリアリティーを余計与えてしまうこととなりました。

【チェーンメールが招いた悪影響】


インターネットなどのコンピュータネットワーク上では、スパムの一種とされ、ネットワークへ高い負荷を与える原因となります。

広がり方は連鎖販売取引(マルチ商法・ねずみ算式の拡散)の仕組みと全く同じです。以下の条件で計算する。発信源は1人・同一文面を最低でも5人に送るべしという指令・受け取った人が必ず5人に送り、発信源も5人に送る・一人が受け取ってから転送するまでに1時間かかる(実際は数分程度と思われる)・範囲は日本国内・日本の人口の分の通信手段を持つ・同じ人が二度以上受け取ることはない(ただし最後の1時間は同じ人が二度以上受け取ることもあるとする)この条件で計算した場合、最初の一人が送り始めてから11時間で1億人を超える計算となります(さらに11時間後には発信者自身を含む3億517万5781人に広まる計算)。気をつけて木ださいね

【スパムメールってなに?】


語源は、缶詰の "SPAM" およびコメディ番組『空飛ぶモンティ・パイソン』のスケッチ、『スパム』から来ています。モンティ・パイソンめっちゃ好きで良く見てました。中学生の頃でした(笑)。語源となった商品名との混同や、一種のインターネットジャーゴン(専門語)である「スパム」を避け、日本語を使ってわかりやすく「迷惑メール」と呼ばれることも多い様ですが、違うことも覚えてください。スパム (spam) とは受信者の意向を無視して、無差別かつ大量に一括してばらまかれる、各種ネットメディアにおけるメッセージのことです。当初は、電子メール(SMSを含む)サービス開始と共に電子メールにおけるスパムが席巻しました。近年は各種SNSに同様な迷惑行為が出ています。

送信者側から見て、不特定多数の個人に対してスパム活動をするとき、郵便に比べて電子メールでは以下のような特徴があります。郵便では一通ごとに内容の印刷と郵送料によって出費が発生するが、電子メールは接続料金のみで送信できます。短時間に電子メールアドレスへの一括送信が可能です。封筒ごと捨てられる恐れがなく、題名だけでも受信者の目に触れる可能性が高い等の怖さがあります。

「迷惑メール」という語もあるが、その内容が迷惑であろうが、仮に有用であろうが「受信者や媒体の意向を無視して、無差別かつ大量に一括してばらまく」のがスパム行為であって「迷惑メール」とは別の語に成ります。これらの無差別かつ大量に一括して送信される電子メールのほとんどは広告メールで、「迷惑メール」「ジャンクメール(junk mail)」「バルクメール (bulk mail)」とも呼ばれ、日本国内においては総務省などの省庁が使う表現に従って「迷惑メール」と呼ぶことが多い。アダルト(成人向け)勧誘(ワンクリック詐欺の場合もあり、要注意)のURLが記されていることが知られています。

英語では、UCE (Unsolicited Commercial Email)勝手に送りつけてくる宣伝電子メールUBE (Unsolicited Bulk Email)勝手に送りつけてくる大量(バルク)電子メールと定義されています。

一番怖いのは、コンピュータウイルスやワームの動作で無差別的に発信される電子メールも存在し、「ウイルスメール」と呼ばれることがあります。このメールに添付されるファイルは、ウイルスそのものである場合が多く、厳重な警戒が必要です。今回はただのチェーンメールだったのが不幸中の幸いです。

【『チェーンメール(スパムメール)』対策編集】


対策としては不特定多数に転送を促すメールに対しては、受取った人が次の人に転送しないことに尽きます。今回も私が焦らずに対応していれば、私の所で止められたはずです。

インターネット技術文書であるRFC 1855 『Netiquette Guidelines(ネチケットガイドライン)』RFC1855を探しました。インターネットのあっちこっちにRFC日本語翻訳があり、そのコピーもあちらこちらにあります。 その中でもダントツにコピーが多いのが、『サリー・ハンブリッジ著(インテル社)、 高橋邦夫訳(東金女子高等学校)のRFC1855(ネチケットガイドライン)RFC1855(ネチケットガイドライン)』なので参考にしていただけると嬉しいです。 

【最後に一言】


今回のチェーンメールは落ち着いていれば私でストップ出来ました。基本Facebookの友達申請は歓迎ですが、申請者のFacebook内容を確認すればだいたい目的が分かります。アラブの石油王か?な写真入りの人物やモデルのような美人の女性、アメリカ最高裁判所判事等、私に友達申請するはずのない人からの申請が以前ありました。さすがに気が付きますよね(;^_^A

こんなチェーンメールなら歓迎かも知れません。この出来事は「東日本大震災」が起こってから世界銀行や国際通貨基金(IMF)のスタッフの間からはじまり、やがて世界中に広がったチェーンメールの本文です。

『日本に学ぶ10の事』

1:冷静さ
(騒ぎ喚く、あるいは悲嘆にくれる人はなく、そこには静寂だけがある)

2:尊厳
(水と食料の配給を整然と待つ人々。そこには声を荒げる人、粗野な行動を取る人間はいない)

3:建築技術
(素晴らしい建築家たち。建物は揺れたが、崩壊することはなかった)

4:他者への思いやり・品格
(全員の手に渡るよう、それぞれが必要な物だけを買う)

5:秩序
(略奪や、クラクションの音・無謀な追い越しはなく、ただ相互理解がある)

6:自己犠牲の精神
(原子炉に海水を注入するべく、50人の作業員が原発に留まった。彼らにこの恩を、どう返せばいいのだろうか?)

7:優しさ
(レストランは値下げをし、警備されていないATMに手を出す者もいない。強い立場の者は、弱い立場の者を気遣っていた)

8:災害訓練
(老人や子供を含め、すべての人間が何をすべきなのかを把握している。そして彼らは、淡々とそれを行った)

9:メディアの報道姿勢
(ニュース速報時、メディアは見事な自制を見せた。愚かなレポーターはおらず、冷静なルポが続いた)

10:道義心
(店が停電に陥った際、客は商品を棚に戻し、静かに店から立ち去った)

最後に今回皆さんにご迷惑をかけたことをお詫びするとともに、Facebookでは真の友達は大歓迎です。ブログサークルでお友達に成って頂いている皆様で、私個人とFacebookでつながりたい方は、ご連絡頂けると嬉しです。よろしくお願いします。


いつも応援ありがとうございます。歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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