2017/08/21

十八代市郎右衛門生死をさ迷う!大動脈瘤破裂からの帰還!

皆さん私は何処へ居るのでしょうか?なんて冗談言っていられない状況に成りました。今日は歴史とは関係ありません。

朝仕事(久々の日曜仕事)へ向かう為にスマホの5時45分タイマーの音で起きて自宅のリビングへ降りたその時です。

電話ので呼び出し音が、父からの電話でした!電話口で先日から痛めていた、腰痛の凄まじさを力説する父!「○○(本名)、お父さん動かれんわいや、トイレにも行けん!」「どないしょうな?」「来られんか?」と、其が又今日は日曜日の一人仕事で、昨日私の病院の都合で責任者と交代して貰ったばかりです。「今日仕事やねん」「無理やわ~」「一寸待ってな!」妻を起こして相談するも、妻も外せない仕事!もうどうにてもなれの心境で「救急車呼んで救急病院行って!」冷たいようたが他に方法が見付からない?

P65498745.jpg(豊岡市が誇るドクターヘリ、なんで?今回活躍していただきました。)

「何処に電話するんだいや?」「119番!」「分かったそうするわ~!」と電話を切った父!その後たいへんな事態に成ってしまった非日常な一日日記です。

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【とは言ったものの】

やはり心配で仕事にに行けそうもないですし、父が救急車だ運ばれて病院に向かわない息子も無いだろうと、意を決して上司に電話しました。朝6:15分ですがそんなことはいっていられません。電話口の上司に事情を説明、どうにか代わりの出勤をお願いしました。上司の家は滋賀県~大阪の研究所までの時間を考えると、ぎりぎりだと思いました。この時程上司に感謝を感じたことは、実はこれまで(5年間一緒の現場)ありませんでした(笑)。

お盆とその前に取材旅行に行ったそのままの鞄を(ある意味都合が良かった)車に乗せて出発6:45、まずガソリン給油して中国縦貫道・舞鶴自動車道・春日から北近畿豊岡自動車道 を乗り継いで、自宅へ到着8:40。自宅はもぬけの殻でカギすらかかっていません。ひとまず父が救急車で運ばれたことは確かな様子。

【豊岡市民病院】

今度はどこに運ばれたか、ネットで検索すると整形外科の救急は新しくなった豊岡市民病院、電話で確認すると確かに運ばれているようです。直ぐに豊岡市民病院に向かいました。9:00到着すると父親の処置は始まっておりましたが、ERの先生が相談が有るとの事、腰の様子がだいぶん悪いのか?と思って席に着きました。

sub04_01[1]
(典型的な動脈瘤の造影像白い丸が造影剤で染まった流れる血流・膨らんでいるのが動脈瘤です。)

そこで見せられたのがMRI画像脊椎がが見事に一本圧縮骨折しています。これは痛いわな~と思った次の瞬間「問題はこちらなんですが」、え~これじゃやないの?「こちらご覧いただけますか」といわれた場所は背骨の前側に何やら肝臓の様な10センチほどの影が見えます。なんじゃこれは~?、私医者ではありませんが生物は専門なので腹部のどこに何が有るのか程度は分かるのですが、こんな臓器は無いぞと思っていると「本来こちらに腹大動脈が、ここら辺に腹大静脈が見えるはずなんですが、お父さんのには見ないんです」と先生、アッ、動脈瘤破裂!?病名が頭をよぎったのですが、動脈瘤破裂してなんで生きてるん?「動脈瘤破裂の可能性が有りますので検査させてください」との事。

参考までに、大動脈瘤が破裂したら、救命率は10~20%と言われています。また、緊急手術における死亡率は、胸部大動脈瘤では50%と言われています。

とにかく造影剤で確認させてくださいといわれ、断わる理由も無くお願いしますとうなずくのみ。父の意識ははっきりしていて、話は出来ますが、これはちょっと今日は大変な一日に成りそうだなと感じました。

P65987412.jpg(動脈血管の図今回父は内膜まで破裂かろうじて外膜でもっていました奇跡が~~~!)


そして待つ事1時間、ERに呼び出され説明が始まりました。「やはり胸部大動脈瘤が破裂しています。」「ただ奇跡的に動脈の外膜が伸び切った状態で止まっています。更に漏れ出した血液の一部が固まって血流を維持しています。」運の良いやっちゃ。「しかしこの状態はいつ外膜が破裂して、言葉はあれですが、ぽっくり行ってしまうかわかりません。それにまだ漏れは続いていておりますのでが緊急オペが必要です。術式は年齢や救急性を考えてカテーテルでステントを入れる方法で行いたいと思います。」直ぐお願いします~と拝みたいところでしたが、その後先生が「本日こちらには機器と専門医が居りませんのでオペ出来ません。」なんやと~!

stentgraft01[1]
(ステントグラフト治療図今回は腰部だったので腎臓の下位でしたか?)


「現在(今日)この手術ができるのは、近くでは、神戸日赤病院・姫路中央病院・鳥取県立中央病院だけです。」と説明を受けまして、「大動脈破裂の治療は、一刻も早く心臓の緊急手術が行える病院に駆けつける事が最優先です。ヘリで飛びます。何処が良いですか?」なんじゃと~ヘリ?ドクターヘリで飛ぶ?「それでは神戸の自宅から近い神戸日赤病院で調整しましょうか?」はいお願いします。頭の中はぐるぐる回転し始めました。

【ドクターヘリってか!】

人工呼吸器や除細動器などの専用の医療機器を備え、救急専門医と看護師を乗せ、直接、緊急患者の元に向かう専用のヘリコプターのことです。空飛ぶ救命室とも呼ばれています。

ドクターヘリを用いる最大の利点は、緊急患者のいる救急現場に医師・看護師を素早く送り届け、すぐさま救命処置を開始し、 適切な医療機関への迅速な搬送が可能になることです。一分一秒を争う緊急患者の適切な治療が、いち早く行われるこにより、救命率の向上や後遺症の軽減に大きな効果が期待されます

ドクターヘリは、時速200キロから250キロで飛行できるため、常駐する豊岡病院から、30km圏内を9分、50km圏内を15分、70km圏内を21分で医師・看護師を乗せ、移動することができます。これにより、治療開始時間の短縮が図れ、救命効果を高めることができます。

P12365987.gif
(このスピードのおかげで命が助かりました。)


原則として、豊岡病院から半径50km圏内にかかる消防本部の管轄区域とします。 ただし、ドクターヘリによる搬送が医療上有効と認められる場合や災害時には、その他の地域へも出動します。
(豊岡市HPより抜粋)

【鳥取中央病院】
P8200007.jpg(鳥取県立中央病院!良い病院です。ERの看護婦さんが鳥取弁でなまっているのが可愛い♡)
P8200002.jpg(綺麗な夕方の病院写真を撮る余裕が出ています。豊岡では全く無理でした。)
P8200005.jpg(病院の皆さんこれからの入院生活もよろしくお願いします。父は鳥取大学の出身、後輩に命救われて本望でしょ。)


車の中で、家族(万が一の事が有ればと待機してくれてました)、弟や叔父に状況報告の電話しながら、鳥取中央病院に向かいました。

病院到着13:30、ERに向かうとやはり父の方が先に着いていました。心臓外科の先生から説明を受け、今「米子から機器が向かっています。」、そう以前単身赴任していた鳥取大学の物です。「本来なら、事前に打ち合わせをして、細かいところまで詰めてから行うのですが、今回は緊急なのでリスクもあります。」しかし私は、なんとなく良い方に風が吹いているのを感じました。

鳥取大学病院はカテーテルでステントで有名な事は単身赴任時から有名だったんです。「届きました。OPは15:10からに成ります4時間程だと思います。」、そして父が運ばれてOPが始まりました。その後の4時間(実際は3時間半)の長い事長い事、18:40にOPは終了!「終わりました。」「うまくいったと思います。」術後の経過が良ければ、明日遅くとも明後日には一般病棟にうつられます。」父のは意識も回復しており、話せる状態!ERの面会時間は19:00までなので、「お母さんが天国で手を広げてたけど、行かれへんかったな~!もう少しこっちで孫のために頑張れていう事だな~」精一杯の皮肉を涙をこらえながら話しました。本人は麻酔でまだ状況が分かっていない様子でしたが。)「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と我が家の宗派日蓮のお経を唱えておりました。

【最後に】

昨日父を助けるために力を貸していただいた全ての皆様に対して心より御礼を申し上げます。「本当にありがとうございました」

私は涙をこらえながら(ちょっぴり漏れたかも)、病院を後にして実家の後始末に戻りました。大変な一日でした。昨日という一日は生涯忘れられない一日に成りましたが、おやじの悪運?はまだまだ続きそうです。元気でいてもらいたいですね、親孝行もまだしっかりできていないですしね~(笑)

以上長々と失礼いたしました。UPが一日遅れた言い訳でした(笑)

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リュミエールブラン ネージュ

2017/08/18

男の嫉妬は怖い~!えっまたまた生き返る?「大穴牟遅(大国主)」『大石見神社』

今日のお話は時代が前回より1000年ほどさかのぼります。「古事記」神代のお話です。
皆さん「因幡の白兎」は良くご存じですよね。裸の兎を助けて八上比売(ヤガミヒメ)と結婚した大国主之命、お話はめでたしめでたしで終わるのですが、実は「古事記」ではその後に、怖~い八十神の兄弟たちの恨み節サスペンス劇場が有るんですよ~(-""-;)。面目をつぶされた兄弟達は、みんなで大国主之命を殺してしまおうという計画をたてたのです。

P8120024.jpg(本日紹介する大石見神社車で来たけど入れるかな?)

一度目の計画は、「燃え盛る猪作戦」、猪ならぬ焼石につぶされて殺されてしまった大国主ですが、何と母の愛で生き返ります(驚)
そのお話は以前に「赤猪岩神社」の紹介でお話させて頂きました。


今回は二度目の計画のお話と、其にまつわる、『大石見神社』を御紹介します。

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【意地悪な姉達ならぬ嫉妬深い兄弟八十神達!】

CIMG6532.jpg(ちょっとおじさんの足が邪魔ですが、白兎神社の砂像「素兎・八上比売・大穴牟遅)

まずは、因幡の白兎の後のお話を簡単にお話致します。八上比売と結婚した大国主之命(大国主と言っていますが、この時はまだ「大穴牟遅」オオナムジと呼ばれています)ですが、嫉妬深い?八十神の兄弟たちの恨みをかってしまいます。兄弟達は、みんなで大国主之命を殺してしまおうという計画をたてたのです。

一行が旅を続けて伯耆の国の手間の山の麓に来た時、兄弟たちは「大国主之命よ。この山には赤い猪がいるというぞ、我々が山の上からそいつを追い落とすからお前は下で待っていて、そいつをうまく捕まえろ。もし捕まえなかったらお前を殺すぞ。(いじめの域はすでに越えていますよね。)」と言って猪の形に良く似た大きな石を、火で真っ赤になるほど焼いて、これを山の上から突き落とします。これを猪だと思った大国主之命は 追いかけていってこれを抱きとめますが、その石に焼かれ死んでしまいます。

CIMG6585.jpg(こちらは南部町「赤猪岩神社」の邪悪な灼熱猪石を封印している巨石です。)

この知らせを聞いた母は嘆き悲しんで、高天原の神産巣日神(かむむすひのかみ)に御子の命を助けて頂きたいとお願いしました。 そこで生成をつかさどるこの神様は赤貝であるさき貝比売(さきがいひめ)と蛤である蛤貝比売(うむがいひめ)とに命じ、大国主之命を治療させて再び命を吹き返させました。

これを見た兄弟たちは、事が失敗したのでまた大国主之命を騙して、深い山の中へ連れて行きました(ひつこいなな~(*´ω`*))。そこで大きな木を切り倒し、木の割れ目にくさびを入れて開いておいて、大国主之命がその割れ目に入った時にくさびを引き抜いて挟み殺してしまいました。 ここでもまた母は泣きながら大国主之命の亡骸を木から取り出して、生き返らせました。

ちなみにここまでのお話については、以前にもブログでUPしましたので、そちらも参考にしてみてください。

①「因幡の白兎」の『白兎神社』で兎焼きが食べたい!
②生物学的に有るわけ無いよ「因幡の白兎」 
③大国主は何度でも生き返る!「甦り」の神社『赤猪岩神社』

そして大国主之命に「お前がここにいると本当に兄弟達に殺されてしまうでしょう。」と紀伊の国の植林の神様である大屋毘古之神(おおやびこのかみ)の元へ逃がします。 ところが、兄弟たちは紀伊の国まで追いかけて矢をつがえて殺そうとしたので、大国主之命は木の下に身を隠し、こっそりと木のまたから抜け出して逃げ出しました。

こうした度重なる危機を見て、母は「お前の祖父(六代前の先祖だったり、義父だったりします)にあたる須佐之男命がいらっしゃる根の堅州国(ねのかたすくに)逃げなさい。そうすれば大神がきっと良い取り計らいをしてくれましょう」と言われましたので、大国主之命はひとりで遠い根の国へと旅立ちました。

【大石見神社ご紹介~~~!】

P8120017.jpg(大石見神社に着いたのですが~と)
P8120019.jpg
(私を拒むかのように突然の雷雨!何かありそうです。)
P8120027.jpg(階段を上り始めると結界が解けたように雨がぴたりとやみました。)
P8120030.jpg(お約束の長階段です。)
P8120034.jpg(神門を通り抜けると少し。)

大石見神社(おおいわみじんじゃ) は、鳥取県日野郡日南町上石見の大倉山南に位置する神社です。大国主之命が二度目の復活を遂げた地と言われ、再生復活のパワースポットとして近年注目を浴びています。大名牟遅(大国主之命)は 南部町の赤猪岩神社での復活の後も、腹違いの兄弟・八十神の嫉妬が和らぐのを大倉山(大蔵山)の麓に隠れて逃れたともいわれます。また八十神の兄弟神に謀られ落命しますが、母神の助けにより二度目の復活をしたとも言い伝えられます。

ここ上石見の地は、八十神が木の割れ目にくさびを入れて開いておき、大国主之命がその割れ目に入った時にくさびを引き抜いて挟み殺した場所ともいわれています。

神社の神紋は「亀甲の中に三つ葉柏」で、柏の葉は春の新芽が出るのを見届けるまで落葉しないことから「復活」にあながち無縁ではないように感じられます。

P8120076.jpg
(到着です。大石見神社!)
P8120046.jpg(拝殿を見守るのは狛犬ならぬ、お狐様?さっきの雨は狐の成せる業か!)
P8120069.jpg(神殿の枕木・鰹木も男神様ですね、大名牟遅神・大国主之命別名・根の国では「葦原醜男」ですよ、笑)

【オハツキタイコイチョウで有名?】

また、境内には樹齢約300年以上とも推定される直径1.5mもの(「オハツキタイコイチョウ」(鳥取m県指定天然記念物の大イチョウ)があり、普通の種子(ギンナン)の他に「御葉付(葉の表面に種子が実る)」や「太鼓(二個組の種子が実る)」といった特徴のある種子をつけることで知られ、全国的に見ても珍しいイチョウです。

P8120083.jpg
(オハツキタイコイチョウまだ身が落ちて居なかったので、どのような物かよくわからなかったです。)
P8120094.jpg(写真が飾ってありました。こんな感じだそうです。変わってますね葉っぱ付き銀杏。)

【物語の真実はどうだ?】

手間山(鳥取県西伯郡南部町)で殺された大国主命は、母親と二人の女神の力により再生しさらに山奥へ逃げます。どこに逃げて行ったのか古事記にはその記載がありません。しかしながら、日野郡誌(1926)に「伝承の地」として記載あるそうですし、南部町の赤猪岩神社と同様の内容が大石見神社の由緒として残っているそうです。怪我が治る処まではほぼ同じ内容です。面白いのは「古事記」にはない八上比売同伴の記載が有るようです。二人でこっそり隠れ住んだのかもしれません。

上石見地区は、日南町の最南で中国山地の盆地にあります。もうあと少しで岡山県です。つまり伯耆国の最も奥地!今はのどかな土地ですが、大名牟遅の頃は昼なお暗いうっそうとした森だったに違いありません。裂いた木の間に挟まれた土地、皆さん納得できないでしょうか?

大岩見神社では、狛犬(こまいぬ)ではなく、キツネ様が、拝殿の両脇で社殿をお守りしています。ここでの大名牟遅は、お稲荷様(農耕神)なのかもしれません。


須佐之男命が治める根の堅州国(ねのかたすくに)、そこで大穴牟遅は正妻と『大国主』の名前を持つことに成りますが、そのお話はまたいつか?あれ!もう話しちゃったかもしれません(爆)



CIMG2282.jpg(須佐乃男祀る出雲、韓竈神社で出会った正にスサノオ30cm~~!葦原醜男の運命はいかに!)


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リュミエールブラン ネージュ

2017/08/16

後醍醐天皇!悪党「名和長年」を頼って都に帰り咲く!『名和神社・MODIFY』

今日御紹介致しますのは、伯耆国のお話です。地理に弱い私の子供達の為?に伯耆国の位置を説明します。山陰地方、鳥取市辺りの因幡国と島根県東の出雲国の間、現在の米子市、倉吉市辺りと考えて下さいね(#^.^#)。

以前、「名和長年」を祭る、『名和神社』を御紹介しました。

P8130645.jpg
(別格官幣社当然別格ですね、笑)

前回のお詣り時は、本殿の改築が行われておりまして、社殿がブルーシートで覆われ神社全体を撮影出来ず、御紹介出来ませんでした。先日訪れますと綺麗に改修されておりましたので、改めて御紹介させて頂きます。

名和長年は鎌倉時代末に隠岐国から脱出した後醍醐天皇を迎えて倒幕(鎌倉幕府ですよ!)に功があり、最後まで後醍醐天皇の御側で戦った武将の一人です。

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【名和神社ってどんな神社なの?】

鳥取県西伯郡大山町(旧名和町)にある神社です(山陰道を走ると見落としてしまうので注意です)。旧社格は別格官幣社。建武中興十五社の一社です。社紋は、名和氏の家紋の帆懸船です。

名和神社1(雨上がりの朝は気持ちが良いですね~~本当に綺麗な神社です。)
名和神社2(駐車場もしっかりあります?相変わらずの看板撮影が難関です。笑)
名和神社3(参道、朝早くて?人影なし!こちらは前回お祀りの一枚すこしだけブルーシートが写ってます。笑工事車両もね。)
P8130583.jpg(はい!綺麗な神門です。)
P8130615.jpg(前回は気が付かなかったですが、しめ縄が有りますね。)
P8130611.jpg(神門を反対側から、人物を表すようなシンプルで穏やかな神社です。)
P8130586.jpg(そして拝殿の工事も終了していました。)

名和長年を主祭神とし、名和一族以下42名を合祀しています。

私!僭越ではございますが、歴代の天皇の中でも五本の指に入る、後醍醐天皇ファンなのです。後醍醐天皇の不屈の精神力と意志の強さに憧れております。100年早くにお生まれに成ってしまったと思うくらいに天才的な天皇だと心酔しています。勿論昭和天皇陛下、今上陛下を御尊敬している事は当然なのですけれどね(#^.^#)



【後醍醐天皇、隠岐の島を脱出、伯耆の浜に降り立つ!】

CIMG8651.jpg
(後醍醐天皇が浜でお座りに成られた腰掛石です。見えてないですね~前のブログではばっちりです。)

1331年(元弘元年)の元弘の乱で鎌倉幕府の討幕計画が露見してしまい捕縛されて隠岐島に流罪となっていた後醍醐天皇が、1333年(元弘3年、正慶2年)閏2月、名和長年を頼って隠岐島を脱出し、伯耆国の船上山に入って倒幕の綸旨を天下へ発しました。

時代背景の詳しい?所や後醍醐天皇伯耆到着の場所等も、以前にブログUP致しましたので、詳しく知りたい方はそちらを読んで頂けましたらありがたいです。

①鎌倉幕府消滅の足音!『後醍醐天皇』VS『鎌倉幕府』
②『後醍醐天皇』悪党「名和長年」の力を頼って隠岐を脱出す!

【後醍醐天皇船上山に立つ!】

IMG_6145.jpg
(まさしく天然の要害です。)

幕府は船上山を討つため、足利高氏名越高家らの援兵を送り込みます。しかし、4月27日には名越高家が赤松円心に討たれ、足利高氏(尊氏)所領のあった丹波国篠村八幡宮で幕府へ反旗を翻します。
5月7日、足利高氏は佐々木道誉や赤松則村らと呼応して六波羅探題を攻め落とし、京都を制圧しました。北条仲時、北条時益ら六波羅探題の一族郎党は東国へ逃れようとししますが、5月9日、近江国の番場蓮華寺で自刃し、光厳天皇、後伏見上皇、花園上皇は捕らえられることになりました。

この伯耆、船上山からの倒幕戦に勝利した名和長年は後醍醐天皇により伯耆守に任じらています。また、後醍醐天皇の帰洛の際の護衛も務めています。
船上山に天皇を迎えて討幕活動に参画するまでのくだりは、方『太平記』『梅松論』に詳細に記載されていますが、船上山リポートもブログUPしておりますので、天然の要害と後醍醐天皇御座所をご覧頂けましたら幸いです。

③後醍醐天皇反撃の狼煙を上げる『船上山登山記』壱
④後醍醐天皇反撃の狼煙を上げる『船上山登山記』弐


幕府滅亡後に後醍醐天皇により開始された『建武の新政』において、河内国の豪族、楠木正成らとともに天皇近侍の武士となり、記録所や武者所、恩賞方や雑訴決断所などの役人を務め、帆掛け船の家紋を与えられました。

P8130592.jpg(帆掛け船の家紋)
P8130588.jpg(神殿は横からの撮影が出来なかったので拝殿から失礼いたしました。)

また、京都の左京の市司である東市正にも任じられました。これは名和氏の商業者的性格を重んじての人事と考えられています(現代なら東寺の弘法市も名和長年の仕切りですね(^〇^))。この役職は代々中原氏が世襲してきたが、後醍醐天皇は強引にこのポストに長年を組み込み込んでいます。自分の手足となって動いてくれる長年をこの役職に就任させることで、京都の商業・工業を直接掌握しようとしたと考えられます。

建武2年(1335年)に西園寺公宗が北条氏の残党と組んで新政を転覆しようとした謀略が発覚して逮捕されると、公宗を出雲国へ流刑する途中に謀って処刑しています。また、討幕運動において京都の六波羅探題を滅ぼした足利尊氏と対立し、後醍醐天皇とも確執があった護良親王を結城親光とともに捕縛するなど、後醍醐天皇の先兵として活躍しています。

足利尊氏が中先代の乱の討伐を契機に、建武政権から離脱すると、「楠正成」「新田義貞」らと共に宮方として足利尊氏と戦いますが、延元元年(建武3年、1336年)の湊川の戦いの後に京都に入った足利尊氏に敗れ討死してしまいました。討死にした場所については、『太平記』には京都大宮、『梅松論』には三条猪熊とされています。

後醍醐天皇はこの後、京都脱出し奈良吉野へ移られ、京都と吉野に二人の天皇が居られることになりました。この事件以降を「南北朝時代」といいます。

【建武政権下の立役者「三木一草」って誰のこと?】

長年の死を以って、後醍醐天皇の恩寵を受け栄達した「三木一草」( 三木一草は、後醍醐天皇の建武政権下で寵遇を受けた4人の寵臣の呼称。楠木正成、結城親光、名和長年、千種忠顕をあわせて呼ぶ。 名称の由来は、楠木は「クスノキ」、結城は「ユウキ」、名和は伯耆守であったことから「ホウキ」、千種は「チグサ」と4人の姓や官職名に因みます。 )は悉く果てました。

『歯長寺縁起』は長年の戦死を「南朝の盛運が傾く凶兆である」と記しており、その通り廷臣を相次いで喪った南朝は劣勢に追いやられてゆくことになって行きます。

名和氏1(神社の近くに名和一族の墓所がありました)
名和氏「2
(左から長年、義高、高光ですか?)
P8130606.jpg(誰一人いないのが?私?笑、気持ちよいほど質素で心が洗われるようでした。)




今回の伯耆国の旅どうでしたでしょうか?出雲も良いけど、伯耆も格別です。是非お出掛け下さいね(#^.^#)
リメイクなので全てがご理解いただけるように工夫しています。お楽しみいただけましたら幸いです。

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リュミエールブラン ネージュ

2017/08/14

出雲の国は安来、「清水寺」の隠れ家宿坊『松琴館』の精進料理が完璧過ぎる!

清水寺といえば京都音羽山清水寺ですよね~~~!ええ?違うとおっしゃる方も居られるようですね、西国三十三観音霊場、第二十五番・御嶽山播州清水寺ですよね!(私もご紹介いたしました。)しかしながら、本日ご紹介いたしますのはそのどちらでもありません。

用明天皇二年(587)尊隆上人によって開かれ、当時一滴の水も出なかった山陰の山奥の山で、一週間祈願したところ水が湧出し、しかもその水が雨期に濁ることなく、乾期にも枯れることなく、常に清い水を湛えたところから「清い水の出る寺」清水寺と命名されたと伝えられれる、島根県安来市に在る天台宗の寺、清水寺(きよみずでら)で山号は瑞光山といいます

中国観音霊場第28番札所、出雲観音霊場第27番札所、出雲國神仏霊場第11番札所、ご本尊には推古天皇が瑞夢に厄ばらいの霊験あらたかを感得されたと云われる十一面観音様をお祀りし、ご祈祷をする寺として、厄ばらいの観音様として祟められ、毎年厄年に当たる人たちを中心に信仰を集めています。

さて、勿論素晴らしい出雲の古刹「瑞光山『清水寺』」をご紹介する予定だったのですが、その前に素晴しいお宿と精進料理をご紹介したいのです。

P8120381.jpg(精進料理の始まりですがまだまだ出て来ますよ~。)

二年前に子供達と一緒に伯耆富士こと「大山」にチャレンジました。疲れた身体を癒すには、賑やかな町中のホテルではなく。静かなお寺の縮合が良いのではないかと考えて予約したのが、今日ご紹介するお宿『松琴館』でした。

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【精進料理って何?】

P8120315.jpg
(精進料理って何でしょうね?笑清水寺で教えていただきましょう。)
P8120320.jpg(以前家族で来た時より看板も綺麗になっています。)
P8120326.jpg(結構階段が続きます。大山登山の後は裏道をバスで運んでいただきました。)
P8120333.jpg(お盆前なので門も飾り付けられています。)
P8120332.jpg(参拝する者を見極めるかのような不動明王が睨んでおられます。)

境内の参道沿いにある旅館『松琴館』で、寺坊伝統の肉、魚を一切使わないヘルシーな名物精進料理をご紹介しましょう。仏教の「不殺生」の思想から、肉や魚を食べることを禁ずる精進料理が生まれ、その原則を守り、古くから伝えられた調理法に現代の感覚を加え、会席料理と見紛うばかりの献立を提供するところに、この料理の特徴があります。当時の僧坊を思いながら、しばしこの芸術とも言うべき皿に舌鼓を打ってみてくださいね(写真だけで申し訳ございませんが)。

【実は前回は、大山登山で疲れていて写真が撮影できなかった?】



P8120344.jpg(やっと「松琴館」へお寺は閉門しておりますので、訪れるのは二軒の宿坊のお客だけです。)
P8120349.jpg(130年の歴史を誇る建物です。風情が有りますね~~~!)
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(と書いてありますが、予約した方が良いです、昨年は予約は取るとが出来ませんでした。)
P8120356.jpg(古い旅館ならではの心遣いが感じられますね。)
P8120361.jpg(大きな部屋に一人で食事静かな時間が流れます。窓からは清水寺の三重塔「重文」です。)

実は家族でお世話になった時には、大山登山の後で、とても疲れておりまして、写真に気が回らずお料理の写真を撮影出来なかったのです。今回この精進料理の写真を撮るためだけに、11日(山の日)に出雲に出かけ、12日の夕方の食事だけを予約してお願いし、「更にブログに乗せたいので、出来るだけ一緒に出していただけますか?」とご無理をお願いして撮影してきた苦労写真です(ブログ馬鹿ですが、それほど皆さまにご紹介する価値が有ると思ったのです)。
因みに此方のお宿、TV無し!スマホも通じません。俗世と隔離された空間が心を癒してくれます。まるで大正時代にタイムスリップしたようです。

松琴館(精進料理)
こちらのYahooトラベルの点数を見ていただければどれほどの物かお解りに成ると思います。今回私が頂いたのは3200円の清水コースです(HPで料理内容もご覧いただけますのでそちらも楽しんでください)。

安来・清水寺境内の宿、松琴館主人自慢精進料理を御覧頂けましたでしょうか?、130年もの歴史を持つ老舗の旅館。風情豊かな四季と、耳を澄ませば聞こえてくる「風の音」「虫の声」に包まれた環境で、6代目主人が「精進料理」に腕を揮う。その巧みな技術によって生み出される料理は芸術です!
これらがすべて魚肉類を一切使わない料理なんですよ、信じられますでしょうか?勿論全ての料理をお勧めいたしますが、その中でも手前の先付けの黒豆に似た食べ物「うれしの」は味噌に山わさびを紫蘇でくるんで漬け込んだもので、思わず笑いが出てしまう程のおいしさです。胡麻豆腐もトロトロで最高ですし、イカの刺身に見えるのは臭みの無い吉野葛で出来ています。ウナギのかば焼きに見える物は(姿、味もそのものです)山芋を焼いて作っているのですが、ノリがウナギの皮のようになっていてパリパリ感まで再現されています。

P8120370.jpg(料理編、名物うれしの)
P8120368.jpg(それぞれにこだわりが有りますね、もずくは山陰の細もずくOK!)
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(ゆず、生麩、白和え、トロトロ胡麻豆腐。最高!)
P8120400.jpg(最後にすべてをご披露します。お蕎麦、ウナギもどき、イカ刺もどき、これで3200円、至高のお料理です。お吸い物と御飯ももちろんついています。)

そしてこの日、他にも宿泊されているお客様もおられましたが、一組だけだったのか?大きな12畳の部屋に私一人での食事!さみしいようですが、窓から「清水寺」のライトアップされた三重塔が正面に見えて、至福の時を楽しんだのでした~贅沢すぎたかな?

「松琴館」は緑に囲まれた純和室の部屋がメインで古いためもあり、部屋にはバス・トイレも有りませんが、そんなことを考慮してもなお、満足のいく宿だと思います。また、予約しておけば朝から座禅体験も出来て、日本の精神文化を学ぶ、素晴らしい機会も出来ます。



私の写真以外にもHPに移動できますので、ご覧に成られまして、是非安来「清水寺」にお出掛けの際は「松琴館」にご宿泊されて至高の精進料理をご堪能ください。

 松琴館

交通アクセス  車米子から10㎞ 安来から4㎞ 交通標識あり 駐車場情報大型バス20台 普通車150台
ちなみに、カードは使えませんので現金をご用意ください(笑)

さて、最後に成りましたが、瑞光山清水寺(きよみずでら)は素晴しいお寺なので、近い機会にご紹介させていただきます。

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リュミエールブラン ネージュ

2017/08/12

桃太郎の正体は誰だ!犬・猿・雉は?吉備『鬼ヶ城』を訪ねて!

先日市郎右衛門が岡山(吉備の国)へ取材旅行へ行ったのは皆さん周知の事実ですね。岡山といえば桃~~~!と思われていらっしゃると思いますが、何と桃生産高1位は山梨県です。それでは2位?残念ながら福島県です。なんと岡山県はベスト5にも入らず6位なのです。
それではなぜ桃のイメージが岡山県に定着しているのでしょう?


やはり「桃太郎伝説」ですか?(笑)実は桃太郎ゆかりの地とされる場所は全国にあります。その中でも岡山県は(吉備の国)江戸時代の地元土産品「吉備団子」と同音の黍団子、(一寸キツイこじ付けですけどね)、をつなげさせるなどして、全県を挙げての宣伝活動を行いました。そのおかげでゆかりの地として全国的に有名になりましたが、「吉備団子」と作中の「黍団子」との関係は証明されて居ません。

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(皆さんどうですか~~~!再現された西の門鬼の城のイメージ出ていますか?)


今回はそんな吉備の国で鬼ヶ島ならぬ「鬼ノ城(キノジョウ)」をご紹介します。鬼が出るか蛇が出るか?はたまた桃太郎の伝説はどうなんだよ~~~!

其では、『市郎右衛門』の日本歴史ブログをお楽しみくださいね(人´ω`*).☆.。
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CROOZ


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(展望台から「鬼の城」全景を望む!西門(復元・右)角楼(左))
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(散策コースを歩いていくと、出た~て感じですね。)
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(西の門、直ぐに入りたいのを我慢して周りを探索してみます。)

【昔話桃太郎超簡単あらすじ】

むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。ある日、おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました(懐かしの定番ですね(#^.^#))。
おばあさんが川で洗濯していると、「どんぶらこっこどんぶらこ」と、川上から大きな桃が流れてきました。おばあさんはその桃を家に持ち帰りました。

桃を食べようと割ったところ、桃の中から元気な男の子が飛び出しました。子どもがいなかったおじいさん、おばあさん大変喜んで、桃から生まれた男の子に桃太郎と名付け、大事に育てました。

大きく成長した桃太郎は、鬼ヶ島へ鬼退治に行くことになりました。おばあさんが作ってくれたきび団子を腰にぶらさげ鬼ヶ島へと出発しましたが、道中、犬、猿、キジが順番に現れ、きび団子を欲しがります。桃太郎は、鬼ヶ島へ同行することを条件に、きび団子を分け与えます。

犬、猿、キジの3匹は桃太郎の家来となり船で鬼ヶ島へと向かいます。鬼ヶ島では鬼たちが酒盛りの真っ最中で、奇襲を仕掛けた桃太郎と3匹の家来は大勝利、鬼が悪行を重ねて集めた宝物を荷車に山積みにして村へと持ち帰りましたとさ。おわり!(簡単に過ぎるわの謗りも承知でお受けします、笑)

【桃太郎原作?】

さて、桃太郎伝説の原作とも言えるお話は、第7代孝霊天皇の第3皇子・彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと、吉備津彦命)、稚武彦命(わかたけひこのみこと)の兄弟が、吉備国(岡山)の鬼・温羅(うら)を退治して吉備国を平定したことが語り継がれて、室町時代以降、江戸時代に曲亭馬琴の草双紙「童蒙話赤本事始」が初版本で五大昔噺の冒頭を飾り、その後、「桃太郎」、「桃太郎昔話」などが出版され、広く世に広まりました。
1887年(明治20年)に国定教科書にも採用されて皆の知るところとなって、1894年(明治27年)巖谷小波により「日本昔話」にまとめられました。

その様な訳で、岡山の吉備津彦神社で吉備津彦命が祀られて、岡山の桃太郎になり、また、岡山の沖と云うよりも高松の屋島の沖に鬼が島(女木島)があったりして、岡山の桃太郎が有名になりました。
桃太郎の話は岐阜県の木曽川の辺りを始め、全国にもあるようです。なお、桃の収穫量の話ですが、岡山県で桃の栽培が始まったのは明治時代以降で、昔話ではありませんよ(笑)。

【それでは私が訪れた、鬼城山(鬼ノ城)とは何なの?】

『鬼ノ城(きのじょう)』は、岡山県総社市の鬼城山(きのじょうさん)に築かれた、日本の古代山城(神籠石式山城)です。
城跡は、1986年(昭和61年)3月25日に指定された国指定史跡「鬼城山」に含まれています。

城郭構造:古代山城(神籠石式山城)、築城主(推定)大和朝廷と考えられます。
築城年:(推定)7世紀後半に作られて、荒廃城年も不明です。
遺構:城門、角楼、石塁、土塁、水門、敷石指定文化財国の史跡「鬼城山」に含まれています。
再建造物:城門、角楼。

当時の倭朝廷は、乙巳の変(いっしのへん、おっしのへん)は、中大兄皇子、中臣鎌足らが宮中で蘇我入鹿を暗殺して蘇我氏(蘇我本宗家)を滅ぼした飛鳥時代のクーデターの後、大化の改新のを行った中大兄皇子(天智天皇)ですが、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗してしまいます。
大和朝廷は倭(日本)の防衛のために、対馬~畿内に至る要衝に様々な防御施設を築きました。鬼ノ城は史書に記載が無い上に、築城年も不明ですが、発掘調査では7世紀後半に築かれたとされている事から、唐・新羅連合軍に対する防衛拠点の一つではないかと考えられます。

鬼ノ城は、吉備高原の南端に位置し、標高397メートルの鬼城山の山頂部に所在してあます。すり鉢を伏せた形の山容の7~9合目の外周を、石塁・土塁による城壁が鉢巻状に2.8キロメートルに渡って巡っています。城壁で囲まれた城内の面積は、約30ヘクタール、城壁は土塁が主体で、城門4か所・角楼1か所・水門6か所などで構成されます。そして、城壁を保護するための敷石の発見は、国内初のことでした。城内では、礎石建物跡7棟・掘立柱建物跡1棟・溜井・烽火場・鍛冶遺構などが確認されました。西門と角楼や土塁は復元され、その他、城門・水門・礎石建物跡・展望所・見学路などの整備とともに、「鬼城山ビジターセンター」と駐車場を整え、「史跡・自然公園」として一般公開されています。

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(角楼跡です。)
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(中国、朝鮮半島の城を再現した造りに成っているようです。)
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(角楼から見た西の門です。)
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(城の内側に張り巡らされている敷石、かなりの幅が有ります。)
P7290276.jpg(柵が出来る前の敷石に成ります。)


城壁は、幅7メートル×高さ6~7メートルの版築土塁が全体の8割強を占めています。しかし、城壁最下の内外に1.5メートル幅の敷石が敷設されており、石城の趣が強いようです。そして、防御正面の2か所の張り出しは、石垣で築かれています。流水による城壁の崩壊を防止するための水門が、防御正面に集中しています。城壁下部の2~3メートルに石垣を築いて水口を設け、通水溝の上部を土塁で固めた水門が4か所あります。他の2か所は、石垣の間を自然通水させる浸透式の水門です。また、水門の城内側の2か所の谷筋で、土手状遺構が発掘されました。土石流や流水から城壁を守るためと、水を確保するための構築物であるとかんがえられます。そして、第10水門の城壁下部で、マス状の石囲の浅い貯水池が発掘され、多くの木製品が出土しています。
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(正面側に積み上げられた城壁の石垣です。)
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(排水施設も確認されています。七世紀の時代にと考えると見事ですね。)

城門は、防御正面に東門・南門・西門、防御背面に北門の4ヵ所が開きます。主の進入路と思われる場所に西門があり、西門の北側約60メートルの隅かどに角楼がありました。各々の城門は、門礎を添わせた掘立柱で、門道は石敷きである。西門は平門構造で、他の門は懸門構造になっています。

城内の中心部には、食糧貯蔵の高床倉庫と思われる礎石総柱建物跡5棟、管理棟と思われる礎石側柱建物跡2棟が発掘されました。また、12基の鍛冶炉の発掘は、鉄器製作の鍛冶工房とされ、羽口・鉄滓・釘・槍鉋・砥石などが出土しています。他の出土遺物は、須恵器の円面硯・甕・壺・食器類に加え、土師器の製塩土器・椀・皿などです

鬼ノ城は、山城に必要な設備がほぼ備わっています。未完成の山城が多い中で稀な完成した古代山城といえますね。

瀬戸内海は、いにしえから海外交流交易の主海路でした。東端の難波津(港)の西方、約180キロメートルに吉備津は位置すします。吉備津港の西方、約240キロメートルに那大津港の博多湾があります。吉備津は、東西航路のほぼ中間点に位置するのです。鬼ノ城の山麓一帯は、勢威を誇った古代吉備の中心部であり、鬼ノ城は吉備津から約11キロメートルの距離感です。

鬼ノ城は、いにしえから吉備津彦命による温羅退治の、伝承地として知られていました。苔むした石垣が散在する状況から、城跡らしいと判断され、「キのシロ」と呼んでいました。「キ」は、百済の古語では城を意味し、後に「鬼」の文字をあてたにすぎません。「鬼ノ城」は「シロ」を表す、百済と倭との言葉を重ねた名称です(偶然かも知れませんが)。

鬼城山の山頂では、眼下に総社平野・岡山平野西部・岡山市街が一望できます。児島半島の前方は瀬戸内海、海の向こうの陸は香川県に成ります。坂出市の「讃岐城山城」と高松市の「屋嶋城」が視野に入り瀬戸内海の往来を一望出来るわけですね。

【関連の歴史について少しだけ】

『日本書紀』に記載された、白村江の戦いと、防御施設の設置記事は下記の通りです。

663年(天智天皇2年)の白村江の戦いで、倭(日本)百済復興軍は、朝鮮半島で唐・新羅連合軍に大敗します。664年には対馬島・壱岐島・筑紫国などに防人と烽(とぶひ)を配備し、筑紫国に水城を築きます。665年には長門国に城を築き、筑紫国に大野城と基肄城を築く、667年には大和国に高安城・讃岐国に屋嶋城・対馬国に金田城を築城。この年、中大兄皇子は、大津に遷都し、翌年の正月に天智天皇に即位しました。

【とどのつまり】

P7290312.jpg(西門復元前の遺構です。ファンには再現されたものよりもマニアックで良いかな?)
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(これを攻めあがるのは難しいです。城を作ることが外的に対するものというより、倭の結束のためとも思われました。)
P7290310.jpg(素晴しいい景色、靄が無ければ、瀬戸内海まで見えるはずですが…)

鬼ノ城は、鬼が住んでいたわけでも無ければ、吉備国の鬼・温羅の城でも無かった。むしろ、桃太郎こと中大兄皇子が唐・新羅連合軍という「鬼?」から倭を守るための要塞だった訳ですね!其では桃太郎は天武天皇(中大兄皇子)として、猿は中臣鎌足(藤原鎌足)と成りますか?犬は鎌足の次男、藤原不比等、文献『興福寺縁起』『大鏡』『公卿補任』『尊卑分脈』などの史料では天智天皇の御落胤と書かれていますし、諡号は文忠公(犬公にぴったりです。)、最後の雉ですが、中大兄皇子に上手く利用された?朝廷に滞在し、百済復興を図った百済王子・扶余豊璋でしょうか?

【トドのつまりうんちく~~~!】

とどは魚のボラの名前の事です。とどは、いな、ぼら、とどと名前を変える魚(出世魚)なのですが、鰤(ぶり)や鱸(鱸)など他の出世魚に比べると味が相当落ちる?魚です、(ぼらは、泥臭いような独特のにおいがあり、一度焼いてから煮るなどの工夫をしないと食べにくい魚です。住処によって違うと思いますが、汽水域に生息すことが多いのでなのかもしれません。)。

このことから、「出世したところで、たいしたものにならない。行き着いたところで、たかが知れている。」等の意味で、「とどのつまり」という語が使われています。更に、「良くない計画を進めていて、結局行き詰った」というような場合にも使われますね。

さて、鬼ノ城は、2006年4月6日に日本城郭協会が選定した、日本100名城(69番)に選定されています。



最後に、伝説は謎が多ければ面白いですよね!是非「鬼ノ城」出掛けてみて下さい。トレッキングとしても中々楽しいですよ(笑)。
山道は整備されて居ますが、靴は最低スニーカーをお勧めします。
更に鬼ヶ城の登り口には、総社市砂川公園が有って、キャンプやBBQに川遊びも出来るので、家族で是非お出掛け下さい。

お問い合わせは砂川公園管理事務所(TEL0866-92-1118)
キャンプ場使用料、宿泊利用1000 円/区画 (テント設営)日帰り利用500円/区画 (バーベキュー等)

いつも応援、ありがとうございます(^人^)。
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