2018/07/12

脱サラして企業設立の夢に向かって!「次世代起業セミナー」始めます。

脱サラして企業設立の夢に向かって!「次世代起業セミナー」を始める事にしました。「突然何を急に」と、思わるかもしれません。歴史ブログはどうした?とのお叱りもごもっともですが、けして無縁というわけではありません。実は、いつか日本文化の伝承と発信を、残り少ない?生涯の仕事にしたいと考えており、第二(山陰の)の「柳宗悦(思想家)」目指して起業を画策していたのです。



【プロローグ】「次世代起業セミナー」って?




セミナー講師は、 ココデ・グローバル株式会社 代表取締役
加藤将太さんです。

【経歴】
京都大学工学部電気電子工学科卒業
京都大学経営管理大学院経営管理専攻事業創再生マネジメントコース終了 MBA取得
(株)NTTデータ 第一公共事業本部 第二公共システム事業部 勤務後、独立

京都大学大学院にてMBAを取得後、
(株)NTTデータ等での勤務を経て、26歳の時に起業。(元手20万円)

1年目で年商1.1億を達成し、延べ1,000名以上を面接し社員数十人を使う社長になる。
2年目で年商2億6千万円を達成。

書籍流通支援システム、法人向けデータマーケティング支援システム等の開発・販売を行う一方で、
MBAで学んだ知識や、実際にゼロから短期間で事業を軌道に乗せた経験を伝える活動を行う。

2013年より開始した「次世代起業家育成セミナー」は
これまでに5回開催され、累計3,000名の法人代表・法人代表候補・起業家の卵が参加。


この経歴!凄いとしかいえません。
一般公立中学から高専、そして京都大学。
新聞配達のバイトを経て起業も凄いですね。
義弟の大学・学部の後輩ということも、加藤さんに親近感を持った原因のひとつです。

それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
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市朗右衛門という名前


市良右衛門
(太って今はイメージが少し違いますけど…笑)


改めて、私自身のこともお話させて頂きます。

兵庫県北部、山陰但馬国生まれの私、「市郎右衛門」が大好きな日本の歴史とこだわりのブログ『高天原の縁側日記』を始めたのは二年半程前です。

「市郎右衛門」のハンドルネームを使っていますが、市郎右衛門は室町時代から続く我が家の世襲の名前です。

当然、明治以降は普通に名字と名前があるのですが(曽祖父は順三郎、祖父は洋一、父は重通、私は●●、おっと…笑)、江戸時代以前我が家の当主は、市郎右衛門を代々名乗っていたようです。

ですから、もし江戸時代が続いていたならば、現当主の父が18代、私が19代、私の長男が20代市郎右衛門になります。

そこでハンドルネームに「市郎右衛門」を使うことにしました。

「古い家です」などと書きますと、やんごとなき家柄?と推測されたり、有名武将の末裔?などと思われるかもしれませんが、そんなことでも無いのです。

ただ古いだけです。

ご先祖さまかが、長く同じ場所に住み続けてくださっただけです。

ルーツについて、幾らかの推測もできるのですが、江戸時代は小さな?庄屋でした。

同じ場所に長く住まいを置いているからこそ、実家では歴史的な事件の言い伝えもあります。

又機会がありましたら、ご紹介できる日があると思いますので、楽しみにしておいてくださいね。

ブログを書くことにした訳とは?


CIMG7411_2018071222463902c.jpg(紅葉の京都・東福寺)

ブログを通して「自分の考えを皆さんに伝えたい」と考え始めた理由について、少し書いておこうとおもいます。

8年前(2010年)、仕事によるストレスから、一生涯付き合わなければならない病気にかかり、三ヶ月の入院を余儀なくされました。

入院生活の中、自身の残り人生や将来(老後)について、深く考えるようになりました。

歴史好きの私は、回復(体力の回復です)を待って寺社仏閣巡りを始めることにしました。

神仏に頼ろうとしたわけでは無いのですが、これまで歩んできた人生をもう一度見つめ直して、棚卸してみようと思い立ったのです。

寺社仏閣巡りの途中で、出会った自然に魅了されて登山やトレッキングを始めました。

CIMG8628_2018071222464198f.jpg(大山山頂)
大山の高山植物4(大山の美しい高山植物)

新たに知った神話や歴史・文化・風俗、そして地方地方の美味しく珍しい食べ物、素晴しい陶器や民芸品にも心を奪われました。

さらに、旅先で出会った人々や祭などなど、そのすべてが私には新鮮で、日本という国に生まれて本当に良かったと思うことができました。

PA140624_20180712224644978.jpg(関ケ原・石田三成の陣地)

「私は生きている。いいえ生かさせていただいているのだ。」と思え、自然に対する感謝と祈りは、かけがえのないものだと考えるようになりました。

そんな時に突然の訃報が飛び込みます。

同級生の俳優「今井雅之」君の壮絶死!


j659873.jpg
(本当に残念でなりません)

そんな時期、中学・高校と同級生だった俳優の今井雅之君が、2015年5月28日に癌で亡くなりました。

彼の死は、勿論同級生で友人の一人としては非常に残念んでなりませんでしたし、彼自身はもっとやりたい仕事が、数多く有ったに違いありません。

しかしながら、私は「彼自身は自分の生きてきた人生に後悔は無かった」のではないか、と思えたのです。

そして、彼の様な素晴らしい人生は送られないかもしれないが、今井君と同じように「今日一日」をBETTERに過ごし、明日はよりBESTな一日を目指す、そんな生涯を送りたいたいと考えるようになりました。

人間は、一呼吸の間にも新たな自分に生まれ変わります。

ひと呼吸前の自分にはもう戻られないのです。

だからこそ、その一瞬一瞬を大切に生きて行かなければいけない、と考えるようになったのです。

そして何かの方法で、私の考えや自然への感謝・祈りを、共感出来る方々へ発信できないだろうかと考えて、「ブログを始めよう」と決心しました。

このブログを書くという決心の中には、私の古い実家(19代を名乗る我が家の家名は、室町時代以前に遡る)を守りたい。

そのための政策として、過疎の田舎でも発信可能なインターネットを通じて、何か出来ないか(起業する!)と考えたのです。

自分の発信力はどの程度なのか、まず試してみようと思い立ったのがブログでした。

二年と9ケ月を経過しまして、それなりの成果は出ていますが、けして満足してはおりません。

稚拙な文章で、皆んを退屈させいるのかも知れませんし、そもそもテーマが万人受けしないですよね(笑)

ブログを通してのお友達が増えてうれしいのですが、まだまだです。

神戸市の商工会議所が企画されている無料セミナーで、何度か起業の相談を行いましたが、自分の納得出来る回答は頂けませんでした。

ただほど怖い物はないといいます。

無料だから「中小企業セミナー行かなくても良いか~!」につながり結局行かなくなっていたのです。

家族や金銭面の心配も有り、一歩が踏み出せない悶々とした日々を送りました。

そして今決意する!


present02.jpg(始めは単純に一万円欲しかった、笑)

ある日、ブログサークルのお友達のブログを見ていると、一つの広告に目が留まりした。

それが「次世代セミナー」でした。

最初は一万円欲しさでした。(笑)

しかしながら、一月の無料登録をしてみると、これが良く出来ていてとても面白いのです。

そこで気付いたのです。

「自分に投資する」視点が欠如していたことです。

年齢的にもこれが最後のチャンスかもしれないと考えて、自己投資してみようと決心しました。

私の夢は、日本文化の伝統を継承するために、第二の(山陰の)柳宗悦になる事です。

大きな目標ですが、少しずつでも近づきたいと考えています。





簡単に奨励金が貰えるようですが、それなりのハードルもあります。

ちなみに、私は1万円にWebテストで65点取って+5000円それに次世代セミナーにも、申し込んだので+1万円で2万5000円(現在)権利をいただきました。

Webテストの合格は下のサイトで大丈夫です。

ビジネス能力ウェブ検定で合格点を取る方法とは?
(こちらは、ブログのこと、次世代セミナーのことで直接コンサルをお願いした、ずーみーさんのサイトです)

ずーみーさんは、加藤さんのアフィリエイトで一年間で月収230万円以上を達成されている強者です。

【最後に一言】ブログの更新が遅れていることに寄せて。



近頃ブログの更新が止まっています。

上で述べましたように、次世代セミナーの勉強を頑張っていることも有りますが、勉強するにつれ、自分のブログに足りない物がわかってきて、今後のブログ運営をどのようにするのかも、色々考えています。

もちろん、歴史ブログを止めるようなことはしないつもりですが、当面の優先順位をどちらにするのかも思案しています。

年齢的にも、家庭的にも、簡単に両手を挙げる訳には行きませんからね。

私の、コアなブログを読んで頂いている皆さんには、少し時間を頂きたいと思います。

明日から、10日間の予定で取材旅行に出発です。

東海道の城(岡崎城・浜松城・駿府城)や大本命の富士登山!諏訪神社から松本城に善光寺、上田まで足を伸ばして六門銭を楽しんで最後は伊勢神宮詣りの強行軍です。

PC持参ですが、途中皆さまにご報告出来るレベルを維持出来るか?疑問です~f(^_^;

それでは行ってきます。

いつも応援ありがとうございます。歴史って本当に面白いですよね~!
今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)
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2018/07/07

「くわばら、くわばら」の語源知ってました?語源を求めて三田市桑原『欣勝寺』

「くわばら、くわばら」の雷封じの呪文、死後に雷の祟り神となったとされる菅原道真が領地であった桑原には雷を落とさないからだとか、雷神が桑の木を嫌うからということで、雷よけの効果があるとされています。伝承の残る我が家の近く三田市桑原『欣勝寺』を訪ねてみました。



【プロローグ】雷の祟り神といえば菅原道真ですよね。


嫌なことや災難を避けようとして唱えるまじないに「くわばら、くわばら」が有ります。えっ!「もうお年寄りしかいわない」って?(笑)

本当ですね、近頃余り聞いたことが有りません。これは元々、死後に雷神となったとされる、菅原道真の領地「桑原」には落雷がなかったところから、その地名をまじないにしたとも言われています。

また、雷神が農家の井戸に落ちて農夫にふたをされてしまったとき、雷神が「自分は桑の木が嫌いなので、桑原と唱えたなら二度と落ちない」と誓った、という伝説によるとも言われます。

雷がゴロゴロと鳴り出した時に、自分の所に落ちないための呪文であり、転じて恐ろしいことが起きた時に身に降りかかる災難を除けるための呪文です。

P6160042.jpg(曹洞宗といえば柱巻だそうです。西陣織の風神雷神柱巻)

今回私が訪れたのは、自宅からご近所?車で30分程度の兵庫県三田市(さんだし)桑原『欣勝寺』です。雷様の子どもが井戸に落ちた伝承が有り、どちらかといえば、菅原道真と関係無い方ですね。それではご紹介いたしましょう。 

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京都にくわばらってあるの?



雷と菅原道真公の由来は、道真公が政敵の左大臣藤原時平との抗争に敗れ大宰府に左遷され怨霊となり、京都に災いを及ぼしたという話から始まります。

道真公は宇多天皇に重用されて、右大臣に昇進し右大将を兼任、従二位まで昇進しました。それを快く思わない藤原氏や他の貴族に謀られて大宰府に左遷され、903年(延喜3年)その大宰府で亡くなった後は怨霊(雷神)となり、京都を襲ったとされます。

道真の死後、京には荒れ、醍醐天皇の子が次々に病死するなどの事態が発生、これを道真のたたりと恐れた朝廷は流刑に処した道真の子供らの刑を解き、京に呼び戻しました。これによって京が安泰になった事から、天神を祀ったことで有名です(北野天満宮は有名ですね)。

京都府京都市中京区に「桑原町」という地名があります。一見どこにでもありそうな地名ですが、不思議なことが有るのです。

何が不思議化といいますと、京都市街地のど真ん中にあるこの桑原町という地名は居住区ではなく、「北は京都市上京区京都御苑」「西と南は京都市中京区四丁目」「東は桝屋町(富小路通り)」という地名に完全に囲まれており、丸太町通上の20m×30mで囲まれた一角のみなのです(つまり道の上だけ)。

京都御所自体は丸々京都市上京区京都御苑という地名になっており、桑原町の東西に隣接する中京区四丁目、桝屋町(富小路通)は共に京都御所に隣接している事と、南部の京都簡易裁判所も中京区四丁目、枡谷町に囲まれている事から桑原町が道路上のみの地名で、居住区でない事が分かります。

一見不思議に感じますが、現在の京都を形作ったのは、豊臣秀吉で16世紀末の事ですから、平安期の町割りは少し違ったものだったのかもしれません。菅原道真公とも有ろう方の所領が20m×30mということも考えにくいことから、後に(秀吉時代の町割り改革時)このような道路上に成ったのかもしれません。



「くわばら、くわばら」の語源の元となった場所が、和泉市内にもあった。和泉33ヶ所札所の1つである成福寺にも同じような昔話があるようです。雷神が農家の井戸に落ちて農夫にふたをされてしまったとき、雷神が「自分は桑の木が嫌いなので、桑原と唱えたなら二度と落ちない」と誓った、という伝説によるともいわれます。

P6160047.jpg(あわてんぼう雷様が落ちた雷井戸)

私がご紹介する、兵庫県三田市桑原「欣勝寺」にも境内には雷の子供が落ちたといわれる雷井戸があり、また、長野県千曲市桑原にも菅原道真に関わる雷伝説が語り継がれているということです。

P6160048.jpg(ご由緒書)

民話「くわばら、くわばら、欣勝寺」



【三田の民話「くわばら くわばら 欣勝寺」】

P6160028.jpg(民話「くわばら、くわばら、欣勝寺」)

『昔々、あわて者の雷の子どもは欣勝寺の井戸に落ちてしまいました。どうしても外に出られないので「助けてくれ~!」と大声で叫んでいるのを見た和尚さんは井戸にふたをしてこらしめました。雷の子どもは「助けておくれ、二度と桑原へは雷を落としません。」と約束したので、和尚さんは助けてやることにしました。雷の子どもは、雲の上に戻ってから、両親にこの話をすると、雷の親はとても感謝をして仲間を集めて、「これからは桑原には決して雷を落としてはならないぞ。」と皆に言いました。それからというもの、欣勝寺や桑原には雷が落ちたことがないと言います。そのようなことがあってから、「くわばら くわばら」と唱えると雷は落ちないと言い伝えられています。 』

三田市桑原『欣勝寺』




P6160001.jpg(山門)
P6160057.jpg(本堂、新しいです。)
P6160014.jpg(山号額は川本幸民の曽祖父寄贈だそうです。)
P6160020.jpg(奥に見えるのが、ご本尊の虚空蔵菩薩です。)

永禄年間(970年~973年)に清和天皇より別れた源満仲の開基を伝える真言宗の道場で、桑原さ山欣浄寺と称されました。その後、安貞2年(1228年)曹洞宗の開祖道元禅師が28歳の時に、有馬温泉に入浴した際に、桑原のに地に立ち寄り、この寺の山が宗の不老山に似ていることから、体宋山欣勝寺と命名し、曹洞宗に改宗されました。境内には雷の子供が落ちたと言われる雷井戸があります。

なお、ご本尊は虚空蔵菩薩で元亀4年(1573)に、安房国(現在の千葉県)清澄寺から、「欣勝寺」へ本尊としてもたらされました。数え年13歳の時にお参りすると知恵を授かるといわれる「十三まいり」としても有名です。

住職は同級生?


CIMG9212.jpg
(豊岡市日高町にある曹洞宗の寺「隆国寺(牡丹寺として有名で、関西花のお寺 第6番)」)

余談ですが、欣勝寺の方丈さん(お坊さんの呼び方というのはなかなか難しいようで、曹洞宗 では、住職のことを「方丈(ほうじょう)」と呼びます。)とゆっくりお話をさせていただきました。わが家の宗教が日蓮宗であること、曹洞宗については三田市で600年の歴史を持つ「永澤寺」で座禅を数回行ったことがあることなど話をした話をさせていただきました。

お話の中で、仏教という宗教が生き方を主眼に置いた宗教であることなど、楽しくお話しさせていただきました。話の中でどうやら年齢が近いようなのでお尋ねすると全く同じ年齢でした。

曹洞宗のお寺ということで、実家近くの兵庫県豊岡市日高町にある曹洞宗の寺「隆国寺(牡丹寺として有名で、関西花のお寺 第6番)」の方丈さん(住職)が高校の同級生なのでその話をしますと、「はいはい存じ上げてますよ、大学の時は同じクラスでした。」と申されましたので、びっくりしてまた話が盛り上がってしまいました。

隆国寺の牡丹は5月が見ごろ(過ぎてしまいましたが)です。方丈さんの太田くんは高校の同級生、素敵なお寺ので又改めてご紹介したいと思いますが、皆さんもよろしければ是非出かけてください。

【最後に一言】「くわばら、くわばら」は雷ばかりじゃない!


P6160039.jpg(なんとなくの籠、狭い所は大丈夫?)

「くわばら くわばら」ですが、先日大阪北部を襲った大きな地震は、本当にびっくりしました。多くの方々が被災され、現在も復旧作業は難航しています。はっきりしたことはわからなかったようですが、好きな歴史学的見地から言うと、前回の地震は有馬-高槻断層帯のずれが引き起こした地震ともいわれています。

有馬-高槻断層帯(が引き起こした地震としては、1596年に起きた伏見桃山の豊臣秀吉の『伏見城』を崩壊した地震があります。

今回は、雷よけのお寺ということで「欣勝寺」を取り上げさせていただきましたが、昨日からの大雨で、全国で大きな被害が出ているようで、亡くなった方もおられます。被災された方に心からのお見舞いを申し上げます。

私も、昨日は神戸ポートアイランドの病院に行く予定だったのですが、有馬街道が通行止め(高速道路も全て通行止め)になっていて、仕事を有給を取って休んだにもかかわらず、全く家から動くことができませんでした。

「くわばら くわばら 欣勝寺」「くわばら くわばら 大地震」「くわばら くわばら 大雨」、人間は自然災害には無力な訳ですが、情報を早く入手して、素早く行動する事で、被害を最小限に収めてくださいね。本当に『くわばら くわばら』です。

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2018/07/01

「大国主事」こと「葦原醜男(あしはらしこを) 」に、ご挨拶『出雲大社』にお詣りする。FINAL

出雲大社を巡る旅、今回の最期を飾るのは勿論「古事記」の神話時代から語り継がれてる『本殿(神殿)』です。大国主大神をお祀りする出雲大社本殿は『国宝』に指定されています。「平成の大遷宮」で美しさに磨きを掛けた本殿の雄姿を特とご覧あれ。



【プロローグ】葦原醜男(あしはらしこを)や「大穴牟遅神(おおなむぢ)」とは?



前回は「大穴牟遅神(おおなむぢ・稲羽の素兎時)」に、今回は「葦原醜男(あしはらしこを・素戔嗚に認められて大国主に…) 」にとさせていただきました。「大国主大神」には多くの名前があります。私は「大国主」は出雲王・国王の総称であると考えています。何度も殺されるたびに何度も息を吹き返したり、全国に有る国造りの伝説も一人が成し遂げたことではなく、出雲王国の王が成し遂げた業績だと考えています。時代が移って、人代に成っても大和朝廷が出雲を特別視した所以がそこにあるのではないかと考えています。今回出雲大社に毎年二度以上通い、現地を見て感じて一層その思いが強くなりました。

DSC_0104.jpg(出雲大社に日の丸がたなびく姿が美しい20枚以上撮影したのですが…)

2008年の「仮殿遷座祭」以降、本殿の屋根等の大改修が行われて、2013年5月には御祭神を仮殿から改修が完了した本殿へ再び遷座する「本殿遷座祭」が行われました(平成の大遷宮)。出雲大社の遷宮は概ね60~70年毎に行われました。私が、出雲大社に興味を持ったのが丁度、「平成の大遷宮」の期間だったことから、本殿内部の空気感やご神体のイメージまで実際に内部を観覧したりご神体の移動に関わった方々から話を聞けたのは、偶然とはいえ幸せでした。

本殿の中に入ると「全く空気と時間が変化する」と遷宮時の公開で、本殿に登殿した方からお聞きしました。空気だけでなく、時間の流れが止まったような、あるいはゆっくりになったような、感覚に落ちていったと話されました。

出雲大社の宮司には、日本神話からの言い伝えから天照大神の子の「天穂日命」を祖とする出雲国造家のみが祭祀を担うことが許されとされており、現在においても皇室の者すら本殿内までは入れないというしきたりを守り続けています。それでは『国宝』出雲大社本殿をご紹介させていただきます。

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DSC_0061_201807012004410e1.jpg
(Facebookでもお友達に成って頂いている飯塚禰宜さんです。処理しなくても良かったのですが飯塚さんは大社のポスター等にも必ず出られている美男子なので、稲原醜男は遠慮しました。笑)


『国宝』本殿概要


IMG.jpg
(参考にさせていただきました。)
P5041821.jpg(うっとり…)

玉垣、瑞垣(廻廊)、荒垣の三重の垣根に厳重に守護されている大社本殿内部は、北西には御客座五神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神)が祀られています。大国主大神の御神座は本殿内北東にあり、正面である南側ではなく西側を向いています。

これは本殿が古代の高床式住居とほぼ同じ構造になっているため、高床式住居における入口と最上席の配置と向きの関係から、御神座は西側を向くことになるためと考えられています。天井には7つの雲の絵(8つ目の雲はどこへ?)が描かれている。現在の本殿は1744年(延享元年)に建てられたもので、高さは8丈(およそ24m)と、神社としては破格の大きさです。

切妻造妻入の本殿は、柱を田の字型に配して中央には直径が1 mを超える心御柱が立ちます。正面・背面の中央には棟木まで伸びる宇豆柱は立ちます。このため戸口を中央に作られないので、東の間に板唐戸(御扉)を取り付け、扉の前に階段(木階)を作り、その上に傾斜した屋根(階隠)をかけます。

このような形式は「大社造」と呼ばれ神社建築の中でも、出雲地方に独特な形式に分類されています。特に出雲大社本殿はその代表例として国宝に指定されています。

屋根は檜皮葺で、その構造は軒先に厚みを持たせるの軒付と、屋根面を葺く平葺に分かれます。平葺は、一般的に長さ76cm の檜の皮を12 mmずつずらして重ね竹の釘で葺きますが、出雲大社本殿では121cmの皮を9mmずつずらして重ねていきます。檜皮の長さが1.5倍もある上にずらす隙間も狭く、重なりが多くなるため檜皮葺の厚さは20cmにもなります。

軒付積の厚さは60~90cmになります。また、檜皮の下には野地板(厚さ4.5cm) の上に貼られた二重の流し板(厚さ3.3cmと4.8cmが仕込まれています。この流し板は、継ぎ目を刻苧漆(こくそうるし)で止水した重厚な構造です。いずれも本殿を厳重に守るための先人の工夫です。

この本殿が建てられた時の記憶『出雲大社延亨造営伝』によれば、破風と棟の包み銅板には「チャン塗」が施されていました。修理前の包み銅板は明治の修造遷宮で取り替えられたものでしたが、分析の結果黒色のチャン塗が施されていたことがわかりました。また破風の錺金具に残っていた緑色の塗料もチャン塗でした。「チャン塗」とは主成分が松脂でこれを荏油(えごま油)で溶き、鉛と石灰を添加した塗料です。黒の場合は墨、緑の場合は岩絵の具の白緑(びゃくろく・ 白みを帯びた薄い緑色。孔雀石を砕いた粉末である岩緑青(いわろくしょう)を、さらに細かくして作った)を練り混ぜて作るそうです(自分で書いていて、意味が良くわからないです)。出雲大社の建造物‐(公財)文化財建造物保存技術協会‐より抜粋。

「雲太、和二、京三」って知ってます?


DSC_0054_20180701200440a9b.jpg(本当はどの程度の高さだったのか?)
PB020110.jpg(後ろの八雲山に作らえていればおよそ96m有ったかもしれません。)

本居宣長の『玉勝間』によれば、かつての本殿は現在の倍ほどもあり、中古(平安時代)には16丈 (48m)、さらに上古(神の時代の後、平安より前)には32丈(およそ96m)であった、という伝承があるとされます。同じ出典にある、「金輪造営図」と併せて想定される姿は大変不思議なもので、空に向かって延びた何本もの柱の上に社が建つというものになっています。上古については流石に神話の中のお話だとしても、16丈あったとすると東大寺大仏殿(当時の伝承によれば十五丈・45m)や平安京大極殿より大きかったということになります。

この説については賛否両論あり、肯定する意見としては、平安時代に源為憲によって作られた「口遊」で数え歌に歌われていること(雲太、和二、京三=出雲太郎、大和次郎、京三郎、というものですが『雲太、和二、京三。今案、雲太謂出雲国城築明神神殿。和二謂大和国東大寺大仏殿。京三謂大極殿、八省。』を元にしており、その後に続く数え歌を考慮すると、高さの順を表したものではなく、神社(神)、寺院(仏)、住宅(人)の順との説もある)や、複数の記録により、複数回倒壊していることがわかっていること(「百錬抄」「左経記」「千家家古文書」「中右記」「北島家文書」などに記録があり、平安中期から鎌倉時代初めまでの200年間に7度も倒壊している)といった傍証が挙げられてます。

上古32丈についても、山に建てたものについて、その標高を述べたものと附会すれば、不自然では無いという意見もあります。高層建築が必要とされたのは別天津神(ことあまつかみ)の祭祀と関係があるとする説もあります。別天津神は、『古事記』において、天地開闢の時にあらわれた五柱の神々をいいます。

『古事記』上巻の冒頭では、天地開闢の際、高天原に以下の三柱の神(造化の三神という)が、いずれも「独神(ひとりがみ)」(男女の性別が無い神として成って、そのまま身を隠しました。天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)至高の神、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)生産・生成の「創造」の神、神産巣日神(かみむすひのかみ)生産・生成の「創造」の神。高御産巣日神と対になって男女の「むすび」を象徴する神。

その次に、国土が形成されて海に浮かぶくらげのようになった時に以下の二柱の神が現われています。この二柱の神もまた独神として身を隠しました。宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)活力の神、天之常立神(あめのとこたちのかみ)天の神です。これら五柱の神を、天津神の中でも特別な存在として「別天津神」と呼んでいます。

一方で、前述したように明確な文献が『玉勝間』と江戸時代まで下ること、証拠とされているものがいずれも傍証にとどまること、32丈説として想定される「山」が、そもそもただの山ではなく神域であり工事が入ることなどめっそうもないといった点が否定要素とされています。

2000年、地下祭礼準備室の建設にともなう事前調査に際し、境内からは勾玉などの他、巨大な宇豆柱(1本約1.4mの柱を3本束ねたもの)が発掘されました。古代社殿の柱ではと騒がれ、16丈説があたかも確認された事実であるかのごとく報道されたりしましたが(私も興奮したもですが…)、結局、中世の遺構で現在とほぼ同大平面であり、柱の分析や出土品からも1248年(宝治2年)造営の本殿である可能性が高いとされています(鎌倉時代ですね)。ただし発見されたものが古代の本殿ではなくとも、16丈であったことの証明になる可能性があると書かれた教科書や書籍ももちろんあります。

江戸時代初期まで素戔嗚が主祭神だった?


P5041801.jpg(大国主は何故西を向いているのか?)
P5041800.jpg
(こちらからだと正面から大国主大神と対面できる場所。前の山が義父・素戔嗚を祀っているからとバスガイドさんの説明を小耳に…)

現在の出雲大社の御祭神はもちろん大国主大神ですが、その昔、素戔嗚尊(スサノオノミコト)とされていた時代がありました。出雲大社の荒垣入口の銅鳥居は長州の大名毛利家が寛文六年(1666年)に寄進したものですが、そこに刻まれた銘を見ると「一を日神といい、二を月神といい、三を素戔嗚というなり、日神とは地神五代の祖天照太神これなり、月神とは月読尊これなり、素戔嗚尊は雲陽の大社の神なり」と書かれていて、この時代は素戔嗚尊が御祭神であったことがわかります。

いつから切り替わったとはっきり伝わっているわけではありませんが、歴史を見ていきますと、古代からしばらくの間は大国主大神でしたから、創建時も当然、大国主大神であったと考えます。また、出雲国造新任時に朝廷で奏上する「出雲国造神賀詞」においては「大穴持命(大国主大神)」「杵築宮(出雲大社)に静まり坐しき」との記載がありますので、この儀式を行っていた平安時代前期までの御祭神は大国主大神であったことがわかります。

ところが、これが中世の間のどこかから変わったようです。どうも鰐淵寺という出雲大社の北東にある大きなお寺との関係が起因となったようです。変わった理由について、國學院大學教授の西岡和彦氏のわかりやすい説明がありますので、見てみますと、「中世の出雲大社は、神仏習合の影響を受けて、一時祭神は素戔嗚尊であった。それは鰐淵寺を中心とした縁起(いわゆる中世出雲神話)に、出雲の国引き・国作りの神を素戔嗚尊としていたことから、それが一般に広まり出雲大社までが祭神を素戔嗚尊とするようになったのである。」(しまねの古代文化第十一号、島根県古代センター)

中世は神仏習合体制で、神社と寺院とかなり緊密な関係となっていたところが多く、出雲大社と鰐淵寺の関係もそうであったようです。最も神仏習合といっても、神社よりも寺院の方が力が強い事も多く、また学問といえば僧侶が中心でしたから、そのあたりも祭神の変更に影響を及ぼしたのかもしれません(ちなみに鰐淵寺「取材済み」は紅葉や桜のきれいな古刹です。まだ、ご紹介していませんが、改めてご紹介させていただきます。)。

豊臣秀吉の唐入りの際、出雲大社は所領を大きく減らされた影響から、江戸時代に入って鰐淵寺との関係はかなり薄くなりました。また儒学が盛んになると、神道が見直され「日本書紀」が広く読まれるようになりました。日本書紀においては出雲大社は大已貴神(大国主大神)の住まいとして建てられた、という神話がありますから、江戸時代中期には出雲大社は公式文書にもはっきりと御祭神は大已貴神と記載するようになり、はっきりと大国主大神に戻っています。

不思議な話ですが、良く戻ったなという気もします。参拝する人や権力者の意向もあります。それでも、戻ったのは、やはり天穂日命から代々受け継いできた出雲国造家の存在が大きかったのではないかと思います。私の故郷但馬の名草神社の三重塔も尼子氏によって仏塔として出雲大社に建てられていたものです。当時の遷宮の材が無い時期に但馬の木材と交換されて出雲大社の再建に使われました(名草神社「取材済み」もまだご紹介していないのですが、現在大雪の影響で修理中です2020年に完成予定です
。)。

出雲大社のご神体は何だ?知りたいですよね~推理してみましょう。


P5041738.jpg(うっとりする美しさです。)

さて皆さんは出雲大社のご神体を何だとご想像されますか?普通は、三種の神器と同じように「鏡・剣・勾玉」のどれか、またはその全てだと思いになりませんか?ただ出雲大社のご神体は、そのどれでもないと私は確信しています。

以前もお話してのですが、実は意宇六社、出雲総社・六所神社の宮司さんと Facebook でもお友達に成って頂き、出雲の歴史を御教授頂いて居ります。最初に六所神社を訪れた時に御朱印をいただきながら、出雲歴史の話で盛り上がり(私の知識が議論に値すると思っていただけましたら嬉しいのですが)小一時間お話することができました。

御朱印集めを、出雲大社遷宮の前年から始め、出雲が大好きに成ったことなどお話をさせて頂きますと、意宇六社の宮司さん方が出雲大社遷宮時に御神体を運ぶ役目を担っていることなどを、お話下さいました。

そこで、すかさず「出雲大社の御神体は何なのですか?」と訪ねてみたところ、遷宮の御神体移動は前日の夜に、千家当主(現在の出雲国造八十四代千家尊祐さん)が一人で神輿に移され、神事の当日に意宇六社の宮司さん方が仮神殿に移されるとのことです。もちろん神輿の中は見られないわけですから御神体が何であるかわからないそうです。

しかし、神罰に触れそうなので、はっきりとは言えませんが、ある理由から、「鏡・剣・勾玉」等ではないようだと考えられているようでした。さて皆さん其では何だと思われますか?それが何かはハッキリ言えません。私見ですが、やはり出雲に関係のあるものだと推測しています。出雲に関係があるものといえば何でしょう ?(こんな物かも…笑)

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(こんなこと覚えてますか?屋根を突き破ったそのもの1億で売れたとか?)

【最後に一言】『AKB48 53rdシングル世界選抜総選挙』に日本の未来を見た。



色々ご意見もおありだと思いますので、サムライブルーはちょっとおいといて(-"-;A ...アセアセ、時代は天照?女性を欲しているかも?

5月16日(土曜日)にサッカーをみようとTVを付けると「AKB48世界選抜総選挙」の開票イベントをやっていました。実は根っからのアイドル好きなんです。と言っても AKB グループが特別好きというわけではありません。AKB48グループの『AKB48 53rdシングル世界選抜総選挙』の開票イベントが5月16日、名古屋市のナゴヤドームで行われ、SKE48の松井珠理奈さん(21)が10回目の出馬で初めて1位を獲得しました。2位にも須田亜香里さん(23)が入り、SKEが1、2位を独占しました。

しかしながら、頑張っているアイドルを見るとついつい応援したくなるのが人情ですよね、昨年の紅白歌合戦で檜坂46のメンバーが、過呼吸になって倒れた姿を見て大ファンになった私ですが、AKB48グループ「メディア選抜」16名に選ばれた彼女たちのスピーチに思わず涙をこぼしてしまったので、少しAKB48についてお話をさせていただきたいと思います(出雲大社のまとめがAKB48か~~~!と怒らないでくださいね。)。

そもそも、私よりも半分以下の年齢の彼女たちが、3万人以上の名古屋ドームのファン(観客)を前にして、堂々と話がができるということに驚きました。そういわれてみれば、毎年開催(10回です)されているようですし。初期の頃はファンの子(篠田 麻里子さんです。)がいたので程々真剣に見ていたのですが、今は篠田さんが卒業してしまっているので、それほどは関心なかったのですが、なぜか今回は、ダラダラと見続けることになってしまいました。

しかしながら、彼女たちが3万人以上の観衆の中でスピーチにする姿にびっくりしてしまいました。当然「選抜メンバー」と呼ばれるトップ16名の発言は、素晴らしいものだったと思います。彼女たちは自分たちを投票で上位に押し上げて、トップメンバー(メディア選抜に)に押し上げてくれたファンへの感謝の気持ちを当然述べるわけですが、その後に冷静に自分自身の目標やAKB48という『箱』について、自分の所属するグループだったり、またそのグループ内のチームについてもスピーチするのです。そして選抜に選ばれる、殆どの皆さんがそのチーム(12~15程度)やグループ(48名以上)のトップメンバーです。

横山由依さん(総監督)になると AKB グループ全員の400(下部組織・海外を含めると700人以上?)人をまとめていると言うではありませんか、400人ですよ~!本当にあんなに可愛い女の子が400人のグループを纏め上げるってどんなことなんだ、と思いました。会社の場合を例にすると、人数では彼女たち一人一人がそれぞれ、一つの会社の社長と変わらない仕事をしてることになります。総監督の横山由依さんにいたっては、大会社の社長に匹敵します。

その彼女たちが心の底から絞り出す「スピーチ」に感銘を受けたのです。20歳そこそこの(そこそこと言われると怒られそうですけど)の彼女たちが、「私に付いて来てください。」とか「自分の頑張りを見ていてください!」とか「次は1位になります。」とか、そんなことを3万人もの観衆の前で宣言できますか?改めてびっくりしました。1位の松井珠理奈さんは「私は本気で48グループを1位にしないと気がすまない。48グループはまたアイドル界のトップになれます。なりたいんじゃダメなんです、なるんです!」と、凄すぎる。

もちろん彼女たちの後ろには、彼女たちを育て上げ(上手くプロデュースしている?)ている大人が付いているのかも分かりません。秋元康さんの策略かも分かりません。しかしながら彼女達は自分達の言葉で語りかけているんです。とても素晴らしい事じゃないですか、それだけの覚悟が、「じゃあ自分自身にあるのか?」と問われると、とてもではないですけどないですよね、3万人の前で普通に喋れるかどうかも分かりませんし…、本当に素晴らしい皆さんだと思いました。

「AKB48世界選抜総選挙」のメディア選抜のスピーチを聞いて、日本の未来は女性に託すべきだと感じた市郎右衛門でした。

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2018/06/28

「大国主神」こと「大穴牟遅神(おおなむぢ)」に、ご挨拶『出雲大社』にお詣りするvol①

さぁ!拝殿です。出雲大社も、まとめに入らせて頂きます。月曜日は一月ぶりの馬肉会!素敵な出会いが有りましたので、プロローグでご紹介します。



【プロローグ】素敵な出会いに乾杯



月曜日は1月に一度の恒例の馬肉会でしたが先月と今月は、ブログ仲間の参加もゲストもおらず、「こんなまったりもいいね」とtaka:aさんとさしつさされつな感じで、美味しい料理に舌鼓を打っていました。

前日ワールドカップの日本vsセネガル戦があったせいかも分かりませんが、自宅で鑑賞をされた方々の鬱憤が溜まっていたのか?月曜日にも関わらず、あれよあれよという間に満席になってしまいました。

私たちも、副店長や店員のお姉さんをからかいながら、ちびりちびりと飲んでいたのですが、カウンターの隣に座られた、素敵なミドルの木村暢義・るい子夫妻と意気投合し、楽しくお話をさせていただきました。

木村さんは九州長崎は諫早(海水の塞き止めの件で有名ですよね)で四社を切り盛りする社長さんで、奥様は副社長として支えておられます。

今回の神戸は、暢義さんの肝臓癌の治療のため2週間にわたって入院治療されるとのこと、暢義さんには若い頃の武勇伝や苦労話・長崎話などをして頂き、大盛り上がりで楽しいひと時を過ごすことができました。

「長崎に遊びに来ないかね?」とお誘いを受け、taka:aさんと二人で「ほんまに行くで」ええよ「うまいもん食わしたるわ」と長年の友人のようにお話させて頂きました。

お二方が先に店を出られる時には、馬肉会恒例となったハグ大会で別れを惜しみました。元気になってくださいね~。長崎、本場九州に馬肉会開催しに行くかい?長崎で開催するぞ~~!

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(ショッキングな写真は1953年5月27日の火に包まれる出雲大社拝殿!拝殿は新しいので、重要文化財ではありません。)

何時もと又違った、楽しい一日を過ごした後ですが、素敵な出会いのお話の後は、ジョギングな写真と共に、出雲大社拝殿をご紹介します(ご夫妻の笑顔は下でご覧下さい。)。

それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。
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(木村さんご夫妻。素敵ですね~ワラ)
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(お二人も仲良く餅つきが出来ますように…)

出雲大社の神紋「花剣菱」



出雲大社の神紋「花剣菱」と出雲発祥の地、意宇六社の神紋について少しお話させて頂きます。

「出雲大社」の神紋は、現在『二重亀甲に剣花菱』で「揖夜神社」「八重樫神社」がそうです。

一方出雲大社の以前の神紋は二重亀甲に「有」の文字でした。有をばらすと、十と月ですよね!つまり十月、出雲で旧暦十月といえば、神在月、正に神々が居られる場所と言うわけです。

この社紋を使っているのは、意宇六社では「神魂神社」「真名井神社」「六所神社」です。

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(意宇六社の一社、真名井神社の狛犬は、出雲型狛犬の中で最も美しいと思います)


出雲大社と並ぶ出雲一宮、熊野大社は別格?「一重亀甲に「大」の文字」です。

CIMG2554_20180628222427932.jpg(熊野大社は別格?「一重亀甲に「大」の文字」です。)


「拝殿」が重要文化財じゃないってホント?


CIMG9769.jpg(これが重要文化財じゃない!)

拝殿は、室町時代の1519年に尼子経久が造営しました。名工の坪井大隅守が華・青龍・松竹梅など豪華絢爛で高く評価されていましたが、1953年5月27日午前1時ごろ本殿が72年ぶりの正遷宮奉祝期間中に鑽火殿(さんかでん)から出火、拝殿まで及び灰塵に帰しました。原因は鑽火殿で餅をつき終わって酒を飲んでいたことから残り火の不始末だそうです(コラ!せめて三島由紀夫さんに書いてもらえるくらいのインパクト残せ…)。

日本全国の崇敬者から寄付金1億円を集め、復興事業として、高松宮宣仁親王を総裁として、1959年に再建されました。

P5041697.jpg(やはり拝殿のしめ縄大ですね~!)

二礼四拍一礼は珍しい?



出雲大社の二礼四拍一礼は有名ですが他にも拍手が多い神社が在りますのでご紹介します。一般参拝者が行う作法として、宇佐神宮(大分県宇佐市)、弥彦神社(新潟県西蒲原郡弥彦村)などは二礼四拍手一礼です。

ちなみに、伊勢神宮での八拍手(八開手)は神宮神官が祭祀の時にのみ行う儀礼で、一般参拝者は行いません。 一般参拝者は二礼二拍手一礼をお願いいたします。

旧拝殿の寄進者は「尼子経久」って知ってた?


P8120252.jpg(左が月山富田城跡の傍に在る洞光寺・島根県安来市の尼子経久の墓地です。)

尼子経久(あまご つねひさ)は、戦国時代の武将・大名で出雲守護代です。北条早雲と並ぶ下剋上の典型であり、毛利元就や宇喜多直家と並ぶ謀略の天才とも云われ、大内義興と戦い、尼子氏の領地をひろげ、全盛時代(実際の全盛期は彼の嫡孫にあたる、尼子晴久の代です。)を作ったことから、「謀聖(ぼうせい)」「謀将(ぼうしょう)」と称されました。経久、元就、直家はよく中国の三大謀将と呼ばれています。

経久の人物像については、家臣に対しては非常に気を使う優しい人物だったようです。『塵塚物語』によれば、経久は家臣が経久の持ち物を褒めると、たいそう喜んでどんな高価なものでも、すぐにその者に与えてしまうため、家臣たちは気を使って、経久の持ち物を褒めず眺めているだけにしたと伝えています。

ある時、家臣が庭の松の木なら大丈夫だろう思い、松の枝ぶりをほめたところ、経久はその松を掘り起こして渡そうとしたため、周囲の者が慌てて止めました。それでも経久は諦めず、とうとう切って薪にして渡したと言われています。世人はもったいないことだ、と話したが、経久は全く気にもしませんでした。また、冬には着ている着物を脱いでは家臣に与えていたため、薄綿の小袖一枚で過ごしていたとの逸話もあります。『塵塚物語』では経久のことを「天性無欲正直の人」と評しています。

【最後に一言】日本代表の『君が代』姿勢にもの申す


P5041696.jpg(皆で出雲大社にお願いしよう。)


今日、これから戦うワールド日本代表の「君が代」を聞く姿勢に対して思うところがあります。初戦では強豪コロンビアを破り、第2戦のセネガルでは、相手には先制されながら二度も追いついた姿は、当然賞賛に値します。しかしながら「君が代」を聞く姿勢に一言苦言を呈したいと思います。

国家斉唱の最中、肩を組んでいる姿はいかがなものか?胸の国旗日の丸と八咫烏に手を当てて「君が代」を聞く姿勢が、国の代表としての取るべき態度ではないかと思っています(バッシングされそうで怖いですが(;^_^A)。

私の記憶が正しければ、肩を組むようになったのは前々回のワールドカップからだと記憶しています。チームの団結(一体感)を出すため、スタメンばかりではなく控え選手や監督コーチも同様に肩を組んでおられたと記憶しています。今回見ていると背中で手を交差させていますね、肩を組むよりは少しマシなような気もします。

先日、神戸新聞のコラムに、ある有名 DJ のコメントとして日本国歌「君が代」に二番を作ってほしいという話が載っていました。スポーツシーンで「日本の君が代はおとなしすぎる」という意見です。「もっと明るく軽快なテンポでさあ行くぞ」という風に変えて、厳粛な式典では一番を、スポーツなどでは二番をという、私からすればとんでもない意見が載っていました「神戸新聞さん精査しなさいよ!」と思わず思ってしまいました。

その DJ さんは申し訳ないですが、君が代の本質を全く分かっておられないと思います。「君が代」ほど荘厳で美しい国歌は世界中どこを探しても見当たりません。世界の他の国歌は大抵マーチですよね、つまり行進曲です。日本で言えば軍歌に成りますでしょうか?まずそれこそ全く日本的ではありません。おいおいDJ君!深く考えたことがあるのですか?と思わず聞きたくなりました。

世界一長い歴史を持った天皇陛下を君主に据える日本の国家に二番などもってのほかだと思います。この DJさん は国歌として軍歌を歌いたいのでしょうか?「君が代」をよく知らないのだと思って我慢することとします。

さて、今日の「君が代」効果はいかに?今夜キックオフ見えた決勝トーナメント行けるぞ日本!『頑張れ日本~~~!』

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2018/06/24

『出雲大社』「荒垣内摂社」で神々と御縁を結ぶ旅!vol④

本殿以外の全ての瑞垣内の建物をご紹介させていただきます。御紹介漏れは、「門神社」二社・「神饌所」二棟・本殿東の「天前社」「御向社」・本殿西の「筑紫社」です。



【プロローグ】やっと平常が職場に戻った。



金曜日に帰宅する準備をしていると、大阪モノレール彩都線が再開通されました。私は車通勤なので関係はないのですが、他の社員皆さんの通勤の足が戻ったことで、仕事ルーティンも平常に戻ると思います(結構チームワークな面も有りますので)。

今回の大阪北部地震は、我が家にとっては大きな被害もなかったわけですが、地震大国日本としては、またいつかどこかで、同じような天災が今後も起きることは否めません。是非皆さんも、もう一度地震などの天災に対する準備をして頂きたいと思います。いえ、必ず準備してください!

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(兎の可愛さに本当に癒されます。)

さて今回ご紹介するのは、「出雲大社」八足門内の「本殿」以外の全ての建物および、お社です。今日のご紹介で出雲大社で紹介する建物の残りは、「拝殿(重要文化財)」と「本殿(国宝)」のふたつとなりました。どうにか、来週中にはご紹介できるものと考えています。

出雲大社の「八足門」内は正月三が日などの特別な日や、ご祈祷を受けた方以外は入ることができない特別なエリアです。今回も写真は私の撮影したものと、平成の大遷宮事業パンフレットの併用に成ります。

【おことわり】

些細な事ですが、寺社仏閣をご紹介する事が多くなりましたので人気ブログランキングのカテゴリーを寺社仏閣に変更しています。ブログ村は以前の通り日本史カテゴリーです。

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御門を守られる神を祀る「門神社」二棟


P5041758.jpg(瑞垣外から東「門神社」)
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(「門神社」正面から簡素な造りです。)

瑞垣の内側、八足門を入ったところに、二つ向かい合ったようにあるのが「門神社(もんじんのやしろ)」です。御門を守られる神として東側は宇治神(うぢのかみ)、西側には久多美神(くたみのかみ)がお祀りされています。プロローグでも申しましたように、八足門内は通常では入れませんので、そっと瑞垣の外からのお詣りをお勧めします。

「門神社」は瑞垣内八足門を入った、東西両側に向かい合わせに立つ二棟のお社です。この社殿は本殿と異なり、縁がなく社殿と木階が一つの屋根の下にあります。本殿や御向く社などを簡略化した建物の形式と言えます。

神様へのお供えを準備する「神饌所」二棟


12698658954768.jpg(東「神饌所」北本殿向きに出入り口があります。)

神饌所は建立寛文7年(1667年)楼門をくぐった玉垣内の両脇にあります。大きさは両方とも三間×三間で屋根は入母屋の檜皮葺きです。

寛文の造営で建てられた建物を、延享の造営で建て直す際に、柱の外側表面を薄く削り移築されたものです。このような建物が境内には多く残っています建物の内部は神様へのお供え物(神饌)を準備するための棚が設けてあり、出入り口は本殿に向く北面にあります。

東神饌所の屋根は檜皮葺の下に割板による下地屋根(土居葺き)のある二重屋根になっています。

大国主大神を治療した蚶貝比売命と蛤貝比売命を祀る「神魂伊能知比売神社(天前社)」正后・須勢理毘賣命を祀る「大神大后神社(御向社)」


126986589547 8- コピー(この写真だと配置が分かりやすいですね。)
P5041762.jpg(瑞垣外寄りの眺め。)
789876548691 4(左「大神大后神社(御向社)」・右「神魂伊能知比売神社(天前社)」)
P5041767.jpg(手前「神魂伊能知比売神社(天前社)」)
P5041771.jpg(奥に「大神大后神社(御向社)」)

脇宮三社と呼ばれる「大神大后神社(御向社)」「神魂伊能知比売神社(天前社)」及び下でご紹介する、「神魂御子神社(筑紫社)」は、延享元年(1744年)建立の本殿摂社です。本殿を取り囲む玉垣東に「大神大后神社(御向社)」「神魂伊能知比売神社(天前社)」、西に「神魂御子神社(筑紫社)」があり、この三社は全て形と大きさが同じに作られています。社殿の形式は大社造の本殿に似ていますが、正面中央に宇豆柱がないため御扉や階隠しが社殿の中央にあるのが特長的です。

配置が良く考えられていると思うのですが、東側左(本殿側)に大国主の正后・須勢理毘賣命を祀る「御向社」右に大国主大神を治療した蚶貝比売命と蛤貝比売命を祀る「天前社」があります。

大国主神の神話で、たくさんの兄神たちである八十神から嫉視された大国主神が、八十神が猪と偽って山上より転がした焼ける岩を抱き止めて焼け死んだところへ、「神産巣日之命」の命令によって蚶貝比売命と蛤貝比売命両神が派遣され、蚶貝比売命が「刮(きさ)げ集め」、蛤貝比売命が「持ち承(う)けて、母(おも)の乳汁(ちしる)を塗り」て治療を施すと、大国主神は蘇生したとされています(そのことから看護の神さまとして信仰されています)。

8591.jpg(大国主を殺した岩が封印されています。お~パーツ!)

こちらは、ちょっとご紹介したい私のとっておき神社が鳥取県南部町に有るのでご紹介させてください。因幡の白兎(稲羽の素兎・しろうさぎ)の続編、八上比賣(やがみ姫)と結婚した、大穴牟遲神(おおなむじ→大国主命)は八十神から嫉視され、八十神が猪と偽って山上より転がした焼ける岩を抱き止めて焼け死んでしまいます。その岩を封印している再生の神社「赤猪岩神社」です。

宗像三女神の多紀理比売命を祀る「神魂御子神社(筑紫社)」


P5041808.jpg(「神魂御子神社(筑紫社)」の檜皮葺き。)
P5041803.jpg(宗像三女神の多紀理比売命を祀る。)

瑞垣内、こちら側にあるお社は大国主大神のお后様で宗像三女神の一柱、多紀理比売命(たぎりひめのみこと)をお祀りしている「筑紫社(つくしのやしろ)」です。多紀理比売命は筑紫(福岡県)の宗像神社の祭神でもあります。古代から筑紫と出雲とは深い関係であったことを思わせます。正妻の反対側です(笑)。

『古事記』の大国主神の系譜では、大国主神との間に阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこね・味耜高彦根神)と下照姫(したてるひめ)を生んだと記されています(この二神、私は大ファンなんです。)。

P5041711_20180624194500fec.jpg(出雲大社の神門は「花剣菱」)

【最後に一言】本気で頑張れ~~~日本!


今日の夜(試合開始は日本時間では12:00なので実際は明日?)にサッカーワールドカップ、日本対セネガル戦があります。是非日本代表には頑張って勝利を掴んでほしいのですがコロンビア戦に勝ったからといって、一次リーグを簡単に通過できると考えるのは甘い考えだと思います。世界のサッカーはそんなに甘いものではないでしょう。

1回戦はコロンビア戦は日本が頑張ったというよりは、むしろコロンビアの自滅と言った方が良いかもしれません。ですから今夜のセネガル戦は全ての力を出して戦ってほしいです。それではみなさんの願いが日本代表に届くようにテレビの前ではありますが、頑張って応援しましょう《頑張れ日本~~~!》

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